年上の友達*1
エバニは、クラークの近所に住んでいた近所のおじさんだ。トレヴァー弁護士事務所を運営する弁護士で、クラークの2つ上の学年だったオリヴィア・ブラッドリーの父親だった。
だが、クラークは齢の近いオリヴィアよりも、エバニと仲が良かった。
彼は周りの大人とは違う人だった。図書館でクラークと出会っては、そこで少しばかり話をした。他愛のない話だったが、エバニはクラークの知らないことを沢山知っていて、それを少しずつ聞かせてくれるのが楽しくて、クラークは図書館に通うようになった。彼がクラークの話を馬鹿にしないところも、好きだった。
彼の理知的な振る舞いや穏やかな態度を、クラークは大いに気に入っていた。娘であるオリヴィアもエバニに似て賢い子だったが、綺麗なオリヴィアとあまり一緒に居ると揶揄われそうだったので、それとなく距離を置いていた。
エバニにはラウルスという兄と、アイレクスという弟がいた。ラウルスはブラッドリー魔導製薬の社長さんで、アイレクスは小さな花屋をやっていた。クラークはその2人のおじさん達とも仲良くなって、時々、彼らの住処の片隅に置いておいてもらうことがあった。
……というのも、クラークは他に居場所が無かったのである。
クラークはなんとなく、同年代の子供達と一緒に居ても楽しめなかったし、学校から家に帰っても、おやつと冷たい晩御飯、そして両親どちらかの書き置きがあるだけで、楽しくなかった。
その点、エバニと一緒に居るのは楽しかった。哲学や法律の話をしているのは楽しかったし、エバニと話していれば余計に楽しかった。エバニの隣で宿題を済ませれば賢くなれたような気がして余計に身が入った。何より、エバニと一緒に居ると、落ち着いた。
そう。落ち着いたのだ。エバニはそれを聞くと『ああ、私の名前はね、黒檀、という意味なんだ』と笑って教えてくれた。『だから、木の下に入っているような気分なのかもしれないね』とも。
娘であるオリヴィアには『あんたの方がパパの子みたいよねえ』とけらけら笑われていたが、それを多少申し訳なく思いつつ、それでもクラークはエバニを慕って、エバニやその兄弟の世話になっては様々なことを学び、そして、様々なことで笑い合った。
エバニはよく、口癖のように言っていた。『好きと嫌い、正しいと正しくない……それらは重ならないことだってある』と。
好きでも正しくないこと。正しくても嫌いなこと。そういうものがこの世界には沢山ある、と。自分にとって良いことでも、他者からしてみれば良くないことがあって、それら異なる価値観を上手く取り持つために『正しさ』があるのだと。特に、法を扱う弁護士には、そう感じられることがままある、とも。
クラークは幼いながらにその言葉を深く深く受け止めた。自らの根幹の一部として取り込んだ。だから、嫌いでも正しいことは尊重したし、排除しようともしなかった。
……同時に、正しいことを守ることが大切なのだとも、学んだ。
法を学べば、正しさへの憧れはますます強くなった。
『正しさ』はクラークにとって、他者と自分とを繋ぐ大切な架け橋だった。
だから、クラークは法を学んで、いずれはエバニと同じように弁護士として働きたいと考えていた。
だが、そうはならなかった。
最初に、エバニの兄、ラウルスが逮捕された。
『違法にポーション製造を行った罪』だということだったが、エバニに説明されるまでもなくクラークにはその内情が分かっていた。
要は、先代から受け継いだポーション工場で安定した品質のポーションを作り、それを廉価で販売できるように販路を整え、そうして利益を上げていたラウルスを嫉んだ者が国の上層部に居たのだろう。調べてみれば、新規に立ち上げられたポーション工場は、国の上層部の親類のものだった。
