第一号*3
アイザックの言葉は、雑誌社の人間達に何か深く感銘を与えたらしい。彼らは目を輝かせて『これはいい記事が書けそう』などと囁き合っている。
もう質問は終わりか、とアイザックが首を傾げていると。
「もう少し、聞いてもいい?あなたは出所後、その、あなた自身の憎しみと、どう折り合いをつけていくのかしら」
「……あんまり、考えてねえけど」
先程よりも更に突っ込んだ質問を受けて、アイザックは考える。
自分自身の内に、憎しみは、まだある。あのクズを殺してやりたいとも、思う。だが、もう、アイザックの中にあるものは憎しみだけではないのだ。そうした気持ちを、なんとか、言葉にしていく。話すのが上手くないアイザックは、話しながら考えることになるが。
「多分、憎いとか殺してえとか、考える暇が無くなるんだと、思ってて……ポーション工場を作る夢があるし、真っ当に暮らしていこうと思ってるから……当分は忙しくて、それどころじゃねえと思う。ああ、うん、折り合いはつかねえんだろうけど、その、他に大事なものができちまったから、多分、このままほっとくことになる。そんなかんじです」
こんなかんじだ、という大体のところを話すことができて、アイザックは満足した。自分の気持ちを暴力にするのではなく、ちゃんと言葉にできるというのは、気分がいい。
「成程ね……じゃあ、更生に必要なものって、忙しさ、なのかしら。でも、もし、被害者があなたの目の前に現れたら?その時は、どうする?」
「俺が殺しそうになっても、多分、周りの奴らが止めてくれると思う。だから心配は特にしてなくて……だから、まあ、えーと……そうだな、少し、話がしたい。聞きたいことが、あるから」
こんなことを考えるのは、初めてだった。ずっと『殺してやりたい』と思っていた相手について、殺す以外のことを何か考えるのは初めてだ。それだけに、随分と新鮮な気分になる。
「えーと……俺のことどう思ってるか、聞いてみてえな。ああそれから、母さんの場所を聞く。そっちはどうせ知らねえだろうけど」
考えて、喋って、視線を落として笑う。
自分の実の父親であろうあの男は、今、どうしているだろうか。
アイザックの母親を振って、シャーロットとかいう恋人と過ごして、それからどうなったのだろう。シャーロットとやらとはまだ上手くいっているのか。それとも、また別の恋人でもできたのか。
……そうして、アイザックのことも知らないままで、居るのか。
そう考えると、アイザックの中に、憎しみ以外の何かがぴょこん、と芽生えるように感じられる。憎しみよりずっと静かで、小さくて、踏み躙れば消えてしまうようなものだ。
恐らくこれは、悲しみだとか、寂しさだとか、そういう類の何かなのだろう。
「……あなたのお母さんの居場所、というと……?」
そうして少しぼんやりしてから、アイザックは、はっとする。
そうだ。取材に来た人達は、アイザックの事情なんて何も知らない。急に妙な話をされて、さぞかし困惑しただろう。
「あー……えーと、俺が切り付けた奴に、母さんが、多分、振られて。まあ、母さんが馬鹿ってのは確かなんだけど……俺と母さんを捨てたあいつもクズなのは間違いねえ、っつうか……あー」
下手な説明を続けて、アイザックはいよいよ相手が困惑しているのを見て頭を抱えたい気分になりつつ……結論を述べる。
「多分、親父なんですよ。俺が切り付けたの」
……そうして、アイザックの取材から、2か月後。
アイザックの話が載った雑誌がブラックストーン刑務所にも届けられた。
「ああー、この雑誌か。魔導機関関連ではないが、法や経済についてよく取り扱っているものだから、時々読んでいたよ。知識層に愛読されているものだね。コラムが結構毎回楽しくて……うーん、そこにうちのアイザックの記事を選んだってことは、やっぱりこの雑誌、悪くない」
「ほうほう、『町で漫然と生きている者達よりも、刑務所の中で己を見つめる若者の方が余程しっかりしているように見える』……そうだろうそうだろう、アイザックはしっかりしてるんだ!」
「おー、中々いいじゃねえか。『受け売りのものではない倫理観を持ち、犯罪を繰り返さない確固たる理由を見つけた彼は、正に模範囚であろう。刑期はまだ残っているようだが、既に更生は終えている。彼が社会に出た後、明るい未来があってほしいと切に思う』。その通り!アイザックには明るい未来があるべきだ!」
