清く正しく*2
「……えっ?」
「エルフの魔法を前提とした装備品しか支給されていないというのは間違っている。正しくない」
クラークが説明する間も、エルヴィス・フローレイ他、囚人達は、皆、困惑気味に気の抜けた顔をしていた。
「あ、そっち……あー、そうくるのかあ……」
「何か不満があるか?」
「いや……不満、うーん……?」
クラークの前で、エルヴィス・フローレイは首を傾げ、周りの囚人達はにこにこしていたり、『変な看守だ!』とはしゃいだりしている。心外である。クラークが『変な看守』なのではなく、この刑務所の状況が『変』なのだ。
「……えーと、クラーク・シガーさん?多分……その、これ、今まで見て見ぬふりされてたのって、そうすることで囚人用の防寒具の費用を削減できるからってことだと思うんですけど」
「だがそれは正しくはないだろう」
「まあ、そりゃそうだ」
エルヴィス・フローレイは、『うーん』と唸りつつ、何やらどこか楽し気な顔をしている。
「……或いは、エルフの魔法に頼る必要があるというのであれば、それを規則に盛り込むべきだ。隠れて囚人達を魔法に巻き込むのではなく、囚人も含めた全員に魔法をいきわたらせることを所内の全員が承認しているべきだろう」
「あ、さらにそうくるのかあ……」
クラークがそう続けると、エルヴィス・フローレイはいよいよ目を輝かせて、じっとクラークを見つめてくる。エルヴィス・フローレイに見つめられると、まるで森の中を見ているような気分になる。なんとなく、妙な心地であった。
クラークがそれでもじっと見返していると……やがて、エルヴィス・フローレイは、にっ、と明るく笑って手を差し出してきた。
「……なんか、あんたとは楽しくやれそうだなあ。よろしく、クラーク・シガーさん。俺はエルヴィス・フローレイ。終身刑のエルフだ」
「知っているが……?」
「情報として、じゃなくて、俺本人からの挨拶、ってことで。ま、よろしく」
クラークが困惑している間に、エルヴィス・フローレイはクラークの手を取って勝手に握手していた。振り払うこともできたが、クラークはその是非を考える気力が無かったので、ただなされるがまま、握手した。
その日の内に、クラークは所長に『囚人達の防寒具があまりにも足りない』という訴えを出した。所長は面倒そうではあったが、訴えがあった以上は動かないわけにはいかないらしく、早速、コートや手袋など、囚人達の防寒具を発注する運びとなった。
防寒具の発注手続きはクラークが担当することになった。『仕事を増やした以上はお前がやれ』ということらしいが、クラークとしては特段文句は無い。どのコートが良いだろうか、と、カタログを見ながら悩むのは、多少、楽しかった。
そう。この刑務所が多少、正しい方へ向いたように思えて、多少、楽しかったのだ。
「エルヴィス・フローレイ」
翌日、クラークはエルヴィス・フローレイを呼び止めた。
休憩時間中だった彼は、中庭に居た。中庭では雪に埋もれた花壇があるのだが、エルヴィス・フローレイ他数名の囚人達はこの花壇の手入れをしていたらしい。
「コートや手袋など、防寒具の支給が決定した」
「えっマジかぁ……やるなあ」
エルヴィス・フローレイが驚く横で、他の囚人達も『おおー』と歓声を上げながら小さくぱちぱちと拍手し始めた。なんとも気の抜けた囚人達である。
「囚人側には、防寒具の材質や色柄などの希望はあるか?」
「それ、俺達に聞いていいモンなんですか?」
「聞いてはいけないということもないだろう。刑務所の役割は囚人達の望みを叶えることではないが、囚人達の望みを潰すことでもない」
そうだろう、と確認するような気持ちで聞くと、エルヴィス・フローレイはにこにこと嬉しそうに頷いた。
「なんかあんた、4代前の所長さんにちょっと似てるなあ」
……そして、呟かれた言葉に、クラークは少々、驚かされる。『4代前の所長』というのは、ブラックストーン刑務所内で贈賄事件があった後の所長のことで……彼がこのブラックストーンを立て直したのだと、聞いている。
当時から既に、国内は腐敗が蔓延し始めていたわけだが、それを経ても未だブラックストーンが規律に守られた刑務所として残っているのは、当時の所長の功績が大きかったらしい。
「うん、クラーク・シガーさんね。よしよし、覚えてるぜ」
エルヴィス・フローレイは何やら楽し気にそう言ってにこにこしているのだが、囚人に名前を覚えられるというのは、良いことなのか、悪いことなのか。
「エルフは恩を忘れない生き物だ。あんたがいい意味で真面目な奴だってこと、ちゃんと覚えておくよ」
「……そうか」
クラークは何となく『失敗しただろうか』というような気分のまま、妙に嬉しそうなにこにこ顔の囚人達の前から去る。
ひとまず、コートの発注はこれで済みそうだ。仕事が片付いたことについては、素直に喜ぶべきだろう。
