合法ポーション*5
「……あんた、ムショに居たのかよ」
色々と聞きたいことはあるのだが、ひとまず、アイザックの口から出てきた質問はこれだけだった。
「ああ。5年近く居たかな。もう20年以上昔のことだが」
懐かしそうに話すグレン・トレヴァーを、アイザックは只々、信じられないものを見るような気持ちで見つめていた。目の前の、賢そうで穏やかそうで……おおよそ犯罪というものにまるで無縁に見える男が、刑務所に居た、とは。
全く以て信じられないが、グレン・トレヴァーは嘘を吐いているようには見えない。それに、エルヴィスのあの反応から考えてみれば、確かに、グレン・トレヴァーが元囚人だったなら、納得がいくのだ。
「碌でもない生活だったけれど、楽しいことが無いわけじゃなかった。エルヴィスのおかげでね。ああ、そうだ。君、煙草を吸ったことはあるかな。勿論、刑務所の中で、だけど」
「……ある」
「そう。気に入ってくれたかな」
「まあ……」
何を聞かれているのかよく分からないまま頷けば、グレン・トレヴァーは嬉しそうに笑った。
「ああ、嬉しいね。あの煙草は私とエルヴィスとで最初に作ったんだよ」
「あんたが?」
当然だが、刑務所内では煙草の所持は禁止されている。看守達の目を掻い潜って、エルヴィス特製の代用煙草を吸っている者は多いが、それでも、禁止されていることは間違いないのだ。
それを、この男が。
ますます信じられない気持ちで居ると、グレン・トレヴァーはにやりと笑った。
「……そうは見えない、かな?」
「……ああ」
本当に、そうは見えない。その通りだ。だが、グレン・トレヴァーの、何かを企んで成功した時のような笑みを見ていたら、ああ、本当にそうなのかもしれない、と思わされる。
「それなら私もすっかり模範囚のふりが板についたっていうことだろうね。まあ、元々、それなりに真面目な性質ではあったつもりだけれど……」
くつくつと笑って肩を揺らすグレン・トレヴァーを見ていると、なんとなく、エルヴィスがもう1人居るような気分になる。エルヴィスより見た目が年上な分、余計に頼もしいような感覚もあり、アイザックはすっかり、グレン・トレヴァーに敵対する気が失せていた。
ちら、と見ると、いつの間にか、エルヴィスが1人の女と話しているのが見えた。2人はガーデンテーブルを挟んで座って、何やら楽し気に、そして真剣に話しているらしかった。大方、ポーションの話をしているのだろう。
アイザックはそれを見て、ああ、あれがアイリス・トレヴァー夫人か、と理解するとともに、グレン・トレヴァーと同じ年の頃なのだろうが若く見えるな、とも思った。アイリス・トレヴァーは生き生きとしていて、エルヴィスと話す姿は楽し気だ。
「ああ、実に妬けるね。私の妻はエルヴィスがお気に入りなんだよ。私よりも、っていうことはないだろうが」
そんな2人を見て、グレン・トレヴァーはそんな冗談を言う。随分と惚気てくれやがるなあ、とアイザックは少々意外に思った。だが、特に何も言わず、黙って指示された通り、高いところの枝を剪定していく。
「ああ……そうだ。君、名前は?」
「アイザック・ブラッドリー」
名前を聞かれて、素直に答えてしまった。答えてから、『答える義理は無かったのでは』と気づいたが、まあ仕方ねえな、とも思う。どうも、この男は飄々としていて、下手をするとエルヴィスより手強そうなのだから。こういう時はこれ以上喋らず、枝の剪定を続けるに限る。
「そうか、アイザック。君、エルヴィスに連れてこられたってことは、一緒に庭弄りをしているのかな」
「……細かい作業は、得意じゃねえから、枝を切るとか、穴を掘るとか、そういうのだけ」
こちらも正直に答えてしまえば、グレン・トレヴァーは木の根元の雑草を抜きつつ、にっこりと笑って頷いた。
「ああ、今、やってくれてるみたいに?素晴らしいね!逆にエルヴィスはそういうの、然程得意じゃないからな。君がいてくれて、彼はさぞかし助かっていることだろう」
手放しに褒められてしまうと、どうも、居心地が悪い。出会って1時間の相手なら猶更。だが、恐らく、アイザックは多少、慣れてきても、いた。つまり、このように褒められるということに。
……なので、今のアイザックは褒められて怒ったり攻撃的になったりするのではなく、『どうも』とだけ言って、ぺこ、と小さく会釈する。以前からは考えられなかった行動だが、今のアイザックには、こうするのが丁度いいように思えたので。
「そうだな……じゃあ、アイザック。君、植物自体は、嫌いじゃないかな」
「まあ……別に、好きでもねえけど」
尋ねられて思い返してみれば、アイザックは別に、植物が嫌いではない。花があれば花があると思うし、それらを踏み躙らない程度には、愛してもいるのだ。恐らくは。
「つまり嫌いでもないってことだね。なら、よかった」
