合法ポーション*7
ブラックストーン刑務所の中で、季節はどんどん流れていく。
夏の盛りがやってきて、アイザック達はエルヴィスの耐熱魔法の恩恵にありがたく与ることになった。
暑い日中と寝苦しい夜を涼しく快適に過ごせるので、これはとてもありがたかった。アイザックは冬の寒さは然程苦にならないが、夏の暑さには毎年辟易させられている性質である。
……そんな訳で、アイザックは他の囚人達に混ざって食堂の壁に張り付いて、エルヴィスの魔法の範囲内に収まろうとすることの是非を考えなかった。少し前なら、みっともねえ、と一蹴していたのだろうが、今は他の囚人達と多少くっつき合う羽目になってでも、涼しさを手に入れたいと思っている。
それはアイザックが夏の暑さを嫌っているからだけではなく、囚人達への抵抗が薄れたからであり、何より、日中涼しくないと困るから、であった。
日中涼しくないと困るのは、休憩時間が日中だからであり、その休憩時間中に集中して勉強しなければならないからだ。
アイザック達の勉強は、主に庭の一角……野薔薇のテントの中で行われている。
ブラックストーン刑務所に入所したてのアイザックが初めてエルヴィスから煙草を貰って休憩した場所が、ここだ。初夏に白い花をつけていた野薔薇は、もうすっかり緑の葉と蔓を茂らせるばかりとなっている。おかげで日光が遮られて、勉強場所として丁度いい具合になっているのだ。
「……で、さっき出た値をここに代入する。そうすると必要な魔力量が算出できるっていうわけだ。魔力量自体の算出方法はもう分かるね?」
「無属性なら、魔石の純度から計算すればいいんだろ。属性が付いてるなら、回路の種類に応じて増減させる。例題のは水の魔石と水を出すための回路で100の出力先が2か所だから、必要な魔力量は150」
「よし、大体分かっているようだ。いやあ、アイザック。君、随分と成長が早いなあ!」
先生役の囚人に褒められて、アイザックは内心で、よし、と思う。
……珍しいことだが、アイザックは勉強の成果を確かに感じていた。今まで、何かをやって、それの成果を得られた試しなど無かったアイザックだったが、魔導機関の勉強については、やればやっただけ、できるようになったのだ。
元があまりに出来なかった分、一気にできるようになったと感じられるだけだ、と分かってはいるのだが、それでも、次第に解ける問題が増えていくのが嬉しかった。
囚人達に褒められ、大切にされて、アイザックはみるみる魔導機関技師としての知識を吸収していった。勉強すればしただけ、自分の中の荒れ地に生えてきた芽が育っていくような……まるで、植物が育っていくような、そんな気分になった。
毎日毎日、確実に、変化がある。目に見えづらい変化かもしれないが、それでも、確実に。……それが、只々、嬉しい。
そしてその間に、エルヴィスは焼き物の瓶を生産し始めた。理由は至極単純で、『アイザックが資格試験に合格した時に出せる特許が無いと意味がない!』ということで……魔導機関を用いた、エルフ無しでも可能なポーション製造法を確立しようというのである。
尤も、こちらはアイザックのようにめきめきと急激な変化を遂げてはいなかった。試行錯誤の途中らしく、まだ、成果は得られていないらしい。だが、焼き物の瓶の中に収められた液体は、濁った茶色から、澄んだ緑色へ、徐々に徐々に、近づいていっているようにも見える。
夏が終わり、秋がやってくると、アイザックはすっかり、資格試験の追い込みをかけていた。
ほんの2月程度、勉強しただけだ。だが、それでも十分、アイザックは成長していた。
今や休憩時間のみならず、作業中も、食事中も、魔導機関技師資格の勉強をしているくらいである。作業中は、内容を何度も頭の中で繰り返し、思い出すことで。食事中は、他の囚人達に問題を出してもらってはそれに答える形で。そんな勉強を続けていたら、ますます、アイザックは色々なことを覚えていった。
