泥に沈む*1
「図書館の予算が無くなる?なんでまた」
「経費削減だろ。国からの補助金が減る一方だっていうし」
囚人2人の会話を聞いて、クラークは眉を顰める。どうも、この国の腐敗はしかと、このブラックストーンにまで届いているらしい。
当然だが、ブラックストーン刑務所は国営の施設である。となると税金で運営されている訳だが、どうも、国はブラックストーンに予算を割くことを渋っているらしい。
その辺りの実情は、クラークも知っている。囚人が増えているにもかかわらず、刑務所や他の国営施設への予算は年々減っている。そしてその分の税金はどこへ消えているのかといえば、大抵は上層部の私腹を肥やすための贅沢品や、国外への賄賂に消えているのだ。
「まあ、囚人共に本なんざ与えたくねえだろうしなあ」
「その為に金を削ってるっていうのも分かりはするんだけどな……」
……そして、恐らく国王もその周りの連中も、ブラックストーンの囚人達に図書館用の予算など与えたくないのだろう。彼らは囚人が社会復帰することなど望んでいない。世論が許すなら、囚人達を皆殺しにしたいくらいだろう。
そもそも、ここに入れられている囚人達の罪状は、今やその半数近くが『国家転覆を謀った罪』である。要は、国は、今の国を正そうとする者達を刑務所に閉じ込めて、そこでさっさと死んでもらいたいのだ。
「本は必要だ」
クラークは、この状況を許すわけにはいかない。
間違ったことを許す気は無い。多くの者が間違ったことを許し続けてきた結果が今の国の姿だ。今更クラーク1人がそれに抗ったところで国を変えることなどできはしないが、皆がそう思って何もせずにいたならば、本当に何も変わらないままなのだ。
「知識は光を齎す。囚人達には知識を得るものが必要だろう」
「国はそんなもん与えたくないみたいだけどなあ」
……今、ブラックストーン刑務所には、賢く学のある者が大勢入所している。今、エルヴィス・フローレイの周りに集まっている囚人達についても、執筆した本が今の国の情勢を批判するものであったので逮捕されたり、国王に異を唱えて逮捕されたりした者ばかりなのだ。
そうした囚人達が、他の、従来通り窃盗や傷害などで投獄されている囚人達を啓蒙してしまうことを、国は恐れている。だから、予算もできれば取り上げてしまいたいのだろう。
「ならば国が間違っているというだけの話だ。愚かであることを肯定してはいけない」
クラークは眉根を寄せつつ、考える。
図書館用の予算が無くなった、というのならば、どうにかして別途予算を手に入れるか、はたまた、本を何らかの形で手に入れるか。
「……寄付を募るしかないか」
結局のところ、本を手に入れる方法など、寄付以外に無い。不要となった本を寄付してもらうよう諸機関に働きかけたり、個人へお願いして回ったりする程度しか、方法が無い。
予算を再分配させることはほぼ不可能と見ていい。予算自体が増えることが無いのだから、本を現物の形で手に入れるしかない。
そう。どうやっても、現金を手に入れることはほぼ不可能なのだ。
無論、ここが刑務所である以上、囚人達は諸々の作業を通じて多少の利益を生み出しはするが、刑務所は利益を生むための場所ではない。得られる利益には限界があり、そもそも刑務所は利益を目的とすべきではない。
刑務所が利益を求めてしまったら、それは……。
「……国ができてしまう」
「えっ?なんか言ったか?」
「いや、なんでもない」
……クラークは、ちら、と頭の中を過ぎったものをそっと埋め戻して、再び本の入手方法を考えることにする。
金は無い。人手はあるが、それだけだ。
となると、人手を生かして方々へ手紙を送りに送って寄付を募るのが最も効果的だろうか。だとすると、どこに手紙を送るのが効果的だろうか。
「……根本的な解決にならないな」
だが結局、クラークは息が詰まるような思いで思索を打ち切った。
