冷たいシャワー*3
それから一週間と少し。エルヴィスの言っていた通り、本当に屋外奉仕作業の申し込みがあった。
グレンはエルヴィスと話していた通り、早速それに申し込むことにする。
申し込みは、食堂にある箱の中に自分の囚人番号と名前を書いた紙を入れておくことで行う。その日は申し込みの初日だったこともあり、箱の横に看守が立っていた。
看守を恐れる囚人も多かったし、グレン自身も看守を警戒する必要があることは分かっていたが、それでも、看守も同じ人間だと言い聞かせ、怯まないように箱に近づき、そこに自分の名前と番号を書いた紙を入れ、その場から立ち去る。
「……おい、待て」
だが、それだけのことだったのに、看守に呼び止められた。内心でどきりとしながら、グレンは努めて何事もないように立ち止まり、振り返り、『なんでしょうか』といかにも大人しそうに返事をする。
「お前は新人か」
「ええ」
警戒しながら返事をすれば、看守は、ふと笑ってグレンを見つめる。
「感心なことだ。休日の奉仕作業に名乗り出るとはな」
どうやら、看守はグレンを咎めるために呼び止めたわけではないらしい。ひとまずグレンは安心した。
「珍しいことなんですか」
折角だ。そう尋ねてみると、看守は渋い顔で頷いた。
「ああ。わざわざ休日に働きたくない奴らばかりだ。屋外での作業は軽作業ばかりじゃないからな。余計に疲れる、と、やりたがらない奴らが多い」
看守の言葉を聞いて、ああ、成程な、と思う。何せ、この刑務所には無気力が蔓延している。当然と言えば当然だが。
奉仕作業は休日に行われる。ブラックストーン刑務所では週に一日の休日が与えられているが、その休日を潰してまで奉仕作業を望む者はそう多くない。特に、この寒さの中だと、余計にそうだろう。
「それでも自分から応募するのは変わり者か……お前のような新人だ」
看守はそう言って……ふと、グレンを睨みつけた。脅すような仕草に、少しばかり、グレンは怯む。
「屋外の作業だからといって期待はするなよ?当然、脱走など許さない。……新人も、最初の一回でそれを理解すると、それ以降は応募してこなくなる。果たして、お前はどうかな?」
怯みながらも、グレンは思い出す。
郵便局に居た時も、窓口で威圧的な客など幾らでも居た。このようにグレンを『試す』者など、本当にいくらでも。
そして、そういう時の対処は、決まっている。
「ご期待に沿えるよう全力を尽くします」
グレンは笑みを浮かべて堂々と、相手を安心させるようにそう宣言した。
看守はそれに『ほう』というように軽く頷くと、多少満足したように視線を外し、それきり、グレンに興味を示さなくなった。グレンは会釈してから立ち去り、食事を摂ることにする。
今日も侘しい食事だが、屋外での作業……それに伴うエルヴィスの計画が楽しみである分、多少、食事も美味く感じられた。
それから更に数日後、屋外での奉仕作業の従事者が発表された。
まず、立候補した者の番号と名前が読み上げられる。グレンの名前も、エルヴィスの名前もその中にあった。その他の名前についても、グレンはできる限り覚えておけるように努めた。奉仕作業に応募する者が『変わり者』なら、その連中を覚えておく価値はあるだろう。
それから、抽選が始まる。要は、定員に足りなかった場合、抽選で当たった者が強制的に選出されるのだ。抽選で選ばれた者達が嫌そうな顔をしているのを眺めつつ、グレンはそっとエルヴィスの姿を探す。
すると、少し離れた所にエルヴィスの姿を見つけることができた。エルヴィスもグレンに気づいて、少し笑ってみせる。グレンも笑い返して、再び前を向いた。
看守が『奉仕作業に従事することはお前たちの贖罪となる!心より罪と向き合い、社会の為、奉仕するように!』と話しているのをぼんやり聞きながら、『イラクサとローズマリーだったよな』と確かめる。
エルヴィスが何をやるつもりなのかは分からないが、もしシャワーが直るならそれに越したことは無い。それに、屋外での作業というのも多少、気になる。寒さは堪えるだろうが、それでも閉塞感に満ちた刑務所の中よりはマシだろう。
その週の終わりに、奉仕作業があった。
奉仕作業に参加することになった囚人達は玄関ホールに集められ、そこで点呼が行われる。それから全員馬車に乗せられて、刑務所の外へと出ることになった。
鉄格子の外に見える風景は、ここへ来た時に見たものとそう変わらない。ただ、ここへ来た時には降っていた雨が、今日は降っていない。高く青く澄み渡る空と、風にそよぐ赤や黄の葉。鮮やかな色合いを久しぶりに見た気がして、グレンの気分も多少、明るくなる。
「いいね。悪くない。やっぱり屋外ってのはいいな」
そしてエルヴィスも、口笛を吹きかねない陽気さでそう言って笑う。
