第一号*4
「世論……?」
「ええ。今、あなた、時の人だもの」
ぽかんとするアイザックに、アイリス・トレヴァーはこともなげに言う。
「アイザック・ブラッドリー。恵まれない境遇とクズ男のせいで凶行に走った悲劇の青年。だが立派に更生を遂げ、努力の上にいくつもの資格を取得し、特許まで得て、これから真面目に生きようとしている好人物……まあ、あなたを評価する声は、多いわよね」
……アイリスの説明を聞いて、アイザックはますます、ぽかんとするしかない。
「え……?俺、が……?評価……?」
「ええ。あの雑誌、凄く売れてるのよ。ここ数年、出所後の再犯率の高さが問題視されて、その流れであなたの記事でも扱っていた仮釈放制度ができたわけだけれど、あれもザル法だったわけで。元々問題視されてたのよね」
アイザックも、そして他の囚人達も知らなかったことに、仮釈放制度は前々から注視されていたのだそうだ。
……当の囚人達にとってこそ大切な法制度だけに、誰も知らなかったのは大いに問題があるのだが、それも仕方がないことかもしれない。ブラックストーン刑務所では、看守達がその辺りの情報を規制しているのだ。最新の法制度など、情報を仕入れる術がなく……そして何より、誰も、それに興味が無かったのだ。仕方がない。
「そんな中に『仮釈放してもよさそうな囚人の記事』なんて出たら、元々その辺りを気にしてた人は皆食いつくわよ。そうなったら、仮釈放制度を『愚かで狂暴な囚人をわざわざ早期に出所させるなんて危険だ』って主張してた層も、雑誌を買って情報収集しようとし始めるでしょう?」
「そ、そういうもんか……」
「ええ。そういうもの。その結果が今。だからこそ、今動けばあなた、確実に勝てるわ!さあ、勝つわよ!」
パワフルなアイリス・トレヴァー夫人に慄きつつ、アイザックは、少々尻込みする。
「俺は、そんな、まともな奴じゃ……」
人々を騙しているような気がする。ろくでなしが、『時の人』だなんて、と思う。……だが。
「もうあなた、十分すぎるくらいにまともよ。もし自分でそう思ってなかったとしても、まともな奴、ってことにしておきなさい。持ってる武器は、何だって使うのよ!」
アイリス・トレヴァー夫人の言葉に、アイザックは少しばかり、勇気づけられる。勇気を半ば強引に装填されたような気分でもあるが。
「いい?これはあなたの出所後にも関わる話。あなたがただ刑期満了で出てきたか、それとも史上初の仮釈放で出てきたのかによって、世間からの信頼は大きく変わるでしょうね。今後を生きていくためにも、多少のズルは割り切っちゃいなさい。そうして、少しでも早く、幸せになるの。いい?」
力強く温かく微笑まれて……アイリス・トレヴァー夫人のパワフルさにずりずりと引きずられていくような気分で、アイザックは頷いた。
……皆の為でも、あるのだ。
アイザックが早期に出所して、社会の信用も得られたなら……世話になった囚人達に恩返しができる。
その為にも、アイザックは幸せにならなければならないのだ。
……そうして、翌月から、アイザックと『弁護士』との面談が始まった。
「あなたの仮釈放に賛同する署名がこれだけ集まったわ。あなた、これは社会貢献しなきゃならないわねえ。ふふふ……」
アイリス・トレヴァー夫人が楽し気に笑うのを見ながら……アイザックは、ちらちらと、彼女の隣を見てしまう。
……そこには、エリカが居る。真剣な顔で、しかし楽しそうに、かっちりとした服装でちょこんと座ってメモを取りながら待っているエリカは、今まで以上に美しく可憐に見える。
エリカはこの3月で学校を卒業し、弁護士としての活動を始めるのだそうだ。その彼女の初仕事が、アイザックの仮釈放の請願である。……気合の入ったエリカを見ていると、アイザックはなんとも幸せな気分になった。
「署名もあるし、請願の手続きはエリカが進めてるわ。あなたは安心して残り少ない刑務所暮らしを楽しんでいなさい!」
「あ、はい」
いつの間にやら、どうしてこうなったのだか。アイザックとしては不相応な待遇を受けているような気分なのだが、このまま上手くいけば……アイリス・トレヴァー夫人のことだ、どうせ上手くいくだろうが……アイザックは刑期を3年ほど残して出所することになる。
この2年で、色々なことが大きく変わってしまった。アイザック自身も随分と変わってしまったし、それで周りの状況も変わってしまった。
