親愛なる死よ*5
そうして音楽祭の日がやってきた。エルヴィスは時折、悲しそうな顔をしていることもあったが、悲しんでばかりもいられなかった。何故なら彼もまた、奏者なので。
……それに、音楽祭の日は、刑務所の外に出られる貴重な日でもある。そして、エルヴィスは刑務所の外で、会わなければならない人が居て、その人に渡さなければならないものがあって、伝えなければならないことがあって……つまり、やっぱり悲しんでばかりもいられないのである。
音楽祭の日は、前回同様、屋台を並べて客を歓迎した。
レナードとエルヴィスは、今回は正式に所長に認められた花屋を開いていたし、他の屋台ではソーセージを焼いたり、アイスクリームを売ったりしていた。タンバリンマスターはワッフルを焼き続けており、暇になるとタンバリンを叩いていた。尤も、彼のタンバリンには集客効果があるため、その暇はすぐに消えてしまうのだが。
……そして、音楽ホールの開場時間がもうすぐ来る、という頃。
「花をくれ」
ぬっ、と花屋に影が差す。レナードが見上げれば、そこには長身の男……アイザック・ブラッドリーが居た。
そう。彼こそが、エルヴィスが会わなければならない人である。
「……またちょっと見ない間に、老けたな」
エルヴィスはそう、アイザックに苦笑を向ける。それにアイザックは『うるせえ』とまた苦笑を返し……そして、ふと、表情を曇らせた。
「義父さんが、死んだ。聞いたと思うが」
「……ああ。聞いた」
2人はそこでお互いに黙り、そして、どちらからともなく歩み寄って、軽く抱き合った。生きている者同士でくっついて、『まだ生きているものがあるのだ』と思わねば、やっていられない。
……逆に、そう思えば、案外やっていける。悲しみは中々消えないが、そこに喜びを上書きしていくことはできるのだから。
「で、そっちはちょっと見ない間に、でかくなったな!」
悲しみから一転、楽し気な表情へと切り替えたエルヴィスは、アイザックの後ろ……彼の妻であるエリカと、その子供達を見て目を輝かせた。
「エルヴィス!こんにちは!」
「エルヴィスは大きくならないなあ」
「俺、もうエルヴィスの身長、抜かしたぜ。ほら」
3人の子供達……アイザックとエリカの子であり、グレンとアイリスの孫である彼らは、育ち盛りの子供達らしく、今日も元気で明るい。
エルフからしてみれば、人間の子供はびっくりするほど生命力に溢れている生き物だ。彼らはエルヴィスにとって眩しく感じる程で、見ていると気分が明るくなる。
「よお、ラウルス。お前、いつのまにこんなにでかくなった?」
「夏の間、急に伸びたんだよ。まあ、親父の子なわけだから、自分がでかくなるってのは分かってたけどよ。へへ」
「下手したら俺よりでかくなりそうだな」
一番上の子、ラウルス・ブラッドリーは、もうエルヴィスの身長を超える程である。アイザックの子である以上、大きくなるんだろうなあ、とは思っていたが。だが、その笑い方はなんとなく、エリカに似ているように思われた。にこにこと明るく、愛想がいい。
……いや、もしかすると、そのアイザック自身が、エリカ寄りになっているのかもしれない。笑い方が随分と柔らかく、穏やかだ。エリカと一緒に過ごすうちに、アイザックも随分と穏やかになった。元々その素質はあったけれどなあ、とエルヴィスはにこにこ笑う。
「エバニもでかくなっちまって……あ、お前、学校合格したんだって?おめでとう」
「ありがとう。これでトレヴァー弁護士事務所が継げそうだし、エルフと囚人専門の弁護士、っていうニッチな仕事がこの世に残り続けそうだよ」
「あらあら、エバニ。あなた、卒業もしていないのに気が早いわよ!ママは甘くありませんからね!」
