泥に沈む*2
……そうして、囚人達の活動が無事に実を結び、図書館がブラックストーン刑務所へやってくることになった。
これにはクラークも携わり、率先して働いたが、多くはブラックストーンの上層部と図書館関係者達が額を突き合わせて決めたものだ。
まず、今回の図書館誘致にあたり、ブラックストーン刑務所の敷地内、『外部通用口』とそのロビー……言ってみれば、ブラックストーンの敷地内であり、刑務所とも繋がっていながら使われておらず、囚人も立ち入りを禁止されているその一角を、図書館として外部に貸し出すことになった。
ブラックストーン刑務所は、使っていない敷地を貸し出す。そして、図書館側は、建造物の賃貸料や維持費を支払わずに図書館を運営できる。お互いに悪くない取引だ。
そして、図書館は、近隣住民に向けて解放されることになった。……そして、囚人達は週に2日、他の利用者に対しての休館日に、図書館の整備を手伝いながら図書館を利用してもよい、ということになった。要は、奉仕作業が敷地内で行えるようになったようなものである。
これには囚人達も大いに喜び、また、図書館を引っ越してきた者達も『タダで建物を使える!労働力も使える!』と大いに喜んだ。3つの図書館がまとめて引っ越してきたことで、高齢の司書なども週に1日か2日働けばいいだけになり、更に週に2度とはいえ囚人達が労働していくので、無理なく図書館を運営できる。
また、図書館関係者は『小さな個人図書館だとどうしても、国に潰されそうだったから』と安堵の表情を浮かべていた。
……そう。図書館にも、圧政の影響は及んでいる。図書館は知識を持たない者達が知識を得るために向かうだけでなく、知識のある者達が更なる知識を得るために向かうこともある場所であり……それ故に、国に目を付けられることも、しばしばあったのだ。
クラークは、囚人達の為に今回の図書館誘致を提案していたが、結果として図書館の助けにもなったことを嬉しく思う。クラークもまた、図書館が好きな性質だ。本は知識であり、文化であり、歴史である。それらを残すことができるなら、今回の働きはそう悪くなかった。
さて。こうしてブラックストーン刑務所の一角は、一般市民に向けて開放された。
はじめこそ、『刑務所に併設された図書館なんて』と渋る者達が多かったが、それでも一部の近隣住民は『まあブラックストーンなら大丈夫だろう』と、図書館を利用していった。
そして、それにつられるような形で、徐々に利用客は増え、そうして今や、近隣住民の利用の多い、立派な図書館としてブラックストーン図書館は運営されるようになったのである。
……だが、これを喜ばしく思わない者も居る。
そう。他ならぬ、ブラックストーン刑務所の看守達である。
図書館が週に2回、囚人達に向けて開放されるということは、その分、看守の仕事が増えるということである。
実際のところは、その分、元々のブラックストーン刑務所にあった図書室に関する業務が大幅に減っている上、奉仕作業の業務も軽減されている。更に、図書館を吸収合併したことで補助金の額が増えるなどの恩恵も大きいのだが、新たな業務が増えたということに対して怠慢な彼らは敏感なのだ。
……なので。
「あれ?クラークさん。あんた、先週もここの当番してなかったか?」
「ああ、そうだな」
少々気怠いながらもエルヴィス・フローレイに返事を返して、クラークは図書館の監視業務にあたる。尤も、図書館に来るような囚人達は皆、模範囚だ。然程警戒の必要は無いとも聞いているが、それでも手を抜くことはしなかった。
「……いや、そもそも、今週、1日たりとも、あんたを見かけなかった日、無いな……?」
「そうか」
エルヴィス・フローレイが本を片手にしつつ、本よりクラークに意識を集中させ始めたので、クラークは少々居心地の悪い思いをしながらも、引き続き監視業務にあたる。図書館の奥の方に座ってじっと本を読んでいるだけの囚人達を眺める仕事である。手は抜かないが、手を抜いても問題は無いことも分かってはいる。
