果てしない音楽*4
「囚人にも趣味があるべきだ。僕はそう思うよ」
そうして、秋真っただ中になると、囚人達は皆それぞれ、漫然と過ごすのではなく、それぞれ趣味に邁進するようになっていた。
これには看守達も戸惑っていたが、仕方がない。囚人達の内の何割かは、『気にくわない看守を馬鹿にするため』に一生懸命趣味を楽しんでいるのだから。
「豊かな生活が豊かな心を生む。そうすれば心にゆとりが生まれて、幾分健やかに過ごせるようになるんじゃないかな」
目標を持たない人間は弱い。それをレナードはよく知っている。だが、好きなものができて、それのために頑張れるようになったなら、その時人間は強くなれるのだ、とも知っているのだ。
「いつか、看守や所長も、音楽に動かされてくれるといいな」
レナードは今日も笛を取り出しながら、そう言って笑う。
音楽に動かされて集まってきた囚人が居るのだ。看守や所長だって、もしかしたら、音楽に動かされてくれるかもしれない。自分達はそれなりに良い演奏をするようになってきたし、少しは期待できるのではないだろうか。
だが、看守の方針は変わらなかった。
残念ながら、相変わらず彼らは音楽をやる囚人達を取り締まりにかかったし、時には暴力が加えられることもあった。
荒事が得意ではないレナードは、そうなるとひたすら逃げることしかできず、また、同時に他の囚人達が暴力にさらされないように立ち回ることを余儀なくされる。
『暴力で解決するっていうのは何だかんだ手っ取り早いもんなあ』と暗い面持ちで頷くエルヴィスと共に、レナードは少しばかり、音楽の演奏頻度を減らすなどの処置を行った。痛みに耐えながら奏でる音楽も悪くはないだろうが、望ましくはない。……そうして、レナード達と看守の攻防は、徐々に看守側が優勢となる形で進んでいった……かのように思われた。
だが……このブラックストーン刑務所に居るのは、レナードのような、『温和』な囚人ばかりでは、ないのである。
「お、おお、今日も暴れている……」
「あいつら元気だよなあ」
レナード達に触発されて音楽を始めた囚人や、看守への嫌がらせのために趣味に邁進する囚人達は、看守との衝突があっても怯まなかった。そのせいで懲罰房送りになる者が何人も出たが、彼らは今までの鬱憤を晴らすかのように看守へ楯突き、暴れていた。
「彼ら、大丈夫だろうか……」
「まあ、また何人か懲罰房送りだろうけどな。最近じゃ、懲罰房の中からも元気に歌が聞こえてくるってんで、看守達が参ってたぞ」
「それは素晴らしいね!でも、彼らが怪我をしなければいいけれど……」
レナードは心配しつつ、窓の外で暴れる囚人達を眺める。不要な痛みなど、無い方がいい。彼らが傷つけられることをレナードは望んでいない。
……最近ではすっかり、刑務所内が荒れている。抑圧される囚人達の音楽は荒々しくも物悲しく、より一層の鋭さと悲哀を持って奏でられるようになった。それがまた何とも美しいのが、皮肉である。
「ま、看守や所長が方針を変えない限りはこのままだろうな。お前は音楽が無いと死ぬんだろ?」
「うん。僕は何があっても音楽を止めるつもりはないよ。けれど……まあ、うん、しょうがないのかな。傷つく人が出てしまう、っていうのは……」
憂いを湛えて、レナードはため息を吐く。分かり合えない者同士、争いが生まれるのは仕方がない。けれど、もっと賢く、争わずに済むならその方がいいだろうとも、思うのだ。
「どうにか、この事態を収束させられないかな」
何か怒鳴り声を上げる看守と、それに立ち向かうように声を荒げる囚人達を遠く眺めつつ、レナードはじっと、考えるのだった。
そんなある日。
「あー、そうだ。レナード。お前、次の奉仕作業、参加してくれ」
ふと、エルヴィスがそう尋ねてきたので、レナードは首を傾げる。
「ん?何かあるのかい?」
奉仕作業、というと、大体は土木作業への従事であるとか、ゴミ拾いだとか……『所長が所外へブラックストーン刑務所の功績を主張するために行う行事』という印象が強い。また、土木作業などでは、所長が囚人を『無料で働かせられる労働力』として扱っている節がある。そして労働の対価として得た寄付金は、全て所長のポケットの中へ、ということらしい。
ということで、『奉仕作業』への印象は、あまり良くないのだが……。
「いや……お前、ピアノを弾きたいんじゃないかと思って」
「えっ?」
あまりにも唐突にそんなことを言われたものだから、レナードは咄嗟に内容を理解できない。
「……ピアノ?ピアノって、あのピアノかい?」
「うん。次に行くところ、ピアノがあるからさ。ちょっと弾かせてもらえるかもしれねえぞ」
それは一体どういう奉仕作業なのだろうか。レナードは首を傾げつつ、しかし、間違いなく次の奉仕作業に応募しようと心に決めた。
そうして、その週末。
エルヴィスとレナード、そして他の多くの囚人達がぞろぞろと連れて行かれた先は、なんと、ブラッドリー魔導製薬の工場であった。
そして。
「エルヴィスー!いらっしゃーい!」
美しい女がぱたぱたと駆け寄ってきて、むぎゅ、と、エルヴィスに抱き着いた。これにはレナードも慄く。
「え、エルヴィス。君……まさか、刑務所の外に恋人がいたのかい!?」
「は!?いやいやいや、違う違う!俺の恋人じゃねえよ!彼女は友人の娘さんで、友人の嫁さんだ!」
