雷の一撃*4
そうして、その日は一度、解散となった。グレン・トレヴァーが『こんなことがあって奉仕作業が中止になってしまったので、よければ来週かその次にでも、改めてもう一度お願いしたい』と看守に告げ、幸運にも囚人達の再訪が約束されたのである。
そうして刑務所に戻った囚人達は、ああでもない、こうでもない、と連日話し合いを続けて、作るべき『結界』の構想を練り上げていった。
グレン・トレヴァーには予め、必要となりそうな資材を告げてあるので、再訪した際にはすぐ、作業に取り掛かれるようにしておきたい。
……この話し合いには、アイザックも積極的に参加した。
何せ、基本的に大人しい囚人達の中で、唯一アイザックだけがまともに『傷害罪』で服役している囚人だ。大人しい連中には分からないもの、言ってしまえばごろつきならではの感性のようなものを理解できるアイザックの意見は、結界の方針決定に大いに役立った。
アイザックは非常に熱心だった。二度と、あんなことがあってはいけないと思った。トレヴァー一家への、淡い憧れに似た気持ちを全て込めて、いくつもの結界の提案を出した。
これを『先生』達は大いに喜び、アイザックへ、余計に沢山のことを教えてくれた。……それらの一部は違法な知識であったが、まあ、この際違法でもいいからトレヴァー一家を守りたいと、アイザックは強く思っていたのでそれら全てを吸収していった。
資格試験の時のような不安や緊張は無く、その代わりに強い目標と硬い意志がある、不思議な時間が流れていった。
一週間後。
アイザック達はグレン・トレヴァーを再訪することになる。看守は『事故のせいで2回も奉仕作業へ引率しなくてはいけなくなった』と不満げな者も多かったが、そんな看守達はアイリスとエリカによって『遠いところからご苦労様!お茶とお菓子をどうぞ!』ともてなされ、到着から10分で上機嫌になっていた。
……そしてその間に、アイザック達は動く。『グレン・トレヴァーの依頼をこなす』という形で、ひたすら、持ちうる技術と知識、そして熱意を注ぎ込み、それらを完成させていく。
間に昼食休憩を挟んだが、囚人達は和やかにおしゃべりを楽しむでもなく、黙々と食べ、早々に休憩を切り上げて、また作業へと戻っていった。
本来なら3日ほどかかるであろう施工である。それを1日でやってしまおうというのだから、休憩などしている時間がもったいなかった。アイザックも、大きな口で一気にサンドイッチを咀嚼して呑み込み、スープを呷ってカップを空にして、早々に作業へと戻る。誰よりも短い休憩時間で、誰よりもよく働いた。
……工場で長らく働いていたアイザックは、技師達の間で働くのが上手かった。『技師はこういう時にこういうものを欲しがる』ということを幾らか知っていたのだ。それに加えて、技師達が使っては放り出していく資材を片付けていったり、整えておいたりといった細かな作業も片付けて、皆の仕事が上手く回るように支えることができた。
皆の中で働くことを楽しいと思ったのは、初めてだった。
何せ、働いても罵倒か嘲笑くらいしか返ってこなかった例の工場とまるで違う。アイザックが働けば、囚人達は皆、『ありがとう!』と、忙しいながらも礼を言ってくれるのだ。休憩時間には、わざわざアイザックを褒め、頭を撫でに来た囚人も居た。(アイザックは嫌がったのだが、撫でられた。)
……まあ、このようにして、皆に認められて働くという体験をしたアイザックは、少しばかり、ちら、と思うのだ。
このムショを出たくねえな、と。
……そうして。
「グレン。見ろ。完成したぞ」
花屋に新たな結界が生まれた。それを、店の前でエルヴィスが解説する。
「まず、俺の魔法の方はちょっと判定が厳しくなった。『悪意ある者』の基準をもうちょっと厳しくして、その分、二段階にしてある。野薔薇の棘にチクチクやられる感覚を齎す結界が第一段階。イラクサで痛みと痒みを齎すのが第二段階だな」
エルヴィスが作った既存の結界は、2つに分けられた。それは、『悪意』というものの線引きが難しいからであり、同時に、『悪意』という酷く曖昧なものを感知できるエルフの魔法ならではの防波堤となるのだ。
一段階目の方は、ただエリカやアイリスに対して下心を持っているだけ、というような場合でも発動するようにしてあるため、すぐ発動するはずだ。だからこそ、ただ、棘でちくりと刺される程度の、違和感や不快感を覚える程度の強さでしかない。
そして二段階目の方は、以前のものをより繊細に、かつ若干弱めに調整したものである。今度は混乱に紛れた悪意も認識して、イラクサの報復がもたらされることだろう。尤も、その効果は弱めに調整されているが。
……何故なら、この後に続くものが、とんでもないからである。
「で……これとは別に、結界……結界か?うん、まあ、そういうのが、この張り切った奴らによって生まれたってわけだ!」