やはり、グレン・トレヴァーの話の運び方はエルヴィスのそれに似ている。アイザックはそれを少しばかり面白く思う。
「私は植物を育てるのが好きでね。何せ、理不尽が少なく、目に見えた成果があり、そして、絶望せずに済むから」
……そして続いた言葉の意味が咄嗟に分からず、首を傾げる羽目になる。そんなアイザックを見てか、グレン・トレヴァーはもう少し詳しく、話すことにしたらしい。
「やっても無駄になることって、幾らでもあるだろう?或いは、やってもやってもまるで成果が得られないこととか。君にもそういう経験は、無いかな」
「……ある」
はっきりと意志を込めて頷く。アイザックの人生は、正にそれの連続だった。
やっても無駄だったし、成果は得られなかった。何のために居るのか、何のために生きているのかもよく分からないまま生きていた。
そしてそれらが、苦しかった。ずっと。
「なら、植物を育ててみるといい。くだらないことに思えるかもしれないが、自分が世話した分、植物がちゃんと花を咲かせるのを見るのは悪くない気分だよ。ちゃんと、自分の努力が目に見える形で返ってくる。少しずつだが、毎日成長が見えるんだ。悪くない趣味の1つだと思う」
グレン・トレヴァーの言葉は、妙にアイザックの中へすとんと落ちてきた。そして、少しばかり、希望を抱いてしまう。
花を育てていたら、アイザックも、心穏やかに生きていけるだろうか。自分自身に苛立つことも、少なくなるだろうか。この無意味な自分の生が、少しばかりは意味のあるものになるだろうか。
……そして、そうしていたら、少しは、マシな人間になれるだろうか。
「だから私も、植物を育てるのが好きなんだ。それが高じて、花屋になってしまった。まあ、エルヴィスと妻のおかげではあるのだけれど」
グレン・トレヴァーは穏やかに笑ってそう言うと、ふと、アイザックの頭に手を伸ばして、ごく軽く叩くように撫でてきた。
「エルヴィスと一緒に居ると、植物を育てる機会はたくさん得られるだろうし……或いは、植物じゃなくても、何かものを作ってみるといいんじゃないかな。何かが出来上がるっていうのは、悪くないよ」
アイザックは自分でもよく分からないまま、妙に素直に頷いた。
……グレン・トレヴァーの穏やかさと、その裏に確かにある貫禄が、どうも、アイザックを意固地にさせてくれないのである。
或いは……見るからに年上の男が、こうして穏やかに、そしてきちんと人間に対する敬意を持ってアイザックに接してくれたということが、妙に嬉しかったのかもしれない。
そう考えるとエルヴィスはグレン・トレヴァーを遥かに超える年上なのだが……やはり見た目は大事なんだな、と、アイザックは納得することにした。300歳を超えていても、見た目が20代だと、どうにもならないことがあるのだ。恐らく。
それからアイザックは、グレン・トレヴァーの指示に従ってよく働いた。
腐葉土の袋を担いで運び、それらを棚に積み上げて、重い石材でできた植木鉢をいくつも抱えて倉庫と店とを往復し……アイザックの働き方は、実に模範的だったと言える。
そうして散々労働した後で、昼食休憩となった。
「是非沢山食べていってくれ」
グレン・トレヴァーが用意してくれたのは、瑞々しいトマトのサラダや、カリッと揚げられた魚のフライ。バターの香りが素晴らしいパンに、さっぱりとした味わいの茶に……付け合わせのジャガイモ。
「この芋……」
ジャガイモを見て、アイザックは驚いた。刑務所の中でも見たものが、何故かここにも並んでいるのだ。
「うん?ローズマリーポテトは嫌いだったかな?」
「いや……」
グレン・トレヴァーの言葉を聞いて、『これがローズマリーか』とアイザックは知る。これに似た香りの草を磨り潰した覚えがあるが、どうやら、あれがこのように美味い代物に化けるらしい。
「……これのレシピ、あんたがエルヴィスに教えたのか」
「えっ、エルヴィス、これを作ってるのか?ははは、面白いなあ。なんだ……おーい、エルヴィス!君、ローズマリーポテト作ってるんだって?」
グレン・トレヴァーが笑いながらエルヴィスを小突きに行くのを見ながら、アイザックはローズマリーポテトというらしいその芋を口に入れる。表面がカリッと香ばしく焼けたそれを咀嚼して、内側の柔らかくほくほくとした芋の甘みを味わいながら、香ばしさに混ざる爽やかな香りを感じ、そして、『どうも俺はこれが好きらしい』と気づいたのだった。
昼食休憩の間に、エルヴィスとアイリス・トレヴァー夫人の話はいよいよ大詰めとなっていた。
「結局のところ、刑務所の中でポーションの治験を行って、それを安全の材料にして世間へ広めていきたい、っていうのなら、まず最初から合法的に生産して、合法的に使用しなきゃ駄目ね」
「駄目かぁ……」
