花と音楽の革命*3
そうして季節は廻り、いよいよ、演奏会の当日となる。
会場はブラックストーン刑務所から少し離れた町である。ブラッドリー魔導製薬の工場がある町でもあるので、囚人達は『エリカさんに会えるかもしれない!』『あそこのおチビ達は可愛いからなあ』『親子連れで来てくれないかなあ』とにこにこ顔である。
……尚、今回の魔導機関車は、囚人用と看守用の2台だけではない。看守用だけでも2台あり、囚人用は3台ある。そして所長専用の魔導機関車が1台あり、それぞれに道を走っていく。
当然、この数の囚人達全員が演奏を披露するわけではない。ならば何故、これほどまでの数の囚人が乗り合わせているか、といえば……。
「屋台かあ。所長も考えたよなあ」
そう。囚人達は演奏会の会場で素朴な食べ物や酒、工芸品の屋台を出す予定なのである。
食べ物や酒を口にすれば、人々の気分は明るくなる。刑務所の印象をよくするためには、そう悪くないだろう。そして何より、小金稼ぎになる。
販売する工芸品の類は作業室で囚人達に作らせればよいし、食品や酒については、市販のものに少々手を加えるか、はたまた安く大量に仕入れた市販のものに少々上乗せした値段をつけて売るかすればいい。
囚人達は、案外こうした作業も楽しかったらしく、皆が楽し気である。『俺、工芸品づくりに向いてたみたいだ……』と言いながらひたすらに木材の欠片を磨き上げてぴかぴかにしている囚人や、『屋台を出すのなんて、学生の頃以来だなあ』と昔を懐かしみつつワッフルを焼く練習をする囚人などが、昨日までのブラックストーンで沢山見られていた。
「まあ、おかげで僕らの手間が省けたけれど」
……そして、そうして沢山の屋台が出てくれるおかげで、エルヴィスとレナードの計画もまた、それとなく進めることができるのだ。
会場は大きな庭を有する小さなホールである。町の人間達の素朴な催しに使われることが主であるらしいこの公共の施設を使って、本日の演奏会と屋台の出店が行われる。
会場に到着した囚人達は、すぐさま屋台の設営を行った。皆があまりにてきぱきと動くので、看守達は少々首を傾げていたが、『働いているならよし』とばかり、それ以上は気にしなかった。
……なので、看守達は気づかなかった。屋台が予定より多く組み立てられていることに。
さて、屋台が組み終わったら、早速、そこで販売するものが並べられていく。酒は市販のものをそのまま売るだけなので、屋台に並べていくだけだ。一方、ワッフルを焼いたり、ソーセージを焼いたり、調理が必要な屋台では早速調理が始まっていて、良い香りがふわふわと辺りを漂い始めた。
……そして、そんな屋台の内の1つでは。
「おい、これは何だ?販売予定にあったか?」
「え?ありましたよね?」
看守達が首を傾げる前でエルヴィスも首を傾げつつ……花を、屋台に並べていた。
そう。レナード達の作戦の第一歩は、この屋台で花や植物に関するものを売ることから始まる。
刑務所の庭で育った低木の、伸びすぎた枝は美しく編まれてリースにして売る。切り花も、庭の植物の負担にならない範囲で用意して、売る。薔薇の花弁やハーブを乾燥させ、エルフの魔法で香りをつけてポプリとしたものも売る。……こうして、刑務所の庭の美しさが凝縮されたような、花で彩られた屋台が1つ、出来上がったのである。
開場すると、客がちらほらとやってきた。
どうも、所長は賄賂を受け取っている相手達にも呼び掛けて、この会に是非参加するようにと言っていたらしい。それらしい人物が何人かやってきて、所長と親し気に笑い合い、握手している。
それらを横目に、一般の客らしい人々に対して呼びかけて、囚人達はそれぞれの屋台の物を売っていく。
のだが……当然のように、最も気合の入った屋台は、エルヴィスとレナードが居る、花の屋台だった。
「そちらの美しいお嬢さん!あなたにはきっとこの薔薇が似合いますよ!お一つどうぞ!」
「そこのお兄さん。最近眠れないってことは無いかい?もしよかったらエルフ手製のポプリはどうだ?安眠効果があるぜ」
レナードもエルヴィスも、まるで臆することなく客へ話しかけに行き、屋台の前まで連れてきて、気に入ったものがありそうならそれを購入してもらった。
大抵の客は、花に興味を示してくれた。何せ、見事な薔薇の花束や、ハーブで作ったブーケ、それにエルフの森の珍しい植物など、実に多岐に渡る品が並んでいるのだ。ただ眺めるだけでも見ごたえがあり、そして、ただ眺めている内にそれらが欲しくなる客が多かった。
素朴な陶器の瓶に入れられたポプリは人気の商品だったし、乾燥させたハーブの類もよく売れた。だがやはり、華やかさが素晴らしい花束がよく売れた。花束なんか買ってどうするんだ、と思う客も多かったようだが、それ以上に、並ぶ花にはどうも、人を引き付ける魅力があったようである。
「ねえ、素晴らしいわねえ、この花!」
「本当に!ねえ、この花はどこから仕入れたの?」
そして、客の中には、花の出処を知りたがる者が、それなりに居た。花屋で売っているものと比べても遜色ないほど華やかで、かつ、花屋で売られているものより野性味のあるそれらに興味が湧いたらしい。
……そんな客からの質問が来ると、レナードもエルヴィスも他の囚人達も、満面の笑みになって、答えるのだ。
