合法ポーション*6
アイザックはぽかん、とした。
アイザックが今持っている『魔導技師資格3級』は、誰でも取れるような資格である。
だが、アイリス・トレヴァーの言う2級資格は、到底、そんな軟なものではない。
「む、無理だ。何言ってんだ。工場じゃ、準2級ですら落ちる奴がゴロゴロいたってのに、俺なんかが受かる訳ないだろ」
アイザックとは違って向上心と奉仕の精神を持っていた同僚が何人か、2級に挑戦しては失敗していた。準2級ですら落ちる者が居たくらいだ。アイザックにできるとは、到底思えなかった。
「でも、3級だと流石に特許取得は難しいわ。2級が欲しいのよ。欲を言えば1級」
「他人事だと思って……」
「合法ポーションの為なんだから気合入れて頑張りなさい!あなたならできるわよ!そういう顔してるもの!」
アイリス・トレヴァーは目を輝かせてアイザックの背を叩くが、アイザックとしてはたまったものではない。
「な、何言ってんだこのババア」
「私の愛しい妻をババア呼ばわりとはいい度胸だねアイザック君」
「ああくそ、この連中めんどくせえな!」
更に、悪態をつけば横からグレン・トレヴァーがやってくる始末だ。非常に面倒だ。非常に。かつてないほどに。
「アイザック!私はやらかして免許剥奪されたが、かつては準1級を取得していた身だ!勉強なら私が教えるよ!」
「僕も2級なら受かったことがある!剥奪されたけれど!」
「えっ、お前らも魔導機関、分かる奴らだったのか……」
更に、嬉々として名乗り出てきた囚人達も合わさって、余計に賑やかになってしまった。
「ほら!アイザック!先生役も居るぞ!俺も今まで知らなかったけど!な、これならなんとかなるだろ!」
「今更、勉強なんざしたくねえよ!」
エルヴィスまでもが嬉々としてやってくるが、アイザックとしてはたまったものではない。
……2級の取得なんて、できる気がしない。進学できずに就職したアイザックが、手を伸ばせる領域ではないだろう。
そんなもの、受験したって落ちるだけだ。落ちて、皆を、失望させるだけ。
……ふと、そう考えて血の気が引くような心地がした。
「……なあ、アイザック。やってみろよ」
そんなアイザックを見ていたエルヴィスは、もう一度、そう言ってきた。
「俺も一緒に受験してやるからさ。或いは、もっと大勢で一斉に受験してもいいんだし。な?」
アイザックを気遣うような、エルヴィスの態度に妙に苛立つ。きっとこの苛立ちは自分自身へ向けられているものなのだと、分かってもいたが。
「なら俺以外の奴にやらせりゃいいだろ」
「そうは言っても、お前が一番望みがありそうなんだよなあ……」
どう言ったものか、とばかり、エルヴィスが悩みだすのを見て、アイザックは、もうほっといてくれ、と思う。勝手に期待されて勝手に失望されるくらいなら、最初から放っておいてほしい。
それに、アイザックだって、もう、自分自身に失望したくないのだ。
「アイザック君。悪いことは言わない。受験しておきなさい。落ちてもいいから」
少しの間を置いて、やってきたのはグレン・トレヴァーだった。
彼は穏やかな顔で、それでいて年長者の落ち着きを以てして、アイザックに向き合った。
「君も数年で出所するんだろう?なら出所後の就職を考えて、資格を取得しておくのは悪くない」
そして、非常に真っ当なことを言われて、アイザックは戸惑う。皆の為ではなく、アイザック自身のために資格を取れ、と言われるとは思っていなかった。
「……落ちたらどうすんだよ」
トマトサラダに視線を落としながらそう言ったら、グレン・トレヴァーは少し考えて……やがて、にこにこと笑った。
「そうだな。なあ、アイザック君。……君が出所するまでずっと不合格だったら、君、魔導機関技師に向いてないってことだろうから、その時はうちで働くかい?」
「は?」
更に突拍子の無いことを言われて、アイザックはただただ、驚く。
「君は真面目だし、優しい奴のようだし。それに、力持ちで高いところにも手が届いて……花屋の仕事にはとても向いていると思うよ。そろそろ私も、力仕事が厭になってきた年頃だし……」
「……正気かよ」
「勿論。冗談じゃ、こんなこと言わないよ」
アイザックは信じられないものを見る気持ちでグレン・トレヴァーを見ていたが、グレン・トレヴァーはさも当然のようにアイザックの視線を受け止めて、安心させるように笑うのだ。
「君が出所する頃には私の足腰はもっと弱っているだろうから、君みたいな子が居てくれると助かるよ。だから安心して落ちなさい」
何故だか、グレン・トレヴァーの言葉には素直に従いたくなってしまうような、そんな気分だった。だが、うっかりするとみっともない顔を見せてしまいそうで、アイザックはなんとか顰め面をする。
「チャンスは何も、一度きりって訳じゃない。出所するまで、どうせ暇だろう?なら、その間の暇潰しってことにすればいいさ」
「……そんな何度も、受けてられっかよ」
「それに……大丈夫だよ。エルヴィスはエルフだ。あいつはとにかく気が長い。君が資格取得までに1年かかろうが3年かかろうが、或いは10年くらいかかっても、エルヴィスからしてみれば早期取得だよ。君に失望することはないだろうね」
