雷の一撃*2
エリカ・トレヴァーはその後もアイザックの横に居座って、楽しげに話していった。どうも、自分と同じくらいの年頃のアイザックが珍しかったらしい。
彼女はどうも、弁護士資格が取れる学校に通っているのだそうだ。母親であるアイリスと同じように、弁護士を目指しているらしい。小さいころからエルフの里と親しんできたエリカは、エルフの助けになりたいと思うようになっていったのだという。そして……。
「弁護士になれば、こうやって時々来てくれるおじ様達の助けにもなれそうだもの。ママは格好良くて憧れの存在だし、なら、母娘2代で弁護士をやるのも楽しそうだって思ったのよ」
夢に輝く瞳で、エリカはそう言う。アイザックは『何故弁護士になろうとしたんだ?』という問いへの答えを聞き終えて、それから、ふと気になって、聞いてみた。
「囚人連中なんて、普通だったら関わり合いになりたくないモンだろうに、その、あんた、変わってるな」
まだ会話を続けようとしている自分に驚きながら、アイザックはエリカを見て……ふと、自分の問いに気を悪くするんじゃないか、だとか、その囚人の内に自分も入ってるんだぞ、だとか、途端に心配になってくる。
だがエリカは気にする様子もなく、明るく笑って言うのだ。
「だって、私が生まれる前からここにはムショのおじ様達が来てるんだもの。私が赤ちゃんの頃から、ずっと遊んでもらってたくらいよ?もう慣れちゃったわ。それに、エルヴィスはパパのお友達だし、そのエルヴィスが連れてくる人は皆ちょっと変で面白くて優しい、素敵なおじ様なんだって知ってるから!」
成程、確かにこの環境で育てばそうもなるだろう。周りでにこにこと笑う『素敵なおじ様』達を見回して、納得した。この囚人達は、エリカに甘いのだろう。間違いなく。
「でも、あなたみたいな人が来るのは初めてね。大抵、年上だもの。ねえ、アイザック。あなた、何歳?」
「18。もうすぐ19になる」
「あら、じゃあ、本当に少年法で守られなくなった途端にムショ入りだったのねえ。私も18よ。尤も、最近18になったばかりだけれど。だから、あなたの方が先輩ね」
「冬の生まれなのか」
「ええ、そうよ。秋が冬になる頃の生まれなの。あなたは春生まれ?」
「ああ、うん」
アイザックは上手い話題や返事を思いつかない自分を苛立たしく思った。もう少しうまく話せるようであったら、多少は格好がついたのだろうが、これではどうにも、何も、格好がつかない。ただ、エリカが明るく話すのに相槌を打っているばかりだ。こんな調子なので、エリカは自分と話していて退屈だろう。
……それからももう幾らか会話したが、その内、エリカはグレン・トレヴァーに呼ばれてそちらへ行ってしまった。囚人達も休憩時間の終わりが近づいていたので、それ以上何かすることもできない。
エリカは花屋の表の方へとぱたぱた駆けていった。店番をすることになったのかもしれない。アイザックはただその背中を見送った。
午後の作業中、アイザックはどことなくぼんやりしていた。ぼんやりと鉢植えを運び、ぼんやりと煉瓦を運び、ぼんやりと腐葉土を運び……実によく働いたのだが、アイザック本人にはその自覚が無い。
「……おい、アイザック、おーい」
やがて、エルヴィスに後ろから声を掛けられて、ようやく、アイザックは我に返った。
「おい、アイザック。大丈夫か?なんだかぼんやりしてて心配になる」
「別にぼんやりしてねえよ」
「いや、してるだろ……どう見てもお前、ぼんやりだろ……」
エルヴィスに言われるとなんとなく腹立たしいのだが、そう言ったら余計にバカにされそうなのでアイザックは黙っていることにする。
「調子が悪いって訳じゃ、なさそうだけどな。どうした?」
「どうもしてねえって」
心配するように覗き込んでくるエルヴィスが少々鬱陶しいが、この苛立ちは恐らく自分から自分へ向けてのものなのだろう、とアイザックはもう学んでいる。
だが、何に苛立っているのかがよく分からない。これはもう少し、考えてみる必要がありそうだ。
