雷の一撃*1
こうしてブラックストーン刑務所の中に、ポーション工場ができた。
作れるものはポーションの中で最も簡単な癒しのポーションのみ。それも、品質が高いものではない。
だが、快挙である。エルフの魔法を人間が道具を使って再現できるようになったということは、紛れもない快挙なのだ。
ブラックストーン刑務所の中では、怪我をした囚人達に癒しのポーションが使われるようになった。品質が高くないとはいえ、人間が作ったいかなる薬より速くよく効く薬である。傷が瞬時に癒え、痛みが消えるこの薬を、囚人達の多くは喜んだ。
……勿論、囚人達の中にも、ポーションに忌避感を覚える者は居た。そうした者達は、瞬時に癒える傷に恐怖を抱くらしい。
そうした囚人達には、他の囚人達がポーションを使っている様子を観察してもらった。何度も何度もポーションの利用現場を見ていれば、次第に慣れてくる者も居る。そうしてポーション利用の輪は確実に、広がっていったのである。
それでも頑なにポーションを使おうとしない囚人も、居たが。例えば、アイザックが初日に蹴り飛ばした例の囚人などは、『得体の知れない薬なんて使いたくない』とポーションを拒否していた。
エルヴィス達は、それはそれで仕方ない、と割り切って、協力してくれる者だけで臨床試験の真似事を進めていった。
特許を取得できても、ポーションの安全が証明されない限り、ポーションを流通させることはできない。今できることを着実に進めていくしかないのである。
そうして、資格取得から2週間ほどで、またグレン・トレヴァーのところの奉仕活動の報せがやってきた。
アイザックは特に疑問にも思わず自分の名前と囚人番号を書いた紙を応募箱の中へ入れた。グレン・トレヴァーに報告したいことがあるのだ。自分が行かないわけにはいかない。
それに、あの花屋の雰囲気は、嫌いじゃなかった。
週末の奉仕作業には、やはりいつもの面子が揃った。皆で『今日も女神様はご健在だろうなあ』『お土産のポーション、喜んでもらえるかなあ』などと楽しく会話しながら、のんびりガタゴトと馬車に揺られる。
アイザックはというと、グレン・トレヴァーに何と報告しようか、言葉を考えていた。
アイザックは咄嗟に喋るのが苦手だ。自分が考えていることを言葉にすること自体が苦手なのだから仕方がない。だからせめて、前もって準備しておけば、多少マシになるかと考えている。
「おーい、アイザック。お前もお茶、要るか?」
「要る」
エルヴィスがまた持ってきたらしい茶を受け取って、アイザックはまた必死に、報告の文面を考えるのであった。
グレン・トレヴァーの店は、前回来た時と同様の落ち着いた雰囲気であった。そして、そこに居るグレン・トレヴァーも前回同様の和やかな雰囲気で囚人達を出迎えてくれた。
「本日もお世話になります」
「ああ、今日もよろしく」
エルヴィスとグレン・トレヴァーは言葉こそそれらしいものの、やはりまた親し気に挨拶を交わす。……だが、ここから先が、前回とは違った。
「それから、今日は良い報告があるんだ。ほら、アイザック」
エルヴィスは笑って、アイザックを呼ぶ。呼ばれなくたって報告するつもりだった、とアイザックは内心で悪態をつきながら、グレン・トレヴァーの前に進み出た。
「……2級、合格しました。ありがとうございました」
言葉は多くないが、一礼して、そう報告する。すると背後で囚人達が『アイザックが!』『あのアイザックが!』『ちゃんとお礼言ってる!』とざわめくのを、うるせえな、と思いつつ、意識してそれらの嬉しそうな囁きを耳から追い出す。
「そうか、おめでとう。やはりアイリスの言っていた通りだな。君は受かりそうな顔をしていた、ということだろう。まあ、私は礼を言われるようなことはしていないが……」
「あんたが勧めてくれなかったら、受けてなかったから」
穏やかに笑うグレン・トレヴァーに、これだけは、伝えておきたかった。
「落ちたら花屋で働けって、言ってくれたの……その、嬉しかった」
グレン・トレヴァーがああ言ってくれたことが、アイザックには嬉しかったのだ。アイザックの人生は失敗ばかりの人生で、成功とはまるで無縁な人生だったが、これから先も失敗を重ねていくことを許してもらえたことが、あまりにも、嬉しかった。救われたような気がした。まだやり直せるのではないかと不相応に思ってしまうくらいに。
……そしてその勢いのまま、魔導機関技師資格2級に合格してしまうくらいに。
「なあ、あんた、言っただろ。植物を育てるといい、って」
それから、もう1つ伝えたいことがある。
馬車の中では言うべきか迷っていた。グレン・トレヴァーにとっては至極どうでもいい、アイザックの内面の話だ。彼はそんなものに興味はないだろうし、伝えても迷惑になるだけだろうと考えていたが……どうも、今、目の前のグレン・トレヴァーを見ていたら、彼になら、言ってもいい気がしたのだ。
「そうだね。君はそういうのに向いていると思うけれど」
「……試験の勉強するの、植物を育てるのに、似てた」
……そう、伝えた途端。
「そうか!ああ、やっぱり君……君、確かに、植物を育てるのに向いてる!」
