白百合の為の葦笛独奏曲
「余命1年と言われてから1年半。結構頑張った方だったんじゃないかな」
レナードは医務室のベッドに体を横たえたまま、エルヴィスにそう、笑いかけた。
「……痛むか」
一方のエルヴィスは、笑うどころではない。只々心配そうで、そして、悲しそうだ。覚悟を決めたからといって、全ての感情にけりがつくわけではない。
「いや、全然。すごいね、エルフ印の痛み止め!おかげで痛くも苦しくもないんだ!……でも、やっぱりというか、ちょっと、体が動かしにくくてね。力が入らないかんじだ。動こうとすると、体が『やめろ』って言ってくるかんじ」
レナードは不思議そうな顔をしながら手を握ったり開いたりする。手にも力が入りにくいが、体全体がこの調子だ。ずっと立っていると眩暈がしてくるので、横になっている。いよいよ、調子が悪い、ということなのだろう。
「それでも、大分楽だよ。本当にありがとう、エルヴィス」
「ん……」
それでも今、レナードがごく自然な調子で会話できているのは、間違いなく痛み止めのおかげであり、エルヴィスのおかげなのだ。
死から逃れることはできないが、その苦しみから逃れ、よりよい生を全うすることはできる。そしてそれを叶えてもらえた。これがどれほど幸運なことか、レナードは十分に知っている。
「さて……多分、春は迎えられないね、これは」
「……そうか」
「うん」
エルヴィスの表情がどんどん暗くなっていくのを見て、レナードは苦笑する。できればこんな顔はさせたくなかったが。
「まあ……えーと、そうだな。君を置いていくことについては、少しばかり、罪悪感があるなあ。うん、申し訳ない」
「謝るなよ、そんなこと」
だがエルヴィスの言う通りだ。仕方がない。人間がエルフを置いていくのは、仕方のないことだ。……だが、それでも、できる限りのことは、していきたい。だってこのエルフは、レナードの友人なのだから。たった1年と少しの付き合いだったとしても。
「そうだなあ……えーとね、エルヴィス。ここには庭があるだろ?それはグレンさんが遺したものだ。ブラックストーンの庭の美しさは、彼が生み出して、そして君がここに居る限り、ずっと残り続けるものだ。植物の世話をしていれば、君の悲しみには植物が寄り添ってくれる。そうだろう?」
「ああ」
ブラックストーンの庭は、美しい。そこに横たわる歴史ごと、全てが美しい。
何人もの人間が、この終身刑のエルフと共に作り上げてきたこの庭は、思いやりと友情と、善意に満ち溢れている。……きっと、この庭に携わった全ての人間が、1人のエルフのことを思って、この庭に手を加えてきたから。
だから、この庭は美しい。美しく、優しい。
グレン・トレヴァーが死んでも、この庭は残り続ける。終身刑のエルフと共に。
「僕についても、そうだ。僕は庭にはあまり貢献できなかったけれど、別のものには結構な貢献をできたと自負しているよ。僕が遺していくのは……」
「音楽。そうだろ?」
「うん。その通り」
エルヴィスが少々無理して笑うので、レナードもほやり、と笑う。自分がここに、エルヴィスの中に残せたものがあったと確かめられたことが、嬉しい。
「幾多の人間が死んで、そして、その命の欠片を遺してきた。そうして積みあがったものが、僕らを支えている。世界全体でも、この刑務所の中でも、僕ら個人個人にとっても。……僕は最近、そういうことを思うんだ」
人は死ぬが、生が無意味であったことにはならない。残っていくものは確かに在って、それが、この世界を支えている。
だから、死ぬのは怖くない。……否、少しばかり怖くはあるが、それはそれだ。
納得は、いく。死んでもいいと思えている。死ぬのは多少怖いが、悲しくは、ない。
「音楽は、きっと君の役に立つよ」
「そうだな……」
エルヴィスが、人間達の死から早めに立ち直れるといいなあ、と、レナードは思う。こうして、死を悲しまない人間の姿を見せることで、多少、エルヴィスが割り切る助けになるだろうか。
「あ、そうだ。君にこれを渡しておこう」
それからレナードは思い出して、ポケットにずっと入れてあった紙を取り出し、エルヴィスに手渡す。
「ご注文の曲だよ。僕の曲だ。『終身刑のエルフ』ほどの傑作じゃあないが、まあ、ちょっと吹いて楽しむ分には丁度いいと思うよ」
エルヴィスはかさかさと紙を開いて、中を見る。