次男のエバニ・ブラッドリーは、小さいころから法学に興味を示していた。そして今、エリカやアイリスと同じく弁護士の道へ進もうとしている。
彼らがエルフを気遣ってくれているのは、知っている。エルヴィスはかつて、アイリスからそう、聞いていた。『後継者を必ず育てて、人間とエルフの架け橋が落ちないようにしてあげるからね』と。
……そんな彼らだからこそ、エルフは皆、この一家を気に入っている。ずっと一緒に居てくれる人間達は、エルフにとって貴重な友人だ。
「アイレクス。お前、またエルフに攫われそうになってないか?」
「うん。なってるよ!でも『俺はエリカとアイザックの子だから駄目!』って言って断ってる」
「あああー……ごめんなあ、エルフは気に入ったもんあると、諦めが悪いから……」
末っ子のアイレクスは、兄2人と比べると小柄だ。そして、一番エリカに似ている子であり……グレンに似ている子でもある。
「お前、花屋やるんなら本当に気を付けないとなあ」
「うん。父さんが『これで武装してけ』って魔導機関のへんなやついっぱいくれる。なんか、雷出るやつとか」
「それなら大丈夫だな!」
……そして、アイレクスは珍しく、人間でありながらポーションづくりの才能を発揮している、不思議な子でもある。人間なので魔法が使えるわけではないが、魔法の要素を肌で感じて、その感性によってポーションを作ることができているらしい。
花屋も継ぐ気らしく、本当に幼い頃からグレンについて行ってはエルフの森で遊び、エルフ達からすっかり大人気となっているのだとか。
こいつ、いつかエルフの森に攫われるかもしれない、と、エルヴィスは内心ひやひやしている。
「まあ……皆、でかくなったもんだよなあ」
エルヴィスはブラッドリー一家を見て、笑う。
生まれて、育って、死んでいって……けれどまた、生まれて、育っていく。それを確認できたから、悲しみは少しばかり、和らいだ。まだこの世には希望の芽が沢山あるのだと、思い出すことができる。
「さあ、花束ですよ!どうぞ!」
そこへ、レナードが花束を作って渡す。コスモスやエリカといった素朴ながら美しい花をたっぷりと使った花束は、ふわふわと風に揺れて、なんとも秋らしい。
「あら、レナードさん、こんにちは!」
「おや、覚えておられましたか!光栄だ!」
「ええ。だってあなたのピアノ、本当に素敵だったから!」
花束を受け取ったエリカは満面の笑みを浮かべる。花束よりこちらの方が美しいものだから、レナードは思わずにっこりしてしまう。
「今日も弾いてくれるんでしょう?楽しみにしてるわ!」
「前回同様、是非最前列でお楽しみください!エルヴィスも出演しますからね!」
「あっ、なあ、レナードさん。タンバリンの人、今日も出る?俺、あの人のタンバリン楽しみにしてきたんだけどよ」
「出るとも!……えーと、多分、ワッフル屋さんが暇になるとタンバリンを叩いてるよ、彼」
ラウルスとの会話が聞こえていたわけではないのだろうが、唐突に向こうの方からしゃんしゃんしゃんしゃん、とタンバリンの音が聞こえてくる。『ほらね』とレナードが笑えば、『ほんとだ』とラウルスも笑った。
「じゃあ、これ、お釣り」
一方でアイザックから花束の代金を受け取っていたエルヴィスは……釣り銭が出ない会計だったにもかかわらず、そっと、小さな包みをアイザックの手の平に載せた。
「なんだこれ」
「帰ってから開けろ。で、グレンの墓に供えてくれ。適当に供えたら適当に使っちまっていいが、出処は言うなよ」
小さな紙包みは、その中にエルフの涙が入っている。
……宝石をどうするべきかは、エルヴィスの中でもう、決めてあった。悲しみの元へ返すのが自然というものだろう。
「……それから、代わりに謝っておいてほしい。『エルフの涙は宝石になんかならない』ってのは嘘だ、って。ああ、それから、『本当に悲しい時にはこうなっちまうんだぞ』って文句も言っておいてくれよ」
