明るく楽しく変な奴*1
レナード・リリーホワイトは王国歴302年の夏、ブラックストーン刑務所に入所した。
石畳はすっかり罅割れ、その罅を埋めるように苔が生えている。そこを魔導機関車が走っていくのだが、その光景をレナードはすっかり気に入った。
ブラックストーンは鄙びた土地だ。この辺りだけ十年以上、時が遅れているように見える。魔導機関車もあまり多くない。鉄格子のついた窓越しに見えるのは、ガタゴトと進んでいく馬車の姿だ。その向こうに見えるのは、美しい黄金色の麦畑。
抜けるように青い空には、白くくっきりとした雲。鉄格子を通して吹き抜ける風は生温くも、草の香りに日向や泥の香り……夏の田舎の香りを運んでくる。
……これは随分と田舎に来たものだ、とレナードはにっこりする。鄙びた景色、少しずつ廃れて滅びへ向かっていく町の姿は、哀愁を感じさせて中々良い。
やがて、ブラックストーン刑務所が見えるようになる。レナードは『おや、ここが噂に聞くブラックストーンか!』と表情を綻ばせた。
この刑務所は美しい。黒い石材でできた古の城は、重々しく厳めしく、確かな歴史を感じさせる。
錆びついた鉄の門が軋みながら開く音も、そこを抜けていく魔導機関車の車輪の音も、どこか物悲しくも美しい音楽に聞こえる。
ブラックストーン刑務所の門を抜け、いよいよ古びた城内へと入っていく時には、レナードは心より、この素晴らしい城へ敬意を抱いた。
この刑務所の評判はあまり良くないが、つまらない漆喰で固めただけの刑務所に入れられるよりは、古き良き時代の浪漫に思いを馳せられるこの刑務所に入れられた方がいい。
美しいものは、好きだ。
レナードは、自分の心を震わせる美しさに出会う度、生きる意味をそこに見出す種類の人間であった。
レナードが古城へ捧ぐ歌を考えながら鼻歌を歌っていると、魔導機関車の戸が開く。
「到着したぞ。出ろ」
粗暴な振る舞いを見せる看守が半ば強引に囚人達を引きずり出していく中、レナードは看守の手を借りることなく、するり、と魔導機関車を降りる。そうしてうきうきと囚人達の列へと並んで、うきうきと進んでいけば、看守が怪訝な顔をした。
だが、感動に震えるレナードの心には、看守の奇異の目などまるで届かない。
……目の前に広がるホール。その壁面にぐるりと並んだ無数の独房の鉄格子。まるで壮大な交響曲を聞いた時のような感動に、レナードは只々、目を輝かせていた。
これは中々に美しい場所だぞ!……と。
「一列に並べ!消毒を行う!」
刑務所に着いたレナード達、囚人十数名は、最初にシャワールームへと連れていかれた。
そこで服を脱がされたかと思えば一列に並ばされて、消毒用の薬液らしいものを掛けられる。
廉価なものらしい消毒薬からは、鼻をつく刺激臭がした。更に、薬液のかかった肌がひりひりと痛み出す。
これはよろしくない。実に、よろしくない。
少し前に流行った疫病への対策なのだろうが、だとしたらこんな廉価版の薬液ではなく、きちんとしたポーションの類でも使ってくれたらよいのに、とレナードは思う。
だが、それも難しい話かもしれない。都市部ではポーションの類がすっかり普及しているが、残念ながら、こうした田舎の方ではポーションに対する忌避感が未だに根強いのだと聞く。
『それにしてもこの薬液は酷いな』とレナードは内心で愚痴りつつ、続いて、作業所へと連れていかれる。
作業所では、これから先、囚人達が行うべき作業について多少説明されたが、レナードは『よく分からないな』というだけの感想を抱いた。
説明役の看守もまるでやる気がないらしい。分かりやすい説明や細かな解説などは彼の望むところではないのだろう。
そうしてレナード達は、食堂へと連れてこられる。
食堂では丁度、他の囚人達も食事を摂っていた。看守が『あのカウンターへ行って自分の食事を受け取れ。その後は好きな席で食って、カウンターへ食器を戻せ』と言って去っていったので、早速、レナードはカウンターへ並ぶ。
カウンターでは囚人達が働いていた。食事当番があるのだろうな、と推測しながらレナードは大人しくカウンターに並び、そして、食事のトレイを受け取って『ありがとう』と礼を言って食事当番に微笑み……さて、席に着いて、食事を見て、少々落胆した。
食事は、随分と貧相だった。大手メーカーが手掛ける廉価なチーズが包装のまま2ピースほど。焼き直してもいないパンが無造作に1切れ。そしてこちらも大手メーカーのスープ缶を温めただけに見えるスープ。以上である。
「風情が無いなあ」
レナードはため息を吐きつつ、食事を食べ進める。
こんな風情のある古城での食事なので、清貧であることには反対しない。だが、それならもっと丁寧に貧しさを演出してほしい。金を惜しむなら手間は惜しまずにいてほしいものだが、どうやらここでの食事にはそれを期待できないらしい。
レナードは『僕が食事当番になった時にはもう少しまともなものを用意したいものだ』と心に思いながら、味気ないチーズを口に運び、『まあ、これはこれで悪い味ではないが……』と気を取り直したのだった。
食事が終わったら、独房へと入れられた。
蒸し暑い夏にも関わらず、独房は少しひんやりとする程度である。石造りの建物特有の涼しさに、レナードは少々、嬉しくなる。