エルヴィスが弁明する中、その美女はエルヴィスから離れて、にっこり、と、向日葵が咲いたように笑う。
「ブラックストーンの皆さん、ようこそ!今日は作業のお手伝い、よろしくね!」
その微笑みに、レナードは心を打ちぬかれたような心地がした。
「美しい!」
思わず叫んだ。当然である。目の前に美しいものがあるのだ。叫ばずにはいられない。エルヴィスの時と同様、レナードは感激に打ち震えながら目の前の美しい女を見つめていた。
「あら、随分と変な子が来たわねえ」
美しい女はレナードを見てくすくすと笑う。その微笑みすら美しい。
「ああ、実に美しい人だ!まるで向日葵の妖精、或いは野薔薇の妖精!作り物めいたところなんて一切無い、この生き生きとした美しさ、実に素晴らしい!こんなに美しい人が存在するなんて、しかもそんな人に会えるなんて!ああ、光栄です!」
……と、早速、目を輝かせたレナードは賛美を述べて、更に、彼女の美しさを讃える音楽が頭の中に湧き出てくるのを感じていた。
が。
「人の妻を口説かないでもらおうか」
背後から、低い声が聞こえる。
少々、剣呑な声だ。……レナードがゆっくり振り返ると、そこに居たのは、大柄な男だった。身長が高く、体つきもがっしりとしていて、中々迫力がある。ただでさえ迫力があるというのに、『人の妻を口説かないでもらおうか』ときたものだ。当然、迫力は更に数倍となる。
……彼は、少々風変わりだった。まるで、風に吹き晒されて風化していく大岩のような、そんなどっしりとして静かな雰囲気がある。それでいて、瞳の奥やその表情には荒々しさのようなものも残っており……レナードはその姿を見て、すぐにピンときた。
「あの、失礼。もしや、あなたがアイザック・ブラッドリーさん?」
「……そうだが」
相手は、凄んで見せたはずなのにレナードが目を輝かせ始めたことを不審に思ったらしい。なんとも怪訝な顔でじっとレナードを見下ろしていたが、レナードは……目の前の彼、アイザック・ブラッドリーその人に出会えた喜びでいっぱいになっていたのである!
「美しい!ああ、こんなに美しい人だったとは!鑿の跡が荒々しく残る彫刻のようでもあるし、のびのびと伸びた大木のようでもある!理知的ながらも攻撃的な表情!それでいて静かな気配!ああ、それに何よりも、その生き様!あなたの生き様の美しさはエルヴィスから聞いていますよ!」
興奮しながらレナードがアイザック・ブラッドリーへ近寄って行けば、アイザックは表情を引き攣らせつつ一歩、後ずさった。
……そして。
「……エルヴィス。こいつ、頭おかしいのか?」
けらけら笑っているエルヴィスにそう問いかけて、そして、エルヴィスから返事をもらう。
「うーん、まあ、変なやつだよな!」
レナードは『その通り!』とばかりに胸を張って、『名誉・変なやつ』の称号をしっかりと受け止めるのだった。
それからレナード達は、奉仕作業に移る。
レナード達に割り当てられた仕事は、ポーション工場の周辺の清掃作業だった。雑草がのびのびと生えるそこで雑草を刈って、美しく整えていくのだ。
……こんな仕事をしているのには理由がある。
「ちょっとぶりだな、アイザック。その眼鏡、どうしたんだよ。目、悪くなったのか?」
「そろそろ老眼が入ってきたらしいんで、掛けた」
「老けたなあー」
「はっ。エリカには似合うって言われてるんだ。お前に何言われたって気にしねえよ」
工場周辺の庭は、広い。そんな広さの庭だと、看守達も囚人の働きを逐一監視することなどできない。こうして、アイザックはエルヴィスと話す時間を確保しているのだろう。
「それで、最近はどうだ?多少はマシになったのか?」
「いやー、全然。看守は暴力的だし、きっちり没収してくるし。それに所長は相変わらずだ」
「そうか……」
「ああ、でもおかげで、庭は相変わらずだ。ありがとうな、アイザック」
アイザックとエルヴィスが話すのを遠巻きに眺めながら、レナードはせっせと草を刈る。
エルヴィスの表情は、レナードに向けられるものとはまた違う。そこには確かな信頼と、長年に渡って築かれたのであろう友情が見て取れた。
それらを見ているのは、気分が良かった。美しい生き物が親しげに話し、笑い合っているのは良い光景だ。レナードは彼らを見て、『ああ、美しいなあ』と思う。もしこの2人が音楽を奏でるなら、間違いなく息の合った、それでいてどこか凸凹として楽しい演奏になるだろうな、と思う。
レナードはたっぷりと草を刈り、『刈った草はここに集めてくれ』と言われている場所へ草を置いて戻る。……すると、アイザックとエルヴィスの会話がまた、聞こえてくる。
「ああ、そうだ。もしよかったら、休憩時間にピアノ、弾かせてやって欲しい奴が居るんだけれど」
そこに『ピアノ』と聞こえて、思わずレナードは顔を上げる。
「ピアノ?弾ける奴が居るのか」
「うん。あの『変なやつ』がな」
エルヴィスはそんなレナードを見つけて、にやり、と笑った。
アイザックが『あいつか……』というような、何とも言えない顔をしているのに対して、レナードは大いに期待を込めて頭を下げ、きらきらと輝く瞳で見つめ返す。
……すると、そんなレナードを見たアイザックは、深々とため息を吐いて、言った。
「エリカがいいって言ったらな」