果てしない音楽*3
「ということで、見つからないようにやろうと思って!」
「うわっ悪ガキの発想だ!」
早速、嬉々としてエルヴィスに報告したレナードは、エルヴィスに驚かれつつも、すぐさま『いいなあ。よし、その方針で行こう!』と賛同を得た。
つまるところ、エルヴィスの思想も概ね悪ガキのそれなのである。
2人が笑い合う横で、囚人が1人、しゃんしゃんしゃん、とタンバリンを鳴らして楽団の継続を祝っていた。
「さて。実は僕、そもそも没収されない楽器に心当たりがあるんだよ。声っていう奴なんだけれど」
「ああー、確かに没収するのは難しいよな」
まず初めに、レナードとエルヴィスと3人の囚人達は、『そもそも隠さずとも没収されない楽器』について相談し始めた。
「手を打ち鳴らすこともできるし、足を踏み鳴らすこともできる。原始的だが、良い楽器だ。これなら没収されずに、生涯を共にできるよ」
声楽はまるで専門ではないが、多少は分かる。それに、何も分からなくたって、何とかなるだろう、とレナードは明るく前向きに考える。人間は太古の昔、きっと、何も分からないままに声を上げ、歌を歌った。だから、それを繰り返せばいいだけだ。
「それから、幾ら没収されても痛くない楽器ってのがあるよな。例えば、笛は没収されても作るのが簡単だから、そんなに痛手じゃない。逆にドラムの類は結構痛手だよな。布を張るの、結構手間だし……他には何かあるか?」
「そうだね、打楽器の代わりに木箱や空き瓶や空き缶を使うっていうのはどうだろう。廃材置き場に毎日転がってる訳だから、1個没収されても次のを持ってくれば済む話だよね。木箱に円く穴を開けてやったら、それだけで太鼓の代わりになるよ。酒場では時々、そういうのを演奏している人が居た」
没収される前提の楽器、というものもそう悪くないだろう。最早なりふり構っていられない。没収される用の楽器を作っておいて、いざとなったらそれを没収させる、といった手段も有効だろう。
「それから、隠せる楽器。……これはもう、あるていど小さければいけそうだよな」
「うん。そこの彼がタンバリンを隠していたようにね」
レナードの言葉ににっこり笑って、タンバリンの囚人はまた、しゃらしゃらぱん、とタンバリンを鳴らし始めた。
それからレナード達は、皆で庭の一角を使って、楽器を隠しておく場所を作ることにした。
大きな箱を地面に埋めて、その蓋を枯れ草や蔓草で隠しておくだけの簡単なものだが、何もしないよりは良いだろう。皆で作業すればこんなことでも案外楽しい。全員が『悪ガキ』のような気持ちで、にやにやしながら穴を掘り、箱を埋めて、そこに楽器をしまうことができた。
「それにしても、どうして看守は僕らの邪魔をするんだろうね。何か事情を知ってるかい?」
そんな折、ふと気になって、レナードはそう、聞いてみる。エルヴィスであるならば、事情を知っているだろう、と思って。何せ彼は終身刑のエルフだ。かれこれ80年ほど刑務所に入っているというのだから、何か知っているだろう。
「いや、まあ、ここも10年で随分変わったからなあ……」
案の定、エルヴィスは『どこから話そうか』とでも言いたげな顔で唸り始める。つまり、何か話すことがある、というわけである。レナードは俄然期待しながら、エルヴィスの言葉を待った。
「10年前に所長が変わった、って話はしただろ?その前は、ブラックストーン刑務所というと模範囚が多くて、仮釈放制度の適用が国一番の優良刑務所って評判だったんだ」
やがて、エルヴィスはそう、話し始める。手慰みに近くの雑草を指先でつつきながら、思い出すようにして、少しずつ。
「それはアイザックのおかげだな。あいつがこの国で最初の仮釈放制度適用例だったんだが、あいつに続いて何人も、仮釈放されていったんだ」
「成程なあ。彼、素晴らしい人だったんだね」
「ああ。あいつ、皆の弟か息子みたいに可愛がられててな。あいつが頑張ってるなら、って頑張る奴らが多くて……楽しかったなあ、あの時の諸々も」