中々先が思いやられそうな刑務所生活の始まりだが、それでも、レナードは希望を失わなかった。
きっと、刑務所とはいえども、土のある場所には雑草の1つくらいは生えているだろう。ならばそれを愛でてみてもいいし、吹き抜けていく風に耳を傾けてみてもいい。
この刑務所自体が美しい建物であるように、探せばいくらでも、愛せるものがあるはずだ。そしてそれらの美しいものは、きっと、レナードの日々の楽しみとなるだろう。
レナードは粗末なベッドの上、のびのびと手足を伸ばして眠りに就いた。
きっと、明日も何かいいことがあるだろう、と楽観的に思いながら。
翌日。レナードはゆっくりと食事を摂った。
朝食は昨夜同様に粗末なものであったが、ついていたリンゴは多少古かったが瑞々しさを残しており、それなりに美味かった。
……そうして朝食を摂り終えると、ふと、レナードは気になる光景を見つけた。
何故か、囚人達が壁際に固まっているのである。
あれは一体、何だろうか。レナードは考え始める。
……答え合わせのためにさっさと近くの囚人に聞いてしまってもいいだろう。だが、レナードはそうしない。
囚人達が壁際に固まっている謎の現象の理由を今日一日、考えてみてもいいと思ったのだ。偶には名探偵を気取ってみるのも悪くない。それに、『あれはどういう理由だろう?』と考えていれば、面白い突飛なアイデアが浮かぶこともあるかもしれない。
レナードは早速、食堂の囚人達の不思議な行動について考えながら、その日の作業を始めることとなった。
今日の作業は、瓶にラベルを貼る仕事だった。実に単純で、実につまらない作業である。レナードとしては、瓶に対して斜めに傾くようにラベルを貼ってみると中々風情があっていいと思うのだが、ラベルは真っ直ぐ貼らねばならないらしい。そう言われてしまっては仕方がない、レナードは『如何に完璧に、真っ直ぐラベルを貼るか』という楽しみ方で作業に従事し始める。
……そうしてレナードが作業を進めながら、鼻歌を歌っていたところ。
「おい」
看守がつかつかとやってきて、レナードを見下ろした。
「はい、何でしょうか?」
レナードはすぐさま笑みを浮かべて看守を見上げる。……すると。
「黙って作業しろ。私語は厳禁だ」
看守は苦々しい表情で、そう言った。
「私語……ああ、成程。音楽も一種の言語と言えるでしょうね。ええ」
実にその通りだ。そう思ってレナードが神妙な顔で頷く。すると看守は、ぎろり、とレナードを睨みつけ、一歩、距離を詰めてきた。
「貴様、舐めているのか?」
看守の手は、警棒へと伸びている。レナードは『おやおや、これはいけない!』と慌てて椅子から立ち、弁明するべく口を開く。
「舐めているなどとんでもない!いや、ご気分を害されたなら申し訳なかった。心より謝罪します」
さっさと喋ってしまってから、即座に頭を下げる。この瞬時の判断力と実行力、そしてこのプライドの低さが、レナードの持ち味である。
こうしてさっさと謝ってしまえば、看守もこれ以上レナードをどうこうする気は失せたらしい。ただ、ずい、とレナードの眼前に迫って、強く睨んで、看守は低く言う。
「貴様がキチガイだろうがどうでもいいが、風紀は乱すな。いいな?」
それきり、看守はさっさと踵を返して行ってしまった。レナードはその背中に向けて『仰せのままに』と一礼した。
……看守は一瞬足を止めかけたが、結局はそのまま、去っていった。レナードはにっこり笑って、彼を見送ることにした。
昼食の後は、休憩時間がある。レナードはこれを大いに喜んだ。
中庭に出てみれば、夏の日差しが眩く降り注ぎ、実に暑い。だが、その中にも爽やかな風が吹き抜けて、中々居心地は悪くない。
中庭では談笑している囚人や、ボールを投げ合う囚人の姿が見られた。それらを眺めつつ、レナードは中庭の隅の方へと進んでいく。何か素晴らしいものが見つかるといいね、と淡く期待しつつ。
……だが、その淡い期待が吹き飛ぶほどのものが、そこにあった。
「……美しい」
そこには信じがたいことに、花園があった。
夏の日差しに負けない程に眩く美しい花が咲き乱れ、色鮮やかに庭が彩られている。
中でも目を引くのは、その純白がいよいよ眩しく映える百合の花壇だ。よくよく見てみると、その百合の中にはガラスのように透き通った花弁のものまで存在している。エルフの森にのみ自生するという珍しい品種の百合だろうが、何故、そんなものがこの刑務所にあるのだろうか。花園はいよいよ興味深く、そして、美しい。この光景に合わせるなら、ハープの軽やかに澄んだ音がいいだろう。
「ん?お前は……」
……そして花園の奥から、1人の人影が現れる。
それを見て、レナードはいよいよ感極まって、叫んだ。
「美しい!」
枯れ草の髪に森のような色の瞳を持つその人物を見てレナードは感激していた。
彼は当然囚人なのだろうが、その割に自由を感じさせる雰囲気がなんとものびやかで美しい。それに加えて、何故だか植物に囲まれているのがよく似合う。まるで、歴史ある大木や若々しくのびやかな植物が人の形を取ったような姿は、一枚の絵画のようでもあった。
……レナードの目の前で、美しい人物はぽかん、としていたが……やがて、ぴんときた、とでもいうかのように表情を明るくして、言った。
「ああ!あの変なやつか!」