「当然でしょう。どのみち後からやる羽目になるんだから、最初からやっておいた方がいいわ」
アイリス・トレヴァー夫人はそこで話を一区切りすると、ローズマリーポテトを一つ口に入れて『おいしい!』と表情を綻ばせた。
「とは言っても……認可には実績が必要なんだろ?そんなもん、どうやって手に入れたらいい?生産する前に実績が必要だなんて、どう考えてもおかしいだろ」
一方のエルヴィスは困り果てた顔で食事をつついている。ローズマリーポテトを口に入れて『何故か俺が作るよりこっちで食う方が美味い……』と複雑そうな顔をしながら。
「そうねえ。まあ、一見矛盾のようにも見えるけれど、それは抜け穴があるのよ。製造はしていないけれど研究はしている、っていうね」
隣のテーブルでの話は、アイザックには今一つよく分からない話である。研究だの製造だの、アイザックには少々難しい。
「だから、研究の成果を挙げられればいいと思うのよね。そうねえ……特許申請でもしたらどうかしら。ねえ、エルヴィス。あなた、魔導機関を使ってポーションを作れるようにはできないの?簡単な奴1つでいいわ。それができたら、認可の材料としては十分だと思うわ」
「ああー……うーん、まあ、やってみたらできるかもしれないな。魔導機関のことはよく分からないんだが、まあ、そこは魔導機関が分かる奴に頼むとして……」
エルヴィスは唸りながらそう言って、考え込む。
「まあ、幸い、魔導機関が分かる奴が何人か居るから、何とかなる、と思う」
「そう?ならよかった」
アイザックは、その『魔導機関が分かる奴』の中に自分が勘定されていてほしいような、いてほしくないような、複雑な気分である。
……だが、2人の会話は、次第に雲行きが怪しくなる。
「技術が出来上がったら特許を取得できるように書類をまとめて提出すればそれでいいわ。申請者は……そうねえ、魔導機関の技師の免許持ってる囚人くらい居るでしょ。その人にやらせれば問題ないから」
アイリスがそう言った途端、エルヴィスは困った顔をし始めたのである。
「あー、そういうの持ってる奴らは大抵、それ関連で犯罪やってうちにぶち込まれてるから、免許剥奪されてんだよなあ……」
……そう。
魔導機関技師資格は、魔導機関関連で犯罪を起こした者から剥奪される。そして……。
「ああ、僕は資格剥奪されてるよ」
「私もそうだな。残念だが……」
……ここに居る連中は皆、そうなのである。
理知的な囚人達は、実際、賢かった。そして、その賢さ故に、魔導機関を用いた犯罪に手を出してしまった者達が多い。そんな彼らはもう、魔導機関技師資格を所有していないのである。
「あら、困ったわね。まさか魔法を特許にするわけにはいかないから、合法ポーションづくりのためには魔導機関に関する特許を取得するのが一番だと思うけれど……そうなると、魔導技師資格が必要、よねえ……」
アイリス・トレヴァーも表情を曇らせてそう言うと……びしり、と、その指をエルヴィスに突き付けた。
「ってことは、獄中から検定試験を受けて資格を取ることもできない連中ってことね。あーあ……じゃあエルヴィス。あなた取りなさい。獄中受験の手続きは進めておいてあげるから」
「魔法のことは分かっても魔導機関のことなんざ分からないんだよ、俺……」
エルヴィスはほとほと困ったような顔でそう言う。どうも、このエルフは賢そうな割に、人間達の技術のことには詳しくないらしい。
「どうすっかなあ……」
……なので、仕方がない。
「……持ってる」
アイザックは、そう、小さく手を挙げた。
「魔導機関技師3級だけどな」
「……えっ」
「んだよ、悪いかよ。工場で取らされたんだよ」
魔導技師3級資格は、アイザックが就職して3年で取得させられた資格である。高等学校の卒業資格保有者か、魔導機関関連の業務に3年以上携わった者に受験資格が与えられ、ごく簡単なテストに合格すれば得られる、というだけの、ごく簡単な資格だ。アイザック程度でも試験に受かるような、その程度の資格でしかない。稀に落ちる者も居るが、その程度だ。
「え?お前、それ、剥奪されてないのか?」
「単なる傷害罪じゃ、技師免許剥奪にならねえらしい」
確か、そんな説明を裁判所か何かで聞いた覚えがある。工場長は被害者として、アイザックの厳罰を望んでいたが……どうも、アイザックの資格剥奪についてはどうでもよかったらしい。その辺りが争点にならなかった結果、資格剥奪の処理は行われなかったのだという。
そんな理由で残っているだけの、元々ほとんど価値の無い3級の資格ではあったが……一応は魔導技師資格だ。何もないよりはマシだろう、と思って手を挙げた。
だが……。
「あら、丁度いいじゃない!ならあなた、勉強して魔導機関技師2級、取って頂戴!」
アイリス・トレヴァーは、そんなことを言いだしたのである。