エルヴィスに心配されつつ、アイザックはまた働き始める。アイザックの身長を超える程の観葉植物の鉢植えを運び、液体肥料の瓶詰がたっぷり入った木箱を運び……そんなアイザックを見ていたグレン・トレヴァーは『彼、魔導機関が体の中に入ってるとか?』とにこにこしていたが、そんなことにも気づかず、ただ黙々と、そしてぼんやりと働き続ける。
そんな時だった。
店の表に回って、観葉植物の大きな鉢植えを置きに行ったところで、エリカが客に頼まれたのか、店の前に出てきて、鉢植えを見繕い始める。
一般の客の目にアイザック達が入ると、何かと迷惑をかける。アイザックは慌てて、店の裏側へ引っ込むべく動き……だが。
ちら、と、不審な動きが見えた。
エリカが接客している相手……その男性客は、如何にも何気ない素振りでポケットに手を突っ込んでいるが、その動作に、その表情に、見覚えがある。
……かつてアイザックが喧嘩に明け暮れていたころ、ナイフを取り出して不意打ちを仕掛けてきた奴らの挙動に、似ていた。
ぞわり、と背筋が凍るような感覚を味わう。そしてその直後、アイザックは動いていた。
最早、迷惑だなんだと考えない。そもそも、何かを考える余裕というもの自体、アイザックには無かった。
以前の暮らしを思い出しながら脚が動いて、丁度、ナイフを取り出したところだった男に、体当たりする。
大柄なアイザックがこうすれば、大抵の奴は倒れる。そして、『普通』ならこのまま相手に馬乗りになって顔面を殴って、ナイフを取り落とすまでボコボコにしてやる。反撃なんてできないように。二度と、歯向かってこないように。
……だが、そうする前、ふと、エリカが視界に入って、我に返る。
そうだ。ここは、世話になっている奴の店の前だ。暴力沙汰は、御法度だろう。ならば、不慣れながら、アイザックは自分の『普通』を捨てなければならない。
倒れた相手に組み付き、彼を取り押さえることだけに集中する。
できるだけ暴力を振るわないようにこうした対処をするのは、初めてだ。逮捕されるまで、喧嘩で遠慮したことなんて碌に無かった。完膚なきまでに叩きのめさなければ、明日、仲間を引き連れた奴らが報復に来るかもしれないし、遠慮する余裕なんてどこにもなかった。
そしてそもそも、遠慮が必要な善人なんて、アイザックが住む路地裏には1人も居なかった。アイザックを含めて。
……そうして、慣れていないことに挑んだせいで、暴れた男の反撃を許してしまった。
暴れる男のナイフがアイザックの腕を切り裂いていく。だが、それでも、アイザックは頑なに、只々相手を取り押さえるだけだった。
……そんな時。
唐突に悲鳴が上がる。
何だ、と思っていると、アイザックが取り押さえていた男がナイフを取り落として、アイザックが押さえるまでもなく蹲り始めた。……何故か、股間を押さえて。
「あーあーあー、今回は発動が遅かったなあ」
アイザックがぽかんとしていると、エルヴィスがさっとやってきて、蹲る男の様子を見始めた。
「うーん、悪意が見つかる前に、混乱でいっぱいになっちまったってことか。うーん……これはちょっと、組み直さねえとダメかな」
エルヴィスはそんなことを言うと、尚も悶絶している男の上に乗って取り押さえつつ、『おーい、警察に連絡してくれー』と声を掛ける。その頃には看守も慌ててやってきており、エリカにナイフを向けようとしていた男は、無事、看守達の手で警察へと引き渡されたのだった。
……それから、アイザックはエルヴィスの治療を受けていた。
「ポーションがあってよかったぜ。全く、お前、躊躇なくいくんだもんな」
アイザックの傷は、少々深かった。興奮状態にあったからか、あまりに必死だったからか、アイザック自身には自覚がまるで無かったのだが……腕をナイフで切り付けられていた。ぱっくりと切れた生々しい傷跡から血が流れ出て、ふと見ると店の前がアイザックの血で汚れていた。
「店の前、汚しちまった」
「そんなこと気にしなくていい。今は怪我の治療に専念してくれ」
