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終身刑のエルフ  作者: もちもち物質
王国歴247年:グレン・トレヴァー
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小さな花壇*1

 それから、エルヴィスの手錠が外された。

 エルヴィスは左の手首に、奇妙な手錠を付けている。その手錠は片手分だけで、鎖が付いているでもない。ただの腕輪のようなそれは、一見、無意味な代物だ。

 だが、それはどうやら、魔法の品であるらしい。エルフの魔法を魔導機関によって封じるためのものなのだろう。看守の様子を見ている限り。

 手錠を外す間、ずっとエルヴィスは剣を突き付けられている。何か不審なことをしようとしたらすぐさま殺す、という看守の意思と怯えが見て取れた。

 だが、一方のエルヴィスはまるでそれらを気にしていない。看守の怯えも、突き付けられた剣も、まるきり気にしていないのである。

「よし、じゃあ行きますよ」

 ごく軽くエルヴィスはそう言うと、何やら念じ始めた。グレンからしてみれば、このように念じることで何かを引き起こす、ということにはあまりにも現実味が無い。だが、エルフにとってはきっとこれが当たり前なのだろう。

 ……その時、グレンは、初めて魔法というものを目の当たりにした。グレンだけでない。他の囚人達も、そして看守も、恐らくはそうだっただろう。

 エルヴィスが何かを念じた次の瞬間、ふわり、と毛布が広がったような気がしたのだ。

 ふわふわ、と何かに包まれるような感覚があり、そして、寒さが一気に和らぐ。まるで、真冬の屋外からストーブで暖められた室内に入った瞬間のような、そんな感覚であった。

「おお……」

「ほう、これは……」

 看守達は戸惑いながらも、喜びを露わにしていた。うっかりエルヴィスの左手首に手錠をかけ直すのを忘れる程度に驚き、喜んでいる。

「あの、手錠、戻さなくていいんですか。別に戻さないっていうなら喜んでそのままで居ますが……」

 ついにはエルヴィスが苦笑しながら左手を差し出す始末である。看守達は慌てて、エルヴィスの左手に手錠を戻した。エルヴィスは『なんとなくこれが無いと落ち着かないんだよなあ』などと言いながら、看守の喜びようを見て楽し気に笑う。

「むう……エルヴィス・フローレイ。お前、一体何故、このようなことができる?」

「それはまあ、エルフなので。説明するのが難しいですよ。植物に、どうやって花を咲かせているのかを聞くより難しい」

 看守は一頻り喜び終わって、再びエルヴィスへの不信と疑問を抱き始めたらしい。『何故このようなことをしたのか』と。

 だが、エルヴィスは特に気にする様子もなく、にこやかに笑って、言った。

「これでも俺は31年間模範囚をやってきたんですよ?それに、どうせ生きるなら、楽しくやりたいじゃあないですか」




 そうして、今までは何だったのか、という程に快適に、雪かきの作業が進められた。

 何せ、温かい。体が冷気という冷気から守られているようだ。自分の周りにだけ、ほわほわと温かな空気が纏わりついているような、そんな具合なのである。グレンはその温かさに心底感謝しながら、元気に屋根の上の雪を下ろし、玄関が埋まらないように雪を掻き分けて、至極真面目に、そして生き生きと働いた。

 他の囚人達も、そうだった。

 どうやら、エルヴィスの魔法は、看守達だけでなく、囚人達にまで届いたらしい。彼らは皆、表情を綻ばせながら、暖かさの中、作業に従事した。彼らはエルヴィスに声を掛け、礼を言い、そして、エルヴィスはそれに少々楽し気な顔をしていた。

