泥に沈む*4
……そうして、クラークは度々囚人達に連れていかれる羽目になった。
エルヴィスが帽子を奪って走り出したり、他の囚人がそれを見て『そうか!ああすればクラークは来てくれるんだな!』と良くない学習をしてしまい、それが繰り返されたり。終いにはアレックスが『折角だ、お前、ちょっと休憩入れ。あ、帽子持って移動してやろうか?ん?』などと揶揄うようになったり。
クラーク自身としては、実に不本意である。彼らが模範的な囚人であることは分かっているが、囚人と親しくすることは看守として正しくない。彼らが模範囚だというのならば、クラークもまた、模範的な看守で居るべきであるのに、どうも上手くいかない。
クラークは連れていかれると大抵、何か工芸品作りを手伝わされた。木の指輪を延々と磨いたり、薔薇の花弁を乾かすため花びらを1枚ずつ網の上に並べたり。
……クラークとしては不本意なのだが、こうした細かく単調な作業はクラークに向いていた。木材を磨いている時、心が凪いでいくのが分かる。ただ無心に磨いて磨いて、そして磨かれた木材特有の温かな艶を帯びた指輪ができると、達成感があった。
ものができあがる、ということは、確かに、クラークに充足感を与えてくれたのである。
……尤も、不本意なのだが。クラークとしては、不本意なのだが。
看守の中でクラーク1人だけがこの囚人達の中に交じっている状況があまりにも不本意なので、アレックスもこの中に引きずり込むことにした。エルヴィスに『アレックスは誘わないのか』と言ってみたところアレックスも見事、帽子を奪われる側に回ったのである。
アレックスがエルヴィスに帽子を奪われるようになると、クラークはようやく、真っ当に看守業へ戻ることができるようになってきた。
囚人達を監視し、刑務所内を補修し、補修をアレックスに手伝われ、それから奉仕作業先へ出張し、囚人達の奉仕作業を監督し……それから、休日には自室にこもって、エルヴィスから預かった木の指輪を磨いた。
……案外、これが休日の過ごし方として、悪くなかったのである。のんびりと、ぼんやりと、特に何も考えず、ただ手を動かして、木を磨く。クラークは少々不本意ながら、これを気に入った。
また、休日の夜にはエルヴィスから貰ってしまった『安眠にいいから!』という茶を淹れて飲んでみた。すると久しぶりにぐっすりと眠れてしまって、翌日にはすっかり元気に看守業を務められるようになってしまった。
だが、クラークの体調不良に気づく者が少ないのと同じように、クラークが元気でも気づく者は少ないはずなのだが、何故かエルヴィスは『あれっ?なんか今日元気だな!』と気づいてきたので、そこはなんとなく納得のいかないクラークである。
いよいよ音楽祭が近づいてくると、囚人達も看守達も、その準備に忙しくなる。クラークも当日の警備の準備や出店する屋台の管理などに忙しく働きながら、囚人達の様子を見ていた。
……彼らが生き生きと動いている様子を見るのは、多少、楽しかった。
囚人達は実に器用に、色々なものを生み出す。庭に早速生え始めた植物を使ってポーションを作り始めたり、枝を編んで籠を作ったり。そして囚人達は随分と楽しそうなのだ。彼らは自らの努力がそのまま生活の質の向上に繋がるので、余計に楽しいらしい。
クラークに懐いた囚人達は大抵、休憩時間に中庭の管理をしていた。だが、彼らも音楽室で音楽を嗜むことがある。特に音楽祭が近い今は、そちらの練習に力を入れているようだ。
彼らは葦笛やピアノを演奏したり、合唱したりと忙しい。だが、そちらも練習の成果がそのまま音楽の形になる。日に日に音楽を上達させていく囚人達は、随分と楽しそうだった。
今日も庭で囚人達が『おおタンバリンマスター、そのタンバリンの音がなんとなく頭に残る、ららららら……』と謎の歌を口ずさんでいる。楽しそうだ。
また、その手元では羽毛のように繊細な葉を持つ植物に優しく水をやっている。……後で聞いたところによると、どうやらカモミールという植物であるらしい。『安眠のポーションの原料にもなる』とのことで……クラークは『もしやエルヴィスから受け取ったあの茶はそれだったのでは』と気づいた。道理で安眠できるわけである。
「……形になる努力は、いいな」
それら囚人達の様子を見ていて、ふと、クラークは呟く。
屋台に並べる工芸品が出来上がり、音楽が完成していき……ものが出来上がっていく様子と、それを楽しむ囚人達の様子を見ていると、少々、羨ましくなる。
努力すればしただけ報われるなら、努力のし甲斐もあるだろう。そしておそらくは、これが本来あるべき世界の姿なのである。
「まあ、風で茎が折れちまったり、嵐で駄目になっちまったり、株分けしたけれどうまく根付かなかったり、ってことはあるけどな。でも、そうだな。大体は、努力した分、植物は応えてくれる」
エルヴィスはいつの間にかクラークの隣に座っていた。クラークの独り言にも嬉しそうにそう返事をして、少々戸惑うクラークを見る。
「なあ、あんたもやってくか?庭いじりはやったこと、ないだろ?」
ついでに、エルヴィスの後ろでは、そわそわ、わくわく、とした様子の囚人達が、移植ゴテだの鎌だの種が入った紙袋だのを手に様子を窺っている。
だが、流石にそういう訳にもいかない。クラークは首を横に振った。
「私は看守だ。囚人と一緒に遊んでいるわけにもいかない」
クラークが答えると、囚人達は『やっぱりこいつ真面目だ!』『変なやつだ!』と言いつつ、少々がっかりした顔をした。誘いを断ってこのように惜しまれるのだから、まあ、幸福なことだな、とクラークは思う。
