自由を歌う鳥*1
「まあ、仕方ないか。今まで育てた友達を撤去されないだけマシだね」
「だな。野薔薇もローズマリーも、すっかり根付いて健康だし……あいつらを撤去されるのは、流石にな」
2人はすっかり落ち着いて、のんびりとした気分で作業を開始した。
今日の作業は魔導装置の部品作りらしい。模様が彫り込まれた金属片を磨く作業だ。釘の検品よりはやりがいのある仕事だと言える。
「だが、やっぱり花が欲しいな。折角なら」
「そうだなあ。まあ、俺は別に、花が咲かなくてもいいとは思うが……うーん」
エルヴィスは唸りながらも手は止めずに金属片磨きを続けている。31年も囚人をやっていると、どんどんこういう器用さを発揮できるようになっていくんだな、とグレンは思った。
「こういうことを言うのもおかしな話だが、人間はやっぱり、花が咲いてた方がいいと思うだろ?」
「まあ……私も、正直なところ、どっちでもいいんだけれどね。でも、そういう人の方が多いだろうとは、思うよ」
「なら、やっぱり花が咲く品種も欲しいよな。実のところ、人間が生み出した品種の花っていうのも気になってるんだ」
エルヴィスの話を聞きながら、グレンは『このエルフは大分人間のことを気にするようになったな』と思う。そしてそれはもしかすると、グレンのせいなのかもしれない。
「特に、薔薇!あれはすごいよな。人間ってどうしてあんなに薔薇が好きなんだ?」
「まあ、美しいから、じゃないかな。……あー、ここでの美しさっていうのは、華やかさとか、ぱっと目を引くかんじとか、そういう意味で」
決して、小さく地味な花を美しいと思わないわけではない。それを主張しながらグレンが伝えると、エルヴィスはグレンの意図に気づいたのか、くつくつと笑いながら頷いた。
「まあ……薔薇なら、挿し木で結構増やせる。春の間に奉仕作業がうまくあれば、それに出て薔薇の枝をいくらか拝借することも、できるかもしれない」
「とはいえ、どこで奉仕作業するかにもよるだろ?ドブ攫いだと薔薇の枝はまず手に入らないぞ」
ドブ攫いか、と想像して、グレンは少々気が重くなった。あまりやりたい仕事ではない。そう考えるとやはり、街路樹の剪定はとてもいい仕事だった。毎回街路樹の剪定をさせてくれると嬉しいのだが。
「俺達自身が手に入れるのは難しい。看守に頼むのはあまりにも望みが薄い。食材や資材を運んでくる人間に頼む、ってのもアリなのかもしれないが、生憎、俺はそっちの方は疎いし……なら、決まりだな」
エルヴィスは頷くと、にやり、と笑って、言った。
「鳥に頼もう」
「鳥?」
一体何のことだ、と思いつつグレンが尋ねれば、エルヴィスは頷いて『ああ、鳥だ』と言った。
「鳥はいいぞ。あいつら、遠いところから種や枝を運んでくるのは得意だからな。使役できれば、なんでも運んでくれるし、歌を聞かせてもくれるし……」
「使役……するのか?鳥を?」
グレンは只々驚く。エルヴィスは当たり前のことのように話すが、グレンからしてみると、まるで想像がつかない。鳥を使役して種や枝を持ってこさせるなど、まるきり童話の世界の話である。
「驚いたか?人間達はまだ、動物と会話したり、動物に意思を伝えたりする魔導機関は作れてないのか?」
「ああ……多分ね。私がここに来てからの半年足らずで開発が進んでいなければ」
魔導機関の発展は日々目覚ましい速度で進んでいるが、流石に、この半年足らずで動物を使役できるようにはなっていないだろう、とグレンは思う。どうかそうであってくれ、とも。
「なら、おとぎ話の出来事、ってところか。それはいいな。存分に驚いてくれ」
エルヴィスはグレンの反応を楽しむようにそう言うと、早速、わくわくとした様子で指折り数え始めた。
「鳥を使役するのに必要なものは、水や風のエレメントだ。風のエレメントは集めれば何とかなると思う。たんぽぽやアカシアの綿毛がよく飛んでくるから。鳥の羽でもいいしな」
「ああ、あれが風の要素なのか」
確かにそれらは風に舞って空を飛んでいるわけで、成程、あれが風の要素を含むと聞けば、納得ができる。
「ああ。風はどこにでもやってくるからな。……ただやっぱり、水のエレメントが難しい」