 ……グレンにはエルフの感覚は分からない。だが、どうやら、エルヴィスは人間達のために何かしてやることに、少々の楽しさを見出したらしい。

 人の役に立てるということは、それなりに楽しいものだ。グレンもそれをよく知っている。仕事をすることの喜びはそこにあるのだ。

 久しぶりにそれを思い出して、グレンはまた、笑みを浮かべつつ雪かき用のスコップを動かす。何か、歌でも口ずさみたいような、そんな気分だった。


「エルヴィス、ありがとう。おかげで随分助かったよ」

 その日の夕食の席で、グレンは改めて礼を言った。するとエルヴィスは嬉しそうに笑う。

「こういうのも悪くないな。俺としても、魔法をこういう風に使うのは入所して以来初めてだったからな。なんだか楽しかったよ」

 エルヴィスが楽し気なのを見て、グレンもなんとなく、嬉しくなる。このエルフが収監31年目にしてようやく得た機会を、グレンもまた、喜んだ。

「エルヴィス。ところで、1つ聞きたいんだが」

 ……そして同時に、グレンは1つ、気になることを聞く。

「君の左手首の、それ。それって、魔法を封じるためのものじゃないか?」

「ああ、そうだ。看守とのやりとり、見てただろ?」

 今、エルヴィスの左手首には、例の手錠が掛かっている。……だが。

「……だとすると、シャワーを直した時のは」

 この手錠を掛けられつつもエルヴィスが魔法を使っていたのを、グレンは知っているのである!

「おおっと、それは内緒にしておいてくれ」

 案の定、エルヴィスはにやりと笑って、グレンの言葉を遮った。それも、至極楽し気な顔で。

「……まあ、こんなものに大きな意味は無いんだが、それはそれとして、これが無いと人間達は安心してエルフを収監しておけないらしいからな」

 成程。どうやら、『そういうことにしてある』ということらしい。

 31年間も、よくもまあ『魔封じの手錠に意味が無い』ことを知られずに過ごせたものだと思うが、このエルフならそれも可能だろうな、とも思う。

「ああ、そうだ。近々、俺が食事当番の時が来るから、楽しみにしといてくれ。美味いものを作るから」

 上機嫌にそう言って、エルヴィスはまた、夕食に意識を戻し始めた。……さて、エルフの作る食事は、どんなものになるのだろうか。グレンは『楽しみ』がまた1つ増えたことを喜びつつ、それからも看守に見つからない程度に、エルヴィスとの雑談を楽しむのだった。


 ……その日、グレンは久しぶりにぐっすりと眠った。というのも、エルヴィスの魔法の効果は丸一日続くらしく、夜、眠る時にもまだ体が冷気から守られていたのである。

 是非、毎日こうであってほしいものだ、と思ったが、残念ながら、グレンが目覚めて朝食を摂る頃になると、魔法の効果が切れ始め、作業を始める頃にはすっかり元の寒さが戻ってきていた。今日は屋内作業の分まだマシだったが、それにしても、一度味わってしまったエルフの魔法は、すっかりグレンの心を掴んでいたのである。

 ……そして。


「エルヴィス・フローレイ!来い!」

 恐らく、看守も。

 ……更に翌日、朝の作業前に看守に連れていかれるエルヴィスを見て、グレンは看守に内心で『気持ちはよく分かるよ』と思っていた。




 それから、エルヴィスは毎朝看守に呼び出され、そして魔法を使って帰ってくるようになった。グレンはエルヴィスから『あいつら、魔法を使った途端に上機嫌になるんだよ。やっぱりアレだな、看守だろうが囚人だろうが関係なく、人間にとって寒さっていうのは本当に堪えるんだな』と楽し気な報告を受けている。

 そして同時に、看守の機嫌がいいことが増えたので、刑務所の中が幾らか、和やかになった。

 以前はとろとろと作業をしていた囚人は見つかり次第サーベルの鞘で殴られたり鳩尾を突かれたり、はたまた足蹴にされたりしていたものだが、最近はそれも減った。負傷者がすっかり減って、救護室が満員になることも無くなった。

 面白いものだ、と、グレンは思う。

 人間というものはどうも、嫌なことが少なくなれば、他者に嫌がらせをすることが減るらしい。逆に、嫌なことや生命の危機、退屈な仕事などが増えていくほど、嫌がらせが増えていく。

