小さな花壇*3
町の神殿の清掃が始まると、グレンとエルヴィスは早速、屋外での作業に自ら割り振られた。
神殿の中、長椅子の下に溜まった埃を払ったり、真鍮の燭台を磨いたりする作業もあったが、そんなことをしていても仕方がない。他の多くの囚人達はできるだけ寒さの無い屋内作業を望んでいたので、屋外で作業したい2人を阻む者は何もなかった。
屋外での作業は、主に庭の飾りつけだ。
回廊に囲まれた中庭は、すっかり冬の様子となっており、草木は雪に包まれ、ほとんど姿が見えない。だからこそ、木の枝から雪を払い落とし、飾りをつけて、華やかに彩るのである。
「よしよし……オリーブの枝は確保できた。中々悪くないな」
「あっちに菩提樹がある。一枝もらっていこう」
飾りつけの傍ら、エルヴィスとグレンは様々な植物を少しずつ採集していった。挿し木で増えるものは枝をとり、種や実があったものはそれをとる。雪に覆われた庭で植物を探すのは難しいことだったが、エルヴィスとグレンには十分に可能な仕事であった。
「オリーブの枝は何本か欲しいな。オリーブの木って、何本か無いと実が生らないだろう?」
「ああ、そうか。まあ、そればっかりは、『がんばれ』で済ませるのも可哀相だしな……よし、もう何本か、抜き取っていこう」
オリーブの枝は、祝祭の日の飾りとして使われていた。藁や枯れ枝を編んで作ったリースにオリーブやローズマリー、月桂樹の枝などを差していって飾りにするのだ。中には、赤い実をつけたヒイラギや飾りのために秋から保管されていたらしい麦の穂、冬に咲く花などが飾られているものもあり、それらは飾りの見た目を大きく損なわない程度に、そっと、エルヴィスとグレンによって採集されていく。
庭の植物も当然、対象だ。菩提樹の枝、椎の実、ガマズミの実、たんぽぽの根、クロッカスの球根……様々なものが雪を払った場所から発見され、2人のポケットへ収まっていった。
2人とも、効率的に飾りから枝を失敬するべく、実にてきぱきと働いた。木の雪を丁寧に払い落とし、飾りを木に飾り、庭の雪をある程度取り除いて整えて、ついでに祝祭の雪像も作ってやる。
この働きに、神殿の神官は大いに感激していた。他の囚人達とは異なり、実に気分よく働いている2人は特別に見られたらしく、『このように信心深い囚人はきっと神に赦されることでしょう』などと褒め称えられた。グレンはそれを笑顔で聞きながら、犯してもいない罪を『赦す』神などくそくらえだ、と思った。エルヴィスも笑顔でいたが、『どうでもいい』と思っていただろう。その証拠に、彼の手はポケットにずっと添えられていた。神の御赦しよりポケットの中の植物の方がずっと大切なのだ。
だが、唯一、感激したらしい神官が2人に焼き菓子を多く配ってくれたのはよかった。久しぶりに食べる甘いものは、2人を大いに元気づけた。
……元気になる方向が、『よし、午後も植物を集めるぞ』といった具合であったので、神官としては、全く望んだ結果が得られなかったわけだが。
午後も2人は植物を探した。
午後は神殿の前の通りの雪かきと清掃の作業だったが、門扉に絡まる薔薇の枝を切り取ったり、雪かきついでに水仙の球根も掘り起こしたり。こっそりと、かつ堂々と、神殿の入り口付近を荒らしていく。
「私達が何をしているのか、誰も気づかないものだね。面白い」
グレンは、ふとそう呟いた。今も、2人が水仙の球根を自分達のポケットへしまいつつ花壇の土を戻していたのだが、それを見たはずの通行人は、2人をまるで見咎めず、そのまま歩き去っていった。
「案外、他人が何をしているかなんて、誰も興味が無いもんさ。囚人相手なら猶更そうだろう」
思い出してみれば、グレンもかつて、そうだったように思う。
自分以外の人間が神殿の前でスコップを片手にあくせくと働いていたら、ああ、雪を退けているんだな、という程度に認識して、そのまま通り過ぎていたように思う。ましてやそれが奉仕作業中の囚人なら、絶対に、まじまじと眺めたりしなかった。
「看守もそうだな。どうせ中身なんて見てない。俺達が何を考えているかなんて見てない。奴らはただ、見たいものだけを見ている。面倒じゃなくて、不都合じゃないものだけを。……だから俺達が模範囚だなんて勘違いするんだ。俺はもう、かれこれ30年以上勘違いされっぱなしだし……」
エルヴィスはそう言いつつ、雪がこんもりと積もったトピアリーの根本あたりに捨てられていたらしい小ぶりなガラス瓶を2つ、拾い上げる。そして『いいモン拾ったなあ』と笑って、それを懐にしまった。
「ま、おかげで楽しくやる余地があってよかったけれどな。できることなら、もっと無関心で居てほしいもんだが……お、降ってきたな」
