冷たいシャワー*4
翌週、グレンとエルヴィスと他数名の囚人達は、洗濯当番になった。エルヴィスが交渉して、他の囚人と当番を代わってもらったらしい。
エルヴィスは他の囚人達と特段つるんでいる様子も無いのだが、こういう時、躊躇うことなく交渉に行くらしい。そんなエルヴィスの一方、囚人達は、噂に聞く『終身刑のエルフ』に交渉を持ち掛けられて大いに戸惑いながら、交渉に応じていた。
さて、そうしてグレンとエルヴィスと他数名の囚人達とは、洗濯場に集まるとすぐ、洗濯を始める。
洗濯当番の仕事はそう難しくない。今は魔導機関の洗濯機なるものがある。まあ、三十年前の型落ち品だが、こんなものでもあれば手洗いなんてしなくても済む。
洗濯機に囚人達の衣類を放り込み、洗い、洗い終わった衣類を物干し竿に掛けていく。単純な作業だが、如何せん、囚人の人数が多い分、洗濯ものの数も多い。そして濡れた布は案外重いもので、それなりの重労働になる。
「じゃあ、俺はちょいと修理してくる。グレン。悪いが2人分の仕事を頼むぜ」
「まあ、努力するよ」
更に、エルヴィスがそう言って洗濯場にひっそりと存在しているボイラー室への扉の向こうへ消えていくと、当然、グレンは2人分の仕事を任されることになる。他の囚人達は、ちら、とこちらを見ながらも、特にグレンを手伝う気は無いらしい。グレンとしても、手助けは望んでいない。
グレンがてきぱきと2人分の仕事を片付けていけば、のろのろと1人分の作業を進める他の囚人達と同じくらいの時間で作業が終了した。それでも更にのろのろと働いている者も居る。洗濯当番が終わっても軽作業に戻るだけなので、できる限りここで時間を潰してから作業所に行きたいのだろう。
そういうことなら、と、グレンは早速、ボイラー室の扉を開ける。少々エルヴィスの様子を見ておいてもいいだろう。
「調子はどうかな」
エルヴィスの方へ向かうと、エルヴィスはそこで、不思議なことをしていた。
魔導機関の制御盤の蓋を開けて、そこに新たな模様を描き加えていたのである。それは、グレンが学校で魔導について学んだ中で、或いは今まで生活してきた中では一度も見たことの無い、不思議な模様であった。
「できたぜ。イラクサとローズマリー、あと、随分前にとっておいたシナモンの粉とを練り合わせて、火のエレメントを描き足しておいた。ついでに魔法をかけ直してやったから、魔導機関の故障そのものが直らなくても十分働く。10年くらいでもう一度エレメントを足さなきゃならなくなるかもしれないが……」
成程、どうやらエルヴィスは魔導機関を魔法で半ば無理矢理直したらしい。応急処置なのかもしれないが、まあ、今はこれで十分だろう。こんな刑務所でなら、十分すぎる程に上等な処置だ。
「今日からシャワールームが暖かくなるぜ」
「それは楽しみだ」
2人は笑ってボイラー室を出ると、そこでまだゆっくり休憩していた囚人達を促して、作業場へ戻ることにした。
そうしてその日の軽作業を終え、入浴の時間を迎える。
グレンとエルヴィスが脱衣所で服を脱いでいると、先にシャワールームへ入っていた他の囚人達の歓声が聞こえてきた。
これに、脱衣所の囚人達や看守は皆揃って怪訝な顔をし、グレンとエルヴィスは『何が起きたんだ?』などと話しながら、漏れ出る笑みをなんとか押し殺す。
あまりに騒がしかったからだろう、シャワールームに看守がずかずかと服のまま入り込んでいく。……そしてグレンとエルヴィスがすっかり服を脱ぎ終わる頃、湯気で湿気った前髪を軍帽の下でへにょりとさせながら、看守が出てきた。
「何があったんです?」
その看守は、以前、奉仕作業の申し込みの際、グレンに話しかけてきた看守だ。なら多少の話は望めるだろう、と尋ねてみると、看守は『囚人と話す趣味は無いのだが』というような顔をしながらも話してくれた。
「どうも、シャワーの設定温度が上がったらしいな。今までは低温に設定されていたようだが……妙なこともあるものだ」
看守はこの際、囚人相手でもいいからこの不可解な事件を共有したかったのだろう。グレンは看守に同調するように、『それは不思議だ』などと話してみる。