……折り畳まれた紙に記してあるものは、楽譜だ。多少手が震えて、線がぶれたところもあるが、まあ、読み解くのにはまるで問題が無いだろう。
葦笛で演奏することを想定して作った曲だ。音符を辿ってみれば、軽やかで、なんとも上機嫌な曲であろうことが分かるだろう。
「時々、演奏してくれたら嬉しいな」
レナードはそう、エルヴィスに微笑みかける。
……が。
「おま……お前、もうちょっと、なんか、こう、なかったのか」
エルヴィスは、なんとも気の抜けた顔をしてしまった。
「え?何が?」
「タイトルが!」
「えっ!?駄目かい!?」
……尚、この音楽のタイトルは『丸出し野郎』とした。レナードとしては『中々ゴキゲンでいいタイトルだよね!』と思っている。
ついでに、エルヴィスが悲しむより先に呆れてくれるんだから、やっぱりいいタイトルじゃないか!とも。
それから。
ブラックストーン刑務所の医務室では、ぴるるる、と葦笛の音が軽やかに響いていた。演奏されている曲は『丸出し野郎』という実に素晴らしいタイトルであったが、曲自体は軽やかで上機嫌で、少々茶目っ気もあって、そして案外高難易度の曲、といったところである。
エルヴィスはレナードの枕元で早速『丸出し野郎』を吹きこなして聞かせつつ、レナードとの会話を楽しんだ。
レナードには連日、見舞客が来た。見舞客は皆、レナードとの会話を楽しみもしたが、何より、音楽を演奏していった。
エルヴィスが葦笛を吹くこともあれば、ギター二重奏が静かに演奏されることもあった。決して広くない医務室に合唱団とタンバリンマスターがぎっちりと詰まって『タンバリンマスターを讃える歌』の替え歌である『ブラックストーン刑務所の歌』を披露したこともあった。
『おおブラックストーン刑務所、その庭の美しさになんとなく心が和む、ららららら……』と元気に歌われては、レナードもにっこり笑うしかない。
……そうして、レナードの傍は、死に瀕した重病人を囲む人々にしては明るい表情の者達で埋め尽くされ、音楽が絶えず、賑やかであった。
レナードはそれらを見て、聞いて、楽しそうにしていた。
歌ったり笛を吹いたりできる程には体力が無いらしく、ただ、聞くばかりであったが……それでもレナードは、ずっと音楽に触れていた。
レナードが育てた音楽が、レナードをずっと包み込んでいた。
そうして、その日の夜、エルヴィスはシャワー室からの帰りに少々寄り道して、食堂へ行く前に医務室へ寄っていく。
「おーい、レナードぉ」
しゃっ、と遠慮なくベッドの仕切りのカーテンを開けて、枕元に置きっぱなしになっている椅子に腰かける。
そうして見下ろしたレナードの顔は、随分と静かで、穏やかであった。
「……レナード?」
声を掛けてみても、静かだ。身じろぎもせず、レナードはただ、ベッドの上に横たわっていた。
「レナード、おい、レナー……」
もう一度声を掛けて、それからエルヴィスは、ようやく気付く。
「……そっかぁ」
ゆるゆると、息を吐き出す。
息を吐いて、そのまま息を止める。自分の中から何かが漏れていってしまわないように。
そのまましばらくじっと、レナードを見つめていた。
息を止めていた分、胸が苦しくなって、限界が来て、大きく息を吸う。そのまま何度か、吸って、吐く。不規則に乱れた呼吸の音だけが、医務室に響く。
……エルヴィスは半ば無理矢理、意識して、呼吸を整えた。ふと気が緩んだらまた乱れそうな呼吸を整えて……葦笛を取り出して、吹く。
吹くのは、『白百合の為の葦笛二重奏』だ。『丸出し野郎』を吹くほど楽しい気分にはなれなかったから、これが丁度いいように思えた。
二重奏曲を一人で吹けば、半分ほど足りない音楽が生まれる。音楽祭で吹いた時はどうだったか、本当ならここにどういう音が入ってくるのだったか。それらを思い出しながら、エルヴィスは二重奏の片割れを吹き続ける。
……思い出していると、また、呼吸が乱れてくる。抑えようとしても息が乱れて、演奏は徐々に歪んでいった。
それでもエルヴィスは『白百合の為の葦笛二重奏』を吹き続けた。かつん、と床に落ちて転がった宝石を足で踏んで隠して、ただ1人、葦笛を吹き続けた。
時折消え入りそうに掠れる演奏に、かつん、かつん、と小さく硬い音が混じりながら、『白百合の為の葦笛二重奏』は最後まで、医務室に響き渡った。
3章終了です。次回更新は5月16日(火)を予定しております。