「雨が降っていたら色々と台無しになってたところだ。火のエレメントは晴れた日の方がよく取れるからな」
エルフの魔法の話はグレンには分からなかったが、ひとまず、エルヴィスが上機嫌であるのは悪いことではない。
「イラクサとローズマリー、だったな」
「ああそうだ。……あー、もし、他にも採れたら、頼む。だが、バレるな。看守も魔法のことはまるきり分かってないが、俺が魔法を使えるってことだけは知ってる」
何をどうやって行うかは分からずとも、『何かやりそうなら警戒する』ということはできる。成程な、と思いつつ、グレンは小さく頷いた。
刑務所を出発して30分ほど馬車で揺られただろうか。到着した先は、ブラックストーン刑務所の最寄りの町だ。
到着してすぐ、剪定鋏と脚立が配られ、そこでグレン達は早速、街路樹の剪定作業に入る。伸びすぎた枝を落とし、或いは春により良い枝が伸びるように整えてやっていく作業だが、これが案外、楽しい作業だった。少なくとも、グレンにとっては。
元々、植物を育てるのが趣味だ。グレンの家の小さな庭には野薔薇やレモンの木を植えていたが、それらの庭木もグレンが自分で剪定していた。今日の奉仕作業は、自分の趣味を思い出させてくれる、素晴らしいものだった。
そして、ふと少し離れたところを見れば、晴れ晴れとした表情で街路樹に触れているエルヴィスの姿を見ることができた。
彼は今、街路樹から『力』を分けてもらっているのだろう。森の民であるエルフが、森ではなくこんな街路樹を命綱にしているというのは、幾分不憫にも思える。まあ、エルヴィス自身は憐憫など必要としないだろうが。
そう。エルヴィスが必要としているのは、イラクサとローズマリーを一枝ずつだ。そしてそれは、グレン自身の望むものを引き寄せるための手段になる。
早速、グレンは見知らぬ街で、目当ての植物を探すことになった。
グレンは予め、ある程度計画を立てていた。
植物には生えているべき場所がある。例えば、刑務所の中庭の片隅、荒れ果てた土の上にヒースが咲いていたように、乾いた森にローズマリーが芽生え、川沿いや畑の畦道などにイラクサが生えるだろうと思われた。
尤も、ローズマリーが自生していることは、端から期待していない。この辺りで天然のローズマリーが見つかるわけはないだろうな、と、グレンは考えていた。森に暮らすエルフにとっては身近な植物なのだろうが、人間達にとっては、少なくとも、そこらに自生しているのを見るような植物ではない。
……だが、解決策はもう、考えてある。
街路樹の剪定作業は、午前中は街中、午後は川沿いで行われる。なら、午前中にローズマリー、午後にイラクサを採取しよう、とグレンは考えていた。
ローズマリーは自生こそしていないだろうが、庭にはよく植えられる植物だ。何せ、ローズマリーの枝を載せて焼くだけで、鶏肉は非常に美味くなる。ジャガイモも同様だ。グレンも恋人がローズマリーポテトを好んでいたため、自分の庭にローズマリーを一株、植えていたくらいだ。
そしてグレンの予想通り、街路樹の通りを歩いているだけでも、玄関前の生垣をローズマリーで作っている家が少なくなかった。そして、こんな朝の早い時間なら、然程人通りもなく、門の脇のローズマリーを一枝持って行く囚人が居ても、気づく者はそうそう居ない。
……そこで、グレンは靴紐を結び直すふりをして、ローズマリーの若い枝を三本ほど、手に入れることができた。
午前中いっぱい、グレンはよく働いた。
怠けることなく剪定鋏を動かし続けるグレンの姿に、看守もそれなりに満足したらしい。
元々、この作業に立候補した者はそう多くない。嫌々ここへ来た者は、動きもそれなりになる。そうした者達の中で、よく働くグレンやエルヴィスはよく目立ったのだろう。
そして同時に、看守達はグレンやエルヴィスに注意を払うことが無くなった。監視しなくともよく働く者を監視し続けるより、そうではない者を監視していた方が効率的だ。
そうして昼食休憩を挟む。その間、看守達も交代で食事を摂っているので、見張りは大分薄い。
塩気の強いハムと味の薄いレタスとを挟んだだけのサンドイッチを食べながら、エルヴィスはそっと、グレンに囁いた。
「優等生で居るっていうのは、悪事を働くために一番いい方法だ。そう思わないか?」
「まあ、一理ある」
にやりと笑うエルヴィスに少し笑い返して、グレンは看守の様子を窺い見た。
看守も、エルヴィスとグレンが一緒に居る分にはなんら不思議に思わないらしい。『模範囚同士でつるむ分には問題が無い』ということなんだろう。そして同時に、看守の監視は二人には中々向かないようだった。
「ローズマリーを手に入れたよ」