どうも、手詰まりだ。方々に壁があって、息苦しい。そんな気持ちさえしてくる。
刑務所が刑務所である以上仕方がないのだが、ここには制約が多すぎる。万人に対し平等にあるという学びの機会も囚人には与えられない。当然、法を犯して服役している囚人達に手厚いサービスなど相応しくはないだろう。だが、そもそも碌に機能していない法を守ることに意味があるのだろうか。それは本当に、『正しい』ことなのだろうか。
その日の終業後、クラークは自室に戻ることなく、看守の制服を着たまま、刑務所内を歩いていた。
終業後にもこうして看守の業務を行っているのだから、実に熱心な看守に見えるだろう。だが、その実は散歩である。
考えをまとめるには歩き回るのが良い。そう、クラークは教わったことがある。そして実際、何か考えごとがある時には歩き回ると案外上手いやり方が見つかったりするものなのだ。
クラークは囚人達も寝静まった所内を歩き回って、見回りついでに考え事を進める。
本を手に入れる方法。寄付を募る方法。そしてそもそもの、この刑務所の不遇を改善する方法……。考えても考えても、キリが無い。だが、考えずにいることは正しくない。考えることに疲れて漫然と生きるのは楽だろうが、正しくはないのだ。
……そうしてクラークは、図書館に辿り着いた。囚人達が利用している図書館は、ブラックストーン刑務所の大きめの一室……かつてこの刑務所が城として使われていた時の食堂か何か、大きな部屋を丸ごと1つ使って作られている。
そこに収められた本も、それなりの数だ。古い教科書が大切に使われてしまわれていたり、随分と昔の小説が並べられていたり。図鑑の類は補修されながら多くの囚人達に眺められてきたのだろう。
ここで囚人達が学ぶ様子は、見ていて気分のいいものだ。学ぶ意欲というものは、自身を、そして周囲をよりよく変えていこうとする気持ちの表れだ。本来なら、そうだ。だから、見ていて気分がいい。
クラークもかつては、住んでいた小さな町の図書館で本を読んで過ごしてきた。そこで得られた学びは、決して少なくなかった。当時のことを思いだすと、懐かしく、温かな気持ちになる。
……だが、クラークがかつて暮らした町は今や寂れて、図書館も閉館に追い込まれつつあると聞く。上手くいかないものだな、とクラークは苦笑を零し……そして。
「……ああ」
ふと、思いついてしまったのである。
自分達で図書館を作り、充実させるのには限界がある。
だから、充実した図書館がまるごと、やってきてくれればいいのだ、と。
「私達が図書館を作るのは限界がある。図書館がくればいい」
ということで翌日、クラークはエルヴィス・フローレイ他数名の囚人にそう、伝えてみた。
「……図書館が?とことこ、って?足生えて歩いてくるのか?」
「図書館に足は生えない。何を言っているんだ」
「いや、俺達からしてみるとそっちこそ『何を言っているんだ』なんだけど……」
早速困惑する囚人達を前に、クラークは『説明が下手だったな』と少々反省する。だが、説明が足りなかったなら更に補えばいいだけだ。
「金は無い。本も手に入れにくい。だが、人手はある。そして不運なことだが、この刑務所には優れた頭脳を持つ囚人が大勢いる。ならば司書業を行うことができると考えた」
「ほう」
「そして近隣に、資金不足で運営を続けられなくなりそうな図書館がある。そこに声を掛けて、こちらに移設して人件費のかからない囚人達に本の管理や図書館の運営を一部任せることを打診する」
クラークが考えたのは、言ってみれば、労働力の安売りに他ならない。だが、図書館での業務を望む囚人は多いだろうし、それが社会貢献になるなら悪くないだろう。国としても、図書館と刑務所、2つへ支払っていた資金が1つ分で済むようになるのだから、そう悪い話ではないはずだ。
