花咲く魔導製薬
アイザックの出所は多くの囚人達に惜しまれつつも、喜ばれた。囚人達は皆、アイザックが刑務所の中に居るよりも、さっさと外に出た方が幸せになれるだろうことを知っていたのである。
だからアイザックも、必要以上に別れを惜しまなかった。
どうせまた、会える。……また、会えるようにしなくてはならない。
アイザックはブラックストーン刑務所から出る馬車に揺られながら、強く、希望を抱いていた。
出所後のアイザックはしばらく、トレヴァー家で世話になることになった。
……というのも、アイザックが元々住んでいたのは働いていた工場の社員寮で、そして、アイザックはムショ入りと同時にそこをクビになっている。住まいを失っているアイザックは他に行くアテも無く……申し訳なかったが仕方なく、『弁護士が提供した住まい』に住み着くことになったのである。
そこでアイザックは毎日、花屋の仕事を手伝った。
花屋の仕事は案外、力仕事が多い。少々体力の落ちてきたグレン・トレヴァーに代わって、あれを運び、これを運び、と大いによく働いた。奉仕作業も相変わらず行っていたので、その度、アイザックはエルヴィスに会うことができたし、エルヴィスも『アイザック、お前、会う度立派になってくなあ』と嬉しそうにしていた。
アイザックが働くことについて、グレン・トレヴァーも嬉しそうであった。アイザックとしては、自分がここで働いていることをよく思わない客もいるのではないか、と不安だったのだが……その心配も、すぐに消し飛んだ。
何しろ、アイザックはアイリスの言っていた通り、『時の人』であったのだ。
国内初の『仮釈放制度適用例』であるアイザックは、大いに人々の注目を集めた。何度か雑誌社の取材に応じ、アイリスやエリカの助けも得ながら、少しでもこれから出てくる囚人達に有利になるよう、世論を誘導していった。
おかげで、『もっと仮釈放制度の適用例を増やしてよいのではないか?』『少なくともアイザック・ブラッドリーの例は非常に上手くいっている!』と世間が騒ぎ出し、再び、ブラックストーン刑務所には仮釈放の打診が行われようとしているらしい。
……取材で入った金は、グレン・トレヴァーに家賃として納めようとしたのだが、『それは君に支払われるべき対価なんだから、君のものだ。とっておきなさい』と言われてしまい、結局、工場の為の貯金になった。グレンの言い分では『君が居るだけでこの店は繁盛しているからね。家賃はそれだけでもいいくらいだ』とのことである。実際、アイザックが働いている様子を見に来る人も多かったため、花屋の売り上げはアイザックが来てからずっと伸びている有様である。
アイザックの周りでは、色々なことが次々に変わっていく。
花屋の売り上げは伸び、グレンはそれに伴い忙しそうながらも楽しそうに働き、エリカは弁護士としてアイリスの下で経験を重ねて巣立ちを目指し……世間はアイザックを見て、『案外、囚人の中にもまともな奴が居る』と認識を改めていった。
そうして世論が大分動いた冬。
アイザックはいよいよ工場を始めるべく、出資を募ることになった。
「よかったわね、アイザック!おめでとう!」
「……こんなにアッサリいっちまうと、なんか、納得いかねえっつうか……」
そうして出資の募集は終わった。いとも簡単に、終わった。
というのも、多くの者が出資を呼びかけてきたからである。アイザックは、流石にこうなることを予想しておらず、随分と面食らったが、アイリスは『まあ、予想通りよね』と笑っていた。
どうも、『人間がポーションを作れる』ということは、あまりにも革命的なのだという。
これによって今後大きく売り上げを落とすであろう製薬会社がアイザックへの出資を阻止しようと動いているらしいが、それよりも、『金の卵を生む鶏』であるアイザックを保護し、出資して育てて利益のおこぼれを貰おうと考える者が多いらしい。
勿論、ポーション作成の技術はエルヴィスから貰った技術だ。大切にしたいし、安易にばら撒くようなことはしたくない。だからアイザックはトレヴァー一家に協力してもらい、本当に受けるべき投資だけを選んで受けることにした。
「ところで、アイザック。君、うちからの出資も受けてくれるだろうね?」
「え?」
かと思えば、グレンにそう言われて、アイザックはまたも面食らうことになる。
「いや、流石に、申し訳ないです。その、俺、貰ってばっかりだから……」
