小さな花壇*2
その日の休憩時間にグレンがエルヴィスを案内したのは、中庭の片隅だ。秋にはヒースが生い茂っていた、あのあたりである。
今やそれらもすっかり雪に覆われ、枯れたヒースの枝が雪からぴょこぴょこと飛び出しているばかりなのだが……。
「ん?生きてる植物があるな。割と元気だ」
エルヴィスは不思議そうな顔をしながら、そっと、その一角に近づいていく。
「元気だって?そりゃあよかった」
グレンはエルヴィスの言葉に喜びながら、雪の薄い辺りにそっと屈んで、そこにあるものを指差す。
……そこには、枯れたヒースの枝をわんさと積み上げて作った、小さな屋根がある。そして雪除け、霜除けの屋根の下には、ローズマリーと野薔薇の小さな苗木が根を張っているのだ。
「驚いた。いつの間に?」
「剪定作業の後だ。あの時、余分に貰って来た枝で挿し木にしたんだ」
グレンはあの時に拾ってきた枝を、かつて自分の庭でそうしていた様に、挿し木にした。ローズマリーも野薔薇も、案外簡単に根が付く植物だ。本来はもう少し温かい時期に行うべきなので根付くか心配していたが、案外、植物は強い。無事に根付いてくれたようだ。
「ああ……ここ、食堂の調理場の横の壁か。道理で、多少暖かいわけだ」
選んだ場所も、丁度良かったのだろう。グレンは少しでも暖かい場所……調理場の換気口の傍の壁際に、このささやかな花壇を作っていた。丁度、この辺りの壁の中に魔導機関が埋め込まれているらしく、この辺りだけ暖かいのだ。真冬に植物を育てるには丁度いい。
「看守共に見つかったら、下手すると懲罰ものだなあ」
「ああ、刑務所内へ不要物は持ち込み禁止だったな」
そう。見つかったなら、まずいのだ。刑務所内への不要物の持ち込みは、この3か月余りの間にも度々見つかって、度々没収や懲罰沙汰になっている。このささやかな花壇についても、『没収』となる可能性はあるだろう。……勿論、見つかれば、の話だが。
「ま、見つからないだろうが。あいつら、タンポポと薔薇の区別もつかないだろうし、『元々生えていましたよ』って言ってやればそれで済むだろ」
「ああ、やっぱりそう思うか」
2人は笑い合う。……悲しいかな、この世界には植物に意識を払う人間が、然程多くない。ましてや、雑草に近い野薔薇などは特に、そうだろう。
そして、だからこそ、この花壇はそうそう見咎められない。植物に興味の無い看守ばかりであることは、2人にとって好都合だ。
「そういうわけで、どうだろう。他にも色々、生やせないだろうか。一応、イラクサの実は蒔いてあるんだが」
さて。小さな小さな、ささやかにもほどがあるような、そんな花壇の紹介も終わったところで、早速、グレンは相談してみる。森の民、植物の友であるエルフならば、花壇を大いに盛り上げる術も知っているかもしれない。
「そうだなあ……うーん、よし、じゃあやってみるか。おーい……」
すると、エルヴィスは土に向かって、呼びかけた。
……そう。土に向かって、呼びかけたのである。更に、呼びかけに続いてグレンには聞き取れない、不思議な音の並びが続く。エルフの言葉か、と思われた。
さて、これは一体何か、とグレンは訝しんだが、その結果はすぐに分かった。
ぴょこ、と、芽が飛び出してきたのである。地面から。
「……何が起きてる?」
「ん?ちょっとがんばれ、って言ってやっただけさ」
グレンが目を円くして眺める先、ぴょっこり出てきた芽は、間違いなくイラクサと……ヒースのものだ。
「あ、ヒースも起きたか」
「みたいだね……」
グレンは、エルフの魔法に多少慣れたと思っていた。シャワーの修理もできるし、真冬の寒さを防ぐこともできる、と。
……だが、エルフの魔法は、グレンの想像を随分と超えたことをしてくれるらしい。
翌日。
2人は、また中庭の片隅へやってきた。
「真冬に芽吹かせちまったんだから、その分は助けてやらないとな」
エルヴィスはそう言って笑いながら、シナモンスティックを軽く振る。