「まあ、魔導機関っていうのは、季節や天候によって多少、働きにバラつきがあるって聞いたことがありますからね。最近ずっと晴れてたもんだから、一旦失われていた機能が戻ったんでしょう」
横からエルヴィスが口を挟み、如何にも博識なエルフらしくそう言えば、看守は『そういうものか』というように頷いた。魔導機関は人間の技術だが、その根幹にあるのは魔法であり、そしてエルフは魔法の使い手だ。そんなエルフの言葉には、妙な説得力がある。
「まあ、ありがたいことですね。このまま冬になってたら、流石に凍死者が出てたでしょう。それを防げて、その上で修理代を払わなくて済んだんですから」
エルヴィスが飄々とそう言うと、看守は『それもそうか』と思い直したらしい。神への感謝と祈りの言葉を呟いたので、グレンもそれに倣って感謝と祈りを呟いてみる。
……そして、その感謝と祈りを捧げる『神』は、自分の横に居る訳だ。それがどうにも愉快でたまらなかった。
そうして囚人達は、随分と久しぶりに温まった。
少々長めにシャワーを浴びる者が続出したため、看守が怒鳴り込みにくるなどの事件も少々発生したが、まあ、概ね皆、にこやかに、和やかに、夕食の席で『シャワーの奇跡』について話していた。
「やっぱりシャワーは温かいに限るな」
夕食を隣り合った席で摂りながら、グレンはエルヴィスにそんな話をする。グレンの言葉にエルヴィスは『それはよかった』と笑っていたし、周囲から聞こえてくる喜びの声に、なんとなく上機嫌な顔をしていた。
「まあ、そうだな。俺は正直、どちらでもいいんだが」
「……寒さを感じないのか?」
「寒さを感じないってことは、ない。ただ……まあ、多分、人間よりは感じないんだろうな」
初めて知るエルフの生態を興味深く聞きつつ、『そういえばエルヴィスは薄着だな』と思い出す。グレンがエルヴィスと同じ格好をしていたら、もう既に風邪を引いているだろう。
「だが、周りが上機嫌で居るってのは、いいことだ」
「そうだね」
エルヴィスはなんとも嬉しそうに、夕食のスープを口に運び、パンに齧りつく。グレンはその様子を横目に、同じようにスープとパンを味わう。
……体が温まった分、スープのありがたみが多少減ってはいたが、まあ、それはそれとして、ここのスープの味気無さにも慣れてきた。それに何より、今日は雰囲気が非常に良い。空虚なかんじが無い。まるで、刑務所の外の、レストランのように。
そんなところで、グレンは久しぶりに楽しい夕食を摂ることができたのだった。
そうして、季節は流れ、グレンが入所してから3か月ほどが経った。
秋でも冬の気配さえ感じさせていたブラックストーン刑務所は、いよいよ冬真っただ中となり、その寒さをより厳しいものへと変えていた。
この辺りはよく雪が降る。中庭にも雪がすっかり降り積もり、真っ白だ。休憩時間になっても、わざわざ中庭へ出ようとする囚人は少ない。寒いし、何より、ここの囚人なら雪なんて見飽きて、触り飽きて、うんざりしているからだ。
何せ、このブラックストーン刑務所では、軽作業の中に『刑務所内の雪かき』が導入されている。洗濯当番や所内の清掃、食事当番などの他に割り当てられる仕事の一つだ。
刑務所は古い城塞のような造りをしている。実際、かつて城塞として使われていた建物を再利用する形でこの刑務所が出来上がったらしいが……とにかく、古い建物であるがために、魔導機関の組み込み方が甘い。だからこそ、シャワーの制御盤をエルヴィスが触れるような構造になっている訳だが、そんな甘い造り故に、昨今のある程度大きな建物には当たり前のように実装されている融雪機能が、全く無い。
石を積んで作った屋根はスレート葺きか、はたまた平屋根か。湿っぽい雪がたっぷりと積もってしまうと、最悪、刑務所ごと潰れかねないのだ。
グレンは『こんな刑務所は潰れればいいだろう』とも思うのだが、それはそれとして、真面目に雪かきはこなした。
そして一方、エルヴィスはというと……実に真面目に、そして陽気に、雪かきをしている。
……薄着で。
「……エルヴィス。君、寒くないのか」
