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終身刑のエルフ  作者: もちもち物質
王国歴271年:アイザック・ブラッドリー
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天使の重さ*1

 その日。看守達は大変驚いた。

 というのも、食堂の壁を突き抜けるほどの大声が聞こえてきたのである。

『馬鹿か!?何言ってんだ!?惚れてねえよ!クソが!』と。

 ……看守達はざわめきつつも、『様子を見に行くか?』『いや、いいだろう』『行くのは面倒だし、どうせ問題にはならないやつだ』と目配せし合って食事に戻る。

 あのアイザック・ブラッドリーが、随分と初心なことだなあ、などと思いながら。




 ……ということで、その夜、アイザックは悶々としていた。

 ベッドの中で寝返りを打ち、唸り、寝返りを打ち……まるで落ち着かない。寝付けない。考えることを止めようにも、どうも、エルヴィスの言葉が頭の中で繰り返される。

 エルヴィスは、『エリカ・トレヴァーに惚れたか』などと言っていたが……いや、まさか、と、アイザックは思う。

 確かに、エリカは美しい。明るく柔らかな雰囲気も、いい。彼女が話しているのをずっと眺めていられたら、自分はずっと穏やかな気分で居られるだろうな、とも思う。そして、あの美しい生き物が、決して傷つくようなことなど無いように、と祈る気持ちも、ある。

 だが、それだけだ。決して、惚れているわけではない。

 そうだ。アイザックはそこまで身の程知らずではない。あのように清らかで美しく、明るく柔らかな春風めいた少女と、自分如きが釣り合うとは思えない。

 つまりただ、自分より年下の、言ってしまえば近所のガキを世話するような……否、流石に、エリカは近所のガキとは全く異なる生き物である。気品も美しさも、見ていて分かる育ちの良さも、流石に近所のガキのそれではない。くれた手紙に並ぶ文字1つ見ても、それは明らかだ。

 つまり……つまり、そう。これは、花を見ているような気分なのだ。アイザックはそう、自らの内に結論付ける。

 美しく、か弱く、そして元気いっぱいに咲いている花だ。アイザックが守ってやらずとも綺麗に咲くし、アイザックが手を出していいものでもない。手が届く存在ではない。

 そうだ。アイザックは、そういう気分でエリカを見ているだけなのだ。多分。そうだ。そうでなかったらこれは何だ。惚れているのか。いや、そんなわけはない。まだ、二度会っただけだ。そして、一度、手紙を貰っただけだ。冬頃にまた奉仕作業の告知があるのだろうから、それに行けば3回目になるが……。

「……馬鹿みてえ」

 恐らく既に寝付いているであろう他の囚人達に配慮した声量で呟いて、アイザックはベッドの上、体を丸める。

 考えたって何にもならないことだ。誰にだって分かることだ。たとえ、本当にアイザックがエリカに惚れていたとして……だから何だというのだ。どうせ何にもならない。ならば初めから身の程を弁えて、高嶺の花をそうと割り切って、ただ眺めている方が余程健全である。

 ……アイザックは何とか考えることを止めようとしたが、それでも考えはぐるぐると頭の中を回って、まるで寝付けそうにない。

 アイザックは少々、エルヴィスを恨んだ。




「おはよう、アイザック……アイザック!?お、お前、大丈夫か!?」

 翌朝。アイザックは、他の囚人達に驚かれていた。

 ……何せ、朝食のパンを食べながら、寝ていたので。

 囚人達はアイザックをゆさゆさとやって起こして、そして、如何にも不機嫌そうなアイザックの顔を覗き込む。

「どうしたんだい、アイザック。調子が悪いのかい?」

「……ねみいんだよ」

 結局碌に寝付けなかったアイザックは、今、非常に眠かった。アイザック史上、最も眠い朝かもしれない。

「それはまた、どうして……?寝付けなかったのかい?」

 囚人達は心配そうにアイザックを取り囲むが、アイザックは寝付けなかった理由など話したくない。ただもごもごと口籠って、それから朝食のパンを口につっこみ始める。『俺は食うから喋れねえぞ』という固い意志表示に、周囲の囚人達はそれ以上の追及を諦め……同時に、察した。