エルヴィスがグレン・トレヴァーへ開き直ったように紹介するのは、アイザック達の『先生』である。
……つまり、突き抜けすぎた研究心やその他諸々によって魔導機関技師資格剥奪の憂き目に遭っている、元・魔導機関技師達だ。
「もうね、悪意なんてものを判定する術なんて魔法じゃあるまいし、定義が難しすぎて存在しないも同然だからね。とりあえず、刃物と火器類、特定の回路を持つ魔導機関なんかに反応して、入場を制限するゲートを作ってみたよ」
「こちらは殴る、蹴る、切り付ける、投げる、なんかの動作に反応して即座に対象を捕縛するための機関だ。アイザックの動きを参考に、一定の特徴を持った一定以上の速度の動作に対して反応するようにしてみたよ」
「こっちには留守や就寝時のトレヴァーさん達を守る魔導機関を用意したぜ!家の鍵に連動して起動するようになってるから、外出時や就寝時には戸締りを忘れずにな!侵入者には雷が落ちるから、光って目立って防犯効果バッチリだ!」
……囚人達は、随分と張り切って、魔導機関を組み立てた。刑務所で今まで燻っていた分を取り返すように、そして最近のアイザックの目覚ましい成長に感化されたように、本当に張り切って、短時間で随分と強力なものを組み立てたのである。
その結果、これ以上無いまでにトレヴァー家は守られることとなった。これほどの防衛能力を有する家は、王都を見ても中々無いだろう。
それはそうである。このような魔導機関を組み立てるなど、普通であれば大金を積んで行うものなのだ。そして、普通の金持ちであるならば、警備の人間を安い金で雇えば済む話なのだから、結局、こんな魔導機関を使う者は居ないのだ。
「ははは、随分と立派になってしまったね!」
「見た目はそんなに物々しくならないようにしたぜ。一応、その辺りは気を遣っておいた。折角の花屋で弁護士事務所だもんな」
グレン・トレヴァーはエルヴィス達の説明を聞いて、楽し気に笑っていた。その目はきらきらと輝いて、まるで好奇心旺盛な少年のようでもある。
「あらあら、これなら本当に安心ねえ。……大丈夫よ。過剰防衛の判決を覆す用意は私にあるから」
アイリス・トレヴァー夫人も楽し気である。彼女は娘に訪れた危機によって、闘争本能を刺激されたらしい。とても情熱的である。
「そしてこちら!さあ、見てくれ、エリカ。これは君のものだ」
囚人の一人に押し出されたアイザックは、エリカの前で何とも気まずい思いをしながら、それをそっと、エリカの手に載せる。
それは、ころん、とした形の、手のひらに乗る程度の大きさの魔導機関である。アイザックが他の囚人達の補助を行う傍ら、組み上げたものだ。
「その……これ、持ってると、攻撃されそうな時、雷で壁ができるから……その、雷を落とすのはどうかと思ったけどよ。目くらましには丁度いいだろ。相手がビビってる間に逃げればいい」
アイザックが説明する間も、エリカはぽかんとしていた。磨いた木でできた卵のようなそれを手に載せたまま、しげしげとそれを見つめている。
「面白いだろう?これは私達の目からしてみても、中々斬新なんだ」
そんなエリカの後ろから、にこにこと満面の笑みの囚人が1人、やってくる。
「アイザックの発案なんだよ。彼は中々いいものを作る!」
更に、もう1人囚人がやってくる。アイザックは少々頭の痛いような気持ちである。
「……綺麗ねえ。こんなに小さくて、でも、私を守ってくれるのね……」
エリカは手の中の小さな魔導機関を見て、きらきらと目を輝かせる。……磨いた木を外装に使うことで、少しでも物々しさを減らそうと考えたのはアイザックだ。木の加工はエルヴィスに教わった。エルヴィスは『人間に木の細工を教えるのは二度目だなあ』なんて言いながら、どことなく嬉しそうににこにことしていた。
「小型だから持ち運びには困らねえだろう。な、エリカ。それを持って歩いていてくれよ。そうすりゃ、グレンも、俺達も、多少は安心できる」
エルヴィスがそう言ってやってくると、エリカはようやく顔を上げて……そして、満面の笑みで頷いた。
「ありがとう、アイザック!!毎日、これを持って歩くわ!」
その笑顔を見て、アイザックは何か、胸の奥がむずむずとするような、そわそわと落ち着かないような、奇妙な心地を味わった。
そうして囚人達の奉仕作業は終了した。看守達は『なんだか今日は作業が違ったらしいな』と首を傾げていたが、囚人達もグレン・トレヴァーも、皆にこにこしながら黙っていた。看守達は、まさか囚人達によって強力な結界が生み出されたなどとは気づかなかったようだ。
……だが、それから数日後、グレン・トレヴァーの花屋は近所で評判になったらしい。
というのも、その地域一体を狙った犯行を繰り返していた空き巣が捕まったからだ。アイザック達が作った『結界』によって、無事に捕縛されたとのことで、近所では頼れる花屋と専らの評判なんだとか。
