檻を壊すということ*2
エバニが終身刑になるかもしれない、という話は、クラークの心身の健康を蝕んでいった。
考えて何かまともな答えが出る訳でもないのに延々と考え続け、そのせいで眠りは浅く、昼間、働きながら倒れそうになる有様だ。
そんな有様であったので、遂にはアレックスによって、強制的に有給休暇を取得させられてしまった。尤も、休暇の間ずっと、クラークはベッドの上で目を開けたまま、答えの無い考えの中を彷徨い歩いていたのだが。
有給休暇の翌日には普段通りに勤務にあたり、図書館の警備を行う。ふと覗き込んだ本棚の裏に何故かベッドが設置されており、そこですやすや眠る図書館関係者らしい者の姿を見つけて、そっとその場を立ち去る。手にタンバリンを握ったまま眠っていた様子だったが、きっと何かの見間違いだろう。そうだ。そうに決まっている。ああ、遂には幻覚が見えるようになってきた。
……そんな有様であったので、エルヴィスやエバニが特に、心配した。
「なあ、クラーク。大丈夫か?」
「心配されるようなことじゃない。ところで図書館にはタンバリンを持った職員が駐在しているのか?」
「あ、うん。あいつがタンバリンマスターだよ」
「……幻覚ではなかったのか」
クラークがぼんやりしていると、エルヴィスはいよいよ心配したようにクラークの周りをうろうろ、とし……それから少し居なくなって、すぐ戻ってきた。
「ほら、とりあえず座って。で、これ」
エルヴィスがクラークを座らせて、手に飲み物のカップを握らせてくる。看守相手に一体何をするんだ、と言いたいところだったが、『疲労回復のポーションだから飲んどけ』と言われてしまっては仕方がない。ちび、とカップの中身を飲む。
……薬草特有の香りが強いが、それ以上にリンゴと蜂蜜の味がした。甘くて飲みやすいポーションだな、とどこか遠く思う。
「な、クラーク」
カップを両手で包んでいたクラークの前に屈んで、エルヴィスはじっと、クラークを見つめてきた。
「エバニのことで悩んでるのか」
「……そうだな」
否定することでもない。クラークはカップの中に視線を落したまま、そう答える。
「このままずるずると法が変わって、エバニ達は終身刑になる可能性が高いそうだ」
この辺りは、クラーク自身でも調べた。これでも一応は、法学を学んできた身である。丁度ブラックストーンには良い図書館もあることなので、調べるのは案外簡単だった。
……そして残念なことに、この国の法が腐った方へ変わっていこうとしていることは、どうやら事実であるらしい。新聞記事と雑誌から、それが読み取れた。
「まあ……国が今のままだと、そういうこともあるか。帝国も滅びるちょっと前はそういうかんじだったぞ」
「て、帝国……?」
「うん。ほら、400年くらい前にはまだ王国じゃなくて帝国だっただろ、この辺り」
歴史の教科書に載っているような内容に、クラークは少々面食らう。どうも、このエルフと話しているとこういう風に唐突に驚かされることがままある。
「だから……まあ、国が変わればいいなあ。できるだけ早い内に」
「……そうだな」
話しながら、『まあ、まるで期待できないな』と内心で嘆く。
国が簡単に変わってくれるなら、クラークもエバニも、そもそもこんなところには居ない。
エルヴィスにとっては、国の変貌などいずれ来る話だろう。だが、クラークやエバニ達、人間にとっては、そうではない。生きている間にそれが来るかも、怪しい。
「国を変えるには、どうすればいいんだろうか」
ぽつり、と呟いて、クラークはすぐ考えを打ち消す。
そんな方法は、無い。国民全員で声を上げることは不可能だ。何せ、何も知らずに、徐々に絞まっていく首を『こんなもんか』と受け入れてしまう国民の方が、圧倒的に多いから。
正しい方法は最早何も、通用しない。請願を行ったところで全て揉み消され、無かったことになって終わりだ。ついでに、請願を行った者が刑務所に放り込まれてしまうだろう。
最早、この国に『正しさ』など通用しないのだ。
「国王を暗殺すればいいと思うぜ。俺はそれをやろうとして捕まったけど」
だからこそ、エルヴィスが事も無げに言った内容に、驚く。見えていたはずなのに見ていなかったものを見つけたような心地になる。
あまりにぽかんとしていたからか、エルヴィスはクラークの前で首を傾げた。
「えっ、俺の罪状、知らなかったのか?」
「あ、ああ……いや、知っていたが……」
エルヴィスの罪状についても、知っていた。囚人の記録を確認して、そこで『終身刑のエルフ』について調べた。エルヴィス・フローレイが何をしてここに居るのかも、既に分かっている。
「……その、お前は一体どういうつもりで、国王を暗殺しようとした?」
「ん?いや、国を変えたくて」
エルヴィスの答えは、クラークにとって少々新鮮だった。『そうか、エルフもそんなことを思うのか』と、面白く思う。
「……まあ、こう、そういう奴とつるんでたんだ。楽しい奴だったよ」