……そうしてラウルスが逮捕されてしまい、ブラッドリー魔導製薬は大きな打撃を受けた。また、同時に、ブラッドリー魔導製薬からのポーション供給量が落ちると、国内には品質の悪いポーションが出回るようになり、それによって健康被害も訴えられるようになってきてしまった。
当然、これについて、エバニは立ち上がった。
弁護士であるエバニは、兄とこの国のポーション業界を救うために裁判で戦うことにした。そして同時に、有識者達と手を取り合って、この国の現状……上層部による腐敗を是正すべく、そちらについても訴訟を起こしたのである。
クラークはまだ、それらに参加できなかった。というのも、当時のクラークはまだ法学校で学んでいるところで、弁護士資格は取っていなかったからである。精々、一市民として署名に参加する程度のことしかできなかった。
それは娘のオリヴィアも同じだった。彼女は法学校を丁度卒業したところだったが、弁護士としての能力はまだまだ、とエバニに言われ、大人しく署名活動に従事していた。
……今になって思えば、エバニにはその後のことが、もう分かっていたのかもしれない。
理不尽なことに、裁判はエバニ達の敗訴で幕を閉じた。
間違っているのは国の方であるのに、ラウルスは戻ってこず、そしてエバニもまた、『国家転覆を謀った罪』で逮捕された。
……エバニはきっと、こうなることが分かっていたのだ。分かっていて、それでも、『正しさ』の為に戦って、そして逮捕されてしまった。
娘のオリヴィアが1人、エバニを救うために奮闘しているようだが、それもきっと無意味だろう。
最早、『正しさ』はこの国に機能していない。
クラークはそれでも勉強を続けた。『正しさ』を自分だけは保っていなければと思った。そうすることで救われることを望んでいた。
そうして晴れて学校を卒業したクラークだったが、いざ弁護士として働こうとした時、クラークを雇う事務所はどこも無かった。
……要は、特に後ろ盾も無く、かつ、最近『首謀者』が逮捕された一連の裁判を助けるような署名活動に参加していた者など、どの弁護士事務所も雇いたくなかったのである。
トレヴァー弁護士事務所はオリヴィアが1人で切り盛りしようとしていたが、それも限界がある。細々と、エルフからの依頼でなんとか食いつないでいるような状態のトレヴァー弁護士事務所の厄介になる気には、到底なれなかった。
同時に、1人でエバニを救うべく動くことも、できなかった。
クラークにはそれだけの手腕が無い。今のこの国で裁判を勝ち抜ける見込みは万に一つも無い。クラーク自身も逮捕されて、それで終わりだろう。
エバニだってきっと、分かっていた。自分が動けばどうなるか、分かっていたはずだ。だが、それでもエバニは動いて、そして、逮捕されてしまったのだ。
……同じようにできたら、と思った。クラークもエバニと同じように、と。年の離れた友人、憧れの対象と同じように、自分も、と。
だが……クラークは、すっかり絶望して看守になった。
ここが自分の限界だと、理解して。
「よお。どうしたんだ?なんか嫌なことあったか?」
ふと気づくと、クラークの隣にはエルヴィスがやってきていた。声を掛けられるまで気づかなかったということは、随分とぼんやりしていたということだ。職務中に、随分と腑抜けたことをしてしまった。
「特に何もない」
クラークは内心で反省しつつ、エルヴィスには『早く作業に戻れ』と指示を出す。
エルヴィスも忙しいはずだ。今、彼は音楽の練習に工芸品づくりに、とあちこち引っ張りだこなのだから。エルフの知恵と技術と感性は、他の囚人達に重宝がられている。
「ま、そう言わずに。俺、ここで作業していくからさ」
だが、エルヴィスはクラークの言葉を気にする様子もなく、その場に腰を下ろして手の中の木材を磨き始めた。どうやらまた指輪を作っているらしい。
「いいのか。お前を呼んでいるようだが」
「あー、あれか。うん、大丈夫大丈夫。タンバリンマスターを讃える歌については、俺は口パクでもいいくらいに他の奴らが声量出てるし……」