そうして勉強に必死になっている間、他の囚人達も、アイザックと同じように勉強に励んでいた。……アイザックに付き合って受験してやるか、と思っていただけの囚人達も、アイザックがあまりに熱心に取り組むものだから、慌てて、自分達も熱心に取り組み始めてしまったのである。
そうしていつの間にやら、ブラックストーン刑務所の中では、魔導機関技師の勉強が流行しているような有様となってしまった。
看守達は、囚人達が『魔石を炉に入れて直接燃焼させる際の禁則事項を答えよ!』『火属性の魔石を封魔処理の無い炉に入れること!』『封魔回路を挟まずに風を出力すること!』『水属性の魔石が混入している場合にバルブを全て閉じておくこと!』などとやりとりしているのを見て、ぽかんとしていた。
中でもとりわけ看守を驚かせたのは、やはり、アイザックだろう。アイザックが他の囚人達に『出題しろ!』と迫るのを見て、看守達は只々、顔を見合わせて困惑していた。
アイザックはそれを多少面白く思いつつ、自分と周囲の変化を楽しんでもいた。
そう。楽しかったのだ。何をやっても無意味で、何をやってもつまらなかったはずのアイザックが、初めて、随分と楽しく毎日を過ごしていた。
……そうやって過ごしながら、アイザックはグレン・トレヴァーが言っていたことを思い出す。
『植物を育ててみるといい』と、彼は言っていた。理不尽が無く、手を掛けた分だけ成果が返ってくるから、と。
アイザックは今、自分の中で植物を育てているような気分であった。勉強を重ねて、覚えていることが増えて、そうして自分の中で植物が育っていく。そんな感覚だ。
珍しくも、やったことに成果が返ってくる感覚だった。アイザックのこれまでの人生で、味わったことの無かった感覚だ。
それが、嬉しい。アイザックは当初思いもしなかったことに……今は、資格試験に合格できるような気がした。
資格試験は、郵送で送られてきた問題を看守が開封して、看守の監視の下で行われた。複数名が同時に受験する場合はこのように、自分達の居る場所を受験会場にできるらしい。アイリス・トレヴァーが上手く取り計らってくれたおかげで、アイザック達は無事、受験することができた。
試験が終わって、看守が答案を回収していくと、エルヴィスが看守に『これはお礼ってことで』と、焼き物の小さな瓶を手渡していた。魔導機関での開発とは別に作った、何かしらかのポーションらしい。看守はそれを受け取ると、『間違いなく答案は郵送してやるからな!』と機嫌よく出ていった。
……そうしてアイザックは、机の前でぼんやりしていた。
試験が終わった。結果が出るのは半月後だ。
自信は、ある。先生達が先生達なので法律に関する問題はいくらか自信が無かったが、それ以外の問題については概ね問題なく解けたように思う。
これで落ちてたらどうするか、とアイザックは少々不安も覚えたが、それも周りの囚人達から声を掛けられて消えていく。
アイザックは囚人達と『あの問題の答えは何だったか』『法律分かんねーよな』『先生達が法律守る気のねえ連中だもんなあ……』などと話しながら解散していく。アイザックは解散してすぐ、古い厨房へと向かった。
「エルヴィス」
「お。アイザック、その顔は手ごたえがあったって顔だな?」
エルヴィスはそこで、ポーションを作成していた。エルヴィス自身がポーションを作る分には違法だろうが何だろうが構わない、ということらしく、今も何かのポーションを煮込んでいたところらしい。そしてその横では、ここ数週間のお馴染みである魔導機関が稼働して……いない。
なんと、今、魔導機関は動いていないらしかった。この数週間は常に何かの実験を繰り返していたというのに、である。
「俺のことはいい。お前の調子はどうなんだよ」