ふと空を見上げると、ちらちらと雪が舞い始めていた。どうやら、また降るらしい。
「雪が降るのはいいことだね。土を掘り返した跡も雪で隠れてくれる」
「その通り。雪が積もればその下なんて、誰も見やしないんだ」
2人が話していると、作業の終了を知らせる声が聞こえてくる。2人は早速そこでの仕事を切り上げて、屋内へ戻ることにした。
奉仕作業の翌日、2人は小さな花壇を作るべく、持ち帰った植物を全て、植えかえた。
休眠の季節である冬に掘り起こしてしまった球根や、切り離してしまった枝など、決して条件の良くない植物達だったが、エルフの声には目覚めるらしい。エルヴィスが呼びかければ、それらは寒さの中にあっても目を覚まし、懸命に生きようとする。
「やっぱり植物はいいな」
根付き、或いは芽生えた植物を見て、グレンは笑う。
「手を掛ければその分応えてくれるのがいい。自分がやったことが無駄じゃなかったって思える」
成果を得られない努力は空しいが、植物を相手にしている分には、それがあまり無い。勿論、天候や事故によって台無しになることはあるが、それでも、全てが一気に駄目になることはそうそう無い。
それに、植物は枯れても種を残すことがある。或いは、枯れ切る前に挿し木で増やしてやれば新たな株として育ち始める。だから、希望が潰えない。
理不尽が少なく、目に見えた成果があり、そして、絶望せずに済む。……グレンが植物を好むのは、そういう理由だ。そして今、グレンが植物を育てているのも、そういう理由なのだろう。
この刑務所に居ること自体がグレンにとっては理不尽であり、日々の作業にはまるで楽しみが無く、そして、希望が他に無い。それら空いた穴を埋めるために、植物を育てている。
「まあ、暇潰しには丁度いいな。長生きする植物も居ることだし、エルフの話し相手としても植物っていうのは、中々悪くない」
エルヴィスもまた、理由があって植物を育てている。グレンは、エルヴィスがこの刑務所に入ることになった経緯をまるで知らないが、エルヴィスの穏やかでどこか諦めの強い性格を見ている限り、どうも、彼が罪を犯したようには思えない。
となれば、エルヴィスもまた理不尽の渦中にあるのかもしれず、ならば、植物を育てることに楽しみを見出す仲間である理由にも納得がいく。
「早く春になるといいな」
エルヴィスは楽し気に口角を上げて、生え出たばかりの芽をつんつんと指先でつついた。
その週の終わり、祝祭の日。
この日は刑務所でも一日作業が免除され、皆が思い思いに過ごしている。勿論、看守の監視はあり、更にその看守達は祝祭の日だというのにこんな監視を任されているので気が立っている。うっかり機嫌を損ねてサーベルの鞘で殴られる囚人もちらほら見かけられるが、概ね、刑務所内は平和だった。
そしてエルヴィスとグレンは食事当番として調理室に居た。
普段、食事や洗濯の当番に選ばれた囚人は、その日の午前や午後の作業の代わりに調理や洗濯を行うのだ。だが、作業が元々無い今日のような日は、純粋に働き損となる。それだけに、グレンとエルヴィスが他の囚人達に『祝祭の日の当番を代わろうか』と持ち掛ければ、皆が二つ返事で交代に応じた。
「ところで、まあ、今日は別として……私はよく君と当番が一緒になるな」
洗濯当番の時もそうだったが、他にも何度か、グレンはエルヴィスと同じ業務の担当になっている。シャワールームの清掃や、食材や資材の搬入出。それらの当番も、大抵、グレンとエルヴィスが一緒になっていた。
「当然だろ。俺がそうなるようにしてるんだから」
すると、エルヴィスはさも当然、とばかりにそう言う。グレンはこれに少々驚かされた。
「どうせ仕事をするなら、話せる奴が隣に居た方がいいからな。悪いが、細工させてもらった」
どうやら、グレンはこのエルフに相当、気に入られているらしい。エルヴィスは決して、他の人間達に対して非友好的というわけではない。むしろ、人当たりは良い方だろう。だが……それでも、特定の人間とつるんでいるわけではなく、どこか一線を引いているようにも見える。その中でグレンだけは、少々特別らしかった。
「31年このムショに居て、初めてなんだ。このムショの中で植物を育てようとする奴は」
エルヴィスは少し言い訳するように、そう言葉を重ねる。
「俺もエルフだし、植物があるのはありがたい。それに、植物を育てようとする奴が居るのは、もっとありがたい。エルフは植物の友だ。それで、お前は植物の友なんだろう?で……人間達の言葉には、こういうのがあるだろ。『友達の友達は、友達』って」
エルヴィスの言葉を聞いて、思わずグレンは笑ってしまった。
愉快だった。非常に。こんな刑務所の中でも、真っ当に真っ当な友人ができるなんて、思わなかった!