さて、そんな中、グレンは『悪事』を働いたことを報告する。するとエルヴィスは少々驚いた。
「本当か。手に入れるなら午後の川沿いかと思ったが」
「こんな町には野生のローズマリーなんて生えていないからね」
グレンの言葉に、エルヴィスは『そういうものかあ』と感心したように頷いた。
「詳しいんだな。植物が好きか?」
「ああ。庭いじりが趣味だった」
自分の家の小さな庭を思い出してグレンがそう答えると、エルヴィスは何かに納得したらしい。恐らく、中庭で雑草を見つめていたことを思いだしているのだろうな、とグレンは思う。
「成程な……ならお前はエルフの友だ」
そして、エルヴィスは随分と予想外なことを言う。これには流石に、グレンも驚かされた。
「植物を愛する者は皆、エルフの友さ。お前ならエルフの里に行っても、そう手酷い門前払いは食らわないだろうな」
「エルフの里に?おいおい、流石に私はそこまで厚かましくはなれないよ」
グレンは慌ててそう答える。理由は謙虚故でもあり、それに加えて少々の恐れも含む。
エルフの里は、エルフが住まう場所であり……人間の立ち入りを禁じられた場所である。エルフの里のある森へ立ち入っただけでエルフに殺される人間も居るという。そんな場所を訪れる勇気は、流石に無い。
「そうか?まあ、気が向いたら紹介状くらい書いてやるよ。どうせお前の方が早く出所するだろうしな」
エルヴィスはそう言って笑うと、再び昼食を腹に収める作業に戻っていく。グレンもサンドイッチを咀嚼しつつ、そういえば何故、この不思議なエルフはこんな刑務所に居るんだろう、という疑問に思い当たる。
だが、それの真相を聞くのは憚られる。グレンだって、不名誉な冤罪について大っぴらにしたいとは思わない。他の囚人だって、そうだろう。明かすにしろ、それはごく限られた範囲の情報に限られる。
結局のところ、刑務所とはそういう場所なのだ。
午後の作業が始まってすぐ、グレンはイラクサを見つけた。川の柵の向こうに、丁度実をつけたイラクサが群生している。
グレンは川沿いの木の枝を切り落としつつ、それを『うっかり』柵の向こうへ落とした。切った枝は拾い集めておく決まりになっているため、枝を拾いに柵を乗り越えるのはおかしくない行動だ。
「おい!何をしている!」
「太めの枝が向こうに落ちてしまったので、拾ってきます!」
案の定、看守に呼び止められたが、グレンは柵の向こう、土手の上を示してさっさとそちらへ向かう。
グレンの行動は、看守に『真面目であるが故の几帳面な行動』としてとらえられたらしい。看守はゆっくりと柵に近づいてきて、一応、というようにグレンを監視していたが、その時にはもう、グレンは落とした枝を手にしており、そして、『うっかり』イラクサを枝の間に引っ掛けて抜いてしまっていた。
看守は枝さえ落ちていなければ、雑草が一株抜けたところで気にしないのだろう。グレンが枝を引っかかったイラクサごと枝置き場に運びに歩いていくと、興味を失ったように背を向け、他の囚人の監視を始めた。
グレンは枝置き場に枝を置き、そして、引っかかったイラクサを剪定鋏でつついて外しながら一枝分切って、落ちたイラクサを袖越しに掴んで、さっとポケットに入れた。
イラクサは素手で触ると酷いことになる。どこかで紙か布切れかが落ちていたら、それに包んだ方がいいだろう。
グレンはイラクサに十分注意しながら、剪定作業に戻るのだった。
その日の夜、夕食の席。
グレンは古びた新聞紙を丸めたものをポケットから取り出し、机の下で、素早くエルヴィスに渡す。
「イラクサが二枝。ローズマリーが一枝。それに、ローズヒップがいくらか入ってる」
そう伝えると、エルヴィスは途端、目を見開いた。
「どこからそんなもの手に入れた?」
「川沿いの柵に野薔薇が絡んでるところがあって、そこから」
グレンは自分の成果に満足していた。約束のものは持ってこられたし、ローズヒップ……野薔薇の実も、収穫してくることができたのだから。
野薔薇は冬には枝ばかりで華やかさの無い見た目となるが、その中で実だけは茜色をしていて、よく目立つ。……ちゃんと意識して見れば、だが。
「……驚いた。いや、ありがとう。シャワーだけじゃなくて、他のものにも使えそうだ」
エルヴィスは感嘆に笑みを浮かべて、グレンの肩を叩いた。
「シャワーは任せろ。来週中に直してやる」
「期待してるよ」
グレンは笑って応えつつ、温かいシャワーを期待して、うきうきと踊るような心地で居た。
……それから、もう1つ。
グレンの心を踊らせているものがある。
それは、グレンのポケットの中の、ローズマリーの枝2本と、イラクサの実がいくらか。それに野薔薇の枝がいくらかだ。
そう。グレンも、悪事を働くつもりだ。
こっそりと。そして、ささやかに。