果てしない音楽*1
そうして、翌日の休憩時間。
「よし、できた!やっとだ!あー、くそ、やっぱり穴開けるのって面倒だよなあ……ちゃんとした道具がないと、余計に!」
疲れた、とばかりに足を投げ出して座るエルヴィスの横、やはり同じように疲れたレナードは、しかし、疲れを遥かに上回る期待に目を輝かせて、手の中の笛を眺めていた。
構造はさして複雑ではない。葦の茎に穴を開け、底面を塞ぎ、そして歌口とリードを付けただけのものである。
だが、それだけでも十分、音を奏でることができた。音階が少々不揃いだが、それは2本目、3本目を作っていく中で改善していけばいい。
「吹いてみてもいいかな」
「その為に作ったんだろ?やってみろよ」
レナードは少々の緊張と大きな期待を胸に、そっとリードを震わせ、笛に息を吹き込んでみる。……すると、どこか懐かしさを感じさせるような素朴な音が、ぷー、と慎まし気に鳴り響いた。
「……わあお」
レナードは一旦笛から口を離し、歓喜に満ちて笛を見つめる。
素朴な笛は、確かに、笛だった。つい昨日まで植物の茎であったものが、今はもう、すっかり笛になっている。
エルフはこれで鳥を呼ぶらしい。自分にも鳥を呼ぶ力があるとは思えないが、エルフの文化を体験できただけでも十分な価値がある。
「嬉しそうだなあ」
「うん……嬉しい。とても嬉しいよ、エルヴィス!」
レナードが嬉しそうに見えるというのなら、それは大正解である。まさに今、レナードは嬉しい。この刑務所は決して自由ではないが……然程不自由でも、ないのだと分かったのだから!
「ああ、これは頑張って練習しなきゃな!曲を演奏できるくらいまでにならなきゃ。音を出す仕組み自体はそんなに難しくないが、綺麗に演奏するとなるとまたちょっと大変そうだぞ、これは……」
にこにこと笛を見つめて、レナードは早速、ぷー、ぷぃー、と笛を吹き始めた。
そうしてしばらく、刑務所の庭には素朴な笛の音が響いており、そしてそれは休憩時間の終わり頃、少々拙いながらも、一つの曲として奏でられるようになったのであった。
翌日も、レナードは庭で笛を吹くべく庭へ向かった。
勿論、仕事はしっかりこなした後だ。作業時間中は誰よりも早く作業を進めていったし、休憩時間に入ってからも、庭の手入れを存分に手伝った。
今日は、エルヴィス以外にも囚人が庭に居た。彼らはレナードを見て『ああ、あの変な人!』だの、『作業が速すぎて気持ち悪い奴!』だの、笑顔で散々な評価を下してくれたが、同時に『君みたいな変な奴に会えて嬉しいよ!』と言ってくれたり、『早速、庭の手入れしようぜ!』と誘ってくれたりもして……まあ、つまり、上手くやっていけそうな連中であった。
レナードは庭に水を撒いたり、雑草を抜いて堆肥用の穴に放り込んでいったり、実によく働いた。エルヴィスも他の囚人達も、レナードの働きぶりには満足したらしい。『これからもよろしく頼むぜ』と言ってもらえたので、レナードとしても嬉しい限りである。
……と、こうして働いたレナードは、残りの時間を、笛を吹くのに使った。
昨日の今日なので、まだ、ゆったりとした曲しか奏でることができない。だが、案外この素朴な笛には、こうしたゆったりした曲が合うので丁度いいと言えば丁度いい。
どこか郷愁めいたものを感じさせるような音色に、もの悲しさを感じさせる曲。この組み合わせはこの古城によく似合う。笛を中心に生み出されていく空気、もの悲しくも温かな雰囲気に、レナードは大いに満足した。
やはり、音楽はいい。夏の空に溶けて消えていって、形に残らないからこそ、いい。そして、音楽によってもたらされるもの……感情の起伏であったり、心地よさであったり、そういったものも、音楽が終わって少ししたらもう残らない。だから、丁度いい。