エルヴィスはにっこり笑うと、さて、と話を仕切り直す。いよいよ、『ブラックストーン刑務所の凋落』について語られるらしいと悟ったレナードは、姿勢を正して次の言葉を待つ。
「そう。それで、ブラックストーンは評判が良くなり過ぎた。手のかからない囚人達が多くて、実績は抜群。……となったら、どっかの高官だかが退職後、ブラックストーン刑務所に目を付けたんだよなあ」
「つまり、天下り、っていうことかい?」
「そういうことだ。……有能な役人が退職後も自分の能力を役立ててくれる、っていうんならよかったんだが、生憎、ここの所長は真逆でね。天下りの悪い例、って奴だよなあ、これ。おかげでこの刑務所は、賄賂で所長が潤うだけの施設になっちまった。囚人に何かが還元されることもねえし、看守の方針も変わっちまって……すっかり10年前とは違う様相、ってわけさ」
エルヴィスが眉根を寄せるのを見て、レナードも同じような表情になる。
「折角よくなった刑務所が、愚かな奴によって壊されてしまうなんて……あんまりだ!」
アイザックという人物について、レナードは話に聞いた分しか知らない。しかし、エルヴィスから聞いただけでも、十分に彼が好感の持てる素晴らしい人物だということが分かった。
つまり、『アイザック』はすっかりレナードのお気に入りとなっており……そして、そんな『アイザック』が正した刑務所を踏み躙るようなことをした今の所長に対して、怒りが湧いてくるのである。
「ま、そういう訳で、看守達はとにかく、囚人を締め付けようとする。その方が管理が簡単だからな。それに、所長が『看守の教育もきっちり行っています』って外部に胸を張る要因にもなることだし」
やれやれ、とばかり、エルヴィスが肩を竦めるのを見て、レナードはしょんぼりとしょげてしまった。
「美しいもの、誰かの努力、皆の善意……そういったものが踏み躙られるのは、いつだって悲しいことだね」
「そうだなあ。まあ、人間って、寿命が短いからな。交代が早いっていうのは、良くもあり、悪くもあるよな。すぐに物事が変わるから、すぐに良くも悪くもなる」
如何にもエルフらしい言葉を聞いて、レナードはふと、エルフの目から見たらこの10年あまりの出来事はごく短い間のことなのだろうなあ、と思う。エルヴィスが然程苦しんでいないのなら、それでいいが……。
「さて。そういうことなら、まあ、急激に物事が良くなるっていうことも十分にあり得る。そうだろう?エルヴィス!」
さて、しょんぼりとしょげた状態から元気を奮い起こして立ち上がったレナードは、拳を握りしめてそう、エルヴィスへ語り掛けた。
「やはり、僕は思うんだ!この世界はより美しく、より面白くあるべきだ、ってね!この刑務所がこのまま、囚人達を抑圧し続けて、つまらない賄賂に縛られて、どんどん荒廃していくなんて!そんなの僕には耐えられない!」
熱弁するレナードを見て、エルヴィスは『おおー』とよく分からない声を漏らした。その顔にはありありと『やっぱりこいつ変なやつだ!』と書いてあるかのようだ。
「ということで、僕は抑圧されない!もっとずっと音楽を続ける!看守達が、取り締まるのも面倒になるくらいに大勢でやろう!この刑務所を音楽まみれにしてやりたい!いや、音楽じゃなくてもいい。けれど、皆がそれぞれ楽しむっていうことを思いだせるようにしたい!その先駆けとして、僕が音楽をやってやろうじゃないか!」
レナードがそう言ってのけると、エルヴィスはふんふん、と頷いて、それから、にやり、と笑う。
「中々、目標がでっかいなあ。お前みたいに、真正面からこの刑務所を変えようとする奴はこの80年で初めて見るよ」
「なら僕は、80年に1人の逸材っていうことかな?ふふ、僕は革命家向きなんだよ、エルヴィス!」
どこか懐かしそうな顔をしたエルヴィスへウインクを飛ばしてそう答えれば、エルヴィスは、きょとん、として、目をぱちりと瞬かせた。
……そして。
「……革命家、かあ」