……囚人達は、やんやの喝采である。
雑誌の記事は、アイザックに対して非常に好意的に書かれていた。囚人達はどうも、それが嬉しいらしく、この騒ぎようなのだ。
記事でアイザックについて『身なりは質素ながらもきちんとした印象の好青年』と書かれていれば『アイザックが褒められてる!』と喜び、『彼が語る未来は夢物語ではなく、確固たる根拠と彼自身の努力の上に組み立てられたものである』とあれば『その通り!』と喜び、『未来を語る彼の生き生きとした表情は、きっと刑務所の外でこそ輝くものだろう』とあれば『そうだ!さっさとアイザックをムショから出せ!』と跳び回り……大変に騒がしい。
アイザックはこの愛すべき騒がしい囚人共を眺めながら、雑誌記事を読んで、只々気恥ずかしさに顔を顰めている。
こんなに褒めるなよ、俺は大した人間じゃないんだから、と思う。どうせ褒めるなら、ここのちょっとばかりヤバい囚人共だの、終身刑のエルフだの、そもそもムショの外のトレヴァー一家だの、いくらでも取り上げるべき者が居るだろうに、と思う。
……こんなに恥ずかしい気分にさせられるなら、雑誌の取材なんて受けるべきではなかっただろうか、なんて思いながら、しかし、大変に嬉しそうな囚人達を見ていると、『はいはい、お前らが幸せそうで何よりだよ』という気分にもなってくる。
結局、アイザックは開き直ってそういう態度でいることにした。囚人達はそれすら嬉しいのか、やはり跳び回っていたが。
つくづく、ここの囚人達は心も体も健康なのである。他者が褒められると大層喜び、そして、覗きに来た看守がぎょっとするようなはしゃぎ方ができるのだから……。
それからも囚人達は飽きもせず、雑誌を読んでは喜んだ。
『アイザックの親父のこともちょっと書いてあるなあ』『まあ、アイザックが誰彼構わず切り付けた訳じゃないって分かっていい記事だ!』と喜び、『そうかあ、僕らはいい奴かあ!嬉しいよ、アイザック!』と喜んだ。
そして『これ、グレンが喜びそうだなあ』とエルヴィスがにやにやしているのを聞いたアイザックはすぐさま『やめろ!グレンさんにはこれ見せるな!』と主張したのだが、『そうは言ってもどうせグレンは買って読むぞ。もう俺が連絡した』とあっさり言われてしまったので、不貞腐れて丸くなった。どうかエリカはこんな恥ずかしい記事を読んでいないように、と祈るが、恐らく無駄な祈りであろう。
「なーなー、ここ、どういう意味だ?俺、法律詳しくないから分からねえんだけどよー」
そうして雑誌を読んでいた1人が、ふと、顔を上げて首を傾げた。
「『彼こそ仮釈放制度の対象に相応しい人物ではないだろうか。今やブラックストーン刑務所は一時期のような凶悪な施設ではなく、彼のような模範囚も大勢いる刑務所である。世間が模範囚の実体および彼らが真っ当に生きることのできる者達であるという真実に気づき、彼に相応しい処遇が成されることを切に祈る』って。これ、どういうことだ?仮釈放制度って?俺、法律詳しくねえからなー」
「えっ、なんだい、それ」
「かりしゃくほうせいど……?聞いたことないね」
ぞろぞろと囚人達がやってきて首を傾げる。アイザックも不貞腐れている場合ではないので彼らの間に首を突っ込んで、一緒に首を傾げる。
『仮釈放制度』については補注が隅の方にあったので、その小さな文字を皆で読む。
そこには、『仮釈放制度とは、王国歴271年9月に改正された王国刑法31条に基づく制度で、王国歴272年10月から施行されている。定期的な報告や監視を条件に刑期を終える前の囚人を釈放し、更生と社会復帰を目指す。諸外国にはしばしば導入されている制度でもある。しかし、実施から2か月が経つ今も尚、本国において仮釈放制度が適用された例は一件も無い』とあった。
「あー、アイザックが入所してちょっとして法律が変わったのか。誰も知らねえわけだよなあ」
「そもそも私達はあまり法律には興味が無いからね」
「興味が無いからここに居るわけだからね!」
囚人達は顔を突き合わせて、ふむふむ、と頷き合い……そして、アイザックを見つめた。
