清く正しく*3
……そうして、春の気配が感じられるようになった頃、ブラックストーン刑務所では、数名の看守がクビになる騒動が発生した。
発端は当然、クラークである。
エルヴィス・フローレイが用意してきたノートは、彼らの横領の証拠であった。所長も気づいていなかったのであろう些末な横領ではあったが……それでも横領は横領である。正しくない。
ついでに言ってしまえば……横領していた看守数名は、よく囚人に暴力を振るう看守でもあった。彼らの行いのツケを払わせるには、今回の罷免は丁度いい。可能ならば、彼らの暴力の証拠も手に入ればよかったのだが、それが極めて難しく実現不可能であることは、クラークにも分かっている。
ひとまず、不正を行っていた看守の一部が罰せられた。他にもまだまだ不正はありそうだったが、今はこれでよしとすることにしたのである。
さて、看守数名がクビにされると、他の看守達の反応は3つに分かれた。
1つは、今まで通りに過ごす者。1つは、何か後ろ暗いことでもあるのか、びくびくと怯えながら過ごす者。そして1つは……クラークに嫌がらせをしてくる者だ。
彼らに言わせれば、クラークは『余計なことをした』者であるらしい。クラークが余計なことをしなければ、ブラックストーンは平和だったのに、と。捕まった奴らは大したことはしていなかったのに、とも。
だが、クラークは己の行動を悔やんでなどいない。逮捕された看守達は確実に悪事を働いていたのだし、それが小さいか大きいかはまた別の問題だ。
些末なことであっても、見逃すべきではない。この国が正しさを著しく失っていくこの情勢の中で、クラークはそれでも、正しさを求めるべきだと考えている。そうすることで、少しでも世界がよくなっていけばいい、とも。
尤も、そうするための気力を半ば失ってはいるのだが……それでも、まだ、クラークの中には正義感と法の理念が根付いているのである。
だから、エルヴィス・フローレイの『頼み』を引き受けた。
……そう。エルヴィス・フローレイだ。クラークはどうも、あの囚人が気になる。
彼は珍しくもエルフだという。エルフという種族が居ることはよく知られているし、稀に目撃することもある。彼らの魔法を目撃したことも、今までに1度だけ、あった。
だが、そうした『エルフ』であること以上に、エルヴィス・フローレイは風変わりであった。
看守が看守の悪事を気にしないのだ。囚人など、より一層、気にしない。だが、エルヴィス・フローレイはどうやったのか、あのノートを手に入れた。看守数名のちっぽけな横領の記録を見つけ出して記録したあのノートには、それなりの時間と気力が掛けられているはずで、さらに言えば、それを可能とする手腕が必要だったはずだ。
だから、クラークはエルヴィス・フローレイが気になる。
彼が一体何を思ってあのノートを『拾った』のかが、気になるのだ。
「あのノートはどうしたんだ」
「え?」
なので、休憩時間中、クラークは中庭を訪れていた。
未だ花が咲かず、融けきらない雪が覆う花壇で、エルヴィス・フローレイは土を弄っていた。彼が普段からこの中庭の花壇を世話しているか、はたまた音楽室で葦笛を吹いているかのどちらかだという話は、看守の間でも有名なのである。
「『拾った』とは思えなかったが」
「あー……それ、気になるのか」
エルヴィス・フローレイはそんなことを言う。
確かに、ノートの出処など、わざわざ気にしなくてもいいだろう。必要なものは過程ではなく結果である。そしてあのノートによって、看守数名がクビになった。それで十分と言えば、そうなのだが。
「あれはお前が作ったのか」
それでもクラークは、そう尋ねた。
あのノートを作った者にはきっと、まだ、正しさを求める心があるはずだから。
「……うん。そうだな。作った。そうだ。編集したのは、俺達だ。でも、証拠はちゃんとしたのを集めてあった。それはあんたも見て確認しただろ?」
そしてエルヴィスはいよいよ観念したように、そう言った。俺『達』という言葉に少々引っかかりを覚えつつも、『まあ、仲間は売りたくないだろうな』とクラークは納得した。あのノート作りへ他に誰が携わったのかは、別に明かされなくてもいい。
「囚人達で、アレを用意したのか」
「うん。ほら、最近、頭のいい奴らがたくさんここにぶち込まれてくるからさ」
ついでに、エルヴィス・フローレイの言葉を聞いて、クラークは更に納得を深めた。
「ああ、そういうことか……」
「うん。そういうことだ」
なら、この刑務所はまだ、機能しているということだろう。この国の、最後の砦として、ブラックストーン刑務所は確かに働いている。
この刑務所には、まだ、正しさを機能させようとする者が居るのだ。
「俺はムショの外には詳しくないけれど、今、頭のいい奴らがどんどん捕まってるだろ?国家転覆を謀った罪とかで」
エルヴィス・フローレイが笑う。何故か、どこか懐かしそうな顔で。
今、この国は腐敗の一途を辿っている。そして、それに警鐘を鳴らした者は大抵、不当な目に遭っている。
職を失ったり、投獄されたり。……その取り締まりは徐々に厳しさを増しており、今のように、賢い者達が妙に沢山刑務所の中に居る、というような状況さえ引き起こしているのである。