グレン・トレヴァーは嬉しそうな顔で笑って、そして、アイザックを抱擁した。突然のことにアイザックは驚いて、自分を抱きしめるグレン・トレヴァーの頭を見下ろしながら、只々固まっていた。
……だが、悪い気分ではない。風変わりではあるものの真っ当な人間に認められたのが、嬉しかった。
そうしてアイザック達は、楽しく花屋の仕事を手伝った。
重い鉢をいくつも運べるアイザックは重宝されたし、他の囚人達は刑務所の中の庭仕事で培った技術を生かして、様々な植物の手入れや植え替えを手伝った。
エルヴィスはエルヴィスで、元気のない植物に『元気出せよ。な?』と話しかけては元気にするというよく分からないことをやってのけるので重宝されていた。つくづくエルフというものがよく分からない、と、アイザックは思った。
働いた後は食事が美味い。今日の食事は、甘辛く味付けされた鶏肉に、根菜のサラダ。野菜がたっぷりと煮込まれた温かなスープ。そしてローズマリーポテトだ。
今やすっかり、温かい食事が嬉しい季節となっており、アイザック達は存分に食事を楽しんだ。アイザックは食事を摂りながら、ここで食べるローズマリーポテトが一番美味いな、と感じていた。
「さてさて。それであなた達、特許取得の準備はできてるんでしょうね?」
しかし、食事を楽しんでばかりもいられない。今日、ここに招かれたのは、これの話があるからなのだから。
「これが資料だ。いくつかの工程ごとに特許を取っておこうと思って」
エルヴィスが出した資料には、ポーション作りを魔導機関で進めていくための、いくつかの工程ごとに分けられた手順書と、そこで用いる魔導機関の回路などが記されている。
工程ごとに分けたのは、今後、別の回路を用いたポーション作成を思いついた者が居たとして、少し回路を変えただけのものを『別のものだ』と主張されたらこちらの権利を主張できなくなるからだ。
工程ごとに分けてしまえば、どこかでは必ず、エルヴィス達が編み出した回路に引っかかることになる。そうなれば、技術の悪用や盗用を防ぐことができるだろう、と考えたのだ。
「そうね。悪くないわ。……だったらここも特許ってことにしちゃいましょうか。多分これ、まだ出てないわ」
「詳しいなあ」
「そりゃあね!結構調べたんだから!」
どうやら、アイリス・トレヴァー夫人は今回の特許取得のため、散々調べ物をしてくれたらしい。『どう!?』とばかりに胸を張るアイリス・トレヴァー夫人に、囚人一同、拍手を送った。
「他はまあ、なんとかなるでしょう。ええと……じゃあ、これの様式を整えて提出しちゃうからよろしくね。ところでエルヴィス。あなたは技師資格、受かったの?」
「うん?落ちたぜ。まあ、そんな気はしてたろ?」
「……まあ、そんな気はしてたわ。ええ、全くもう……」
けらけらと笑うエルヴィスに、アイリス・トレヴァー夫人もグレン・トレヴァーも苦笑していたが、アイザックとしては、少し申し訳ない気分になる。
恐らく、エルヴィスはきちんと勉強すれば受かったのだ。だが、彼はポーション作成にかまけて勉強しなかった。
それはポーション作成、ないしはその技術の特許申請の準備のためではあったが……それと同時に、恐らく、アイザックが不合格だったときのため、だったのだろうと、アイザックは思っている。
……つくづく、エルフという生き物はよく分からない。気が長く、植物を愛し植物に愛され、そして、優しい。そういう、よく分からない生き物なのである。
そうして書類についての打ち合わせがあり、数か所に囚人達が署名して、そしてアイリス・トレヴァーが『完璧!』とにっこり微笑んだ時。
かららん、とドアベルが鳴って、軽やかな足音が入ってきた。
「ただいまー。あら?お客さん?」
「おかえり、エリカ。いつものおじさん達が来ているよ」
グレン・トレヴァーが出迎えの声が玄関へと飛び、そして、ぱたぱたと軽やかな足音はこちらへ向かってくる。誰だ、と思ってアイザックがドアの方を向いた時。
「ああ、いつものおじ様達!こんにちは!」
……そこに、天使が居た。
アイザックがぽかん、としている間にも、天使と見紛う程の美少女が、部屋に入ってくる。
「こんにちは。ねえ、エルヴィスは相変わらずね!」
「エリカはまた大きくなったな。すっかり立派なレディだ」
「そう?ありがと!」
ふふん、と気取ったポーズをとる様子がアイリス・トレヴァー夫人に似ている。気の強そうな美貌は母譲りだろう。それでいて柔和な雰囲気はグレン・トレヴァー似だろうか。
「学校の帰りか?」
「そう!今日はお昼で終わり」
「なら友達と寄り道でもしてくればいいのに」
「あら。心配しなくても、学生生活は十分謳歌してるから大丈夫よ!」
彼女は笑いながら部屋の中を見て……そして。
「……あら?おじ様じゃない人もいるのね」
そんな天使の目が、アイザックの方へ向く。更に、天使はアイザックの方へとやってきた。
「ねえ、あなた、名前は?」
「あ、アイザック・ブラッドリー」
「そう、アイザック!私はエリカ・トレヴァー!あなたがまだ出所しないなら、まだこれからもお付き合いがありそうだわ。よろしくね」
……アイザックは、思った。
この世にはとんでもないものが居るものだ、と。