「あれ、ちょっと待て。思い返してみたら、ここ2週間……いや、3週間……?あんた、1日も、休んでないんじゃないか……?休日にも居たよな?な、なあ、おい、ちょっと」
そしてついにエルヴィス・フローレイが戦々恐々とした顔でクラークを見上げてきたので、クラークはそっと目を逸らす。
「休日に図書館の警備を行っているだけだ」
「駄目だろそれ」
分かってはいる。分かってはいるのだ。エルヴィス・フローレイの言う通り、『駄目』である。
だが仕方がない。クラークがこうして働くことで抑えられる不満というものがある。クラークが仕事を増やしたことについて、『その分国からの補助金が増えた』と説明しても納得しない看守も多いが、『その分クラークが働く』と言えば納得する看守は多いのだ。
そしてクラーク自身も、これに納得している。囚人達が図書館を得たし、図書館は人員と場所を得た。それで十分だ。少しでも刑務所内を、そして刑務所外についても、正しい方へ進めることができたのだから。
「な、なあ……それ、働いた休日を勤務日と数えると、何連勤になるんだ?」
エルヴィス・フローレイに聞かれて、クラークはぼんやりと数え、『ああ、あの日半休を取ったな』と思い出し、答えを出す。
「24連勤だ」
「うわあ」
答えた途端、エルヴィス・フローレイは悲痛な表情で口を半開きにしたままクラークを見つめてくるようになる。クラークは更に目を逸らした。
「いや、駄目だろ、それ……駄目だろ」
「お前達が気にすることじゃない。本を読め」
「本どころじゃねえよ、流石に……」
クラークはさっさとエルヴィス・フローレイを追い払いたかったのだが、エルヴィス・フローレイはクラークの傍を離れようとしない。それどころか『おーい!皆きてくれー!』と他の囚人を呼ぶ始末だ。クラークは頭を抱えたい気持ちになった。
……そうして。
「アレックス呼んでくるから待ってろ」
何故か、他の看守が呼ばれることになった。
「寝ろ」
そしてその看守……年かさの、そろそろ引退だろうと思われる老看守は、開口一番、クラークにそう言った。
「どう見ても不健康そうなツラしてやがる。おら、さっさと寝ろ」
おらおら、と押されて、クラークは椅子に座らされてしまう。クラークは若いが、力で老看守に敵わないのは少々ショックだった。相手が人間の体のどこをどう押せば座らせることができるかを熟知していることもあるだろうが、クラーク自身が不健康であることの証明でもある。
「しかし私が寝ていたら囚人の監視ができません」
「本来休日の奴がやる仕事じゃねえ。本来の担当にやらせろ」
「本来の担当?それが私ですが……」
「休日の奴を堂々と担当にしてるのかあいつら!」
老看守は怒りながら『だからあいつら気に食わねえんだ!』と舌打ちし……それから、むっとした顔で、クラークを睨みつけた。
「……お前も何か言え。黙って働くんじゃねえ。お前の働きっぷりは丁寧で悪くねえが、それはきちんと休みながらやるもんだ」
クラークが困惑していると、老看守は、ふ、と息を漏らすように吐いて、それから、表情を緩めた。
「なんだかよお、お前、まるで囚人みてえな看守だなあ、おい」
「囚人みたいな……?」
「囚われてる奴は全員囚人だろ。違うか?」
「囚われている……?」
クラークは、囚われてなどいない。だが、老看守はそう言うので、ただ黙って、『そういうことにしておくか』とぼんやり受け流す。すると老看守はため息交じりに、ばしり、とクラークの背を叩いた。
「アレックスだ。アレックス・ワイルド。先輩の名前くらい覚えとけ、クラーク・シガー」
「はい」
「で、業務は分担!他の奴らに任せる!お前が倒れた時に回らなくなるような仕事のやり方をするんじゃねえ!」
「はい」
