檻を壊すということ*1
エバニ・ブラッドリーは、すぐに囚人達の人気者となった。
元々、ブラックストーン刑務所には思想を咎められて投獄された者が多い。その中でエバニはすぐ溶け込み、囚人達と意見を交わし合い、そして作業を楽しみ、中庭の花を愛でて、ついでに音楽にも参加し始めた。
入所1週間もしない間にエバニが『おおタンバリンマスター』と歌いだしたのをこっそり聞いていたクラークは、『ああ、馴染んでいるな……』と思った。
エバニはすごい人なのだ。昔からずっとそうだった。
本人は物静かで大人しい性分だが、だからといって好奇心を忘れたわけではない。人付き合いを楽しめる人でもある。そして何より、賢い。
ついでに、エルヴィスと旧知の仲だという。エルヴィスもこの刑務所において、様々な層の囚人達から支持されるエルフだ。そのエルヴィスと仲良くしているエバニもまた、様々な囚人から興味を持たれ、そして、あっという間に受け入れられた。
受け入れられてからのエバニは、大活躍であった。
クラークがそっと見守っていただけでも、中庭に小さな噴水を設計し始めたり、食事当番で非常に手の込んだ美味い食事を作り始めたり、どこから入手してきたのか、焼き物の壺を持ってきては、中庭の食べられる植物のピクルスを作り始めたり、はたまた図書館の職員に『こういう手続きをすれば蔵書分のお金くらいは控除されますよ』と助言したり。
エバニはまるきり、囚人らしくなかった。実に自由に、刑務所の中ではしゃぎ回っていた。オリヴィアが見たら『いい歳して何やってんのパパ』と呆れそうな勢いで、はしゃぎ回っていた。
……そんなこんなで秋になる頃には、もう、エバニはすっかり監獄生活を楽しむようになっており、周囲の囚人や看守達からもすっかり信頼される人物となっていたのである。
そう。クラークが心配することなど何も無かった。
「今日は何をするんだ」
「ん?シャワー室の修理!」
さて、そんなエバニを招き入れたエルヴィスは、今日も楽し気にあちこちへうろうろしている。工具の類を持って皆でぞろぞろと向かう先は、洗濯室らしい。
「シャワーがさあ、なんかまた、冷水ばっかり出るようになっちまったから……」
「また、というと……過去にも故障が?」
「ああうん、100年ぐらい前だな」
さらり、とクラークどころかクラークの父母すら生まれていない時代の出来事を出されて、クラークは少々面食らう。エルフというのは、こうもぽんぽん100年単位の話をするのである。
「100年前はエルフの魔法を使って修理したんだけど、流石にもうガタが来ててな。エバニが多少魔導機関のこと詳しいから、ちょっと見てもらって、根本から直してもらおうと思って」
「……ちなみに、その100年前の修理の時、看守の許可は得たのか」
「え?……そりゃ当然取ったさ。こう、奴らもな、修理が安く上がるんなら、って、大喜びだったよ」
にっこり笑って誤魔化すように言うエルヴィスを見て、『100年前の修理はどうも無許可でやったらしいな……』とクラークは察した。だが、流石に100年前のことで咎める気は無い。
「なら今回も許可を得てから修理してくれ」
「え?許可くれるのか?」
「許可が下りなかったとしても申請はするべきだ。正しい方法を選択するように」
クラークはため息を吐きつつ、アレックスあたりにだけでも話を通しておくか、と頭の中で弾き出す。一応、先輩看守に報告すればクラークの責任は全うしたことになるだろう。
クラークがアレックスに報告すると、アレックスは『あー成程な。エルヴィスの野郎、実は結構あちこち直してるんだぜ』と笑う。クラークは『それは笑いごとですか……?』と心配になったが、ひとまず、囚人達が冷水のシャワーしか浴びられないのは不憫なので、修理を許可するのは悪くないことだとも考える。