庭に流れる音楽と、ゆったりとした空気。夏の日差しと吹き渡る風と、それら全てを存分に楽しんで、休憩時間終了の鐘が鳴るまで、レナードはずっと、笛を吹いていた。
「和音が欲しいね」
翌日、レナードはそう、エルヴィスに相談してみた。
「良くないかなあ、こう、1つ手に入ると次が欲しくなってしまう。人間の欲には果てが無い!」
そう。レナードは、すっかり葦笛を気に入って演奏しているのだが、1人での演奏には限界があるのだ。要は一度に一つしか音を出せないものだから、演奏できるものに大分制約がある。
「ということで、エルヴィス!君も吹いてくれ!2人で吹いたら2つまでは音が出せるから!」
「そりゃ、2人で吹いたら音は2つだけどなあ」
エルヴィスは呆れたような顔でけらけら笑って、『久しぶりだなあ』などと言いながら、笛の先を口に含む。
ぴう、と調子はずれな音がして、エルヴィスは一度顔を顰めつつ笛を口から離し、リードを調節し、改めてもう一度、吹く。
久しぶりだ、と言っていた割に、上手な演奏だった。然程長くない節ではあったが、それをそつなく演奏していく。風のような曲だ、とレナードは思う。草原か大空かを吹き渡る、一陣の風。さらりとしていて、留まることなく流れていく。正に、そんな曲だった。
そうしてそう長くない演奏が終わって、エルヴィスは『腕が落ちたなあ』とぼやきつつ笛を眺めて調整をしていたが……レナードはすぐさま、盛大な拍手を送った。
「いや、すごいね!すごいよ、エルヴィス!とても素晴らしい演奏だった!」
この感動を伝えないわけにはいかない、と、レナードは興奮しつつもエルヴィスへ拍手を送り続ける。
「あの曲はエルフ達の曲かな?風みたいで、とても美しかった!」
「ああ。エルフの里の曲だ。植物の成長を願うための曲で、祭りの時によく吹いてた奴だな」
「へえ、今のが……そうか、エルフの文化は実に興味深いね!それにしても、エルフって皆、君みたいに美しくて君みたいに笛が上手いのかい?」
「美しいかはさておき、俺は仲間内じゃそんなに笛は上手くない方だぞ」
少し照れたような様子でそう言って、エルヴィスは『そろそろうるせえ』と、レナードの拍手の間に、もそっ、と茅の穂を挟む。手の間に茅の穂を挟まれてしまったレナードは、仕方なく、そのふわふわとした感触を両手で挟んで揉んで楽しむことにした。興奮冷めやらぬレナードには、もそもそふわふわと柔らかい茅の穂の感触で少し気が抜けるくらいが丁度いい。
「……さて、エルヴィス。少し休憩したら、もう一度、さっきの聞かせてくれないかな」
レナードは手の中の茅の穂をもそもそやり終えて、きらきらと輝く瞳でそう、願い出た。
「そんなに気に入ったのか?」
「ああ。僕も吹いてみたくなった。それに、僕が吹ければ二重奏にできるし」
レナードの言葉を聞いて、エルヴィスは、きょとん、とした。……それから、首を傾げつつ、エルヴィスは尋ねる。
「えーと、つまり、聞いて覚えるってことか?」
「ああ。大丈夫、一度で聞いて覚えるよ。幸い、耳は良い方なんだ」
にっこりと笑い返して、レナードは早速、意識を集中させ始めた。
「さあ、始めてくれ」
……そうして、その日の休憩時間が終わる頃。レナードは見事に、エルヴィスの演奏を真似てエルフ達の歌を奏でることができるようになっていた。
「いやー……お前、すごいな」
「ふふふ、最優秀雑用係賞の受賞者だからね、僕は!」
エルヴィスが目を円くして驚くのに胸を張って答え、レナードは自分自身でも満足していた。
「雑用係、ってようにも見えないが。お前、もしかして音楽家か?」