「おや。悪いが、私は寄付なんてするつもりは無い。ただ、君が今後ポーションを作るための材料を、うちから仕入れてくれたらうちの利益になるからね。そういう意図で出資しようとしているだけさ。元はちゃんと取らせてもらうよ」
にやり、と笑うグレンが、少し、エルヴィスに重なって見えた。
どこまでも申し訳なさとありがたさを感じながら、アイザックはグレンの手を取ることになったのである。
絶対に恩は返すぞ、と、また決意を新たにしながら。
そうしてアイザックが出所して1年たらずで、小さな小さな工場が生まれた。
……そう。小さな小さな、工場、である。
その工場は、トレヴァー弁護士事務所の近所の空き家に設立された。
「わあー……すごい、こんな設備で、ポーションを作るのね!」
工場を見に来たエリカは、くるくると機材の周りを回って見て……首を傾げた。
「……思ってたよりちっちゃいわね!かわいい!」
「ああ、まあ……エルヴィスは、鍋1つで作ってたしな……」
工場となった空き家は、ごく普通の空き家であった。多少広く、至極殺風景ではあるが、それだけだ。
だが、ポーションを作るだけなら、これで事足りる。元々は、刑務所の中の古い厨房の中で作っていたものだ。そこに収まる設備だけでポーションは作れるのだから、然程大量生産するつもりが無いならば、取り立てて大きな場所は必要ないのである。
ガラスでできた大きなフラスコや、素焼きの壺。そういったものの間を繋ぐのは、魔導機関を組み込んだパイプの類であったり、計器の類であったり。
部品を組み立ててこの設備を作るのに、然程苦労はしなかった。何せ、刑務所の中で『先生』達がこぞって『エレメント計測用の装置を作る時は、温度計の中に入ってる部品を取り出して使うといい!部品だけ買うと高いんだが、温度計に入ってる奴をちょっと改造して使えば安上がりだから!』だとか『あの店で中古パーツが安いから使うといいよ』だとか、教えてくれたものだから。
「材料はコレよね?ふふふ、面白いわ。お庭の植物がポーションの材料になるなんて」
エリカは、籠に盛られた植物をつついてはにこにこしている。花屋の娘としては中々、この状況が面白いらしい。
ならば、エルヴィスがポーションを作るところを見たらさぞかし面白がるだろうな、と思う。彼がポーションを作っている様子は、本当に魔法のようだった。……否、本当に魔法なのだが。
「……その、最初に出来たポーション、あんたに一本、やるよ」
機材の確認をしながらエリカに背を向けた状態で、そう言う。面と向かって言うのはなんとなく、気恥ずかしかった。独りよがりな気がして、ただ、何気なく、気取らずに言いたかったのだ。
「礼にもならねえけど……」
「ううん、とっても嬉しい!」
だが、エリカはアイザックの前へ回り込んできて、向日葵か何かのような笑顔を向けてくるのだ。
「楽しみにしてるわ!あなたが思っているより、ずっとずっと、楽しみにしてるからね!」
……アイザックは頷いて、少しばかり緊張する。エリカに贈るのだから、最初に作るポーションは、何としても最高の出来にしなくてはならない。
アイザックは意気込んで、早速、機材を動かし始めた。
翌々日。
アイザックの工場の前には、取材にやってきた記者達が詰めかけていた。
アイザックが作ったポーションが、いよいよお披露目されることになったのだ。
「今はまだ、1日に20本か30本程度しか作れませんけど……その内、もっと多く、作れるようになると思います。品質はエルフ製から一段劣りますけど、効果は十分にある」
アイザックが見せるガラス瓶の中には、ごく僅かにしか濁りの生じていない緑色の液体が入っている。
エルヴィスが作っていたものに比べれば、品質は劣る。だが、初めて人間の作ったポーションということもあり、大いに注目されていた。
……このポーションは、誰にでも作れる。アイザックなどいなくても、魔導機関さえあれば、誰にでも。
だが、アイザックは、これを自分がやりたいと思っている。自分と、自分の仲間達がやるべきだと、強く思っているのだ。
だから、ポーション製造の各魔導機関には『特定の順序を踏まずに取り外すと爆発して自壊する』といった罠を仕込んである。誰かが機材を盗もうとしても、そうできないように。
……そうまでして自分達がポーションづくりを進めていきたいのは、ポーションを流通させることで、エルフの居場所を作りたいからだ。
