明るく楽しく変な奴*3
レナードは、音楽を生業としていた。昼はカフェでウェイターとして働き、夜はその近くの小さなバーやレストランでピアノを弾いていたのだ。
静かな夜に似合うしっとりと穏やかな曲を演奏していたこともあるし、賑やかなバーの喧騒に似合いのくだけて少し調子の外れた曲を演奏していたこともある。時にはピアノを演奏するのではなく、笛を吹くこともあったが、とにかく、そうして音楽に携わって生きてきた。
ピアノ弾きの仕事は、大して稼げる仕事でもなかったが、レナードはそれらの仕事を気に入っていた。自分が演奏する曲がその場の空気に溶けて、一つの雰囲気を作り出すのを楽しんでいた。
レナードは美しいものを好むが、それら美しいものは皆、レナードに音楽を与えてくれる。風の声も、水の歌も、重厚な古城も森色の目をしたエルフも、全てがレナードが奏でる音楽の元になっている。レナードにとって音楽とは、自らの表現でもあり、世界が自分に対して見せてくれる表現でもあった。
……つまるところ、レナードは音楽が好きなのである。作業中に鼻歌を歌い始める程度には。
「楽器?いやー、そんなもん無いな」
が、現実は非情である。仕方ないと言えば仕方ないが。何せここは、刑務所だ。楽器など、置いてある方がおかしい。
「そうか。まあしょうがないね。じゃあ、囚人の情操教育のためっていうことで、購入を看守にお願いすることは?」
「前ならできたかもな。だが……所長が変わってから、そういうことも難しくなった」
そして新たな購入も厳しそうである。エルヴィスの表情を見て、レナードは不安になりつつ、尋ねる。
「……というと?」
「うん。10年ちょっと前に、ブラックストーン刑務所の所長が変わってな。そうしたら、随分と厳しくなっちまったんだよ」
エルヴィスから出てきた言葉を聞いて、レナードは不安半分、そして、新たな物語との出会いへの期待半分で、その続きを促すことにした。
「今のブラックストーン刑務所は、とにかく金の関係が汚くてね」
エルヴィスはそう言ってため息を吐きつつ、手近な草に手を伸ばし、ふに、ふに、と指先でそれを触って手慰みにしつつ、思い出すように話していく。
「ムショの中で使うものは、特定の企業だけから購入してる。洗剤、石鹸、消毒薬……あと、食品もそうだな。チーズもソーセージも、全部特定の企業からそれぞれ購入してるものだ」
レナードはそれらを聞いて思い出す。あの貧相な食事の皿に載っていた食品の類や、シャワールームで浴びた消毒薬、そしてシャワーの横に設置されていた石鹸の類……それら全てが、この古い刑務所にはどこかちぐはぐで、いっそ冷たさまで感じさせるほどにおざなりだった。
そして、わざわざ特定の企業からそれらを購入している、ということの意味は、レナードにも察しが付く。
「つまり、賄賂を貰ってる。そういうことかい?」
「ご名答!」
エルヴィスは半ば自棄のようにレナードを讃え、そして、深々とため息を吐いた。
「……まあ、そういうことなんだ。この刑務所は今、大手企業から所長が賄賂を受け取っていて、その見返りに刑務所で使うものをその企業から購入してる、っていう状況でね」
話を聞くにつれ、レナードもエルヴィスと同様、ため息を吐きたい気分になってきた。この刑務所の悪い所が全て、不正によって生まれたものであったとは。これは実に嘆かわしい。
「それ、訴えたりとかは?」
「してるんだが、ここの所長が企業の連中から『個人的な会食の誘い』を掛けられるのもそれに応じるのも別に違法じゃないし、所長が特定の企業の製品を選ぶのも、『他社製品より安い』とか『こういう点が優れている』とかの『適切な理由』があるなら違法じゃないんだそうだ」
更に、所長はどうやら上手くやっているらしい。『確かな金の流れはあるが、法の線引きでは裁かれない』というところに踏み止まっているらしいというのだから、いよいよ救いがない。
「で、所長がそんな調子だからか、看守も厳しくなっちまった。やりづらいのはそういうことだ」