あまりに薄着なエルヴィスを見て、グレンは夕食の席でそう尋ねることにした。グレンはというと、今日の雪かきのせいで随分と体が冷えてしまった。シャワーを浴びて温まってもまだ寒いような有様で、この調子では明日の朝、風邪を引いているかもしれないな、と思う。
「ん?この間もそんなことを聞かれたような気がするな」
「ああ、多分、2か月か3か月か前に聞いた」
「まあつまり最近だよな。まあ、いいか。寒くないってことは無いが、別に、それほど堪えるってわけでもない」
エルヴィスの様子は正に『それほどでもない』というもので、グレンとしては実に羨ましい。
「人間には堪えるんだよな、この気温は」
「ああ、そうだね。秋から既にそう思っていたけれど」
最近のグレンは、自分の着替えを毛布の足しとして使っている。薄手の布でも何枚か重ねればそれなりの暖かさになるのだ。そうしてなんとか寒さを凌いでいるが、それにしても、石造りの独房の寒さは身に沁みるようだった。
「毎年、死ぬ奴が出るくらいだもんな」
そしてエルヴィスは納得するようにそう言うので、グレンは『ああ、やっぱりか』と半ば諦めの心地でそれを聞く。
「ここ31年、ずっとそうだ。もうすぐ32年目になるが、今年も死者が出たら記録更新だな」
エルヴィスは少し皮肉気に笑って……それから、ふと、眉根を寄せた。
「お前に死なれると、退屈だな。折角、話の合う人間に会えたっていうのに」
グレンとしては、エルヴィスの言葉は少々意外だった。確かにグレンには、『植物』というエルヴィスと共通の話題がある。だが、それをそこまで気に入られているとは思っていなかった。
「それは光栄だけれどね。流石の君でも、この寒さはどうしようもないだろう。それとも、エルフの魔法は冬の寒さも解決できるのか?」
冗談めかしてグレンが笑えば、エルヴィスは、にま、と笑って、それから少し考える素振りを見せた。
「まあ、そうだな……少し、看守と交渉をすることになると思うが」
「……えっ」
まさか、本当にできるのだろうか。
グレンが期待半分、疑問半分の気持ちでいると、エルヴィスは『31年のムショ生活初の試みだけどな』と笑った。
そうして、一週間後。
「失礼。ちょっと、いいですか」
雪かきの業務のため、囚人達は独房の中央のホールに集まって、寒さに身を震わせていた。……だが、その輪の中から、唐突にエルヴィスが出ていく。向かう先は、看守達の方だ。
「寒いですね」
看守達は、戸惑っていた。何せ、31年も刑務所に居るエルフの、31年目にして初めての行動だ。これに、看守達は大いに戸惑い……同時に、警戒する。
「……何を考えている?」
サーベルを抜いてエルヴィスに突きつけながら、看守は訝し気に目を細め、エルヴィスを見つめる。
「いや、俺は実は、そんなに寒くないんです。エルフなんでね」
そしていよいよ分からない話の行方に、他の看守達も警戒しながら近づいてきた。皆、サーベルに手を掛けている。いつでもエルヴィスを、殺せる。
「ただ……看守の皆さんが、寒いんじゃないかと。そして、俺はこの寒さを和らげる方法を、知ってるんですよ。エルフなんでね」
だが、エルヴィスがそう、真剣な表情で言うものだから、看守達は少々、また別の方向に躊躇い、揺れる。
「魔法を使う許可を、ちょっと下さい。それから、看守の皆さんの時間も。作業開始前にちょっと、ほんの一分かそこらだけでいい」
エルヴィスの表情からは、真意が読み取れないのだろう。看守達は戸惑い、どこか畏れるように、怯えるように、剣を揺らす。
「……何が目的だ。言え!」
エルヴィスは動じない。まるで、人間の前に聳える大木のようだ、とグレンは思う。
……そして。
「実は、俺は来週、食事当番なんですが。そろそろ、祝祭の日も近いわけで……その時に多少マシなものを作りたいんですよ。その為に材料をちょっと融通してもらえたら、嬉しいなあ、と!」
エルヴィスは、期待に満ちた笑顔で、そう、持ち掛けたのである。
「鶏の肉に、玉ねぎたっぷり!それに、小瓶でいいから、白ワイン。あと、塩。……それだけで、今後一冬、こうした作業の前に、一日中暖かく過ごせる魔法をあなた達のために使いますよ。いかがです?」
……やがて、看守達は、折れた。
何せ、ちらり、と見えた外が、大いに、吹雪いていたので。