エルヴィスはそう言うと少し難しい顔をしつつ、また作業へと戻っていく。指折り数えていた手はいつの間にかもう磨き粉の容器へ伸びていたし、エルヴィスを見つけた看守は居ないようだった。
「難しい、のか」
「ああ。難しい。火、水、地、風の要素の中で、一番入手が難しいのが水かもしれないな……」
グレンにはまるで魔法のことが分からないが、エルヴィスの言葉に、少々不思議に思う。
水といえば、それこそ、どこにでもある印象である。飲み水も、シャワールームで浴びる水も、空から降ってくる雨も、全て水なのだから水のエレメントとやらを含んでいてもよさそうなものだが。
「看守用の食事でも、手に入らないのか?或いは、水そのものでいいなら、いくらでも持ち出せそうだが……何か、特別な水が必要なのか?」
試しに聞いてみると、エルヴィスは一つ頷いて答えた。
「水そのものは、正に水のエレメントの塊だ。だが……水のエレメントは、とにかく不安定なんだ。そういう素材だと、長持ちしない」
「例えば、シナモンもローズマリーも、乾燥させて粉にしたって、香りや辛みが残るだろう?イラクサだって、ヒリヒリする成分が残る。あれらが火の要素そのものなんだが……水はそういう訳にいかない」
エルヴィスは磨き終えた金属片を箱に詰めて、また次の金属片を磨き始める。グレンも同じように次の金属片を取って、磨き粉をつけた布でそれを磨き始めた。
「長持ちしない。水はすぐ乾いて飛んで行っちまうし、そうなると、そこに水の痕跡は残らない。水そのものじゃなくて、例えば、果物にも水の要素はあるんだが、俺達の食事に出てくるリンゴだと、大地や風の要素が強くてあまり使い勝手が良くないうえ、ほっとくと腐って大地の要素だけになっちまう」
グレンはそれらを想像して、成程、と少々納得のいった気分になる。魔法がまるきり分からないグレンでも、なんとなく、感覚で得るものはあるのだ。
「基本的に、大地に置いておいたものは全部、大地の要素になっていく。それで、大地から風と水と火と……まあ、他の要素が生まれるんだ」
「そういうものか」
「ああ、そういうもんだ」
全ては大地へ還り、そして、大地から生まれる。それを、グレンは感覚として知っている。
大地から芽生えた新芽が伸び、燃え盛るような花をつけ、瑞々しい実をつける。或いは、綿毛となって空へ舞い上がっていく。或いは、枯れ葉となって、再び大地へ還っていく……。これらは植物だけに言えることではない。この大地に生きる全ての生き物が、そうだ。グレンもエルヴィスも、そうだろう。
「水ってのは流動的であることで水なわけだからなあ。水の要素を含んでいて安定するものってのは、あまり多くないんだ」
流れることが水の本質なのだとしたら、留まっているのは難しいだろう。よくよく考えてみると、風の要素を含むというたんぽぽの綿毛や鳥の羽といったものも、風に巻き上げられてすぐに飛んでいって、すぐになくなってしまうようなものだ。繋ぎ留めておくのは難しい。
「だが、水の要素を含んで、それでいて安定したものも、あるんだろう?どんなものが水の要素を含むんだ?力になれるものがあるかもしれない」
それでも、グレンはそう尋ねてみた。エルヴィスがこうも悩んでいるのだ。突破口が無いとは思えなかった。
「あー、あんまり期待するな。正直なところ、俺自身も半分はお手上げだ。うーん……水晶やアクアマリンなんかの宝石。あとは果物、液体、水、銀……魚や魚の鱗、ヒトデや貝殻……そういったものが、水のエレメントを含みつつ、そこそこ安定してる」
案の定、エルヴィスの中ではある程度、答えがまとまっているらしい。
勿論、宝石を手に入れることは難しいだろう。そんな高級品は刑務所の中ではまず手に入らない。奉仕作業をしても手に入ることはまず無いだろう。
「魚の骨か貝殻くらいなら、看守達の食事から手に入れられる、か……?でも、ここ、魚が出ないよな。ここ31年、食ってない」
「まあ、この辺りは内陸部だからね。魚を流通させるには、それこそ大規模な魔導機関を使って温度を下げて、運ぶしかない。そして、王都ならまだしも、こっちの方でそんなことをしたって、買う奴が居ない。魔導機関の分、高くつくからね」