クラークが素直に返事をしていると、老看守……アレックス・ワイルドは、クラークの両肩に手を置いて、ぎろり、と睨むようにクラークの目を見つめてくる。
「いいか?仕事を振る相手は、俺でもいいから。俺はもう年だが、お前みたいなのに頼まれるなら、仕事を代わってやってもいい。今日のところは代わっといてやる。だからさっさとお前は帰って寝ろ」
そして、そう言われた途端、何故か、クラークの体の中に疲労が芽生え始めた。
今までまるで疲れてなどいなかったのに、これである。気づいてしまったら、もう駄目なのだ。
「では、ミスター・ワイルド。申し訳ありませんが……」
クラークは己の体の性能の低さにうんざりしながら、仕方なく、アレックス・ワイルドに業務を任せることにする。
……が。
「やめろ!その呼び方やめろ!ただ『アレックス』でいい!くっそ、痒くなる!」
アレックス・ワイルドはそう言って、ばしばしとクラークの背を叩いてくるのである。
「あっ、クラーク!俺のこともただ『エルヴィス』でいい!なんか痒くなるから!」
更に、エルヴィス・フローレイまでもがぺしぺしとクラークの背を叩いてくるのである。
更に、遠くからはシャンシャンシャンシャンとタンバリンの音が聞こえてくる。否、図書館でタンバリンの音など聞こえるはずが無い。つまり、きっと幻聴だ。
……クラークは最早、何が何だかよく分からないまま、ぼんやりした頭で考えているのか考えていないのか分からないような思索を巡らせ……言った。
「では、お願いします、アレックス、エルヴィス」
自分の部屋に戻ったクラークは、シャワーを浴びて、髪を拭き、乾き切らない髪をどうすることも無くそのまま眠った。
疲れは意識してしまえばとっぷりと深く、その分、今日はぐっすり眠れる気がした。
翌日から、またクラークは働き始めた。
アレックスは『業務の割り振りについてちょっと言っといたからよ』とクラークの背を叩き、そしてその言葉通り、クラークの勤務は週7日勤務から、週休2日制へと変更されていた。
不甲斐ないな、と思う。自分一人の力でできることがあまりに少ないのが厭わしい。だが、仕方がない。クラークは所詮、この程度の人間だ。
また、エルヴィスには『もう一日くらい休んだ方が良くないか?』と心配そうにしていた。囚人に心配されるのも多少癪であるが、『これ飲んどけ』と渡された謎の薬を飲んだところ、熱が下がった。
……実際、クラークは朝から発熱していたのだが、まさかそれがエルヴィスには分かったというのだろうか。本当にそうだとしたらエルフとは恐ろしい生き物である。
また、クラークは相変わらず、他の看守達から疎まれていたのだが、その一方、アレックスが『よお、クラーク!』とやってくるようになり、それにつられたように他の看守も数名、クラークの元へやってきては他愛もない話をしていくようになった。
どうも、彼らは元々、丁寧に働くクラークに興味を持っていたらしい。だが、なんとなく話しかける機会もないままであった、と。
クラークも、人と話すことが嫌いなわけではない。然程得意ではないが、嫌いではないのだ。また、人の話を聞くのは、もっと好きである。……おかげで、多少、看守としての仕事が楽しくなった。自分に好意的な仕事仲間がいる職場というものは、良いものだ。クラークはそれを、初めて知った。
……そうして、図書館ができてから、1か月。
「クラークー。クラークー。これ、囚人連中が欲しがってる図書リスト。優先順位が高いやつから順に並んでるから、どれか1冊でも入ったら嬉しい。司書さん達に伝えてくれ」
「そうか。分かった」
「あっ!クラークー!シャワー室の風呂のことなんだけどさあ、ちょっといいか?」
「少し待ってくれ」
「クラークー!おなかすいた!」
「つい30分前に食事を摂っただろう」
クラークは……すっかり、囚人達に懐かれていた。不本意なことに。