「こっちか?……ほら、見てみろ」
アイザックがエルヴィスを訪ねてきたのは、試験が終わった報告をしに来たからではない。ただ、エルヴィスの研究が進んでいるかどうかを見に来たのだ。
……そして。
「上手くいった。どのエルフもどの人間も今まで成功しなかった、魔導機関によるポーションの作成が、今、実現した!」
エルヴィスが見せてくれたのは、透き通った緑の液体。
アイザックが頭の傷を治すのに飲まされた、あの時のポーションと同じ、癒しのポーションがそこに出来上がっていたのである。
そうして、3週間後。作業を終えた囚人達は一度集合し、そこでいつもの如く点呼を受け……そして、いつもとは異なる知らせを受ける。
「今から呼ばれた囚人は前に出ろ。魔導機関技師資格試験の結果通知が来た」
どきり、としながら、アイザックはそれをじっと待つ。1人ずつ、囚人達が名前を呼ばれては封筒を受け取っていく。
それを見ながら、鼓動が次第に早くなっていくのを感じていた。嫌な予感がする。試験終了直後は自信があったというのに、今は只々、不安だらけだ。
エルヴィスはポーションの作成に成功した。だが、ここでアイザックが合格していなかったら?計画が水の泡だ。次の試験まで、半年も待たせることになる。
いくらエルヴィスが長命で気の長い奴だからといって、待たせたくは無かった。それくらいの意地は張りたかった。その程度、さらりとやってのけたかったのだ。
……そして。
「アイザック・ブラッドリー」
名前を呼ばれて、アイザックは前に出る。看守はアイザックに封筒を渡して……。
「お前も合格らしいぞ。おめでとう」
そんな言葉を、掛けてきた。
既に検閲のために封切られている封筒の中身を、見る。
……そこには確かに、『魔導機関技師資格2級合格』の文字が並んでいたのである。
その週末。アイザック達は、例の庭へと集まっていた。
秋の庭は、徐々に植物も枯れ始め、どこか物悲しい雰囲気を醸し出している。だが、それ以上に、実りで美しく彩られてもいた。
夏の間中ずっとアイザックが世話になった野薔薇のテントには、薔薇の実が赤く色づいて艶々と光っている。それに、庭の一角ではジャガイモが二度目の収穫を迎えていた。これでまた、エルヴィスが料理当番の日にローズマリーポテトが出されるだろう。
「……それじゃ、アイザック他数名の合格を祝って!乾杯!」
エルヴィスの音頭に合わせて、皆は焼き物のカップを掲げた。カップの中に満たされているのは、甘い香りのする淡い琥珀色の液体だ。何かの果汁か茶か何かか、と思いつつ、アイザックはそれに口をつけ……驚いた。
「これ、酒じゃねえか」
そう。それは、酒だったのである。
然程強くはないが、確かに酒だ。ふわり、と漂うアルコールの香りと、かっと喉が熱くなるような感覚。アイザックは今、確かに、酒を飲んでいる。
甘味と酸味が調和した、なんとも美味い酒だった。アイザックが刑務所の外で飲んできたどんな酒よりも、美味かった。
「これ、どうしたんだよ、おい、エルヴィス」
「え?だって約束だっただろ?」
アイザックが困惑しながら尋ねると、エルヴィスは何ということも無いような顔で、にやりと笑って答えた。
「お前は茶より酒が好きなんだろ?で、お前のお祝いだぞ?当然、お前の好物を用意してやらなきゃな、と思ってな。半月前から用意してたんだ」
半月前、というと、アイザック達が試験を受けて少しの頃である。まだ結果も出る前から、エルヴィスはアイザックを祝うために酒を用意していたらしい。
「……こんなの用意してる暇あったらポーション作ってろよ」
「大丈夫だ。酒を造るのは俺じゃなくて酵母達だから。こう、生の蜂蜜を水で薄めて瓶詰にして、ほどよい温度に置いといてやると、それだけでミードができるんだ」
アイザックは何と言っていいのか分からず、悪態をつく。エルヴィスはそんな悪態をするりと躱して笑っている。
