表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終身刑のエルフ  作者: もちもち物質
王国歴336年:クラーク・シガー
73/127

泥に沈む*3

 ……不本意である。看守なのに、囚人に懐かれてしまったのだから。不本意だ。不本意である。実に、不本意である。

 だが、囚人達はクラークの心情などお構いなしである。彼らは『図書館をありがとう!』とクラークに懐く。これに対してクラークは、はっきりと否定した。自分の功績ではない、と。

 事実、クラークが図書館の誘致に対して行ったことなど、ほとんど何もない。最初に囚人を焚きつけた以外、何も。その後のことは図書館とブラックストーン刑務所の上層部がやったことだし、その後の図書館の運営も、クラークは行っていない。司書達と囚人達が働いているだけだし、補助金を運用しているのは刑務所の上層部だ。

 そう。クラークは何もやっていない。だというのに、それでも……囚人達は、懐くのである。


「図書館があるっていうのは、いいことだよなあ」

 エルヴィスが、クラークの横でそう言ってにっこり笑う。

「クラークさんも知っていると思うが、今、この刑務所には『思想犯』が多い」

 エルヴィスの視線の先には、囚人達の一団がある。図書館の机で本を広げている彼らは、図書館の利用可能日には必ず図書館を訪れて新聞を読んだり、専門書を読んだりしているのをクラークは知っている。

 そして、どうやら彼らは元研究者や元記者であり、国に対して研究の補助金を増やすよう請願したり国に対して賛同的ではない記事を掲載したりした結果、逮捕されて投獄されたらしい、ということも、知っている。

「だから、って訳でもないが……学び、情報を得て、考えることすら奪われていた囚人にそれらが取り戻されたのは、大いに喜ぶべきことだよな」

 図書館には多くの情報が揃う。新聞が安定して読めるようになっただけでも、囚人達にとっては快挙である上、小さいとはいえ3つも図書館が合わさったことで専門書の類もそれなりに揃った。これが彼らにとってはとても嬉しいことであるらしい。

「なあ、クラークさん。あんたには感謝している。物事のきっかけを齎すのは難しいことだ。でも、あんたはそれをやってくれた。自分の立場が危うくなるってのに、それも気にせず」

「私は……」

 エルヴィスの賛辞を受け止めあぐねて、クラークは目を逸らす。

「……まあ、あんたの場合、気にしないっつうか、気づいてないっつうか……自分の立場が危うくなることなんて、端から天秤に載せてない気がするけどなあ」

「……そうだな」

 続いたエルヴィスの評価は、素直に受け止めた。その通り、クラークは自分の立場が悪くなることなどまるで気にしていない。周りが自分をどう思おうが構わないと思っている。最初から、自分の立場の悪化などまるで考慮に入れていない。ただ、正しいことを成し、正しくないことを正す。それだけだ。

「なあ、クラークさん。あんたさあ……その」

 そこでふと、エルヴィスが遠慮がちに聞いてきた。

「あんた、どうして看守になったんだ?」




「他に職のあてが無かった」

「ああー……ま、まあ、このご時世だもんなあ」

 正直に答えたところ、エルヴィスからは何とも言えない顔をされる。だが仕方がない。事実だ。クラークは、他の職にありつけなかったので看守になることにした。

 ただ、それにもう1つ理由を付け加えるならば……。

「……看守ならば、正しさを求められると思った」

 クラークはそう、零す。

「刑務所だからな。囚人達には正しくあれと指導するのだろうし、看守もまた、正しさを求める者がそれなりに居るだろうと思った。……だが、正しくあろうとする者は、さほど多くないな」

「そうだなあ」

 クラークはブラックストーン刑務所に、多少、ほんの少しだけ、期待しないでもなかったのだ。この腐敗しきった国の中でも、刑務所でくらいは、正しさを求めることが許されるだろう、と。だが、現実はそうもいかなかった。看守であろうとも不正を働く者が居て、そして何より、それら不正を見て見ぬふりする者達が、とても、多い。

 そして、それら不正への無関心……漫然とした不正に対して、クラークができることは、然程多くなかった。1人の力ではどうしようもないことがあまりに多く、それでいて、クラークと同じように物事を考える者は居ない。

「まあ、あんたはいっとう真面目だからなあ。アレックスもちゃんとはしてるけど、真面目ってかんじじゃあないし」

「そうだな」

 ……だが、一応、協力してくれる者は、居る。エルヴィスの紹介によって多少親しくなった老看守のアレックスは、クラークに真っ当に仕事を教えてくれた。そして、クラークが1人の力でどうしようもないことを諦めさせるのが上手い。

「段々、埋もれていくような感覚がある。変えたいものがあっても手が届かないことは分かっていても、それを目指す信念は持ち続けていられるかと思ったんだが、それすら危うくなりそうだ」