「ああ、それは何となく雰囲気で分かるよ。うーん、とんでもないところだね、ここは」
所長に看守に、問題だらけだ。この刑務所の建物や庭、そしてエルフなんかはすっかり気に入ったけれどなあ、とレナードは嘆く。
レナード自身としては、他者が多少の不正を働いていたとしても、誰かが傷ついたり誰かが損をしたりしないのであればどうでもいいと思っている。だが、こうして自分や他の囚人、そして何より『ブラックストーン刑務所』に害を及ぼす不正については、嘆きたい気持ちになってしまうのだ。
「まあ、あと10年もすれば所長はまた代替わりするんだろうけどな」
「長いねえ」
「ああ、うん、人間には長いよな。刑期が終わる奴ばっかりだ……」
成程、エルフにとって、10年は大した長さではないらしい。レナードはまた1つ学んだ。
「……ということは、まあ、僕がここに居る間には楽器の供給は見込めない、ということか。参ったなあ」
そして同時に、レナードは眉根を寄せた。
これから先、刑務所の中に楽器が導入されることはまず無いと見ていいだろう。楽器の製作会社から賄賂でも贈られれば別なのだろうが。
「まあ、食事が酷いのは仕方がないにしろ、楽器はどうにかしたいなあ」
「そんなにか?」
「僕、音楽が無いと死ぬんだよ……」
「そりゃ大変だ」
エルヴィスは『俺も植物が無いと死ぬからなあ』とのんびり言うと、ふと、レナードの顔を見て……それから、首を傾げつつ、聞いてきた。
「じゃ、作るか?」
午後の作業にぎりぎりで駆けこんだレナードとエルヴィスは、看守に睨まれつつもそれぞれに作業を開始した。
……そうして2人が作業を始めてしまえば、看守達は何も言えなくなった。
何せ、エルヴィスも、そしてそれ以上にレナードが、速い。
今日の作業は箱にリボンを掛けていく作業なのだが、それが、周りの囚人達がぽかんとして見つめてしまう程に、手早いのだ。
しゅる、とリボンが引き出されたかと思えば、くるくる、と箱が回り、そしてリボンはいつの間にか綺麗に交差して、そして美しく整った蝶結びが生まれて、そして最後に、ぱちんと余分が鋏で切られて、また箱が一つリボンを纏う。
それを流れるような手つきで進めながら、レナードはそれなりに楽しくやっていた。色鮮やかなリボンを見ているのも、それに触れるのも、まあ、楽しい経験である。リボンを上手く手早く掛けられたら楽しいし、一種の遊びのようにも思えるのだ。
「お前、器用だなあ」
「まあね。職場のカフェでは『最優秀雑用係賞』を店長から直々に賜ってたよ」
感心した様子のエルヴィスにウインクを一つ飛ばして、レナードはまた一つ、箱のリボン掛けを終えた。この速度で仕事を進めていれば……そしてレナードが歌を歌わなければ、看守達もレナードに何かを言おうとはしない。それもまた、レナードをにっこりさせる要因となった。
どういう形であれ、自分の仕事の成果が認められるというのは嬉しいものなのだ。
作業を終え、シャワーを浴びて、貧相な食事を摂って、そしてレナードは独房に戻る。自分の荷物を整理したり何だりして、それからベッドへ潜った。
独房は悪くない居心地だった。そして何より、レナードには明日からの希望がある。
エルヴィスは、『作るか』と言ってくれた。確かに、簡単な楽器であれば、刑務所の限られた資材だけでも作れるだろう。例えば、太鼓だとか。
最初は原始的な楽器からでいい。少しでも何か、音を楽しめるものがあったらそれでいい。ある種、人間は体そのものが楽器だ。歌えば自由に音を鳴らすことができるし、手を打ち、足を踏み鳴らすことだってできるのだから。それに加えて更に楽器があったら、更に素晴らしくなる。
「楽しみだなあ」
呟いて、レナードはベッドの上でもそもそと体勢を整える。楽な姿勢を探して数分もそもそもそもそ動いて、ようやく丁度いい姿勢に落ち着くと、今度は眠るべく意識を夜の闇に溶かしていく。
……そういえば小さい頃、『眠ってこのまま明日の朝、目が覚めなかったらどうしよう』などと心配になったこともあったなあ、と思い出してくすくす笑いつつ、そっと、レナードは眠りに就いた。