このエルフにも色々あるのだろう。少々気になったが、これ以上の内容は、聞かないことにする。どうも、楽しい奴『だった』と話すエルヴィスの目が暗かったので。
「ま、それも失敗して、結局俺はここに居るんだけど」
「だろうな」
もし、エルヴィスが『成功』していたら、どうなっていただろうか。
……少し考えて、考えを打ち切った。考えても無駄なことは、無駄なのである。
「ま、そういうわけだ。外出も満足にできない俺達囚人からしてみると、国を変えるのは相当に難しい。一番手っ取り早いのは国王の暗殺だろうし、それ以外だと上層部の暗殺か?まあ、暴力が一番早いのは間違いないけど、それも、やるやらないじゃなくて、できるできないの話だし……」
「そんなこと、するんじゃない」
「そうかぁ?俺はエバニだのラウルスだのお前だのが苦しむくらいなら、国王の1人や2人、死んだ方がいいと思うけどなあ。人間なんて、何もしなくたってすぐ死んじまうんだし……」
エルヴィスが珍しくも少々不機嫌そうなのを見て、クラークは逆に落ち着いてきた。
……落ち着いてしまえば、少々、頭に余裕ができる。その余裕で、エルヴィスの言う案を真面目に検討できてしまう程度には。
「どのみち、人を殺すのは正しいことではない。人が持つ可能性を絶っていいのは神だけだ」
「そういうもんかなあ」
「人が人を殺してはいけない、というのは普遍的な法だと思うが」
そして検討の結果、クラークはそう、結論を出した。
人を殺してはいけない。それは、正しくないから。
……国を変えることは正しいことだが、そのやり方が、正しくない。誰かを傷つけるということは、自分や自分の大切な人が傷つけられるのを許容する、ということだ。客観視して、万人の立場に立って、そうして広く深く考えれば、『人を殺してはいけない』というだけの至極簡単な結論に辿り着く。
だが、同時に、誰も傷つけずにこの状況をひっくり返すことはできないだろう、と現実的に考える自分も居る。
また、『既に相手に傷つけられた後だろう。やり返して何が悪い』と思う自分も。
……クラークの中で、『正しさ』が揺れている。
揺れて揺れて、振り切れてしまいそうなほどに。
その夜、クラークは自分のベッドの中でまた考えた。
『正しさ』とは何か。複数の『正しさ』があるのではないか。そこに多寡の違いはあるか。
……考えて、1つずつ、結論を出していく。
正しさとは、万人を幸福にするためのものだ。
個々人によって正しさの度合いは異なる。ぶつかり合うこともある。
そして、『より大きな正しさ』は、間違いなく存在する。
功利主義の考えに立てば、より数多くの人を救える方がより大きな『正しさ』である。それと同じように、ある基準を設ければ、正しさの度合いを測ることもできるというわけである。
或いは基準など無くとも、測りなどせずとも、感性によって導き出される結論は、『それぞれの正しさの価値は等しくない』となる。何故ならクラークには今、斯様に矛盾が生まれているのだから。
人を殺すわけにはいかない。だが、エバニがこのまま終身刑に……或いは、死刑になることは、正しくない。
このまま漫然と生きている訳にはいかない。矛盾した正しさを抱えて生きていけるほどクラークは器用でも不誠実でもない。
だが、行動を起こそうにも、クラークに出来ることなど限られている。エルヴィスの言っていた通り、『やるやらない』ではなく『できるできない』の問題だ。やろうと思ったところでクラークに国王は殺せないだろう。
そして、民意を束ねて動くようなことも、できない。弁護士であるエバニやオリヴィアとは違い、クラークはただの看守である。自分の器の大きさは、自分が一番よく知っている。だからクラークは、看守になったのだから。
クラークは弁護士ではなく、革命家には程遠く……ただの、勝手に藻掻き苦しむ看守なのだ。
そう。クラークは、看守だ。
……ふと、クラークの脳裏に、閃くものがあった。その考えに思い至って、どくり、と心臓が脈打つ。
弁護士ではないから、法に則って活動することはできないが。
革命家でもないから、奇跡のように民衆を率いることもできないが。
……だが、看守だから。
成程、これのために自分は看守になったのか、と妙に納得した。納得してしまえば、後は早かった。
「……当番を、代わってもらうか」
ふらり、と起き上がって、クラークは事務所へ向かう。
奪われて、失って、絶望の底に落ちて、それでも尚、希望を……『正しさ』を捨てられないクラークは、自分が坂を転がり落ちていくことを自覚しながらも、足を止めることはなかった。
翌朝。
「エルヴィス・フローレイ。エバニ・ブラッドリー。来い」
休憩時間中の2人を中庭で見つけて、クラークはそう、声を掛けた。
エルヴィスもエバニも首を傾げていたが、大人しくクラークについて、中庭の隅の方へとやってくる。
「どうしたんだ?クラーク」
「何か話でもあるのかな」
不思議そうにしつつも嬉しそうにクラークの話を待つ2人に、クラークは……然程意を決することも無く、言った。
「お前達を脱獄させる」