 元々、郵便局で働いていた時も似たようなことを感じたことはあった。イライラとして高圧的な客は大抵、日々の余裕が無い貧民か、或いは時間に追われて働く労働者だった。金と時間があり、身体の苦痛を一切抱えていない者は、郵便局員がミスしても大らかだったものである。

 そんなことを思い出しながら、グレンはここ3か月余りで学んだことを、噛みしめる。

 ……この刑務所に居るのは、人間なのだ。

 グレンのように不名誉な冤罪で投獄された者もいれば、くだらない犯罪を自らの愚かさから犯して投獄された者も居るし、賢く冷静に、そしてどこまでも冷徹に計画を立てて犯罪行為に及んだような者も居る。暴力的な看守や、無気力な看守も居る。

 ……まあ、とにかく、穏やかで尚且つ理知的な者は少ないが、それでも、ここに居るのは人間なのだ。1人のエルフを除いては。

 こんな場所に居ることをグレンは望んでいないが、それでも、多少、この中で生きていく方法を模索し始める気力が湧いてきてもいる。




 その日の夜。グレンは夕食の席でエルヴィスに声を掛けられ、隣同士に座る。

 今や、2人はほとんど隣同士に座る仲である。植物が好きな者同士、そして知識が豊富で攻撃的ではなく穏やかな性分の2人は、やはりそれなりに気が合ったのだ。グレンはエルヴィスについて、この刑務所の外で出会っていたとしても友人になれたんじゃないか、と思う。

「グレン。明日から、朝飯の後、できるだけ食堂の、中庭とは反対の方の壁際にいてくれ」

「え?」

 そして、唐突に切り出された内容に、グレンは面食らう。

「……中庭とは反対の方の壁際、というと、あのあたりか?」

 グレンは今いる食堂の奥の方……薄暗い一角を指し示す。何もない一角である。強いて言うならば、食べ終わった後に食器を下げる棚の近くの、壁だ。

「ああ。あそこらへんに居てくれ。できるだけ早めに飯を食い終わってあそこに立っててくれるといい。きっといいことがあるぜ」

 エルヴィスはそう言ってにやにや笑っているが、その意図がまるで読めない。グレンが尋ねても理由を説明する気は無いらしいので、グレンは早々に解明を諦める。どうせ、明日の朝、エルヴィスの言う通りにしておけば分かることだろうから。


 そうして翌日。

 起きて独房から出たグレンや他の囚人達は、食堂へと向かう。

 ……だが、その中にエルヴィスの姿が無い。おかしいな、と思いながらも、グレンは食堂で自分の分の朝食を取り、そして、昨夜エルヴィスに言われた通り、急いで朝食を食べる。

 今日の朝食は、黒パンのスライスが一切れに、リンゴの串切りが2つ。そしてスクランブルエッグが二匙程度だ。片付けるのに、そう時間はかからない。尤も、すぐ朝食を片付けたからといって他にやることがあるわけでもない囚人達は、それらをゆっくりゆっくり食べるのが常なのだが。

 グレンは素早く朝食を片付けると、食器類を下膳して、そして、エルヴィスの言っていた壁際に立つ。……だが、特に何がある訳でもない。

 それでもグレンはその壁際に居続けた。エルヴィスが何の意味も無くあんなことを言うとは思えなかったし、今のところ、エルヴィスの言う通りにして悪いことは起きていない。もう少し待ってみよう、と思わされるだけの信頼が、エルヴィスにはあるのだ。


 ……そのまま5分か10分ほど、待っただろうか。

 ふと、グレンは温かな毛布でふわりと包まれたような、そんな感覚を得た。

 覚えている。これは、エルヴィスが雪かきの時に使っていた魔法だ。寒さを凌ぐための、便利な魔法!