翌日。レナードは実に、模範囚であった。
起床の合図と共にさっとベッドから出て、手早く身支度を整え、そしてすぐさま整列した。整列する際には「おはようございます!」と元気よく看守に挨拶し、鬱陶しがられた。
それから食堂へ向かい、そこで楽しく食事を摂った。今日もまた、所長が賄賂を受け取っているのであろうメーカーのチーズに安物のパンが1切れだったが、なんと、そこにソーセージがついていたのでレナードは思わずにっこりした。肉って美味しいね、と思いつつ、レナードは貧しい食事を最大限に楽しんだ。
それが終わると、レナードは作業室へさっと向かい、そこで昨日同様、素晴らしい速さで作業を進めていった。
今日の作業は、服のボタンの仕分けだった。大小も色も形もバラバラに混ざり合ったボタンを、種類ごとに分けて箱に入れていくのだが、これもまた、レナードは誰よりも素早く正確に作業を終えていく。
それでいて、『この貝ボタンは素敵だ!』『このボタンは素朴でかわいらしいね』とボタンを楽しむ余裕もあったので……周囲からは非常に不気味がられた。『あいつ、作業が早すぎて気持ち悪いな……』『あいつ、作業中ににこにこしてるぞ……』ということらしい。その不名誉な評価を、レナードは後にエルヴィスから聞いて笑い転げることになったが。
さて。こうして実に模範的、かつ模範的すぎて少々気持ち悪い囚人として周囲に文句を付けさせない成果を上げたレナードは、休憩時間になると即座にエルヴィスを捕まえて、庭へ向かっていった。
「さあエルヴィス!早速で悪いけれど、楽器作りを手伝ってくれるかな!」
今日も花が咲き乱れ美しい庭で、そうエルヴィスに持ち掛ければ、エルヴィスは何やら悟りを開いたような顔で頷いた。
「なんか、お前、本当に元気だなあ……」
「えっ?そうかい?」
「ああ。お前みたいに元気な奴を見るのは久しぶりでなあ……ちょっとびっくりしてる」
苦笑するエルヴィスを見て、レナードは『僕、張り切り過ぎたかな』と少々心配になってきた。自分が変人の部類に入ることは、レナード自身、自覚済みである。それを誇ってもいるが。
「だが、不快じゃないぜ。変化があるっていうのは楽しいことだしな」
「そうかい?それならよかったよ」
エルヴィスは気にしていないらしい。むしろ楽しんでくれるというのなら、それこそレナードにとって願ったり叶ったりだ。レナードは心配を投げ捨てて、早速、エルヴィスと一緒に楽器作りに励むことにした。
「じゃ、こいつを使うか」
エルヴィスはレナードを連れて移動していき、そこで庭の一角、小さな池の近くに生える植物を指差した。
そこに在ったのは、青々とした茎を真っ直ぐに伸ばす、風変わりな植物である。葦にも似ているが、大きい。レナードの知らない植物だ。
「風変わりな植物だね。これは一体なんていう植物なんだい?」
「鷹葦って呼んでる。エルフの森の植物なんだが、懇意にしてる花屋が寄付してくれたんだ」
エルヴィスはにこにこと嬉しそうにそう言うと、その鷹葦の根元にしゃがんで、よいしょ、と、その一本を切り取った。
「こいつ、中が空洞だからな。上手くすれば笛ができるんだ。エルフ達はそうやって作った笛で鳥を呼ぶ」
レナードは、自分の知らない世界の話を聞いて、目を輝かせる。レナードはエルフの里の話が大好きなのだ。
「素晴らしい!ああ、エルヴィス。実に光栄だよ!エルフの文化をエルフから教わることができるっていうのは!」
思わず賞賛すると、エルヴィスは、ぱちり、と目を瞬かせて、それから、にやりと笑った。
「ま、楽しんでくれる奴が居るなら、俺としても嬉しいよ。……さて、作るか。穴開けるのが面倒なんだよなあ」
レナードにつられたのか、どこかうきうきとした様子のエルヴィスは、早速道具を取りに行った。
エルフの笛は一体どんな音がするのだろう、と高鳴る胸に急かされるようにして、レナードもまた、エルヴィスを追いかけてうきうきと歩いていくのだった。