「酵母と、それから蜂蜜を集めてくれた蜂に感謝しないとな!」
エルヴィスはそう言ってまた笑い、カップを傾けてミードをぐいぐいと飲んでいく。然程強くないとはいえ、酒は酒である。あまり急に飲むものでもないはずなのだが、エルヴィスは中々の速度でカップを空けていった。エルフは酒に強い生き物なのかもしれない。
「……なあ、アイザック。お前がここに来てくれて本当によかったよ。お前はこんなところ、来たくなかったかもしれないけれどさ」
そしてエルヴィスがそんなことを言うものだから、アイザックはいよいよ、何と言っていいのか、分からなくなる。
……だから、アイザックもエルヴィスがそうしていたように、カップの中身を一気に空けた。
ふう、と息を吐いて、エルヴィスの方は見ないように、ただ空になったカップにだけ視線を落として……。
「……そんなに悪い所でもねえよ、ここは」
それだけ、言った。
もっと素直に可愛げのあることを言えばいいのに、と思う自分も、馴れ合いなんざみっともない、と思う自分も居る。その折衝の結果、ようやく出せた言葉だった。
だが、アイザックが然程大きくもない声でそう言った途端、エルヴィスはぱちり、と目を瞬かせて……ぱっ、と、表情を明るくするのである。
エルヴィスだけではない。ふと視線を上げてみれば、他の囚人達も、皆がなんとも嬉しそうににこにこしている。これには流石に、居心地の悪い思いをするしかない。
「そうかあ……そうかあ、アイザック、お前、ここをそんなに悪くないって、そう思ってくれてるんだな!」
エルヴィスは嬉しそうにそう言うと、アイザックの元へやってきて、空になったカップへミードのお代わりを注いでくる。
「嬉しいなあ。あの時の、すぐ死にそうだった人間が、なんだか生きててくれそうな顔になった!」
「どういう面だよ、それ」
ミードのカップに口を付けながら渋面を作って見せるも、エルヴィスはまるで気にした様子が無くにこにこと上機嫌である。エルフの喜び方はよく分からない。
「アイザックも随分馴染んだね。少しでも君にとって、ここが良い場所になれば私も嬉しいよ」
「歓迎するよ、アイザック!」
更に、囚人達に囲まれて、アイザックは余計に渋い顔をするしかない。
……だが、嫌な気分では、ない。不思議なことに。
そうして、アイザックを取り囲んだ囚人達の会は楽しく続いた。
……が。
「なあ、エルヴィス。僕の記憶が正しければ……許可の無い酒造は、違法じゃなかったっけ?」
そう、囚人の一人が言い出したのである。
……アイザックは『もう俺は知らねえ』とやけっぱちな気分であった。そして、エルヴィスも同じだったらしい。
「ははは、そんなこと気にして終身刑のエルフはやってられねえんだよ!」
酒のせいか、いつもより幾分やけっぱちに拍車がかかったエルヴィスがそう言うと、同じく酒のせいで楽しく浮かれている囚人達から拍手喝采が上がった。
違法云々を言っていた囚人も、『そうかあ!成程なあ!ああ、罪の味がする……余計に美味い!』とのことである。どうやら、何も問題はなさそうだ。アイザックは考えることを止めた。
……尚、エルヴィスはその後、くてくてに酔っぱらって庭の片隅で丸くなって眠り始めてしまった。囚人達は苦笑しながら、エルヴィスの飲酒の形跡が看守に見つからないよう、エルヴィスを隠すようにしてやりながら庭仕事を始めるのだった。
……どうやら、エルフは酒に強い生き物というわけではないらしい。エルヴィスと同じくらいの量を飲んで未だほろ酔い手前のアイザックはまた一つ学んで、むにゃむにゃ言っているエルヴィスに、掛布団代わりの麻袋を数枚、掛けておいてやるのだった。
どうせ寝ている相手だ、と思って、『ありがとうな』と小さく言ってみると、すっかり夢の中のエルフは、むにゃ、と幸せそうな顔をした。