珍しく少々怒ったようにエルヴィスはそう言うと、ポーションを飲んだ後のアイザックの腕に、『あの程度のポーションだけだと不安だから』と何かの薬を塗り、ぐるぐると包帯を巻き始める。アイザックは『過保護だな……』と思ったが、黙っていることにした。
「あのな、アイザック。俺はさっきの見てて、ちょっとぞっとしたんだぞ」
エルヴィスはまたも怒ったように、そう言う。
……アイザックも2度目なので、エルヴィスがどうしたことにショックを受け、どうしたことに動揺するのかは多少、分かっている。
要は、このエルフは人間が自分より先に死んでしまうことを、深く深く悲しんでいるのだ。だから、少しでも長生きさせたいらしいし、自分の目の前で不慮の事故によって死にかけそうな人間が居たら動揺するのだ。なんとも優しいことに。
「大丈夫だ。死ぬようなヘマはしねえよ。先に死んだらお前がもっと酷いツラしそうだからな」
だが、アイザックは間違いなくエルヴィスより先に死ぬ。寿命もそうだが、きっと、それ以外の要因で先に死ぬのだろうな、と、なんとなく、アイザックは思っている。最近では、妙にその感覚が薄れていたのだが……あまりにも幸せで忘れかけていたその感覚を、先程ナイフで切り付けられた時に思い出したのかもしれない。
「当たり前だ、ばかやろ。本当に……本当に、もうちょっとくらい、躊躇してくれ」
エルヴィスはしょげたようにそう言うと、アイザックの腕に巻いた包帯をぽん、と叩いて、『終わり!』と言って治療を終了する。
包帯で過剰に包装されたような腕を見て、アイザックは苦笑いした。
まあ、この包帯の過剰な巻き方が、このエルフなりの心配の大きさなのだろうと思うので。
「あの、アイザック……」
そこへ、おずおずと声が掛けられる。ふと顔を上げれば、そこには不安気な顔をしたエリカが居て、どきりとさせられる。
「……大丈夫か。あんた、怪我は」
「え、ええ、私は大丈夫よ」
見たところ、エリカと客に怪我は無さそうだった。それにアイザックは心から安堵する。この美しい生き物が傷つくことがなくて、本当によかった。
そして、エリカが心配そうに、じっと自分を見つめていることにうずうずとした気恥ずかしさを覚える。それから考えて、エリカと見つめ合ってしまっていることに気づいたアイザックは、慌てて目を逸らした。こんな綺麗な生き物を見つめていたら失礼に当たるような気がしたのだ。
「でも、アイザック、あなたは?あなたは大丈夫なの?」
「別にどうってことねえよ」
エリカが慌ててアイザックに寄ってくるので、アイザックは慌てて、離れることにした。幸い、アイザック自身も大した怪我はしていない。ポーションのおかげで、少なくとも表面から見た分にはほとんど分からないくらい、傷が治っているのだから大丈夫だ。このまま何事もなく、作業に戻ればいい。
「でもここ、すごい包帯だわ……」
だが、エリカは見逃してくれなかった。それもそのはず、エルフの心配が見事に包帯の巻き方へと表れてしまっているので。
「エルヴィスがやりすぎなだけだ。別に、大した傷じゃない。ポーションでもう治った」
エリカをこれ以上心配させないようにそう言えば、エリカは『ああ、エルヴィスのポーションなら安心だろうけれど……』と、少しは安心したらしい。エルヴィスがやたらとエリカの信頼を勝ち得ているらしいことに何とも言えないものを感じたが、それは放っておくことにする。
「だからそんな顔しなくていい。俺は今までだって切ったの刺したの、そんなの当たり前の暮らししてたんだぞ。心配されるような奴じゃない。それに……」
尚もやや心配そうな顔をするエリカから視線を外して、アイザックはエルヴィスへ、じっとりとした目を向ける。
「……俺が何かしなくてもよかったんだろ?おい、エルヴィス」
エルヴィスが何か答える前に、警察とのやりとりを終えたらしいグレンがやってきた。少々険しい表情に緊張を走らせて、彼は、言った。
「エルヴィス。結界を作り替えてくれ。今後、エリカに何かしようとした奴全員に、確実に……そうだな、雷でも落としてもらおう」