第一号*5
アイザックの言葉に、エリカはきょとんとして、それから、くすくすと笑い始めた。
「ふふふ、ママが言ってた通り!あなたってパパに似てるわ」
「は?」
あまりにも唐突なエリカの言葉に、アイザックは驚く。驚きのあまり素っ頓狂な声を出しつつ、面会室のガラス板越しにエリカをぽかんと見つめた。
「パパと言ってることがそっくりなのよ!パパもよく、エルヴィスに何かしなきゃ、って言ってるものだから……ふふふ」
くすくす笑うエリカを見つめながら、ああ、そういえばそうか、とアイザックはようやく思い至る。
「ああ……そっか、グレンさん、エルヴィスと仲いいんだよな」
初めて奉仕作業のためにトレヴァー家を訪れた時、エルヴィスがいかにも真っ当そうな花屋の主人と親し気にしているのを見て、随分と驚かされた。グレン・トレヴァーがどのような人生を歩んできたのか、はっきりとしたところを聞いたわけではないが、概ね、今までの会話から推測くらいはできている。
「そう。パパは冤罪でブラックストーンに数年居て……そこで、エルヴィスと一緒に色々やってたんだ、って、よく話してくれるわ。話す時、恥ずかしがるんだけれどね」
「へえ……俺も聞いてみてえな、それ」
グレン・トレヴァーがかつてどんなことをしていたのか、少しばかり、興味がある。確か、代用煙草を作ったのは彼とエルヴィスだったと聞いたことがあったが……きっと、他にもいろいろなことをやっていたのだろう。
「なら、パパに直接聞いてみるといいわ。パパは普段は飲まないんだけれど、たまーに、お酒を飲むのよ。そういう時に聞くと、沢山ブラックストーンの話、してくれるわ。エルヴィスの話も、ね」
グレン・トレヴァーが花屋をやっているのも、もしかするとエルヴィスのためなのかもしれない。出所後も友人の為に贈り物をすべくエルフの里から植物を仕入れてきたり、奉仕作業を刑務所に依頼してエルヴィスを呼び寄せてはもてなしたり。彼の行動はエルヴィスを想ってのものなのだろう。
「……ってなると、俺にできること、あんまり残って無さそうだよな」
アイザックは少しばかり落ち込む。
グレン・トレヴァーは立派な人物だ。彼がエルヴィスのためにやっていることが沢山ある中で、アイザックに出来ることが何か残っているだろうか。
少し考え込んでいると、ふと、エリカが口を開く。
「それは、エルヴィスに聞いてみないと分からないと思うわ。彼のことだから、アイザックにしてほしいことを聞いても『アイザックが幸せでいること』って言いそうだけれど」
少しばかり微笑んで、それから、エリカは目を伏せた。
「でも……うーん、そうね。あんまり考えたくないことだけれど……普通に考えたら、パパよりも、あなたの方が長生きするじゃない?エルヴィスには、それが必要なんじゃないかな、って、私、思うのよ」
「私達は人間で、彼はエルフでしょう。流れる時の速さが全然違うわけだから……エルヴィスって、ここに居る限り、ずっと置いて行かれちゃうから。小さい頃に遊んでもらってた私だって、エルヴィスよりは先に死ぬんだわ」
エリカの長い睫毛が瞳に落とす影を見つめて、彼女の唇から紡がれた『死』を感じ取って……アイザックはようやく、実感した。
自分は、エルフを置いていく。人間だから、必ず、そうなる。アイザックが死ぬまでの時間は、きっと、エルヴィスにとってはあっという間だ。
アイザックがエルヴィスを石材から庇って頭を強打したあの時、病院でエルヴィスが『人間はすぐ死ぬ』と言っていたことをはっきりと思い出す。あの時は、『このエルフもこんなに動じることがあるのか』と少々驚いたが……あれはきっと、エルヴィスの本心だ。エルヴィスの中に、ずっとある言葉だった。
「そう思うと……うーん、難しいけれど、私達の後に続く誰かが、エルヴィスと仲良くやってくれるようにしていくことが、私達にできること、じゃないかしら」
だが、エリカは顔を上げて、そう、語った。
どうしようもない寿命の差を、それでも埋める希望を持って。
「パパは私にエルヴィスの話を聞かせてくれたから、私、エルヴィスともそこそこ仲良しよ。弁護士になって、これからも彼の仲間であるエルフ達の手伝いをしていくつもり。……私はパパの代わりにはなれないけれど、エルヴィスとお友達でいることはできるわ。ね、人の生命が繋がっていって、世代を超えて、エルフとも仲良くやっていけたら、素敵じゃない?」
エリカの笑顔を見て、アイザックはふと、思う。希望と憧れと、多少なりとも欲望が混じり合った未来をふと、思い浮かべてしまった。
「あの、エリカ……いや」
それを思ったついでに口を開きかけて……迸りかけた言葉を、慌てて引っ込める。
「その……なんでもない」
「そう?もし、言いたいことがあったらいつでも言ってね。どんなことだって聞くわ」
エリカは不思議そうに首を傾げていたが……アイザックはまだ、言う訳にはいかないのだ。
まだ……もしくは、永遠に言えないことかもしれないが。それでも……せめて、エリカに相応しい身分を手に入れるまでは、まかり間違っても、言う訳にはいかない。
エリカの笑顔を見ていたら、何もかもが吹き飛びそうだが、アイザックはぐっと両手を握りしめ、耐えた。そして同時に、決意を新たにするのだ。
……ムショを出て、真っ当に生きて……人間達とエルフが共存できる社会を生み出すのだ、と。