「そうだね。違いない」
「まあ……そういう訳で楽しくやろうぜ。まずは玉ねぎを刻むところからだ」
エルヴィスはにやりと笑うと、ドン、と調理台の上に玉ねぎの麻袋を乗せる。中にはころころと、玉ねぎが入っていた。
「分かった。何を作るんだ?」
食材を見るのは久しぶりだ。グレンはかつて自分で自分の料理を作っていたことを思いだしながらそう尋ねると、エルヴィスはにやりと笑って応えた。
「耐冷魔法の見返りに貰った『対価』を使って、まあ、ちょっといい飯を作ろうと思ってね」
そうして2人の調理の結果、玉ねぎのソースが掛けられたチキンのローストがその日の夕食になった。
飴色になるまで炒めた玉ねぎに塩と白ワインを加えて煮たソースが、鶏肉によく合う。付け合わせはグレンが作ったローズマリーポテト。グレンの得意料理だ。グレンの恋人の好物でもあったそれを、グレンは随分と久しぶりに口にした。
いつもの野菜スープも、丁寧に作れば別物かと思う程に美味い。野菜の皮や芯をしっかり炒めて煮込んで出汁を取り、チキンをオーブンで焼いた後の鉄板に残った肉汁や脂と合わせてスープを作るのだ。
このようにグレンとエルヴィスが作った食事は、囚人達に大変喜ばれた。
囚人達は普段、『優等生』の2人を遠巻きに眺めていることが多かったが、その中でも比較的社交的で善良な囚人が2人に話しかけ始めると、他の囚人達も、一言二言、話していった。
「料理ってのも面白いな。手を掛けた分だけ美味くなる。食っちまうと無くなっちまうのが惜しいが」
「これも成果が分かりやすくていいね。大反響だ」
調理場で2人、こっそり多めに取り分けた食事を摂りながら笑い合う。
「さっき、『明日から毎日お前らが食事当番をやってくれ』って頼まれたよ」
「へえ。なんて答えたんだ?」
「『明日から毎日祝祭だったらそうするよ』って答えた」
グレンの答えにエルヴィスは笑って、それから、ふと、思い出したように懐を探る。……そして。
「飲むか?ホットワインだ」
エルヴィスが取り出した2本の瓶の中で、赤い液体がゆらりと揺れている。蓋を開ければ、ふわり、と葡萄酒とスパイスの香りが広がった。
「まあ、ちょっとあっためて飲んだ方が美味いだろうな、これ。瓶ごと湯に入れてあっためるか」
「どうしたんだ、それ」
早速うきうきと湯を沸かし始めたエルヴィスを見て、グレンは驚く。ワインなど、こんな環境で手に入るわけがないのだが……。
「この間の奉仕作業で瓶を拾ったからな。瓶があれば液体をちょろまかせるってわけだ。で、看守は冬の間皆、朝にも夜にも、ホットワインを飲んでいて、俺はその朝食にお邪魔してる」
「ああ、成程……」
まさか、看守達からシナモンやスターアニスのみならず、ワインまでもを盗み出してくるとは。『優等生』は流石である。
やがて、瓶の中のワインが温まる。2人はそれらを掲げて、祝杯とした。
温かく甘く香辛料の効いたワインは、こんな場所で飲むには上等すぎる程の味わいだ。祝祭を祝う気などまるで無い2人だが、その割に随分と楽しく、祝祭の夜を過ごすことができたのだった。
それからまた季節は巡り、春の気配がブラックストーン刑務所にもやってきた。
雪が徐々に解けて泥濘へと変わっていく季節、グレンは少々緊張しながら作業部屋でエルヴィスの到着を待っていた。
……それもそのはず。エルヴィスは今日、ついに、看守達へ交渉に出たのだ。
グレンはその結果を待ちながら、そわそわと落ち着きなく脚を組み替えたり、指を組んだり、解いたり、と動いていたが……。
「聞いてくれ、グレン!」
そこへエルヴィスがやってくる。その表情の明るさを見て、グレンは自分達の望みが叶ったことを知る。
「やったか!?」
「ああ、やった!」
エルヴィスはグレンへ駆け寄って、満面の笑みを浮かべた。
「花壇の許可が下りた!」
2人は暫し、喜び合った。他の囚人達は一体何事か、と驚いていたが、そんなものが気にならないくらい、喜んだ。
今までこそこそと隠れて世話していた花壇を、これからは堂々と世話することができる。
隠しておくためにしていた工夫も、もう必要ない。それどころか、これから花壇を拡大していくことだってできるだろう。
「まあ、喜んでばかりもいられないんだが」
……だが、一頻り喜んだエルヴィスは、ふと、『やれやれ』とばかりに肩を竦めた。
「……条件付きの許可だったのか?」
これにグレンも緊張する。良い知らせの後には悪い知らせがあると相場が決まっているものだ。
だが……エルヴィスは、なんとも気の抜けた顔をして、のんびりと言う。
「いや?連中、条件を付けるのもめんどくさいらしい。精々『作業に支障が出ない程度に』って言われたくらいだな。何もなく、ただ本当に、花壇の許可が下りたんだ」
「が、花の種や苗を買う許可は下りなかった」
……成程。
条件付きの許可を出すのも面倒がる看守達なら、当然、花の種や苗を仕入れることも面倒がるわけである。