それから1か月も経たない内に、発注した防寒具が届いた。
それらは屋外作業を行う囚人達に貸し出され、彼らは防寒具でふくふくと温まりながら雪掻き作業に従事することになったのである。
クラークはそれらを眺めながら、多少、満足していた。
……囚人達について、思うところはある。彼らは犯罪者であり、要は、大抵の場合、法を守る意識の無い者か、法を守る能力の無い者、そのどちらかである。
だが、そんな彼らも、法に定められた通り、不当な扱いを受けてはいけない存在なのだ。クラークはそう、考えている。
囚人を擁護するつもりはないが、囚人相手に暴力を振るうなどの正しくない行いをして憂さ晴らししたいとも思わない。……その延長線上にあるのだろうが、囚人達が寒さに震えることなくぬくぬくと作業できること、そして肺炎や凍傷を患うことなく過ごせそうであることについて、クラークは満足感を覚えるのだ。
それに……やはり、囚人達の中には、『正しい』行いをしようとした結果、ここに居る者も居るのだ。彼らがこれ以上不当な扱いを受けないように努力できる立場にあるのだから、クラークは多少、幸福なのだろう。
「よお、クラーク・シガーさん」
そんなクラークに、声を掛けてくる者がある。聞き覚えのある声に振り返れば、やはり、そこにはエルヴィス・フローレイが居た。
「これ、あったかいよ。ありがとうな」
エルヴィス・フローレイは、クラークが発注した防寒具に身を包んでいた。白い雪の中でも見失わない、緑のコート。茶色で揃えられた雪用のブーツと手袋。ついでに、手袋に包まれた手には雪掻き用のスコップを握っている。
「それはよかった」
クラークはエルヴィス・フローレイを一瞥して、すぐ自分の職務に戻る。今日のクラークの仕事は、外壁に張り巡らされたパイプの点検だ。過去にパイプを点検せずにいたせいで漏水事故が発生したこともあるらしいので、看守自らこうした点検を行っている。
「……なあ、あんたさあ」
そんなクラークを見て、エルヴィス・フローレイは首を傾げる。
「ちょっと、他の看守とは違うよな」
少しばかりどきりとさせられながら、クラークはエルヴィス・フローレイを睨みつける。
「……何が言いたい」
だが、睨まれても尚、エルヴィス・フローレイは目をぱちぱちと瞬かせつつ、首を傾げて楽し気にしているばかりである。
「いや、滅茶苦茶に真面目だよなあ、と思ってさ。他の看守はそんなに真面目にパイプの点検なんてしないぜ」
「……そうか」
それはそうだろうな、とクラークは思う。以前、食堂で話しかけてきた看守などは、パイプの点検について『サボってやりゃあいいんだ』と豪語していた。クラークはああいった手合いに嫌悪感を抱いているが。
「それに、俺達囚人のことなんて、一々気にしてない」
「そうか」
それもそうだろう。囚人に対して、憂さ晴らしの対象だという程度にしか思っていない看守も、居る。実際、囚人にそのような扱いをしている看守を見ることもある。
だが、クラークはそうしない。囚人を大切に思っているからではない。ただ、『正しい』からそうしているだけだ。
「それから、とっつきやすい。あと、ちゃんと物事を考えて生きてる人間ってかんじがする。あんた、割と頭いいだろ」
……だからこそ、このようにエルヴィス・フローレイに言われて困惑している。
『真面目だ』とは、今までも散々言われてきた。それを多少、苦に思ったこともある。今は開き直って、『そうだ、真面目で何が悪い』と思えるようになったが。
だが……まさか、『とっつきやすい』と言われるとは。
「そうは思わないが」
「そうかぁ?うーん、あんた、そういう奴のような気がするけれどなあ」
こういう時にどういう反応を返せばいいのか、よく分からない。結局、クラークはエルヴィス・フローレイをさておいて、パイプの点検に戻る。
「なあ、1つ、頼みがあるんだけれど」
そんな折、エルヴィス・フローレイはふと、そんなことを言ってくる。
これにクラークは、大いに警戒した。それと同時に、先程までの彼の言動についても意図を理解する。
要は、エルヴィス・フローレイは看守の中で多少はぐれ者に見えるクラークに目を付けて、懐柔して何か要求を呑ませようと近づいてきたのだろう、と。
……すると。
「これ。拾っちまったんだよ」
エルヴィス・フローレイは、ずっとコートの中に隠しておいたらしいノートを一冊、そっと、クラークに渡してきた。
クラークはそれを警戒しながら確認する。
「あんたに任せるよ。……まあ、揉み消したって、別にいいんだけどな」
エルヴィス・フローレイは何気ないように、しかし、多少緊張した表情でそう、言った。
「……いや」
クラークはノートの中身を確認して……そのノートをそっと、自分のコートの中へとしまい込んだ。
「然るべき機関に通報する」
ノートの中には、看守数名の横領の証拠となるものが記録されていたのである。