何か悪態の一つでもつかなければ、と思うのだが、何も浮かんでこない。ただ、アイザックは俯いて、耐える。
「ってことで、いいかしら?ねえ、アイザック!あなたの名前で、受験できるように手続きしておくけれど、いいわね?」
耐えて、耐えて……それでもこらえきれなくなってきたものを乱暴に袖で拭って、アイザックは頷いた。
諦めて、折れてやるだけだと自分に言い聞かせながら。ただ、どうにも、自分の中にあった荒れ地に、ぴょこん、と芽が出てきたような、そんな気分になりながら。
「あとついでにエルヴィスも受験しなさい。なんか腹が立つから」
「酷い女神様だ……」
「はいはい。他に受験したい人はいる?居たら申し込みしておくわよ!」
アイリス・トレヴァー夫人が呼びかけると、『アイザックと一緒ならやる気になるかなあ』などと言いながら、数人の囚人が手を挙げた。
「参考書は寄付してあげるから、頑張って勉強しなさいね!」
アイリス・トレヴァーの明るく力強い声を聞きながら、アイザックのはなんとなく、先程アイリス・トレヴァーが言っていたことを思い出す。
『あなたならできるわよ!そういう顔してるもの!』と。……どういう顔だ、と聞きたくはあるが、もし自分が本当にそういう顔をしていて、きっと合格するというのなら、是非、そうであってほしいと思う。
帰りの馬車の中、アイザックはどこかぽーっとした気分でいた。
軽やかで、浮かれていて、少々熱っぽいような、うずうずするような、そんな気分である。初めての気分だが、悪い気分ではない。
「やっぱりアイリスは女神様だな。参考書までくれた!ほら、アイザック。それ、服の下に隠しといてくれ。俺の体躯だと、流石にちょっと不自然なんだ」
「ん」
エルヴィスが服の下からごそごそと取り出してきた本を、アイザックはそっと自分のシャツの中に隠す。しっかりした体躯のアイザックであるならば、参考書が一冊、腹筋の外側に入っていたとしても然程気にされないだろう。
「あ、折角だ。しまう前に見せてくれるかな。先生役をやるのなんて随分久しぶりだからね。先に勉強しておきたい」
かと思えば、『準1級免許を剥奪された囚人』がにこにこと本をつついてせがんでくる。アイザックは仕方なく、一度しまった本をもう一度取り出して、彼に見せてやった。
……見せてやりながら、アイザックも横から覗き込む。
参考書のページには、丁度、アイザックが工場で点検したことのある部品についての問題が載っていた。これなら解ける。……もしかして、本当に試験に合格できるんじゃないか、と、アイザックは希望の光を垣間見た。
「ま、アイザックには悪いが、しっかり勉強して資格取得を目指してくれ。お前らも、先生役、よろしくな」
エルヴィスが声を掛けると、何人かの囚人達が喜んで承諾していた。アイザックは一応、彼らの顔を見て、覚えた。……多少不本意だが、これから世話になる予定の連中だ。覚えないわけにはいかない。
それに、誰かに手を掛けさせるのは不本意であったが……一応、『合法ポーションの製造許可』という、名目がある。だから、アイザックが誰かの世話になることも許される、という訳で……そして何より、アイザックは多少、楽しみでもあった。魔導機関には、興味があったのだ。アイザックも長らく、気づかないままに過ごしてきたが。
「……ちなみにお前ら、一体、何をやらかして免許剥奪されたんだ?」
参考書を開く囚人と、それを覗き込むアイザック、そして更に別の囚人達……という状況の中へ、エルヴィスがそう、尋ねる。
すると囚人達はそれぞれに苦笑いを浮かべたり、開き直って胸を張ったりし始める。
「私はね、魔導機関を用いて究極の魔力効率を求めていたら……その、うっかり、魔石を規定以上の純度にまで精製してしまってね……」
囚人の声に、他の囚人から『あー分かる分かる』と声が上がった。分かるのかよ、とアイザックは何とも言えない気分になった。
「僕は純粋に、兵器使用にしか許可されていない魔導機関を、部品の加工用にこっそり使っていたのがバレてしまってね……」
こちらにも他の囚人から『あー、よくやるよくやる』と声が上がった。よくやるのかよ、とアイザックはまた何とも言えない気分になった。
「俺は純粋に爆発事故起こした!」
これには他の囚人から『それはよくない』『事故はよくない』『だが事故は起こるものではある』『起きる前提で防波堤を組んでおかないと』『上手くやれば爆発しても証拠隠滅できるぞ!』といった意見が寄せられていた。アイザックはこの奇妙な連中が先生であることに一抹の不安を覚えたが、一方、エルヴィスはけらけらと楽しそうに笑い転げているばかりであった。
……そうしてアイザックは馬車の中でも早速、資格試験の勉強を進めることになった。
先生役を務めてくれる囚人達は、実に楽しそうに、嬉しそうに、アイザックへ教えた。
……後日、アイザックが『なんであの時、あんなに嬉しそうだったんだよ』と聞いてみたところ、『それはね、アイザック。君が熱心に聞いてくれるのが嬉しかったのさ!』とのことであった。それを聞いたアイザックは大変恥ずかしい思いをしたが、それは後々の話である。