結果、クラークは『修理許可』の紙を1枚持って、エルヴィス達の元へと戻った。
……すると。
「おおー!エバニ、流石だな!アイザックの子なだけはある!」
「褒められると照れるね」
許可を待たずして、既に、修理が始まっていた。
「……エルヴィス」
「お、クラーク!許可、取れたか?大丈夫だったか?なんか険しい顔してるけど」
「許可は取れたが許可を取れたと報告するより先に修理が始まっていたのでな……」
クラークは深々とため息を吐くと、囚人達を見回す。彼らは『あ、許可とってきてくれたのか。なら先に始めちゃって悪いことしたなあ』というような、のほほん、とした顔をしていたので、クラークとしては叱責する気も失せてしまう。
「許可取ってくれてありがとうな!えーと、修理は多分もうすぐ終わるけど」
「そのようだな……」
クラークは、今も修理中のエバニの姿を見る。制御盤の蓋を開けて、その中の魔導機関を手慣れた様子で弄っている。エバニの父親はかのアイザック・ブラッドリーであるので、エバニもまた、幼少の頃から魔導機関と慣れ親しんで過ごしてきたらしい。そのおかげで多少魔導機関を弄れるのだ、と聞いたのは、いつのことだったか。
「よし、ここを繋いで……完成!」
そのままエバニを見ていれば、彼はやがて、修理を完全に終えたらしい。実に楽しそうに笑みを浮かべて、制御盤の蓋を閉じた。
「お疲れ。じゃあシャワーの様子、ちょっと見てくるか」
「ああ、よろしく頼むよ」
エバニが手近な椅子(何故洗濯室に椅子があるのかは不明だが……)に腰掛けて休憩する横で、他の囚人達が皆揃って、シャワー室に向かって駆けていく。恐らく、これで温かなシャワーが出てくることを確認できるだろう。
……ちら、と、クラークはエバニの方を見る。エバニは一仕事終えた達成感と満足感に包まれた笑みを浮かべていたが、ふとクラークの視線に気づくと、きょろ、と周りを見回し、他に誰も居ないことを確認して……クラークの手を握った。
「久しぶりだね、クラーク。元気だったかい?」
「……それなりに。あなたは」
「僕も元気だよ。いやあ、ブラックストーンはいいね。オウルツリーも悪くはなかったけれど、ブラックストーンの方が建物がいい。歴史を感じられる古城に、花の咲き乱れる中庭に……実に最高だ。図書館もあることだし」
今までの空白の時間など無かったかのように、エバニは話す。クラークは多少、エバニにどう接したらいいのか掴みあぐねているというのに、エバニはまるで気にせず、クラークへにこにこと笑いかけてくるのだ。
「エルヴィスから聞いたよ。ここに図書館があるのは、クラーク、君のおかげなんだって?」
「私は何もしていませんよ。実際に動いたのはエルヴィス達です」
「まあ、それはそれでいいんだ。君がアイデアを出したっていうことは確かなようだし、何より、君はエルヴィス達とも仲良くやっているようだから」
仲良くやっている、のだろうか。クラークは少々戸惑ったが、エバニが言うのだからそうなのだろう。
……クラークも、分かってはいるのだ。立場が異なっても、気安く接することができない状況でも、それでも、『仲良く』やることは可能なのだ、と。そうした心の在り様を保つことはできるのだ、と。
「勿論、立派に看守業もやっているみたいだね。中々様になってる」
「……あの」
だからこそ、クラークは気になる。気になって、不安で、仕方がないのだ。
「私は、あなたの期待を裏切りませんでしたか」
ずっと、これを聞きたかった。看守になる前から、ずっと、これをエバニに聞きたかったのだ。
「そうだね。期待は裏切られていないよ」
エバニはさらりと、まるで時間を掛けずにそう返答した。
「ただ、予想は裏切られたね!まさか君が看守になるなんて、中々想像できなかった」
「自分でも、思っていませんでした」
