年上の友達*3
ブラックストーン音楽祭の日は、看守にとって気の抜けない一日になる。何せ、多くの囚人が多くの一般市民と接触する日だ。脱獄は勿論のこと、囚人が市民に危害を加えないか、物を盗んだり傷つけたりしないかといったことに十分注意しなくてはならず、他にも、囚人が酒や煙草、麻薬の類などを受け取らないかも警戒する必要がある。
……警備のことだけを考えるならば、こんな催しは開くべきではないのだ。だが、音楽祭を開けば寄付金が集まる。寄付金が欲しい所長の方針で、看守達は不要な労働を強いられているという訳である。
また……囚人達は、非常に楽しそうだ。偶にはこうした催しが無いと、囚人達が不満を溜める。囚人達が不満を持っていると、とにかく良くない。暴れたり、暴動を企てたりする者が増える。そうした意味でも、音楽祭は開催されるべきなのだろう。
クラークは屋台周辺の警備を行っていた。
囚人達は楽し気に屋台を出している。ワッフルや肉の串焼きを焼いたり、棒付き飴を売ったり、はたまた、花や工芸品を並べて呼び込みをしたり。クラークが散々手伝わされた木の指輪も、ポプリの瓶詰やハーブティーなんかと並んで売られている。
その中で、エルヴィスはローズマリーポテトの屋台を出していた。持ち運び用の小さな魔導オーブンに燃料を注ぎ足しつつ、中でじっくりこんがりとジャガイモを焼いているのだが、これがまた良い香りなのである。香りにつられてやってくる客も多く、エルヴィスは彼らへ楽し気に芋を振舞っていた。
クラークもなんとなくその香りにつられそうになるが、生憎、クラークは勤務中だ。ものを食べる訳にはいかない。看守の中には勤務中であるにもかかわらず飲み食いしている者も居るが、クラークはその辺りを怠る気は無かった。
「よお、クラークさん。どうしたんだよ、顰め面して」
「腹など減っていないが」
「あ、腹減ってただけか……」
そこへ近づいてきたエルヴィスに返事をすると、エルヴィスはけらけら笑って、『そういうことならその顔も納得だ』などと言う。心外である。
「ま、腹減ってるなら、担当の時間終わったところで俺の屋台、来てくれよ。ローズマリーポテト、自信があるんだ」
心外だが、実際、エルヴィスの屋台から漂ってくる香りは非常に魅力的である。刑務所の庭で育ったじゃがいもとローズマリーで作られたそれは、さぞかし美味いことだろう。
「考えておく」
「うん。絶対に来てくれよ!」
エルヴィスはそう言って笑うと、また屋台へと戻っていった。すると早速客がやってきて、ローズマリーポテトを注文していく。大人気だ。
……もしかすると、クラークの当番が終わる頃には売り切れているかもしれない。
やがて、エルヴィスは他の囚人に屋台を任せて、音楽ホールへ向かっていった。そろそろ音楽の発表が始まるのだろう。
だが生憎クラークの担当は屋台近辺である。囚人達の音楽を聴くことはできない。
それを少々残念に思いつつ、クラークは気を引き締め直して、また屋台周辺の警備にあたる。演奏が始まっても、演奏に参加しない囚人達が何かしないとも限らない。職務を放り出して演奏を聴きに行ってしまっている看守もいるようなので、その分、より一層、クラークは気を引き締めていなければならないのだ。
少しすると、音楽が微かに、聴こえてくる。それに耳を傾ければ、やはり、囚人達が日々練習していた曲の数々であった。
まあ、刑務所の中でも散々聴いた。囚人達の中には『音楽祭に向けて練習するから聞いてくれ!』とクラークを捕まえては観客役にする囚人も居たくらいなので。だから今、音楽を聴けないことは、そこまで酷くがっかりするようなことでもない。クラークはただ、職務を全うするだけである。
……だが、囚人達が楽し気に演奏しているのだろうな、と思うと、多少、クラークも楽しい。誰も見ていないただの警備員であるクラークは、柄にも無く、ふんふん、と鼻歌を歌ってみる。歌ってみてからその旋律が『おおタンバリンマスター、そのタンバリンの音がなんとなく頭に残る、ららららら……』の曲であることに気づいて愕然としたが。
そうしてクラークが真面目に警備を続けていると、やがて、演奏が終了した。