「……分かった。そうする」
アイザックは小さな包みを懐にしまうと、じっと、静かに悲しみに表情を陰らせ……それから、そわ、と落ち着かなげに動く。
「ん。よしよし、お前もでかくなったもんなあ。でも俺はお前より年上なんだぜ」
そんなアイザックをまた軽く抱きしめてやって、エルヴィスは年上ぶる。こうしていれば、死んだ者への悲しみに潰されず、生きている者のために生きていけるから。
「年上っつうかジジイだろ」
「エルフの中じゃそこまで年寄りじゃないぞ。若者の部類だ!お兄さんと呼べ!」
アイザックが笑みを浮かべたのを見てエルヴィスも笑う。アイザックにとっても、当然エリカにとっても、グレンの死は大きな出来事であるはずだ。だが……彼らは大丈夫だろうな、とも思う。彼らには愛する息子が3人もいる。生きている者のために、生きていける。
だから俺も元気出さなきゃなあ、と、エルヴィスはまた、笑うのだった。
「彼ら、良い家族だねえ」
「あー、お前はあそこの子供達見るのは初めてか?上から順に、ラウルス、エバニ、アイレクスだ」
「月桂樹と黒檀と柊かあ。……花屋さんっぽいね!」
「女の子が生まれてたら花の名前を付ける予定だったらしいぞ。でも男ばっかり生まれてくるから木ばっかりだ」
レナードとエルヴィスは笑い合い、去っていくブラッドリー一家を眺める。彼らは演奏会の開場まで、もうしばらく屋台を楽しんでくる予定らしい。
「君の涙、何かの役に立つといいね」
「そうだな。ただ飾って眺めとくだけでもまあ、いいんだが。エルフの涙は珍しいっちゃ珍しいし、悲しみの塊を時々取り出してきて眺めるのは、悲しみと向き合うのに役立つと思うからな。エルフはそうしてる」
エルヴィスは大きく伸びをすると、はあ、と息を吐いて、ここへ来る前より随分明るくなった顔で笑う。
「でもまあ、できることなら、埋めてもらってゆっくり土に還るとか、ポーションの材料にしてもらうとかして、何かの役に立ててくれると嬉しいな」
「ああ、アイレクス君だっけ?あの、ポーションを作れる人間の子。彼、使ってくれるといいねえ」
未来あるブラッドリー一家の様子は、未来があまり無いレナードにも明るく眩しく、美しく見えた。やはり、美しいものは良い。見るだけで元気になれる。
「残るもんがあって、死んだあとも未来に続くもんがあって……うん、良いことだよなあ」
「うーん、僕も何か遺さねば……いや、もう僕はタンバリンマスターを発掘できたことだし、役目は終えたような気もする」
死に対して前向きなレナードは、エルヴィスがグレンの死を受け止めて消化していくのに間違いなく役立っていた。
「あ、そうだ。レナード、お前、折角作曲するなら、お前の曲、作ってから死んでくれよ」
「え?」
「俺、寂しい時にはそれを演奏して過ごすから」
友人が死んだ後の話を、友人とできるのだから、幸せなことである。
エルヴィスはその遠くない『いつか』を思いつつ、懐に入れた葦笛に触れた。
そうして演奏会が開場すると、大勢の人がホールに集まる。前回も多くの人が詰めかけていたホールは遂に満席を超え、立ち見の客までもが現れるようになっていた。
これには新所長も驚き、『これほどまでとは』と唸っていた。彼は儲けには一切興味が無いようだったが、寄付が集まればそれを刑務所の看守や囚人へ還元できる、と、少々ほくほくしている。
そして、そんな観客席の最前列には、前回同様、ブラッドリー一家が座ってにこにこしていた。
そんな会場の中へ出ていったレナードは、ブラッドリー一家に向けてにっこり笑って、そして、開演を告げる。
「皆さん、ようこそ!ブラックストーン刑務所演奏会へ!今日はどうか、楽しんでいってくださいね!」