向こうの方からは『おおタンバリンマスター、そのタンバリンの音がなんとなく頭に残る、ららららら……』と奇妙な歌が聞こえてきている。更にどこからともなく、タンバリンの音も聞こえてくる気がする。幻聴だろうか。幻聴であってほしい。
「で、どうしたんだ?」
「どうもしていないが」
「でも元気が無いだろ」
更に、エルヴィスの言葉も幻聴であってほしいのだが、どうやらクラークは、今、エルヴィスには『元気が無い』ように見えているらしい。
「……元気だが」
「うわあ……あんた、嘘つくのヘタクソだよなあ」
いよいよエルヴィスのせいで元気がなくなっていくような感覚に陥りながら、クラークはため息を吐いた。このまま黙っていても、このエルフは全く納得しないだろう。
「友人のことを考えていた」
「へえ、友人……喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩できるような間柄でもない」
何故囚人にこんな話を、と思わないでもないが、どうも、このエルフ相手にはこうしたことを話してしまいそうになる。
「……もう1年以上前に、逮捕された友人だ」
もうこれでこの話は終わりだ、とばかりにクラークが去ろうとすると、その服の裾をくい、とつまんで、エルヴィスは興味津々な顔を向けてくる。
「マジか!逮捕されるような奴とお前、なかよしだったのか!そうは見えないけどなあ」
「……本来なら逮捕されることなんてなかったはずの友人だったからな」
エバニにもクラークにもどことなく失礼な言葉に少々腹が立ちながらそう返せば、やはり気にした様子もなくエルヴィスは首を傾げる。
「なあ、そいつ、なんて奴だ?俺、知ってるかもしれない」
……だが、そう言われてしまうと、少々、クラークも揺らいだ。
エルヴィスは終身刑のエルフだ。刑務所暮らしが長く、それ故に、クラークの知らない情報を何か知っている可能性もある。だから何かになるとも思えないが、クラークは、自分が諦めたものをまだ未練がましく抱えている人間である。だから、つい、言葉が出た。
「エバニという。エバニ・ブラッドリー」
……そして、友人の名を告げた途端、エルヴィスの表情が変わった。
「エバニ……?」
訝しむような、唖然とするような、そんな顔でエルヴィスはじっとクラークを見つめて……それから、明らかに焦りを湛えて、クラークの肩に両手を置いた。
「な、なあ……そいつの親父さんの名前、『アイザック』じゃないか?」
「……え?」
言われて、慄く。確かに、彼の父親……オリヴィアの祖父の名前は、アイザック、だった。アイザック・ブラッドリー。この国のポーション業の第一人者だ。
「で、兄さんがラウルスで、弟がアイレクスだ。違うか?」
「何故知っている?」
そして更に続いたエルヴィスの言葉に、いよいよクラークも焦りを隠せなくなってきた。アイザック・ブラッドリーは有名だから知っていてもおかしくないが、その子供達の名前まで知っているのは、流石に、詳しすぎる。
クラークとエルヴィスはお互いに何かに焦って、その先にあるのが不安か歓喜かも分からないまま、確かめ合う。
「なら……その娘の名は?分かるか?」
「娘?エバニの?えーと……女だけど花じゃなくて木から取ってたよな、確か……えーと、そう、オリヴィア!」
これは、いよいよ決定的だ。
クラークは知り合いの知り合いを見つけた歓喜と、『いや、待て、何故終身刑のエルフが刑務所の外の人間のことを知っている?』という疑問とに挟まれて、いよいよ揺れに揺れる。
「何故……?」
そしてなんとか出てきた疑問が、それであった。何を聞いているのかもさっぱり分からない質問だが、それを受け取ったエルヴィスは目を輝かせながら答えてくれる。
「ん?ああ、エバニを知ってる理由か?そりゃ、友達だからな!」