どこか感慨深げにそう言うと、また目をぱちぱちと瞬かせて……そして、なんとも嬉しそうに笑うのだ。
「成程な。確かに、そうかもしれない」
「うんうん。その通り!さあ、僕はこの刑務所の中に革命を起こすぞ!音楽の力でこの刑務所を変えてやる!囚人達に自由を!看守達には愛を!そしていけ好かない所長には罰を!それぞれ取り戻すんだ!」
レナードの演説に、エルヴィスはぱちぱちと拍手をしてくれた。レナードはそれににっこり笑ってお辞儀して……頭を上げたら、早速、行動開始だ。
「ということでまずは、演奏会を開こう!」
そうして一月ほどの間に、レナード達は休憩時間、不定期に演奏会を開き、囚人達は暇潰しにそれを聞いて楽しむようになっていった。娯楽の無い刑務所では、レナード達の音楽は程よい娯楽となったのである。
観客となった囚人達の多くは、学が無い。音楽を楽しむ心すら持たないような者も居たが、それでも、レナードの演奏には心打たれる者が多かった。
レナードの演奏に、皆が聞き入った。それだけの力が、レナードの音楽にはあった。これについてエルヴィスは『お前、変なだけじゃなくてすごい奴だったか……』と笑っていた。
……そうしていれば、当然、看守がやってくる。彼らは二度、三度と取り締まりにかかった。
だが。
「あっ、没収ですか?どうぞ」
ドラムの係の囚人が穴を開けた木箱を看守に渡す。
あまりにも素直な受け渡しに、看守達は戸惑いつつも、楽器である木箱を受け取った。
「こちらもどうぞ」
その間に、レナードも自分が椅子にしていた木箱を看守に渡した。看守は『これは要らん』というような顔をしていたが、レナードは笑顔で木箱を勧めた。尚、レナードは今日は声楽担当として演奏していたので、没収されるようなものは何も無い。
そうしている間に、空から、ぴるるる、と鳥の声が聞こえてくる。看守が何事かと上空を見上げるも、遅い。
「あー、なんてこったー、鳥に襲われるー」
白い鳥達にもそもそもそ、と埋もれるように囲まれたエルヴィスは、鳥達に笛を預けてしまう。すると鳥達はぴぴぴ、と囀りながら、また上空へと羽ばたいていってしまった。エルヴィスは『なんてこった』とけらけら笑っていたが、看守達はただただぽかんとするしかない。
……そして、看守がぽかんとしている間に、ギターの囚人とタンバリンの囚人は逃げおおせていたのである。
このように、レナード達は看守達の手からするすると逃れ続けた。
時には楽器を観客の誰かにそっと預けてしまって没収を逃れたし、時にはわざと楽器を没収させて看守を満足させた。更に時には全員で歌や手拍子だけの演奏をしてそもそも没収されるものが何もない状態にしてしまった。
……こうして、レナード達は明るく楽しく、演奏を続けたのである。
娯楽が碌に無い、荒れ地のようなこの刑務所に、レナード達の音楽は水のように染み通っていった。
レナードが他の囚人達と楽しそうに、そして巧みに合奏する様子があまりにも生き生きとしていたからか、囚人達は皆、そわそわ、うずうず、とし始める。
……そうして、囚人達の内の何人かは『俺もやってみようかな』『暇潰しには丁度いいよな』と頷き合い、共に音楽を楽しむ仲間となった。
或いは、『あの変なやつ、こういう才能があったのかよ』『作業速すぎて気持ち悪いけどな!』と笑い合い、『ところであいつのタンバリンやべえな』『やべえな』と囁き合って、それとなくレナード達を守る壁となった。
それから更に一週間もすれば、奏者が増えた。楽器に興味のある者が数名やってきて、一緒に練習するようになったのである。尚、練習に参加する者は皆等しく、庭仕事も手伝わされた。
そうする中で、『やっぱり楽器より庭いじりが楽しい!』となる者も居て、結局のところ、囚人達はそれぞれに娯楽を楽しみ、充実した休憩時間を送るようになっていったのである。
……こうして、ブラックストーン刑務所は、レナードと彼の音楽を中心に、急激に変わっていくことになったのである。