 成程、昨日のことを考え込んでいて、寝付けなかったんだなあ、と。

 ……だが、それだけでは終わらない。

「おや?アイザック。君、少し顔が赤いが……ああ!君、熱があるぞ!?」

「は?」

 アイザックを覗き込んでいた囚人の一人が、アイザックの額に手を当てて、慌て始めたのである。

 これにはアイザックも慌てる。まさか自分が風邪ということもないだろう、と思うのだが、確かに、寝不足とはまた別に体が重く、怠い。よくよく考えてみると、あまり食欲が無い。

「大変だ!医務室に連れていかなければ!」

「お、おい、いいって。一人で行ける。ガキ扱いすんな。お前らはもう壁に張り付く時間だろ」

「あっ、そうだった。ほら!皆!アイザックを壁に張り付けてから医務室へ連れていくぞ!」

 ……アイザックは囚人達に世話を焼かれることを回避したかったのだが、気のいい囚人達の勢いに勝てなかった。囚人達に連れていかれるままに食堂の壁に張り付き、ここのところ最近のお馴染みであるエルヴィスの耐冷魔法の恩恵に与り、ほこほこと温まったところでそのまま医務室へ連れていかれてしまうのであった。


「寝不足は寝不足なんだろうが、もしかするとこれ、知恵熱かもなあ」

「マジかよ……」

 そしてアイザックは、医師ではなくエルヴィスの診察を受ける羽目になった。というのも、医師は『これを飲んで適当に寝て午後から作業に戻れ』とポーションを寄越してきただけだったので。

「アイザック、お前、何をそんなに悩……あっ、エリカのことか!」

「だから!違ぇっつってんだろうが!大体、知恵熱起こすようなガキじゃねえんだよ!俺は!」

 大声で否定したアイザックは、途端に頭痛に苛まれてきたのでベッドへ潜る。もう駄目だ。今日は大人しく寝ていることにしようと思う。

 もそ、と掛布団を被ったところで、エルヴィスがそっと、ポーションを差し出してきた。どう考えても苦いのだろう。これは。だが、飲むしかない。仕方なくポーションの瓶を受け取って、中身を飲み干し、その苦さに唸りつつまた布団の下へと戻っていく。

 そこへエルヴィスがもう1つ瓶を渡してくる。『口直しだ。苦かったもんな、ごめんな』とのことだったので妙に腹立たしいのだが、ありがたく中身を飲む。中身は蜂蜜で甘みを加えた茶だった。口の中に残る苦みが綺麗さっぱり消えたので、アイザックは少しばかり、機嫌を直すことにする。

「……で、アイザック」

 アイザックが瓶を返すと、エルヴィスはそれをポケットへしまって、何気ないように聞いてきた。

「本当に、違うのか?結ばれる結ばれないとか、そういうの抜きにしても、やっぱり、惚れてないか?」

 じっと覗き込んでくる森の色の瞳に、どきりとさせられる。

「……だったら何だってんだ」

 だが、今更アイザックに何ができるというのか。エリカ・トレヴァーに愛を告げろとでも言うのか。そんなのエリカからしてみればいい迷惑である。

 どのみち、現実的ではない。アイザックは刹那的ながら、現実的な主義なのである。少なくとも、アイザックはもう、無邪気に夢見ていられる少年ではない。だから、『何でもない』のだ。これは、何でもない。何であってもならない。


「何ってことも無いけどな。人間は寿命が短いんだから、あんまり色々考えてないで好きに生きた方がいいぞ」

 だが、エルフはそんなことを言うのである。1000年生きるエルフの意見は、人間には参考にならない。

「あのな、俺はエルフじゃねえんだ。感覚が違うんだよ」

 アイザックは文句を言いつつ寝返りを打って横を向き……少しばかり、思う。

 確かに、人生は短い。エルフから見れば当然短く、そして、人間からしてみても、きっと、然程長くない。その通りだ。特にアイザックは、そうだ。長く生きているつもりなんてない。

 だからこそ、何か、やってもいいのかもしれない。いいのかもしれないが……。

「もう、やっちまったことは取り返しがつかねえから」

 短い人生では、今までを挽回するには、足りない。

「……俺も、お前くらい長生きするんだったらな」

 もし、自分に1000年の寿命があったとしたらどうだっただろう、とアイザックは思う。

 周りの人間が全員死んで、それでも自分1人だけ生き残るのなら……その時、やり直せたのかもしれない。

 だがアイザックは人間だ。もう、短い人生の中の、さらに短い今までの中ででも、取り返しのつかないことをした。前科持ちということがどういうことなのかくらい、アイザックにも分かっている。