将来……遠い遠い未来、エルヴィスがもし出所できるようなことがあったら、その時に、彼が生きていけるように、ポーションというもの自体を流通させておきたい。『エルフ製ポーション』の需要が高ければ、きっと、エルヴィスの役に立てる。そうでなくとも、エルヴィスの仲間達であるエルフの役には、立てるだろう。
……そして。
「この国には、馬鹿みてえな理由で喧嘩して死ぬ奴が、路地裏に大勢いる。……いつか、そういう奴らの所にまで、ポーションが届けばいいと、思ってます」
自分勝手な自己満足ではあるが、アイザックは……かつての自分のような奴を、助けたいと思った。
薄汚い路地裏では、馬鹿みたいな理由で取り返しのつかないことが起こる。
そうしたことが、少しでも、取り返しのつくことになればいいと思う。自分のゴミ屑のようだった人生が、少しずつ、真っ当に取り戻されているように。
またある日、アイザックはグレンに連れられて、エルフの里へ向かった。
『今後、君が直接ここと交渉することもあるだろうから』とのグレンの計らいだった。……アイザックより先に自分が死ぬと分かっているが故の行動だったのだろうし、自分達よりずっと長生きするエルフ達のための行動だったのだろう。
エルフ達は、初めて見る人間であるアイザックを大いに歓迎してくれた。アイザックは『エルフは人間を歓迎しない』と聞いたことがあったので、非常に不可解だったのだが……グレンやアイリス、そしてエリカがエルフ達に大歓迎されているのを見て、納得した。
要は、トレヴァー一家の信頼があるからこそ、そのトレヴァー一家が連れてきたアイザックのことも信用してくれるのだろう、と。だから自分は、その信頼を損なうことのないように振舞わねば、とも思う。
……が、子供達は遠慮が無い。それは、エルフも人間も同じである。
「なーなー、お前、でっかいな!」
「すごいな!お前、でっかいな!」
「わー、人間ってこんなに大きくなる人もいるのねえ!大木みたい!」
……そうしてアイザックは、寄ってきたエルフの子供達をひょいひょいと肩の上に担ぎ上げてやって、大いに人気を博した。そして、そんな状態のまま、エルフ達とポーションの流通について話をする羽目になったのだが……それを見たエルフ達は皆『こいつ大木みたいだなあ!』と思ったらしい。
エルフは森と共に在る生き物である。木は友好と信頼の対象だ。そういう事情でアイザックはグレンが予想していたより早くエルフ達に受け入れられたらしいのだが、その辺りの事情をアイザックが知るのは、大分後のことである。
……また、エルフ達が『エリカもついに番を連れて来たか!……え?違うの?違くないよな?』とやっていたのだが、それをアイザックが知るのも、大分後のことであった。
そうしてアイザックのポーション工場は『ブラッドリー魔導製薬』として名を馳せていった。
小さな小さな工場は、翌年にはもう少しばかり大きくなって、その頃には、ポーションが大分、売れるようになっていた。
人間達の間で『なんとなく抵抗がある存在』であったポーションは、徐々にではあるが、受け入れられつつある。今や、一日に60本程度生産されるポーションが全て、その日の内に売れるほどである。
「いやー、来月ぐらいにはもう一基増やして、一日100本製造を目指したいね!」
「そうだね。折角私達も雇ってもらえたんだ。その恩返しに、業績を200%ほど上げていきたいね」
「ポーションの種類も、もう1種類くらい増えるといいよな!ま、こっちはエルヴィス待ちかー」
……尚、従業員が、3名ほど、増えた。
彼らはブラックストーン刑務所に居た、『先生』達である。彼らもまた、仮釈放制度の対象となって、アイザックの元へやってきたのだ。
これからもっと、従業員は増えていくだろう。工場はあまり大規模にする予定ではないが、今後、エルフと人間の……そして、まともな人間とまともじゃない人間の、間を繋ぐための何かになれたらいい。
一年、二年、と年を追うごとに、ブラッドリー魔導製薬には人が増え、機材が増え、そして、収入はすっかり安定して、従業員全員が満足に安定して暮らしていけるようになった。
儲けることは目標にしていなかったので、アイザックの収入はごく普通の、工場の技師と同程度だ。だが、十分『まとも』な生き方になったようには、思えた。
……なので。
工場ができて、3年。
「あー……エリカ。ちょっと、いいか」
「うん。どうしたの?」
アイザックは、後ろ手に持った小さな箱を握り直して、そっとエリカを呼び止めるのだった。
2章終了です。次回更新は4月18日(火)を予定しております。