……これに抗う術は無い。
国王は何も気にせず今日も城で豪遊しているのだろうし、上層部はこの国から甘い汁を絞れるだけ絞ったら他国へ逃げればよいとでも考えているのか、暴利を貪りつつ他国にばかり利を齎している。そして、取り締まりは厳しい。こんな状況では、できることなどほとんど無い。
だからクラークは疲れ切っている。この国、この世界に半ば絶望してもいる。
……だが。
「面白いよなあ。ムショの外が悪くなると、ムショの中が良くなっていくんだから」
そう言って笑うエルヴィス・フローレイを見ていると、どうにも、希望が芽生えてきてしまうのだ。
……この国全体が正しい方向へ動き出すことは無いだろうが。それでも、限られた場所……この『ブラックストーン刑務所』の中だけなら、正しさを維持することができるかもしれない、と。
「エルヴィス・フローレイ」
クラークは、芥子粒ほどの期待がもう数粒分増えたような心地で、終身刑のエルフへ呼びかけた。
「今回のようなことがあれば、いつでも言うように」
エルヴィス・フローレイは、きょとん、としていたが……やがて、嬉しそうに笑って頷いた。
「やっぱりあんた、変な看守だ!」
が、変な看守扱いされるのは心外である。
クラークの願い空しく、囚人達はクラークのことを『変な看守』として認識し始めた。
無論、囚人達と慣れ合うつもりはない。看守は看守、囚人は囚人であり、その規律を破るつもりは毛頭無いのだ。
だが……囚人達は、新しい出来事に非常に敏感である。新入りの看守が沢山入ってきた時には『真っ先に辞めるのはどいつだろう』と賭けを始めていたし、その中に『変な看守』が居ればたちまち注目し始める。
そうして囚人達に注目されたクラークは、同時に、看守達の中でも注目を浴びている。当然、内部告発を行ったクラークには、悪意ある視線ばかりが向けられる。その視線は日に日に強くなり、今や、隠しもしない悪意をぶつけられることもままあるようになった。
囚人と看守、両方から注目されているクラークは、だが、特に誰とつるむでもなく、1人、黙々と仕事をしている。
他の看守から押し付けられる雑用を淡々とこなし、囚人達から出た希望の内、我儘に当たらないものについては実現に向け方策を考え。そうしている内に、クラークはブラックストーン刑務所で一番の働き者、となってしまった。
「いや、すげえよあんた」
エルヴィス・フローレイはクラークを見て、唐突に話し始めた。
「何がだ」
「アレックスがあんたのこと褒めてたぜ。あいつ、気難しいからさ。あいつが褒めるのってすごいぞ」
エルヴィスはそう言って、まるで自分が褒められたかのようにうきうきと楽し気にしている。
「……誰だそれは」
「看守だよ。いいかげん齢の」
「詳しいな」
「逆にあんたが他の看守のこと知らねえのもすごいけどなあ……」
クラークは相変わらず看守達からは遠巻きにされているし、囚人達とつるむつもりも当然無いので、他の看守のこともよく知らないのである。その点、エルヴィス・フローレイは終身刑のエルフであるだけあり、看守達のことも良く知っていた。クラークよりずっと付き合いが長いのだから、当然と言えば当然かもしれない。
だが流石に囚人よりも同僚について詳しくないのはまずいだろうか、と、クラークは考える。
「なあ、どうしてそんなに真面目に働くんだ?他の看守連中はあんたみたいに働くのは少ないだろ」
考えていたら唐突にそう聞かれて、クラークは返答に困る。
「……特に理由は無い。ただ、そうするのが正しいからそうしているだけで」
結局、特にうまい理由付けも思いつかず、ただ自分の考えるままにそう、答えた。
クラークは、まじめに働くことを当たり前のことだと思っている。真面目に働き、その分の対価が得られる世界こそが真っ当な世界だと思っている。ならば、自分は真面目に働くべきだ。自分が望む世界のために。
無論、クラークがどう考えていようとも、看守の仕事は決して良い待遇ではない。真面目に働いた分の対価が得られるかと言われればなんとも言い難いが、それでも、クラークは自分の信条を曲げるつもりはなかった。曲げるだけの気力も無い、のかもしれないが。
「ふーん。そういうもんか」
エルヴィス・フローレイは納得したのかしないのか、クラークの返事に首を傾げつつ頷いて、『まあいいや』と笑う。
クラークとしても、『まあいいや』である。他者に自分の説明をする必要は無い。クラークがどう考えていようが、それはエルヴィス・フローレイには関係の無いことだ。関係があるとすればクラークの働いた結果そのもののみである。
一々、関わる必要なんて無い。
「エルヴィスー!エルヴィスー!……あっ、変な看守さんもいる!どうも!」
そこへ、1人の囚人が駆け寄ってきた。心外である。『変な看守』扱いは、非常に心外である。
「どうしたんだよ」
だがエルヴィス・フローレイもその囚人も、クラークの心情などまるで気にせず話を続ける。遺憾である。
「いや、それがさ!大変なんだよ!俺達の図書館用の予算、無くなるらしいぞ!」
……だが、この話は聞かないわけにはいかないようだ。




