合法ポーション*4
アイザックは魔導機関を弄りながら、妙な気分になっていた。
……実のところ、アイザックはこのように魔導機関を弄るのは、初めてである。
工場でやっていたことはあくまでも、部品の検査程度だ。自ら回路を切ったり繋いだり、はたまた部品を取り外したり位置を変えたりして、自らの目的の魔導回路を組むことは、アイザックには許されていなかった。
アイザックが施した改造は、ごく単純なものである。言ってしまえば、リミッターを外しただけだ。だが、回路からリミッターの部品を取り外して、それから、付随した制御用の回路を切っていく作業には、多少なりとも知識を要する。アイザックにとっては大変な冒険であった。
そうしてアイザックは最後に、リミッターを外した後の回路を繋ぎ直す。そうしてリミッターの無い回路を組み上げて……そして、少々緊張しながら、そっと、コンロに点火してみた。
……すると。
ぼう、と音を立てて火柱が上がった。天井を焦がさん勢いのそれを眺めて、慌ててコンロのスイッチを切る。
幸い、瞬時にコンロを切ったし、天井は漆喰で塗り固められていたこともあり、火災にはならなかった。……そして、アイザックは、事故にならなかったことに安堵するより先に、何か、言い知れぬ達成感のようなものを覚えていた。
「おおー、やるじゃないか、アイザック!」
嬉しそうに笑うエルヴィスに何か言い返してやる気にもなれず、ただ、アイザックはさっき上がったばかりの火柱を、思い出す。
激しく燃える炎の眩しさは、確かにアイザックが生み出したものだった。
アイザックにも、ものを生み出すことができたのである。
アイザックは自分自身に失望している。誰からも必要とされず、社会に溶け込めない自分に苛立っている。自分への苛立ちを暴力として表出させて、余計に人の輪からはじき出されていき、それが余計に、自分自身を失望させた。
……そして、失望しているから、少しでも、何か、自分にもできることがほしかった。一欠片でいいから、誇れることが、ほしかったのだ。
妙なことに、この刑務所に来てから、その『一欠片』が、手に入る。
重い荷物を運んでは褒められ、高い所に手を届かせては讃えられ、エルヴィスを石材の下から突き飛ばしたら、囚人中から感謝されることになった。
そして今、炎を生みだせた。
……大したことはない。本当に、大したことはないのだと、分かっている。こんなの、学校にきちんと通っていたような人間なら、全員できるのかもしれない。
だが……アイザックはようやく、自分で自分を褒めてやりたいような、そんな気分になっていたのだ。
そうして数日で、古い厨房に炉ができた。
炉は、粘土に草を混ぜたものと煉瓦で作られた。使った粘土は寝かせる前のものだが、まあ隙間を埋める程度なら事足りるだろう、とのことである。また、煉瓦は何故か大量に寄付される園芸用品の中にあるもので、余っているものなのだという。
休日には大義名分を得たエルヴィスが嬉々として炉を試運転し、粘土の欠片を焼いて、見事、素朴かつ原始的な素焼きの小皿を生み出していた。
小皿は歪みが酷く、罅も入ってはいたが、一応、何かには使えるだろうということで古い厨房の中に置いておかれることになった。そして、時々やってきた囚人達が、小皿の上に思い思いに、美しい色のガラスの欠片だの、川原で拾った石だの、どんぐりだのを飾っていくようになったので、小皿の上は随分と賑やかになった。
どうせ粘土を寝かせておく時間が必要なので、その間に釉薬づくりが始まった。
釉薬、というものをアイザックは知らなかったが、どうも、ガラス質のものを陶器に焼き付けて、水が染みこんでいかないように仕上げるものらしい。調合によっては美しい色合いが出たり、味わい深い模様のようになったりするのだという。
……尤も、この刑務所の中で釉薬に美しさなど求めている余裕は無いので、専ら、実用性を考えたものになる。
エルヴィスもあまりその辺りには詳しくなかったが、囚人達の中には多少その手に詳しい者が居て、彼の指示に従って、皆で雑草を刈り集めては炉で焼いて灰にして、その灰を何度も水に晒して灰汁を抜き、それと水と粘土を合わせて、とろりとした液状にする。これを素焼きの器に掛けて焼くと、水が染み込まず、ポーションを保存するのに使えるような器になるらしい。
早速、試験的にいくらか粘土の欠片が焼かれて、釉薬で艶めいた焼き物の欠片になった。
灰だの土だのから、この滑らかで艶のある硬い焼き物の表面が出来上がるということがアイザックには不思議に思えたが、まあ、こういうものか、と納得することにした。一つ一つさっさと納得していかなければ、やっていられない。どうにも、この刑務所では、アイザックの知らないことがぽんぽん出てくるので。
さて。
そうして、焼き物の方は、粘土が良い具合になるのを待つのみとなった。粘土を寝かせておけば割れにくく歪みにくい焼き物ができるらしいので、仕方ない、現状、これ以上何かできることはない、ということになる。
そんな時だった。