明るく笑うエバニに、クラークは安堵と不安を半分ずつ、募らせる。期待は裏切られていないというが、そもそも初めから期待などされていなかったのではないか、とも、期待していてほしかったわけじゃあないだろう、とも、思う。考えが頭の中に渦巻いて、クラークはどうしていいものやら分からなくなる。
「でも……まあ、よかったよ。こうして君に再会できたのも、君が看守をやっていてくれたおかげだからね。出所するまで待っていてくれ、なんて言うのもなあ」
「あなたが出所するまでくらい、待てますよ。何年だって」
「おや、そうかい?」
自分はまだこの人に『会いたい相手』だと思ってもらえているのだということを嬉しく思いながら、クラークはそう答える。どこか不安に荒れる心の中、ただ、エバニから貰った好意を浮きにしてなんとか沈まずに居るような、そんな気分で。
「……いやあ、だが、恐らく私は出所できないからね」
だが、そう言われてしまえば、いよいよ、重なり合った不安がクラークを呑み込みにかかる。
「……え?」
「国は、何かと理由をつけて私の刑期を延ばしにかかるだろうから。まあ、その内法改正されて、私みたいなのが外に出られないようにされるだろうな」
ははは、と少々無理をして笑う様子のエバニを見て、いよいよ、クラークは不安と恐怖に沈められてしまった。
「多分、ラウルスは大丈夫だろうな。彼が出所しても、ブラッドリー魔導製薬が元のように運営できないようにしておけばいいだけだから。問題は僕だ。僕の方は厄介な思想犯ということらしいから……エルヴィスが終身刑のエルフなら、私は終身刑の人間になるかもしれないなあ」
「いいんですか、それで」
他人事のように話すエバニに、クラークは詰め寄る。
「あなたが終身刑だなんて、そんなの、どう考えたって正しくない……」
だが、言いかけて、クラークは口を噤む。
そう。正しくない。エバニがずっと刑務所に居るなんて、絶対に、正しくない。
……だが、それを言う権利は、クラークには無い。クラークは看守だ。『こちら側』の人間だ。エバニの境遇を理不尽に思っていい立場では、ない。
ましてや、『正しさ』を自身の中で揺らがせているというのに、どうして正しさを語ることが許されるだろうか。
「ありがとう、クラーク」
エバニは、クラークの両手を両手で握って、笑う。
クラークを赦し、励ますその表情と言葉に、クラークは只々、何も言えない。
何もできない自分が憎い。この理不尽に対抗する力の無い自分が憎い。あまりにも惨めで、そしてどうしようもなく悲しい。
「どうか、あまり気に病まないでくれ。君はできることをしてくれたし、してくれている。それに、僕にとってこの刑務所暮らしはそう悪くない環境だ。だから、悲しまないでくれ、僕の友達」
エバニの優しさが、ただ、辛い。
「おや……彼らが戻ってきたみたいだね。なら、また他人のふりをしておくことにしようか」
やがて、どどどどど、と音が聞こえてきたところで、エバニはそっと、クラークの手を離した。クラークも帽子を目深に被り直して部屋の隅へ移動すると、そこへ、どどどどど、と音が響く程に勢いよく戻ってきた囚人達が、その手に持った瓶を掲げて見せてきた。
「見て!出た!お湯!」
「持ってこなくていい」
「シャワーが直った記念だ!クラークも見たいかと思ってな!」
「別に見なくていい」
「なら感じろ!」
囚人達はお湯の入った瓶をクラークの頬にむぎゅ、と押し当ててくる。瓶越しに伝わってくるお湯の柔らかな温度が、どうにも温かい。
温かくて、妙に、それが辛い。いっそのこと氷水の中に飛び込んでそのまま沈んでいたいような気分なのに。
「ど、どうしたんだクラーク。熱すぎたか?痛かったか?」
「びっくりさせたか?ごめんな!ごめんな!」
気遣ってくる囚人達も、少し離れた位置で優しく苦笑しているエバニも、何もかもが温かくて、ただ、クラークは帽子の鍔を引き下ろした。