 素晴らしい魔法によって、グレンは守られた。これなら、多少隙間風の多い作業室で作業をしていても寒くないだろうし、雪かきの作業だって然程辛くない。

 エルヴィスが昨夜言っていたのは、これだったのだ。恐らく、壁の向こうでエルヴィスは看守達のために今の魔法を使ったのだろう。そして、その魔法の範囲内に、ぎりぎり、この壁付近も巻き込まれるのだ。

 グレンは心からエルヴィスに感謝しつつ、食堂を出て集合場所へ向かうことにした。




「な?いいことがあっただろ?」

 その日の作業は軍用コートの検針作業だったが、それをやる傍ら、エルヴィスはにやりと笑ってグレンにそう、言ってきた。

「ああ。本当にいいことがあったよ。ありがとう」

 グレンはコートのポケットをひっくり返して確認しつつ、エルヴィスに礼を言った。

 実際、エルヴィスのおかげで今日は随分と暖かい。作業部屋の中も隙間風や染み入る冷気によって冷えているのだが、エルフの魔法があればそれらも防げるらしい。非常に有難いことに。

「今日から、全ての看守を対象に、朝食のあの時間ともう一回、耐冷魔法を使うことにしたんだ」

 エルヴィスはそう言いながら、コートに残っていたらしい待ち針を一本、そっと抜き出した。検針作業の甲斐があるな、とエルヴィスは笑う。

「まあ、一気に大勢に掛けるものだから、人数で指定するんじゃなくて範囲で指定した方が手っ取り早い。それで適当に範囲を取ると……お前が立っていた、あの食堂のあの壁の向こうまで、範囲に含むことができそうだと思ってな」

 エルヴィスはそう言って笑って、また待ち針を一本、取り出した。尚、その待ち針はそっと、エルヴィスのポケットの中へと消えていったが。針も何かの魔法の材料になるのだろう。

「……それ、君の負担にはならないのか」

 そして、グレンはふと、心配になってそう尋ねた。

 魔法というものがどういうものなのか、グレンは詳しいところをまるで知らない。人間からしてみれば、ただどこまでも未知の、それでいて便利な力、という程度の認識でしかないのだ。実際に魔法を使うエルフにどんな負荷が掛かっているか、グレンにはまるで想像ができない。

「まあ、全く負担にならない、と言ったら嘘になるな。魔力を消費するわけだし」

 案の定、エルヴィスはそう言って頷いたが……少々軽い調子で、こて、と首を傾げた。

「ただ、大した負担じゃあ、ない。精々、少しそこらを走り回る程度にしか消耗しないしな。多少は運動もした方が体にいいだろ?そういうもんだ」

「そう、ならいいんだが」

 エルヴィスの返答に半ば安心しつつ、実際のところを確かめる術はない。彼が嘘を吐いているとも思い難かったが、嘘を吐いていてもそれを暴く術は無い。

「それに……『見返り』が十分に貰えそうだからな」

 ……だが、グレンはエルヴィスを心配しないことにした。

「魔法の見返りに、看守用の食事を貰えることになったんだ。おかげで今日はシナモンスティックが丸ごと一本、手に入った。ホットワインのジャグの中にあったのを拝借した!」

 何せ、エルヴィスは大層、嬉しそうだったので。


「もっと早くからこうしてりゃ、よかったな。31年も窮屈に過ごす必要は無かった」

 にこにこと上機嫌なエルヴィスを横目に、グレンは笑う。

 楽しそうなエルフを見るのは、中々楽しい。次は一体何をやるんだろう、と思えば、余計に楽しい。

「それで、君は次に何をやるつもりなんだい?」

「そうだな……春になったらやりたいことが幾らかある。冬の間には、まだ、無いな。うーん……グレン、何か思いつくものは無いか?」

 エルヴィスの話を聞いていると、グレンは何か、自分に翼が生えたような、そんな気分になる。

 全く自由ではない身の上であるというのに、まるで自由の身になったような、そんな気分だ。決して悪くない気分で、本来、人間は皆、こうした気分であるべきだろう、と思われる気分である。


「1つ、提案がある」

 心に翼を得たようなグレンは、頭の中に浮かんだアイデアを、早速、エルヴィスに打ち明けることにした。

「花壇を、作れないかな。……いや、まあ、実はもう、ちょっとだけ、できているんだが」

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[気になる点] 恋人さんは面会にも差し入れにも来ないのかしらー。
2023/02/22 22:24 退会済み
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