 アレックスと共に仕事をするようになってから、クラークは多少、『丸くなった』と言われるようになった。つまり、何かを切り開くための鋭さを失った、ということである。

「腐って、溶けていくような……自分の意志が保てない」

 これが良いことなのか悪いことなのか、クラークには判然としない。クラークが過ごしやすくはなるが、正しくはない。そんな気がする。


「やっぱりあんた、真面目だなあ」

 そんなクラークを見て、エルヴィスはけらけら笑う。

「……まあ、人間だもんなあ」

「どういう意味だ、それは」

「ん?人間は、俺達エルフからしてみれば、とんでもない早さで生まれては死ぬ。それで、俺達からしてみればとんでもない早さで、物事が変わっていく。そういうことさ」

 エルヴィスを見ていると、クラークは少々気が抜ける。流石、長命なエルフは言うことが違う。

「だから、人間はせっかちだよなあ。俺なんか、何か変わるなら200年くらいかかるだろ、って感覚で居るんだけど」

「エルフは気が長いな……」

「寿命が長いからなあ」

 まあ、そういうものなのかもしれない。この国の歴史でさえ、エルフからしてみれば、ほんの少し前に建国されたばかり、といった具合なのだろう。

 エルフと人間とは根本的に感覚が異なるのだということを、ついつい忘れてしまう。何せこのエルフは人間に混じって、人間らしい振る舞いをするので。


「まあ、何か変えたいことがある、っていうのは……えーと、このムショのことだよな?看守になったくらいだし」

「……まずは、そうだな」

 エルヴィスの問いかけに頷くと、エルヴィスはにこにこと笑って頷き返してくる。

「なら、今は土台を作ってるところなんじゃないか?目標が高い所にあるなら、ただ壁をよじ登っていくだけじゃなくて、梯子を作って、それを掛けて登る方法だってあるだろ?けれど梯子を作ってる間は地上に居る訳だから、目標に近づいていないような気分になる。な、どうだ?」

 実に達観した、エルフらしい、気の長い答えである。

 ……だが、そんなものなのかもしれない。クラークはエルフのように長い寿命を持っているわけではないが、それだって、あと1年や2年で死ぬような体でもない。

 焦ったところで、所詮、クラークには碌に何も成せない。なら、エルヴィスの言う通り、今は梯子を作っているところだと考えて、少しのんびりすべきなのかもしれない。

 甘えだろう、とも思う。体のいい言い訳だ、と。

 だが……恐らく、クラークはもう、疲れているのだ。

 元々、ここへ来る時にはもう、疲れ果てていた。それでもまだ動くべきだと考えて動き続けてきたが……やはり、限界がある。悔しいことに。

「ま、いいや。とにかくあんたはもう少し休んでゆっくりしろよ。な?アレックスにだってそう言われてるだろ?」

「ああ」

 アレックスも同じようなことを言う。『熱心なのはいいが働きすぎだ』と。ついでに最近は、『お前が働きすぎたところで良くなる物事なんざありゃしねえぞ』とも。

 ……分かってはいる。クラークは、何も成し遂げられない。理想はあってもそこに辿り着く力を持っていない。だからこそ、せめてそこへ向かおうという意志だけは持ち続けていたいが……『そんなものに意味は無い』と言って切り捨ててしまえば、それまでだ。

 人間の意志など、無意味だ。結果も伴わないのに意志だけを持って崇高ぶるなど、愚かだ。だからただ漫然と泥に沈んで眠っていればいい。その通りだ。分かってはいる。分かっては、いるのだ。

 ……だが、それを良しとできないのが、クラークなのだ。




 クラークが何と言おうか、少し悩んでいると、エルヴィスは笑って、ふと、思い出したように言った。

「そうだ。あんたもバザーに出すもの、何か作ってみろよ。楽しいから」

「え?」

 唐突な提案に、クラークは困惑する。一体何を言っているのか、と。

「ああ、ほら、音楽祭があるんだよ。そこで屋台も出して、食い物とか、囚人が作った工芸品とか、あと、花とかも売る。近隣住民との交流会も兼ねてるんだ。ブラックストーンの印象を少しでも良くするため、って……あ、これ、あんたは知ってるか」

「一通り警備の予定は目を通した」

 ブラックストーンの音楽祭のことは、知っている。企画は『例年通り』とのことで、それはクラークも目を通した。当日の警備には当然クラークも参加するので、会場の地図も当日の時程も、全て記憶している。

「そこに出すもの、あんたも作ってみればいい。折角休日があるなら、そういう趣味を持つのも悪くないだろ?」

「趣味……?」

「……趣味。うん。そうだ。あのな、もしかしてあんた、趣味が無いのか?」

 どうも、自分とは縁遠い話ばかりがされている気がして、クラークは首を傾げる。趣味が無いかと言われればそんなことはないと言いたいが、だが、趣味は何だと聞かれたら何も答えられない。クラークはそういう性質である。

「ほら、ちょっと手伝ってくれよ。この後あんた、非番だろ?」

「何故知っている」

「アレックスに聞いた!」

 あの老看守は一体何を考えているのか、と、クラークは顔を顰める。看守の勤務予定など、囚人に漏らすべき情報ではないはずだが。……尤も、クラーク自身も、エルヴィス・フローレイになら勤務情報が知れていても特に問題は無いだろうな、とは思うが。だが、それはそれとして、正しくはない。

「ほーら、12時半になった!これであんたの勤務は終わりだ!行くぞ!」

 が、クラークが何か言うより先に、エルヴィスがクラークの帽子をさっと取って駆け出していた。制服の一部を奪われたなら、追いかけないわけにはいかない。クラークがエルヴィスを追いかけて走り出すと、他の囚人達も『なんだなんだ』『おいかけっこか』とわらわらやってくる。


 ……そうして。

「今、木の指輪作ってるんだ。ほら、磨くの手伝ってくれ」

 クラークはいつの間にか中庭の片隅、木箱でできた椅子に着席させられて、紙やすりと木を削って作った指輪とを握らされていたのである。

 ……一体、何をやっているのだろうか。

 クラークはただ、遠い目で空を見上げた。ただ、色々なものが遠ざかっていくような気がする。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 愛作息子トリオ出るかな!かな!!! [一言] 確かに…その頑固さと「正しいもの」好きは不正が横行する世なら「監督される側」になっていてもおかしくありませんねーーー。
2023/05/22 06:08 退会済み
管理
[良い点] クラークにエルヴィス味が加わると考えると割と最強に見える。
[良い点] クラークさんは、よく捕まらなかったですね。 その堅物さと行動力は、立派な思想犯候補ですぜ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