「国は公共事業に掛ける金を減らしたい。ならば、図書館を運営するための人件費は削りたいだろう。それを囚人という無料の労働力で補えるなら、国としても悪くない話だと思うが」
「……囚人に知恵をつけさせたくないんじゃねえかなあ、あいつら」
「それより金が大切と見た」
「ああー、一理あるなあ……」
エルヴィス他数名の囚人が頷く中、囚人が1人、そっと手を挙げる。
「それ、図書館側がいいって言うかなあ。彼らからしてみれば、図書館を刑務所なんかに渡したくないんじゃないかと思うけれど」
……そう。勿論、実現が簡単だとは、クラークも思っていない。
刑務所の中に図書館を移設したところで、囚人以外の住民は利用できない。囚人以外の近隣住民も利用できる図書館にするのであれば、囚人達を野放しにしすぎる。
折衷案は無い。どちらかを取れば、どちらかが手に入らなくなる。だから実現が難しい。
……だが、それでも、蔵書が丸ごと失われるくらいなら、と思う図書館はあるだろう、とクラークは考えている。どこか1か所、自分が育った図書館でなくとも、どこか1か所くらいは、ブラックストーンに移ってもいいと言う図書館が、あってほしい。
「ま、試しに声かけてみるか。手紙書くだけなら俺達にもできるしなあ」
「そうだね。まあ、折角だ。片っ端から手紙を出してみようか」
「どの図書館が潰れかけてるかなんてわからないけれどなあ……ま、手あたり次第でいいかあ」
囚人達は早速、嬉々として手紙を書き始める。『駄目で元々』くらいのつもりなのだろうが、彼らの表情は生き生きとしていた。
もし全ての図書館から断られたとしても、もしかしたら、1冊2冊、本の寄付が来るかもしれない。それだけでもいい。それに、目標を持って動くということは、少なからず人に活力を与えるものなのだ。
そうして、2週間ほど経った頃。雪融けがぴちょり、ぴちょり、とあちこちから滴る日。中庭に集まるエルヴィス・フローレイ達十数名の囚人は、大いに喜びあっていた。
「いや、まさか本当に、図書館が来るなんて!」
「しかも、3つも!」
……そう。
驚くべきことに、上手くいってしまったのである。
「いや、僕が幼いころから世話になっていた個人図書館があってね。そこの管理者がもうご高齢だったのを思い出して声を掛けてみたんだ。そうしたら『それも悪くないね』と言ってくれたんだ」
囚人の1人が穏やかに笑う。
どうやら、彼の言う図書館は、然程大きくない図書館であるらしい。だが、専門書なども数多く取り揃えた小さな図書館は、知る人ぞ知る素晴らしい場所だったのだとか。
だが、入館料を徴収し、国からの補助金と併せてなんとかやりくりしていたものが、国からの補助金が打ち切られて、いよいよ図書館を畳むことを決めていたらしい。そこへ届いた手紙は、正に『渡りに船』だったようなのだ。
「こっちは僕が書いた本を何冊か寄贈した図書館なのだけれど、そこも人件費が捻出できなくなってきたらしくてね。『先生のために図書館を移したら新しい本が生まれるかもしれませんものね』といい返事をくれたよ」
同じく、にこにこと嬉しそうな囚人がそう、報告してくれる。
彼は文筆に携わっている人物であるらしい。その分、出版社や図書館とは懇意にしていたようで、今回の手紙もその伝手で上手くいったようだ。
「こっちは『タンバリンマスター記念図書館』に手紙送ったら『いいとも!』て返事来た!」
「なんだそれ」
「どこだそこ」
そしてヘンテコな図書館というものも存在しており、ヘンテコ故にこうした誘いに応じてしまう、非常に珍しい例も存在したのである。これにはクラークもいっそ納得がいかないような気分になったが。
……だが、このように時々納得のいかない幸運に見舞われることというのも、あるものなのだろう。特に、こんな世の中ではこれくらいないとやっていられない。クラークはそう思って、このよく分からない幸運を受け入れることにしたのである。