「じゃあ、いっそのことあんたも囚人になっちまうとか、どうだ?」
ついでに冗談めかしてエルヴィスがそう言うのを聞いて……クラークは目を細めて、笑った。
「そうだな。その方が幸福かもしれない」
クラークがそう答えると、エルヴィスをはじめとした囚人達が『あれっ、想定していた答えと違う!』というような顔をする。それがまた可笑しいのだが、クラークは努めて真剣に答える。
「だが、私は看守だ。自ら望んで、ここへ来た。そして看守として、成すべきことは多い。囚人になるわけにはいかない」
「そうかぁ……」
エルヴィスは『まあそうだろうなあ』というような顔で曖昧に頷くと、やがて、にやり、と笑って見せた。
「ま、あんたのムショ入りはいつでも大歓迎だ。もし囚人になっちまったら、その時は楽しくやろうぜ」
囚人達の中から離れて、クラークは再び、中庭の見回りに従事し始める。
囚人達は、中庭でそれぞれ思い思いに過ごしていた。キャッチボールをしてみたり、ただ談笑していたり。エルヴィス達のように花壇の手入れをしている者もあるし、歌っている者達もいる。
そんな囚人達を見て、クラークは思う。
……自分がここに居ることで、良くできるものがまだあるといいな、と。
「よお、クラーク」
そこへやってきたのは、老看守のアレックスである。彼はクラークの顔を覗き込んで……それから、面白そうににやりと笑った。
「なんだ、お前、何か良いことでもあったか?」
「え?」
「表情が綻んでるぞ」
……言われて、クラークは表情を引き締めた。それを見たアレックスには『もう遅えよ』と笑われたが、もう遅いということも無いだろう。被害は少ないに限る。
「ま、そういう気分になるのも分かるけどな。何せもうすぐ音楽祭だし……そうでなくても、最近のムショの雰囲気は悪くねえ」
「雰囲気が?」
「ああ。そうだ。お前が来てから、囚人にもコートが支給されるようになって、横領してたバカ共が捕まって、図書館ができて……随分と所内の環境が良くなっちまったからなあ。ずーっと不満げにしてた連中も今やニッコニコだ」
からからと笑いながらそんなことを言われてしまうと、クラークはどうしていいのか分からなくなる。ただなんとなく地面の方に向かって視線を彷徨わせていると、隣でアレックスがまたくつくつ笑う気配がした。
「……俺は、あいつらがいつ暴動を起こすか、ちっとばかし心配してたんだけどな」
更に続けてアレックスはそう言う。内容が内容だけに、思わずクラークが顔を上げると、アレックスは目を細めて笑っていた。……そう。言っている内容の割に、その表情は微かに嬉しそうで、クラークは戸惑う。
「あいつらはそういう目をしてた。ここにぶち込まれたことに納得がいってねえって顔だ。自分じゃなくて、規範が間違ってる、っつう顔だった。……それでいて、あながち、それが間違ってるとも言えねえ」
「アレックス」
過激な発言だ。クラークが焦ってアレックスを止めると、アレックスは老獪ににやりと笑って見せてきた。
「ま、そうはならなかったんだけどな。あいつら、すっかり落ち着きやがった。やっぱアレだな、こう、締め付けすぎはよくねえってこったな。でっけえ魚には、狭い水槽は息苦しいんだろうしなあ。あいつらが妙にピリピリしてたのは、水槽が狭すぎたってことなんだろ」
アレックスの言葉に、クラークはふと、想像する。広い海を魚が悠々と泳ぐ様を。……尤も、クラークはそんなものを見たことが無いので、想像もその程度のものだったが。
だが、なんとなく、『魚は楽しいだろうな』と思う。
生きるために仕方なく泳いでいるにしても、悠々と、自分が望むように泳げたならきっと楽しいだろう。
「下手すると、あいつらにとっちゃ、ムショの外よりも中の方がでかい水槽だったりしてな」
「……案外、そうかもしれませんね」
クラークがふとそう返事をすれば、少し驚いたようにアレックスがこちらを見てくる。……更に。
「おっ。お前が笑うところ、初めて見た気がするなあ」
「え」
驚くべきことを言われて、クラークは慌てて表情を引き締める。最近、どうも気が抜けて良くない。
「あっこらこら、表情引き締めんな。もうちょっとさっきの緩んだ顔してろ」
「職務上の命令であればそうしますが」
「お、お前、作り笑い下手糞だな……」
余計なお世話である。クラークは少々憮然としつつ、ため息を1つ吐き出して、また元の通り警備に戻ることにする。アレックスも同じく囚人達の監視を始めつつ、ふと、言った。
「なあ、クラーク。お前、『囚人になり損なって』ここへ来たクチかい?」
ちら、とアレックスを見てみたが、彼は真正面、囚人達の方を見ていたので、表情が上手く窺い知れない。
なのでクラークはアレックスの様子を窺うことを諦めて、答える。
「まあ、ええ、多分そんなところです」
多分、大丈夫だろうな、と思った。この老看守は、最早あらゆることがどうでもいいと見える。自分の手の届く範囲が分かっていて、それに納得がいっていて、そして、『上手くやる』。クラークにはそれができないが、アレックスにはどうも、それができるらしい。
「最近多いねえ、そういうのが。まあ、大抵はムショの外で起きてることだが」
「そうですか」
その辺りは、クラークも知っている。だからクラークは看守になって今ここに居るし、疲れ切っている。そして、それでも自らの中の正しさを失わないように、と思って、懸命に、無駄に、生きている。
「お前は上手くやれよ、クラーク」
「はあ」
クラークが囚人になることは無いだろう。それは、上手くやる技量があるからではなく、下手を打つ度胸が無いからだ。
クラークは、エバニ・ブラッドリーのようにはなれない。