「おい、エルヴィス」
面会を終えたアイザックは、早速、庭に居たエルヴィスの元へ向かった。
「俺、お前に何ができる?」
「は?」
案の定、しゃがんで植物をつついていたエルヴィスは、振り向きながらぽかん、としてしまった。
「……エリカに聞いたら、『それはエルヴィスに聞いてみないと分からない』っつってたから、一応、聞いとくことにしたんだよ。悪いかよ」
エルヴィスの隣にしゃがみこんでそう言えば、エルヴィスはぽかん、とした顔でまじまじとアイザックを見つめて、それから、ふへ、と笑い出した。
「何だよ、先に出所するの、気にしてるのか?そんなのいいのに」
「気にする。お前がどう言おうが気になるし……俺は、どうしても、お前に何か返したい。このままってのは、気分が悪いんだよ」
睨むようにしてエルヴィスを見下ろすと、エルヴィスは『照れてる照れてる』とアイザックの頭に手を置いてわしわしとやり始めた。このエルフは……否、ここの囚人達はどうも、アイザックのことを幼子扱いしている気がしてならない。『息子のような存在!』と喜んでいる囚人達も居るので、どうもそのように思われていることは確からしい。
「……むしろ、命を救われたのは俺の方だったってのに。義理堅い奴だよなあ、お前」
ふと、エルヴィスは目を細めてそう、呟く。アイザックが病院で寝ていた時のことでも思い出しているのだろうか。
ついでに『あの時からお前、随分大きくなったよなあ』と嬉しそうに呟いたので、アイザックとしては複雑な気分だが。アイザックは元から大きい。『成長したなあ』という意味合いなのだろうが、それにしても恥ずかしい。エルフだからって年上面しやがって、と腹が立ったので、アイザックはエルヴィスを小突いておくことにした。
「そうだなあ、お前が幸せになってくれるのが、一番嬉しいけれど。でも、お前、それじゃ納得してくれないんだろ?」
「当然だ。……エリカが予想してた通りのこと、言ってんじゃねえよお前」
更にもう一度小突くと、エルヴィスは何とも嬉しそうに笑った。
「そうだなあ……うーん、まあ、やっぱりお前が幸せにやってくれるのが、一番嬉しいけど。置いて行かれるのはエルフの定めだ。それが分かってて、俺は人間達と一緒に居ることにしたんだから」
エルフの感覚は、アイザックには分からない。
エルフの感覚からしてみれば、人間はあまりにすぐ死ぬ相手だろう。それを間近でずっと見つめているエルヴィスは、果たして、どういう気分なのだろうか。
「……それでいいのかよ、お前は」
「ああ。そりゃあ、当然。……楽しいし、案外、幸せなんだぞ。こういうのも悪くねえよ」
アイザックには到底納得がいかないが、エルヴィスは納得しているらしい。そして自らそう望んですらいる。
ならば、アイザックの救いなど、エルヴィスには必要ないのだろう。
「ただ……そうだなあ」
アイザックが物思いに沈んでいると、よいしょ、と立ち上がりながら、エルヴィスが楽し気に、言った。
「もし、お前がちょっと俺のことを気にしてくれるっていうんだったら、この国を良くしてくれよ」
しゃがみながらエルヴィスを見上げて、アイザックは、思う。エルフの寿命は、もしかすると国より長いのだな、と。
……そんな国をかつて変えようとして、暗殺未遂にまで及んだというエルフの気持ちは分からないが……多少、その望みに報いることができるなら、そうしたい、とも、思う。
「な」
「……ん」
エルヴィスに促されて、アイザックは立ち上がる。
立ち上がって、庭を見回す。
……どうしようもないろくでなしを受け入れてくれたこの庭とも、きっと、もうすぐお別れになるのだ。そう思うと、胸の中がざわつくような、締め付けられるような、そんな感覚に襲われた。
「お、おいおいおい、なにすんだよ」
「やられた分のお返しだ」
なんとなくたまらなくなって、アイザックはエルヴィスの頭をわしわしと撫でてやることにした。いつも年上面をして、どこか達観したようなエルフの頭を上から撫でてやれる程の長身を持っていることを、今は多少、誇らしく思う。
「俺の方が年上だぞ」
「うるせえ、チビ」
「そりゃ、アイザック、お前と比べたら大抵の奴は全員チビだよ……おおーい、皆ー!アイザックがグレたー!」
「うわっ、やめろ、煩くなるだろ」
案の定、エルヴィスの呼びかけによって囚人達が『それは大変だ!』『それは大変だ!』とわらわら集まってきてしまう。
……この鬱陶しさとも、もうじきお別れだ。無論、エルヴィス以外の面子とはきっと、そう遠くなく、ムショの外で会うことになるだろうが。
「……面会、時々来る」
ぼそり、と言えば、エルヴィスは嬉しそうに笑った。
「ああ。楽しみにしてる」
「ポーションもできたら持ってくる」
「俺の方が作るの上手いけどな。ま、アイザックの腕がどんなものか、見せてくれよ」
「その内俺の方がポーション作るの上手くなってるかもしれねえだろ。楽しみにしとけよ」
自分を変えてくれた存在に、何か返したい。自分よりずっと未来まで生きる存在に、何か遺したい。
「……また楽しみなことが増えたなあ!」
そうして、少しでも、エルヴィスが楽しく過ごせたらいい。
アイザックはエルヴィスに笑い返すと、煩い囚人達と一緒に共に庭を後にした。
……そうして、春が過ぎ、夏の気配が漂ってきた頃。
アイザックは王国で最初の、仮釈放制度の適用例となったのだった。