「……でもこれは気にせざるを得ないね、アイザック!」
「は?」
アイザックは何のことやらよく分からないまま、ぽかん、としていたのだが……。
「つまり君、刑期残り3年半を待たずして社会に出られるかもしれないってことだよ!」
「……は?」
そう言われては、流石に、ぽかんともしていられないのだった。
……それから、半月。
今年も祝祭の日をトレヴァー一家で過ごすことになった囚人達は、よく煮込まれたビーフシチューやプティング、それにローズマリーポテト、といった素晴らしい食事を振舞われつつ……照れ入るアイザックを見て、にこにこと笑っていた。
「いや、本当に君は誇っていいと思うよ、アイザック。あれだけしっかりした考えの囚人は、中々居ない。囚人に限らなくても、中々居ないだろう」
「……ん」
「それにしても、この、目標とする人のところで挙げてくれたのは私のことかな?ふふ、少し照れるね。……まあ、照れると言っても君ほどじゃないが」
グレン・トレヴァーはにこにこと笑いながら、アイザックの前で雑誌を広げている。なんという辱めだ、とアイザックは只々縮こまっているのだが、グレン・トレヴァーがなんとも嬉しそうなので、文句も言えずにちびちびとローズマリーポテトをつつくのみとなっている。今年もこのローズマリーポテトは最高に美味い。
「ああ、アイザック。私もあなたの記事、読んだわ」
「げっ……マジかよ」
更に、エリカまでもがそう言ってにこにこし始めたので、もう、アイザックはどうすることもできない。なんということだ。神など信じたことも無いアイザックでも『この世に神は居ない』という気分になってしまう程である。だが、天使は目の前でにこにこと、無邪気にも至上の笑みを浮かべているのだ。
「あなたの傷害罪の経緯も読んだのだけれどね。あれ、私でも刺すかもしれない、って思ったわ!」
更にとんでもないことを言い出して、アイザックもグレン・トレヴァーもぎょっとする。勘弁してくれ、と叫びたいような気持ちで、アイザックは只々おろおろした。
「エリカ。ちょっと、エリカ。パパはそんなの認めないぞ」
「ごめんなさい、パパ。何も、パパを刺しちゃうわけじゃないわ。ただ……自分を捨てて自分に苦労させた相手が居るとして、その人に大好きな家族を侮辱されたら、私、許せる気がしないもの!」
アイザックとしては、母親を侮辱されたから切り付けた、というわけではないのだが、エリカが共感したのはその点だったらしい。アイリスとエリカは仲が良さそうなので、そういうものか、とアイザックは納得したが。
「だから……いけないことだとは思うし、法の上では許されないっていうことも、分かっているけれど。でも、私、あなたの味方よ」
エリカの手が伸びてきて、ぎゅ、とアイザックの手を握った。
アイザックが思っていたよりもエリカの手は小さくて、柔らかくて……だが、力強い。
「ママも言ってたの。『弁護士をやるからには、法は決して破ってはいけない。でも、心だけは、法を超えることも許される』って。それで、心を失わずに弁護士を続けられたら素敵よね、って……それが理解できたわ」
にっこり笑うエリカを見て、アイザックは『やっぱりこの子、天使なんじゃないだろうか』と思う。
「ありがとう、アイザック。私、弁護士としての目標を、もう一度確認できたわ。おかげで、この先も迷わずにこの道を進んでいけそう!」
人間を救う天使はきっと、こういう顔をするのだろう。アイザックはそんなことを考えながら、曖昧に返事をするのだった……。
「まあ、そういう訳で、アイザック。あなた、折角だから第一号になりなさい」
アイザックがエリカを見つめてぼーっとしていたら、横から満面の笑みのアイリス・トレヴァー夫人がやってきて、アイザックの前にコールスローサラダと豆のトマト煮を取り分けた皿を置いた。
「な、何の……?」
少々慄きながらアイザックが尋ねれば……彼女はどこまでも自信満々の顔で、言った。
「仮釈放制度適用例の、第一号よ!世論があなたを応援している今なら、勝ちが決まりきった戦いになるでしょうね!」
……アイザックは、首を傾げた。
世論が応援しているとは……仮釈放制度を自分に、とは……一体。