『ブラックストーン刑務所の中庭で育てています。ブラックストーンの庭は、そこらのお屋敷の庭園にも負けないくらい綺麗なんですよ』と。
それを聞いた客が驚いたり感心したように頷いたりするのを見てまた囚人達はにっこり笑い……そして、内心で、にやり、と笑うのだ。
「客、増えて来たなあ」
そうしている内に、会場内には客が増えてきた。ワッフルやソーセージを焼く香りは会場の外を通りがかった人を存分に引き寄せてくれたし、会場内に入れば、華やかな花が客を出迎える。中には『刑務所に服役中の現役の囚人達』を怖がったり嫌悪したりする人々も居たが、そんな彼らも、エルヴィスには警戒を抱かないらしかった。
レナードは後で『君。警戒されない秘訣が何かあったりするのかい?』と聞いてみたが、エルヴィスは『特に無いなあ。ああ、でも、できるだけ自分が植物で居るような気分で話すようにしてる』という、レナードには実践できないであろう言葉が聞けただけだった。
レナードはどう足掻いても植物っぽくはなれない。植物にしては、煩すぎるのである。勿論、それがレナードの持ち味であり、いいところでもあるのだと、レナードはそう、思っていたが。
「さて、そろそろ準備するか?」
「そうだね。時間もそろそろだ。えーと、ミスタータンバリンはワッフルの屋台担当だっけ?」
「そうだな。ギター2人はジュース売ってたはずだ。よし、呼んでこよう」
2人は時計を見ながら相談して、花の屋台を他の囚人達に任せる。そろそろこの会のメインイベント、音楽の披露が始まるのだ。
「あ、まずい。緊張してきた」
「今更かぁ」
薄暗い舞台袖に立ちながら、レナードは緊張に体を強張らせていた。
何せ、最初の演目がレナードによるピアノの独奏なのである。静かな、ごく短い曲を開幕の挨拶代わりに弾くだけなのだが、それにしても、緊張する。まさか一番槍とは!と嘆きつつ、手を揉み、指を動かして、強張ったそれらを何とか解そうとする。
「ほら、人間がよく言うじゃねえか。緊張しないためには、聴衆を芋だと思え、って」
「芋だと思えたら無理はないよね。それ聞く度に思うんだけれどね、エルヴィス。君は相手がじゃがいもだって思い込めるのかい?」
「いや、難しいな。そっか、人間にも難しいのか。これ聞く度に、人間って器用だなあって思ってたんだよ」
けらけらと笑うエルヴィスを見ていたら、レナードはなんだか、色々なことがどうでもよくなってきたように感じられた。恐らく、多少は緊張が解れた、ということなのだろう。
「ま、折角だ。楽しんでこいよ」
「……そうだね。うん。そうだった。楽しいことをするんだから、楽しまなくっちゃね」
そしてレナードは思い出す。
音楽は楽しいのだ、と。
今から自分は楽しむのだ、と。
……楽しいのだから、緊張などしていられない。もっとわくわくしていなければ。
そうしている間に、開演のベルが鳴る。
レナードはそう思い、深く息を吸って、吐く。そうすると意識が切り替わり、少々、元気が出たように思えた。
「よし、行ってこい」
「ああ。行ってくる!」
レナードは緊張と高揚に高鳴る胸を押さえ、颯爽と、舞台へ出ていった。さながら戦場へ向かう戦士のようであり、同時に、恋人との逢瀬へ向かう浮かれ切った姿にも似て。
魔導仕掛けのライトが眩しく灯る舞台の上、観客達の拍手を浴びながら、レナードは観客に向かって一礼した。かつてレストランや酒場でやっていたように、少し大仰に、少しおどけて。あくまでも、楽しく。
……舞台の上は眩しいほどだ。その強い光のおかげで、観客席があまり見えない。見えるのは精々最前列とその次くらいまでであり、そして、最前列にはなんと、見知った顔が居る。
にこにこと演奏を待つ美しい女性、エリカ・ブラッドリーと、その夫であるアイザック・ブラッドリー。更に、彼らの子供と思しき少年達が、何人か。年長の者は少し砕けた様子で気楽に、最も年下の者はお行儀よく、それぞれに座ってレナードを見上げている。
これならあまり緊張せずに済むね、と、レナードは喜んだ。
微笑みながら、ピアノの前に座る。すると観客達は拍手を止め、しんと静まり返って演奏を待つようになる。
その静寂を一呼吸分、味わって……直後、レナードの指は、鍵盤を叩き始めていた。
最初の一曲は、短い。静かに、繊細に、会場中の空気を震わせる。音が響く度に、音が震わせる空気ごと、観客の心も震えるようであった。
ライトに照らされるレナードの姿は眩く、観客席からはいっそ人間ではない何かのようにすら見えたかもしれない。そしてそう思わせるほどの説得力が、レナードの音楽にはあったのである。
……そうして一曲が終わった時、観客達は大いに拍手を送った。『囚人がこのような演奏をするのか』と驚く者も居れば、『とても素晴らしい音楽だ』とただ純粋に讃える者も居た。
椅子から立ち上がって二度目の礼をしたレナードは、もうすっかり、緊張していなかった。ピアノを通して会場を支配したレナードは、緊張する側ではなく、緊張させる側になったようなそんな気分で、観客を見回す。
そして、にっこり笑うと、会場へ呼びかけるのだ。
「ええと……ようこそ、ブラックストーン音楽祭へ!今日はどうか、ゆっくり楽しんでいってください!」