「うん。まあ……夜は酒場やレストランでピアノを弾いていたよ。それだけだと生計を立てられなかったから、昼はカフェで最優秀雑用係さ!」
酒場やレストランのピアノ弾きも、カフェのウェイター兼雑用係も、どちらも好きな仕事だったし、どちらにも誇りを持っている。レナードが胸を張ると、エルヴィスは『おおー』とよく分からない声を上げつつぱちぱちと小さく拍手した。
「あー、ピアノか。うん、分かるぞ。エリカが……えーと、友達の娘が、小さい頃に弾いて聞かせてくれたんだ。あれ、可愛い音だよな。エルフの里には無い楽器だから、初めて見た時びっくりした」
「可愛いだけじゃなくて、格好いい音も色気のある音も、硬くて無機的な音も出せるのがピアノのいいところさ!……ああ、久しぶりに弾きたいなあ。流石に刑務所の中でピアノは弾けないだろうけれど……」
刑務所にピアノが来ることは無いだろうなあ、と苦笑しつつ、レナードは早速、気持ちを切り替える。
ピアノが来なくても、音楽はいつでもこの胸の中にある。そして胸の中の音楽は、いつだって外に出たがってうずうずしているのだ。
「……まあ、明日には二重奏ができるからね。とても楽しみだよ、エルヴィス!またよろしく!」
「お前、一人で吹いたと思ったら次の日にはもう二重奏かあ。気が早い……いや、仕事も早いか?」
そんな話をしていると、休憩時間終了を知らせる鐘が響いてくる。2人はそれを聞いて、作業室へ戻ることにした。
そうして、翌日の休憩時間。
エルヴィスとレナードは、庭仕事をしに来た3人ほどの囚人達を前に、葦笛の二重奏を披露した。
音楽は、聴いても楽しいが自ら奏でても楽しい。自分の中にあるものが音になって外へ出ていくのが、何とも心地よい。美しいものを自らが生み出す喜びは、何にも負けない輝きを持っているものだ。
何かを生み出すことの尊さを、刑務所の中でも味わえる。これは何たる幸運だろう。レナードは演奏を終えて、この刑務所の環境……主にこの庭と、この庭を生み出した全ての囚人達、そして何よりエルヴィスへ、深く感謝した。
演奏が終わってすぐ、レナードとエルヴィスは3人の観客達から拍手をもらった。『いいねえ』『音楽なんて久しぶりに聞いたぜ』『ここがムショだって忘れそうだ!』と囚人達がにこにこ言葉を交わし合うのを聞いて、レナードはまた、嬉しくなる。
他者から演奏を褒められることは、嬉しいことだ。自分が生み出した、自分の思う美しさを表現したものを、美しいと言ってもらえる。共感してもらえる。これが、レナードにはとても嬉しい。
……そして、嬉しさを存分に味わったレナードは、同時に、思うのだ。
「……もっと奏者が欲しい!」
更なる欲が、むくむくと湧き上がってきたなあ、と。
「奏者を作ろう!」
「いや、奏者は作るわけにはいかないだろ」
が、人間は笛のようには作ることができない。残念ながら。
「そうだね。その通りだ。ということで、なあ、君達、何か楽器ができたりしないか!?」
だが、奏者ではない人間を奏者にすることはできるはずである。レナードとて、生まれつきの奏者ではない。ある程度の年齢を重ねてから奏者になり、音楽を楽しめるようになった。つまり、他の囚人達の中にはもしかすると、レナードと同じように、これから音楽を演奏することに魅力を見出してくれるようになるかもしれないのだ。
……ということで、呼びかけてみると。
「ええと、ギターなら少し、できるよ」
「俺は楽器なんて縁が無かったな。ああ、でも、子供の頃は鼓笛隊で太鼓を叩いてたぜ」
「拍手ならできる!」
囚人達はそう、返事をしてくれた。
「よし。じゃあ、ギターとドラムセットとカスタネットかタンバリンかを作ろう!」
それを聞いたレナードは、早速、目を輝かせ始めるのだった。