「あー、そういう理由だったのか。31年越しに謎が解けたぜ」
そして、この辺りは魚や貝にも馴染みが薄い。海が遠い分、高級品なのだ。
「干し魚くらいなら手に入るんだろうが、生の魚は手に入らないな。そして、干し魚なんて調理に手間がかかるものをわざわざ買おうとする奴はこの刑務所に居ないな……」
実のところ、グレンは干し魚がそれなりに好きである。干されてカチカチに硬くなったタラを丁寧に水で戻して、柔らかくなったところで丁寧に骨を取り除き、身を解して、煮て、リエットにするのが好きだった。庭のハーブを足して味わいに変化をつけるのも中々楽しかった覚えがある。
いつかこの刑務所でも魚を食べたいな、と思ったグレンだったが、直後に、『それよりさっさと出所した方が早そうだな』と思い直した。危ない。すっかり刑務所に馴染んでしまっている。
「まあ、そういう訳で、結構難しい。俺は魚か貝殻で何とかならないか、と思ってるんだが……あとは、銀か?作業の中で、銀に触れる機会があったらすぐにでもちょろまかしてやるんだが」
エルヴィスはため息交じりにまた、金属片を磨き始める。尚、この金属片は残念ながら、銀ではない。黄銅の合金だろう。銀は錆びやすく、こうした部品には不向きなのだ。
「成程な。……まあ、エルヴィス。そんな君に1つ、いい話がある」
だが、目の前の金属片が黄銅だろうが何だろうが、関係ない。ついでに、今後の食事に魚も貝も出てこなかったとしても大丈夫だ。
グレンはにやりと笑いながら……自分の胸を、指差した。
「エルヴィス。実はここに、貝殻があるんだが、これだと足りないかな?」
「……へ?」
エルヴィスが素っ頓狂な声を上げるのを可笑しく思いながら、グレンは笑って続けた。
「このシャツのボタン、白蝶貝なんだ」
「へえ……ああ、本当だ。水のエレメントが確かに揃ってる!」
エルヴィスはグレンのシャツに目を近づけて、喜びに表情を明るくした。
「そうか、人間は貝殻をボタンにするんだな?洒落てるじゃないか」
「まあ、人間達からしても、貝のボタンはちょっと珍しいかな。これは私の恋人が贈ってくれたもので……まあ、高級品、ってところか」
グレンはシャツに触れながら、思い出す。
このシャツは昨年、グレンの恋人がグレンに贈ってくれたものだ。グレンが郵便局内で順当に昇進したのを祝って。『主任さんなんだったら、貝ボタンのシャツくらい着こなしてなきゃね』なんて冗談めかして言いながら、このシャツをくれた。
その時の恋人の表情も、シャツの包みに掛けられていたリボンの色も、はっきりと覚えている。……覚えているが、どうにも、遠い。
「……そんなもんを貰っちまっても、いいのか?大切なものなんだろう?」
「ああ、いいんだ」
気遣うようなエルヴィスにはっきりと答えながら、グレンは思う。
今、恋人はどうしているだろうか。
グレンが急に投獄されることになって、彼女は今、何を思っているのだろう。
グレンの冤罪を晴らすために奔走してくれているのか。眠れない日々を過ごしているのか。或いは……全て忘れて、グレンの知らない人のように過ごしているか。
「グレン……おい、グレン。大丈夫か?」
少し考えに沈んでいたグレンは、エルヴィスの声に考えを振り払う。
やめよう。考えても無駄なことを考えても、精神を摩耗させることにしかならない。どうせ、考えても何も変わらない。そしてそれをグレンが知る術も、無いのだ。
「……その、もし、鳥を使役して、そういうこともできる、なら……一通だけ、手紙を出させて欲しい。できるだろうか」
ただ、その代わり、グレンはそう、申し出た。
考えても何も変わらない。刑務所の外の様子をグレンが知る術は無い。
だが、グレンから、働きかけることはできるのかもしれないのだ。それによって、何かを、少しだけ変えることも、できるのかもしれない。
「ああ。そんなに重い手紙にならなければ、十分できると思う。距離が離れすぎると難しいかもしれないけどな」
エルヴィスが真摯な表情で頷くのを見て、グレンは良き友人を得られたことを嬉しく思う。
「恋人に、手紙を出したいんだ。……別れよう、って」