「葡萄酒と一緒に煮込まれたシナモンスティックだ。火のエレメントは十分すぎるくらいに詰まってる。後はこうして……」
エルヴィスは新芽の近くの壁に、シナモンスティックを擦り付け、模様を描いていく。その上にスターアニスの欠片を擦り付けて更に模様を広げていき、待ち針を刺した胡椒の粒を、土に埋めた。
「このシナモン、看守用の食事で手に入れてきたものだっけ?」
「ああ。スターアニスと胡椒の粒もそうだ。あそこに居ると、火のエレメントが豊富に手に入る。中々悪くない」
「ああ、シナモンは火のエレメントが豊富、なんだっけ?」
「よく覚えてるな。そうだ。シナモンには火のエレメントと、土のエレメントが豊富なんだ。これならシャワーの修理をもうあと五回か六回やってもお釣りがくる」
エルヴィスは嬉しそうにそう説明すると、ふと、壁に描いた模様に触れた。
「そして火は活力を与えるようにも働く。……こういう風に」
……その途端、何か、不思議な力が働いたことは、グレンにも分かった。細かなことなどまるで分からないが、何か……人間にはまるで理解できない何かがそこで動いたのだ、ということだけは、分かる。
「これでよし」
エルヴィスは満足気に頷いて、それから、周囲を見回し、ふむ、と頷く。
「これから春に掛けて、色々上手いこと運び入れて育てれば、ここを花壇にすることもできそうだな」
「そうだね。奉仕作業に出た時に、少しずつ枝や種を持ち帰ってくればいいと思う」
一度町に出てきただけで、ローズマリーに野薔薇にイラクサに、と手に入った。次に出掛けた時には、また更に品種を増やすことができるだろう。
「最初は、できるだけ野生の植物だけでいこう。それで、あたかも自然に生えたように見せかけるんだ。そうしてある程度増えたら、君が看守に『囚人の情操教育のために花壇の世話をしてもいいか』って許可を求めればいけると思う」
「成程な。じゃあ、今年はあんまり珍しくない植物だけ、集めていくか。来年以降に向けて、ある程度、種くらいは仕入れておきたいところだが。ああ、種を新鮮なまま長持ちさせる方法もあるから、もし種を見つけたらできるだけ持って帰ってこよう」
グレンはエルヴィスと2人で相談しながら、次の奉仕作業が早速、楽しみになってきた。そして同時に、何やら活力を得たような気分になる。
……やはり、人間には生き甲斐が必要なのだろう。
そうして2人が奉仕作業の日を待っていると、ようやく、その日がやってきた。
冬も深まり、一年の終わり……祝祭の日が近づいている。その祝いのため、町の神殿を清掃する作業があるらしい。
「毎年、これには参加していなかったんだが、今年は参加するか……」
エルヴィスはそうぼやきつつ、申し込みの手続きを行った。グレンもそれに続くが、エルヴィスの言葉が気になる。
「今まで参加していなかった理由は?神殿なら、庭園があって、そこの手入れもあるだろう?なら、植物に触れられる機会はそれなりにあると思うが」
すると、途端にエルヴィスは渋い顔をする。なんとも気まずげな表情は、今までグレンが見たことの無いものだ。200年以上生きてきたエルフでもこんな顔をするのか、と、グレンは少し面白く思う。
「あー……これを言うと、看守にいい顔をされないんだが」
「どうぞ」
看守達が周りに居ないことを確認してから促すと、エルヴィスは何とも言えない顔で、そっと呟いた。
「エルフは人間の神を信じてないんでね」
呟いてから、エルヴィスはそっと、グレンの表情を窺う。グレンは只々、きょとん、としていたが、エルヴィスにはそれがまた、気まずいらしい。
「別にだから何だって訳じゃない。エルフにとって、人間の神が不愉快だってわけじゃあないさ。ただ、信心深い人間達の中に、全く信仰心の無い俺が混ざるのが、なんだか申し訳ないような気がしてね」
「まあ、居心地は悪いだろうね」
言い訳を重ねるように言うエルヴィスをなんだか面白く思いながら、グレンはエルヴィスを安心させてやるべく……そして何より、自分の中にある思いを確かめるべく、それを言葉にする。