エルヴィスが『人間は寿命が短いからすぐ変わるし、すぐ変える。それが中々楽しいんだ』と言っていたことがあるが、確かに、すぐ変わったし、すぐ変えてしまった。
妙な気分である。だが、悪い気分ではない。
「あなたを先頭に、これから先、多くの囚人達が仮釈放されることになるわ。是非、そのお手本になってね」
「はい」
アイザックは、ここの皆に変えてもらった。だから次は、アイザックがここの皆を変える番なのだ。
……だが。
「あの……ちょっと、聞きてえことが、あるんだけど」
アイザックがそっと尋ねると、アイリスもエリカも揃って『なーに?』と首を傾げた。こういうところ、母娘だなあ、と思いつつ、アイザックは……ただ1人のことを考えていた。
「終身刑の奴って、仮釈放の対象になりますか」
……その日、アイザックはぼんやりしていた。食事も進まず、周りの囚人達に心配される始末である。
「おいおい、アイザック。どうした?調子悪いのか?ポーション要るか?」
エルヴィスが覗き込んできたので、アイザックはぎょっとする。『要らねえ』と返しながら食事に戻って、そして、ふと、ため息を吐く。
「……なあ、どうしたんだよ、アイザック。何かあるなら話してみろって」
アイザックの隣の席に座ったエルヴィスは、そう、優しく話しかけてくる。……初めから、エルヴィスはこうだった。アイザックが今より更にろくでなしだった最初から、ずっと、この調子だった。
妙にアイザックを気にかけてくれた。エルヴィスの気遣いも優しさも、アイザックにはどうも鬱陶しかったが、それに救われてもいた。アイザックは間違いなく、エルヴィスから最も大きな影響を受けている。
……だが、アイザックがエルヴィスに今後何かできることは、あるのだろうか。
出所してしまえば、もう、この刑務所と関わることはずっと減る。グレン・トレヴァーのように奉仕作業の提供や物品の寄付を行うことはできるだろうが……エルヴィスを救うには、あまりにも足りないだろうと思う。
そう。アイザックは、エルヴィスを救えない。
……終身刑のエルフは、仮釈放の対象にならないのだ。
「……お前、なんでこのムショに居るんだよ」
アイザックがそう尋ねると、エルヴィスはスプーンを口へ運びかけていた姿勢のままきょとん、とし、それからスプーンを口につっこんで、スープの豆を咀嚼して、飲み込んで、それから、首を傾げた。
「言ってなかったか?当時の国王を暗殺しようとしたんだよ。それで捕まった」
そうして発せられた言葉に、アイザックは目を剥いた。一体このエルフは何を考えているのだろうか。変なやつだとは思っていたが、まさかここまで変なやつだったとは。
「おーおー、驚いてるなあ。ははは……いや、逆に、こういうの以外で終身刑になること、あるか?」
「強盗殺人とか……貨幣偽造とか……?」
「アイザックが法律の話してやがる……成長したなあ、お前」
アイザックは黙ってそっぽを向く。エリカと話している間に法律の関係に多少詳しくなった、などと言っては、ますます揶揄われそうなので。
「まあ、そういう訳だ。エルフだからもったいなくて死刑にもできないらしいし、俺は当面、このムショに居る訳だな」
エルヴィスはそんなアイザックを見て笑いながら、どこか達観したように、そう言った。
それは齢300を超えるエルフらしい言葉であった。『終身刑』を『当面』と言えてしまうのだから、やはり、彼はエルフで、人間とは異なる生き物なのだと思わされる。
「……いいのかよ、それで」
「多分、国の方が先に滅ぶだろうしなあ……ま、それまでのんびり待つさ」
いよいよエルフらしくそんなことを言われては、アイザックとしてはたまったものではない。
「俺は、さっさとお前を出してえ」
アイザックは心の底からそう言う。
エルヴィスには狭い中庭の花壇ではなく、森が似合うはずだ。彼はエルフなのだから。
それに、エルヴィスがそっと植物に触れながら、何か魔法のようなものを使っている様子を何度か見ている。どうも、『定期的にこうしないと死ぬから』ということだったので、それ以来アイザックはエルヴィスの為にも植物を庭から絶やさないように、と世話を一層頑張るようになっていたが……そんな努力などなくとも、エルヴィスが釈放されればそれで済む話である。
……そんな思いで居れば、エルヴィスはアイザックを覗き込んできょとん、とし……そして、けらけらと笑って、アイザックの頭をわしわしとやり始めた。