その様子を楽し気にエルフ語で綴った手紙が『寄付』の腐葉土の袋の中から見つかり、それを読んだ囚人達は皆で満面の笑みを浮かべた。
「つまりその犯人は、野薔薇の棘でチクチクやられても諦めずに空き巣に入ろうとしてイラクサに股間をやられて、更に薔薇の生垣で捕縛されて柳の木に括り付けられた状態で、枝にべしべし叩かれてたってことか!見たかったなあ、それ!」
「結構悲惨だよな、それ……」
犯人のことを思って、アイザックは『ざまあみろ』という気分半分、憐れみ半分の複雑な気分になった。……以前のアイザックならば『ざまあみろ』10割になっていたのだろうが、周りの、普段はのほほんとしている囚人達が皆で『よっしゃー!』と喜び、時に雄叫びを上げているのを見ると、どうもそういう気分になれないのである。妙なことだが。
「ま、これでグレンへの義理はまた1つ果たせたな。よしよし……」
エルヴィスは何やら嬉しそうにそう言うと、腐葉土の袋に入っていた手紙をそっと懐へとしまい込んだ。
……ああして届く手紙は、全て、エルヴィスが大切に保管している。アイザックはそれを、ちら、とだけ知っていた。時々それらを取り出して読み返しては、静かに笑っていることも。
グレン・トレヴァーとエルヴィス・フローレイは、どうも、奇妙な友人関係にあるらしい。それも、相当に特別な。
なんとなく、面白くないような気まずいような気分になりながら、アイザックはエルヴィスを眺める。
自分にも、彼らのように唯一無二の存在が居れば、と一瞬思って、慌てて考えを打ち消す。そんなものを望んだって面倒なだけだぞ、と。
だが、どうにも、嬉しそうなエルヴィスを見ていると、羨ましさと嫉妬、そして諦めのようなものが微かに湧き上がってくるような気がした。自分が持っていないものを持っている者を見る時の気分だ。
……ただ、服役する前に上流階級の人間を見て感じていたものとは違って、どうも、憎悪の類はまるきりアイザックの中に無かった。
最近、どうも、アイザックの中から憎悪や怒りが溶けて流れ出ていってしまっているような気がする。こんな妙な連中に囲まれているからなのだろうが……時々、ふと、不安になるのだ。
自分はこの刑務所を出た後、どうやって生きていけばいいんだろうか、と。
アイザックは考えを押しやって、翌日もまた刑務所内で働いた。
最近は、細かい作業も然程苦手ではなくなってきた。魔導機関を弄るのであれば、細かな作業にも慣れなければならない。そう思えば、苛立つことも大分減った。理想からまるで遠い自分の腕前に苛立つことはあっても、それ以上に、できなかったことができるようになる喜びの方が、遥かに多かったのが救いである。
……そして、救いはもう1つ、やってきた。
「おい、アイザック・ブラッドリー!」
作業終了後、アイザックは看守に呼び止められる。アイザックは首を傾げながら立ち止まると、看守が無造作に突き出してきたものを見て……固まる。
「手紙だ」
検閲の為、封は切られていたが……この手紙の封を切るにあたって、看守達もなんとなく、乱暴にやるのは気が引けたらしい。丁寧に開封してあるそれは、柔らかな春の色をした、可愛らしい模様の入った封筒である。
宛名は『囚人代表アイザック・ブラッドリー様』だ。そして、差出人は、『エリカ・トレヴァー』。
一瞬、或いは数分、時間が止まったような気がしてアイザックは立ち尽くしていた。
すると『なんだなんだ』とばかり、周りにいつもの囚人達がぞろぞろと集まってきて、アイザックの手元を覗き込む。
手紙だけでなく自分の顔まで覗き込まれて、ようやくアイザックは我に返ると、囚人達の輪から逃れ、自分の大きな背で視線を遮るようにしながら封筒を開ける。
……中に入れてあった便箋には、丁寧な文字が並んでいた。
『この間は奉仕作業に来てくれてどうもありがとう。力仕事をしてもらって、随分と助かりました。是非またお手伝いしに来てください。』内容は、そんな具合である。要は、定型的で、いつもエルヴィスがグレン・トレヴァーから受け取っている感謝状と大して変わりがない。だが、手紙には続きがあった。
『次は雪が積もる頃、また奉仕作業を依頼すると父が言っています。その時にまたお会いできるのを楽しみにしています。風邪にはどうぞ、気を付けてね!』
エリカの明るく柔らかな声が聞こえてくるような、そんな手紙を読み終えて……また、アイザックはしばらく、ぼんやりしていた。何度も文字列を目で追っては読み返して、じっと立ち尽くす。
「……なあ、アイザック」
すると、いつの間にかまた、周囲を囚人達に囲まれていた。
その中で最もアイザックの近くへやってきていたエルヴィスは、何か、素晴らしいことに気づいたような嬉しそうな顔で……わくわくとアイザックに聞いてきた。
「お前、エリカに惚れたか?」