会場からは割れんばかりの拍手が沸き起こり、それから少しして、観客がホールの外に出てきた。屋台の囚人達は、『ここが稼ぎ時!』とばかり、ホールから出てきた客達に『ワッフル食べていきませんか?』『肉美味いよ!』と声を掛けている。
また、演奏を終えた囚人達もやがて屋台に戻ってきて、一気に増えた客を捌き始めた。ローズマリーポテトの屋台も、大盛況である。エルヴィスがにこにこと愛想よく対応すると、客も嬉しそうにローズマリーポテトの包みを受け取っていく。……やはり、売り切れる気がする。
ローズマリーポテトはさておき、クラークはとにかく、周囲を警戒しなければならない。人が増えた今、何かするには絶好の機会と言える。今まで以上に警戒が必要なのだ。
花を買いに集まった客が、何かを持ってはいないか。肉の串焼きを売る囚人が客に失礼なことをしないか。そして……エルヴィスはちゃんと、大人しくしているだろうか。
特に最後の一点については、クラーク自身何故だかよく分からないままに、はっきりと意識していた。
エルヴィスが何かするのではないか、とも、それを見つけるなら自分が見つけるべきだろう、とも、思っていた。
……そして。
「ローズマリーポテト一つ、くださる?」
そこへやってきた客に、クラークはぎょっとさせられた。
「ああ!オリヴィア!久しぶり!」
そこに居たのは、エバニ・ブラッドリーの娘であり、クラークの先輩である、オリヴィア・ブラッドリーであった。
「はい、ローズマリーポテト1つな」
「ありがとう!これ、楽しみにしてたのよ」
オリヴィアは満面の笑みで、エルヴィスからローズマリーポテトの包みを受け取る。
クラークは彼女の笑顔を久しぶりに見た。クラークが最後に見た時、オリヴィアはトレヴァー弁護士事務所を維持するために懸命に働いていて、笑うどころではなかった。そうでなくとも、エバニが逮捕され、彼女の伯父にあたるラウルスまでもが逮捕された状況では、笑顔になどなれるはずもなかったのだ。
「……ああ、おばあちゃんが作ってくれたのと同じ味なのよねえ、これ」
「エリカはレシピを教えてくれたからな。その点、グレンはケチだったから隠し味にガーリックとローズマリーを漬けておいた油を使ってることを教えてくれなかったんだ」
だが、今、オリヴィアはピックに刺したローズマリーポテトを1つ口に入れては嬉しそうに笑い、エルヴィスもそれを見て笑っている。
それを見て、クラークの胸の内に安堵が広がる。
今、オリヴィアがどうしているのか、刑務所に泊まり込みのクラークには分からないが、だが、ひとまず、笑みを浮かべられるくらいになったのなら、よかった、と。
それからしばらく、クラークはエルヴィスとオリヴィアを眺めていた。
2人は他愛ない話をしては笑い合っていた。エルヴィスが『最近、蜂が元気だから今年はたくさん蜂蜜が採れる』と話したり、オリヴィアが『ようやく事務所が安定してきた』と話したり。
それを遠く眺めながら、クラークは2人へ歩み寄ることも無く、ただ、看守としてそこに立ち尽くしていた。
まともに警備ができていたかは、自信が無い。ただ立っているだけで、2人を眺めているだけで……つまるところ、少々、怠慢であった。
だがそれでもクラークは、自分が看守であることを忘れなかった。今は職務の最中であり、知人に声を掛けることも、囚人と会話することも、望ましくない。だからクラークはただ、立ち尽くし……否、実際のところ、クラークは動けなかったのだ。もし、今、非番であったとしてもきっとクラークは、動けなかった。
オリヴィアに会うのが、少し、怖かったので。
……だが、そんなクラークの心情を知らないエルヴィスは、目ざとくもクラークを見つけてしまう。
森色の目がクラークの方に向き、その表情がぱっと明るくなった瞬間、まずい、とクラークは思った。だが、逃げようにも足は咄嗟に動かない。
「おーい!クラーク!」
そして満面の笑みでそう呼ばれてしまえば、隣に居たオリヴィアもまた、クラークに気づく。
彼女の表情が驚愕に彩られていくのを見て、只々、気まずい。