「つまり国を滅ぼしたいってことか?やめとけやめとけ、またムショに逆戻りだぞ、お前」
「んなこたしねえよ!」
流石にアイザックとて、国家転覆を謀る気にはならない。だが、エルヴィスを救いたいとは思う。どうか、このエルフから貰った分の半分くらいは何か返したい、と。
「気にするなよ」
だが、エルヴィスは、そう言って笑うだけなのだ。
「俺は分かっててここに居るんだ。苦しいとも辛いとも思ってない。案外、このムショの中ってのも居心地は悪くない。そうだろ?」
……エルヴィスは、アイザックを救っておきながら、自分が救われる気は無いのだ。
翌日、アイザックはアイリス・トレヴァー夫人とエリカとの面会を行っていた。
アイザックの『仮釈放請願』は上手くいっているらしい。近々アイザックは面談を経て、仮釈放に相応しい人物かどうかを確認される。そしてそれに通れば、晴れて仮釈放第一号となる見込みである。
5年、服役している予定が、2年で出所してしまうことになりそうだ。アイザックは『不思議なこともあるもんだな』と思いつつ……同時に、永遠にここを出所できないエルフのことを思い出す。
エルヴィスはどうして、わざわざ捕まるようなヘマをしたのだろうか。
「あっ、それから、アイザック。今、あなたの元職場、潰れかけてるのだけれど、知ってた?」
アイザックが考えていたところ、アイリス・トレヴァー夫人はそんなことを言ってきた。
アイザックからしてみれば、唐突な話である。一体何が起きたらそんなことになるのか。
「なんでも、経営者が結婚詐欺をはじめとしたいくつかの詐欺罪に問われてるんですって?その被害者の1人から相談を受けたから、私はそっちでも勝つわよ」
「マジかよ……」
「ええ。あなたの記事が発端になって、今やそういうことになっているの」
どうやら、このあたりもアイザックのせいであるらしい。
というのも、アイザックが雑誌の取材で話した自分の父親についての部分。あれが雑誌に載ってしまったものだから、アイザックの父親についての噂もどんどん広まっていき……それを聞きつけた『婚約者』達が怒り狂って押し寄せてきた、ということであるらしい。
工場長からしてみればごく軽い嘘か何かのつもりだったのだろうが、それを詐欺罪として騒ぎ立てられてしまえば、奴も立派に犯罪者、というわけである。
アイザックは『ざまあみろ』と思いつつ、少しばかりくつくつ笑う。笑ってから、『嫌な奴が嫌な目に遭って喜ぶなんて、エリカが幻滅したんじゃないだろうか』と不安になったが、エリカはエリカで『ざまあみろっていうところよねえ』とおっとり笑っているものだから、アイザックは心配をひとまず捨てておくことにした。
「だから当面、あなたの窓口は私じゃなくてエリカになるわ。よろしくね」
「よろしく、アイザック」
「ああ、こちらこそ」
更に、これからはエリカが直接の担当になってくれるというのだから、アイザックからしてみれば願ったり叶ったりである。
……だが。
「……アイザック?」
どうにも、昨日からずっと、引っかかっている。
エルヴィスに何かできることはないだろうか、と。
「アイザック?どうしたの?」
エリカに声を掛けられて、アイザックは我に返る。
「ごめんなさいね、私じゃ、頼りないだろうけれど……」
「いや、そんなことはない。頼りにしてるし、その、嬉しい。すごく。あんたが思ってるよりずっと、俺は喜んでる」
不安そうなエリカを見て慌てて言葉を紡げば、エリカはきょとん、として、それから花が綻ぶように笑った。
エリカが笑っているのを見ると、ほっとする。こんなにも美しいものがあるんだな、と思う。アイザックはエリカが笑っているのを見るのが大好きなのだ。
「そう?なら、嬉しいわ。……でも、アイザック。あなた、何か悩みがあるんじゃないかしら?それでぼーっとしているんじゃない?」
……だが、エリカは美しく可憐なだけでは、ないのである。母親譲りか、父親譲りか、両方か。彼女は妙に、鋭い。
「ねえ、まだ面会の時間は余ってるわ。少し、話してみない?私でも力になれることがあるかも」
エリカが身を乗り出すのを見て、アイザックは少しばかり迷い……だが、エリカもまた、小さいころからエルヴィスと接してきたんだったな、と思い出し、意を決した。
「……俺、エルヴィスに、何ができるんだ、って、考えてて……」
「出所するなら、あいつを置いていくことになる。だから……何か、できることを、したい」