「安心してくれ。私だって、神なんか信じちゃいない」
胸の内で思うだけではなく、言葉にして、自分の脳の外に出す。
それは少々の緊張を伴った。後戻りできないような、そんな感覚をも同時に味わう。
だがそれでも、言ってやりたかった。……そう。言ってやりたかったのだ。
『神なんて居ない』という前提に立っているのではなく、『神は居る』という前提に立って、その上で、『お前なんて信じない』と言ってやりたかった。……神に。
「へえ、そういうもんか」
一方、エルヴィスは信心の無い人間を珍しがっているようだった。グレンの顔を覗き込んで、それから、ふんふん、と納得するように頷く。
「まあ、ムショの中だと、そういう人間の方が多いか」
「ははは。だろうね」
信心深い囚人など、滅多に居ない。罪を犯すような環境に居る者は元々神などに構っていられないのだろうし、罪を犯していないのにここに居るなら余計に神など信じられないだろう。
「そうか。なら遠慮なく、信仰の無いエルフで居られるな」
エルヴィスはあっけらかん、と笑ってそう言う。
「ま、神殿だろうが何だろうが、植物さえあれば何でもいいよな。よし。楽しみになってきた」
「私も楽しみになってきたよ」
祝祭の日を祝う気になどなれないが、植物採集は楽しみだった。そう。神から何かを賜る気は無いが、自分で自分を労うプレゼントを用意するのは悪くない。ましてや、この興味深いエルフも喜びそうなことだ。楽しみにならないわけがない。
「何があるかな。なあ、グレン。人間は神殿に何を植えるんだ?」
「いや、特に決まりはないんじゃないかな……。強いて言うなら、ハーブの類を植えているところは多そうだが」
「ハーブか。いいね。ハーブの類には魔法に使えるものが多いんだ。それに、強いやつはよく育つし」
それから2人はしばらく、『あれがあったら嬉しい』『これがあったら増やしてこう使う』と話し合っていた。
やはり、夢と希望と植物の話は、盛り上がるのだ。
その奉仕作業の日は、珍しく、抽選が行われなかった。というのも、立候補者がそれなりに多かったためだ。
「……神殿の掃除だろ?なんで皆、普段立候補しない奴らが、こんなに?」
「ああ、多分、神殿で振舞われるホットワインとかパンとかが楽しみなんじゃないかな」
馬車の中で揺られながら、グレンはエルヴィスにそう説明してやった。
祝祭の日ともなれば、神殿ではパンやホットワイン、素朴な焼き菓子などを振舞うことが多い。恐らく、奉仕作業に訪れる囚人達にも、それらが振舞われるのだろう。何せ、神は寛大な心をお持ちであり、罪人をも温かく赦されるそうなので。
「成程な。まあ、そういうことなら話は分かる。要は皆、美味いものが好きなんだろ?エルフだってそうだけど」
エルヴィスは納得したように頷いて、そして、馬車の外の景色を鉄格子越しに眺める。
「賑やかだな」
外は、祝祭の前の週ということもあり、人が多い。彼らは囚人達の乗った馬車を気味悪そうに、嫌悪感をたっぷりと込めて見つめている。これには少々、グレンもショックを受ける。自分はこういう目を向けられる存在だったか、と思い知って。
「飾りつけも華やかだな。あれは……あっ」
だが、グレンには落ち込む暇がない。ありがたいことに。
「見ろ、グレン!ほら、街灯に飾ってある飾り。あれは……」
「オリーブの枝だね。ああ、そういえば、祝祭の時にはオリーブの枝を飾る地域もあるんだっけ……」
窓の外に中々よいものを見つけてしまった2人は、諸々を忘れて楽しいことを考えることができる。
「オリーブは挿し木で増えるね。だが、冬に切った枝だと、どうだろうか」
「大丈夫だ。起きろって言ってやれば起きるだろうから」
「つくづく思うんだが、エルフって植物好きから見てみると、こう、狡すぎるね」
あれこれ話して小さく笑って、2人は早速、頭を切り替える。
さあ、植物採集が始まるのだ。