近づいてきたオリヴィアを前に、逃げることもできない。クラークが立ち尽くしていると、つかつか、とオリヴィアはやってきて、クラークを頭からつま先まで眺める。
「クラーク、あんた……その恰好」
「……看守になったんだ」
足元に視線を落としつつ、弁明するようにそう、言った。
「ブラックストーンの。丁度、募集があったから」
意味の無い説明を注ぎ足して、オリヴィアが聞きたいことはこれではないのだろうな、ということもまた、クラークは分かっていた。
「弁護士は?資格取れたんじゃないの?」
案の定、オリヴィアから発せられた問いはそれだった。
弁護士として学び、資格も得て、しかし、それを全て棒に振った。クラークの行動は、彼女からしてみればさぞかし不可解なことだろう。
「……資格は取れた。だが、働き口が見つからなかったんだ」
弁明すればするほど、惨めである。だから彼女と話したくなかった。
「なら言ってよ!うちで雇ったのに!」
彼女ならこう言うだろうとも思っていた。だからこそ、話したくなかったのだ。
恰好を付けたかったわけではないが、不格好な自分を見られたくはなかった。ただクラークのことなど忘れていてくれればよかったのだ。
「そんな余裕が今のトレヴァー弁護士事務所にあるのか?」
少々の苛立ちは、オリヴィア以上にクラーク自身へ向けられたものだったが、発せられた言葉はオリヴィアを怯ませるのに十分だった。
ああ、そんな顔をさせたかったわけでもない。ただ、本当に、どうでもいい自分のことなど放っておいてくれればよかったのに。
「……あなたに迷惑はかけたくなかった」
少々険のありすぎる言葉になった、と言葉の選び方を後悔しながらそう付け足して、帽子を深くかぶり直す。
目は合わない。クラークには、オリヴィアと目を合わせる度胸も資格も無い。
エバニを救うこともできず、その後のオリヴィアを助けることもできなかった。今もそうだ。正しさをほんの小さな範囲でしか守ることができないクラークは、只々惨めで、彼女の前に立っていること自体、不釣り合いなように思える。
「……馬鹿みたい!」
そんなクラークに、オリヴィアはそう言う。
これも、分かっていた。彼女ならそう言うだろうと、クラークはよく分かっていた。
エバニにくっついて歩くクラークを、本当に小さいころからずっと見ていた彼女のことだ。彼女がクラークを見ていた以上に、クラークは彼女のことを見ていたから。
「私、あんたのこと弟みたいに思ってる。大切な弟一人くらい、余裕が無くったって雇うわ。変に遠慮なんてしないで」
オリヴィアの真摯な言葉は、昔と同じだ。エバニは彼女のことをクラークにこっそり『彼女はちょっと直情的すぎるところがあるね。まあ、情熱的とも言えるだろう。僕のおばあちゃんのアイリスにちょっと似てる』と教えてくれたこともあった。
そう。オリヴィアは昔のままだ。変わってしまったのはクラークの方で、彼女の手を取らないことを選んだのもクラークだ。
これで最後だ、という気持ちで、なけなしの気力を振り絞ってオリヴィアと目を合わせる。彼女の身長を抜かしたのは何時だったか。昔は見上げていた彼女を、今は見下ろしている。
「あなたは私のことを弟のように思ってくれているのだろうが、私はあなたのことを姉のようには思えない」
クラークがそう言った途端、オリヴィアはまるで奇異なものを見るような目で、クラークを見た。ああ、また傷つけたか、言葉選びを間違えたな、と思いつつ、丁度いいかとも思う。
「年上の……友人だ。迷惑を掛けていいと思える相手ではない」
自分の中で何か区切りのようなものができたことを感じながら、クラークは自分自身に言い聞かせるようにそう言った。これでようやく、自分を捕まえている手が全て離れる。
「それに、私は看守だ。弁護士じゃない」
オリヴィアは黙っていた。何か言いたげに、しかし何も言えずに、怒りと悲しみがない交ぜになった顔で、じっと、目を逸らさずに、クラークを見ていた。
「職務中だ。もう、行かなくては」
クラークはそう言って、オリヴィアの前から去る。オリヴィアは手を伸ばしかけて、だが、力無くその手を下ろした。下ろされた手をちらりと見て、クラークは安堵した。
「……オリヴィア。どうか、元気で」