 アイザックは、真っ当な人間にはなれない。元々そうだったし、これからはもっとそうだ。




 そのまま医務室でしばらく眠った。熱が出ていたからか、それとも、いい加減諦めが付いたからか、アイザックはぐっすりと眠ることができた。

 しっかり眠ってから目覚めたアイザックは時計を見て、自分が午前中の作業を全て寝過ごしたことを知る。今は丁度、昼の休憩時間だった。

 このままベッドに居たいような気もしたが、医師が厭な顔をするだろう、と想像がつく。仕方なく、アイザックはのそのそと医務室のベッドを出て、きちんと布団を畳んでベッドの足元の方へ重ねて置いておく。こうしておけば後は医師が適当に干すなり何なりするだろう。

 身支度を簡単に整えて、さて、仕切りのカーテンを開けてみると、そこには丁度、医師を待っているらしい囚人が1人、座っていた。


「あ、ああ、君は確か、アイザック・ブラッドリー、だったっけ……?」

 おどおどとして、卑屈な笑みを浮かべる囚人には、微かに見覚えがある。

 初日に話しかけてきて、アイザックがそのまま蹴り飛ばした、あの時の囚人だ。

「……何か用か?」

 流石にまた蹴り飛ばす気にはなれない。ブラックストーン刑務所へ入所したあの日からしてみると、随分とアイザックは穏やかになっていた。今はそうそう、自分以外に苛立ちを向ける気にならない。

 ただその囚人を見下ろして聞き返してやれば、彼はそれだけで怯んだ様子を見せたが、それでも、自らを奮い立たせるように卑屈な笑みを深めて、アイザックへ尚も話しかけてくる。

「い、いや……その、君、最近は模範囚みたいになってるらしいじゃないか」

 まあそうだな、とアイザックは思う。

 ……いつの間にこうなったのかは分からないが、エルヴィスや庭仕事の囚人達とつるむようになって、すっかり模範囚の仲間入りをしてしまっている。アイザックが望んでそうした訳でもないのだが、別に、模範囚で居ることが厭でもない。妙な感覚だった。

 だが。

「調子がいいよな。その、初日に懲罰房送りになったってのにさ。それでも、君は今じゃ模範囚扱いだ!」

 アイザックは囚人を見下ろしながら、彼の言葉を黙って聞いていた。すると彼は必死に訴え、必死に嘲り、必死に睨み上げてくる。それを見ていると……どうにも、苛立ちが込み上げてくる。

「ぼ、僕は忘れないぞ。君が模範囚のふりをしたって僕は忘れないからな。君は何もしていない奴をいきなり蹴りつけるような奴だ、ってね!」

 怯えながら嘲笑う囚人の、ちぐはぐに歪んだ表情が、酷く醜い。

 それでいて、言っていることは至極正しい。

 その通りだ。アイザックはただ鬱陶しかっただけの囚人を蹴り飛ばすような奴だ。そんなことはアイザック自身が一番よく分かっている。

 一歩、アイザックが動くと、囚人はあからさまに身を竦め、しかし、アイザックに怯えながら、またもアイザックを嘲笑う。

「また蹴るのか?それとも、こ、今度は殴る気か?ほら見ろ!やっぱり変わってない!アイザック・ブラッドリー!お前は模範囚なんかじゃ、ないんだ!」

 口角に唾を溜め、それを散らしながら笑う囚人へ、アイザックはもう一歩、近づく。

 お望みとあらば、そうしてやる。

 元々俺は、そういう人間だ。暴力的で、真っ当じゃなくて、社会のクズだ。

 そしてこれからも、どうせこのままだ。

 ……アイザックは、そうした気持ちの奔流に身を任せて、腕を振り上げた。




「アイザック!やめろ!お前、そういう奴じゃないだろうが!」

 だが、やっぱり、こういう時にもやってくるのだ。この、お節介焼きのエルフは。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 否、流石に、エリカは近所のガキとは全く異なる生き物である。 [一言] 気のいい囚人とかいうおもしろワード
[一言] 誰がどう見ても知恵熱です、ありがとうgz
2023/04/01 07:36 退会済み
管理
[一言] 見たところ刑務所は男女別のようだし(おじさんしかいないので)、そんな中で看守だけ女性を取るってこともないだろうし(警備の面で考えてもちょっと危ない気がするので)、この年頃で女性を見るのが奉仕…
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