「おい!さっき、今日の調理当番が食堂を見たら、奉仕作業のお知らせ、来てたってよ!トレヴァーさんとこの!」
囚人の1人が勢いよく庭へ駈け込んで来たのを皮切りに、園芸に勤しんでいた囚人達がざわめき出す。
「やっとか!待ち侘びたぜ!」
「おい、エルヴィス。何かあんのかよ」
エルヴィスまでもが大いに喜ぶ様子を見て、アイザックはそう、聞いてみる。ここの連中が奉仕作業に喜んで赴いているのは知っていたが、それにしても、この喜びようだ。何かあるのだろう、と思ったが……。
「ああ。まあ、色々あるんだが……そうだな、お前にも関係あるところで言うと、『俺達の女神様に謁見する機会を得た』ってところだな!」
……なんとも妙な回答が返ってきて、アイザックは首を傾げることになった。
女神様とは、一体。
アイザックが不思議に思っている間にも、囚人達はどんどん動いて、そして、いつの間にやらアイザックも奉仕作業に応募させられていた。
アイザック自身は奉仕作業なんて御免だ、と思ったのだが、エルヴィスが『悪いことは言わねえから絶対に今回のは応募しとけ!嫌ならまた抽選弄ってお前を当選させるぞ!』とまで言い出したので、渋々、自分の名前と囚人番号を書いた紙を応募箱に入れることになったのである。不本意ながら。
……そうして、よく庭に居る囚人達はいつもの如く、全員奉仕作業行きになった。看守達としても『お前ら、本当に熱心だな……』と呆れるほどであるので、アイザックが呆れるのも已む無し、といったところである。
そんなアイザックに、看守が『アイザック・ブラッドリー。お前も遂に、エルヴィス・フローレイの所の仲間入りか』と言ってきたのに対し、アイザックは『違う』と答えたかったが、こうして応募してしまっている以上、面倒な受け答えになるのも厭で、渋々、かつ曖昧に頷いて返した。それを見ていたエルヴィスが大層喜んだのだが、それがまた鬱陶しい。エルヴィスを追い払いながら、アイザックは次回の奉仕作業に思いを馳せ、ため息を吐くのだった。
奉仕作業当日。
馬車の中の囚人達は、にこにこうきうきと楽し気であり、まるで、遠足に行く子供達のようであった。それが余計にアイザックの気を滅入らせる。何が楽しいのか、さっぱり分からない。さっぱり分からないが、何かがあることは、間違いないだろう。
何があろうがどうでもいい、という気持ちだったが……彼らの話す声の中に特定の名前がよく出てくることだけは、気になった。
彼らは口々に『トレヴァーさん』という人物のことを話しているらしい。『前回行った時にはトレヴァーさんから美味いサンドイッチを御馳走になったが、今回はどうだろうか』だとか、『トレヴァーさんのところの娘さんは美人さんだよなあ。ちびちゃんの頃から可愛かったが』だとか。
……そして、『俺、出所したら女神さまのお世話になるんだ……』とも。
「……おい、エルヴィス」
「ん?どうした、アイザック」
「あいつらが言ってる『女神様』ってのは何だよ」
まさか、妙な宗教団体にでも巻き込まれたら面倒だ。アイザックが尋ねると、エルヴィスは妙に嬉しそうに頷きつつ、説明し始める。
「アイリス・トレヴァー夫人のことだな。弁護士をやってる。エルフ問題専門の弁護士だが、うちを出た後の囚人共が、民事裁判で世話になったり、助けてもらって冤罪の訴えを出したりしてるんだ」
「弁護士……」
ここまで聞いて、アイザックはようやく、『女神様』に何を助けてもらうつもりなのか、理解した。
「そう。つまり、ポーション製造の許可を得るための法的手続きについて、聞かせてもらおうと思ってな」
……何がどうなってこういった人脈が生じているのか、全く理解できないが。ひとまず、ここの囚人、否、エルヴィスは……どうも、妙に、上手くやっているらしい。刑務所の、外でさえ。
そうして奉仕作業の現場に到着したアイザックは、只々、困惑していた。
「今日もお世話になります」
エルヴィスが代表して、依頼主にそう挨拶したかと思うと……旧友がそうするように、固く握手し、軽く抱き合い、そして嬉しそうににこにこと笑うのである。
にこにこしているのはエルヴィスだけではない。依頼主の方もそうだ。
……依頼主である『グレン・トレヴァー』は、50代くらいに見える男だった。物腰が柔らかく、それでいて堂々と臆することのない立ち居振る舞いは、彼を『真っ当な人間』としてアイザックに認識させた。
そして、そんな『真っ当な人間』が囚人と親し気にしている、という状況に、アイザックは困惑しているのである。
作業が始まって、ますますアイザックは困惑することになった。
「ああ、悪いね。そこの上の枝も落としておいてくれるかな。……うん、そんなかんじだ。ありがとう。助かるよ」
理由は至極単純で、いかにも穏やかそうで、いかにも真っ当そうな男……グレン・トレヴァーが、アイザックの横でにこにことしているからである。
エルヴィスや他の囚人達にやたらと褒められるのにはいい加減慣れてきた(そして鬱陶しいとは思っている)アイザックだが、まさか、奉仕作業先の真っ当な人間にさえこのように扱われるとは、思っていなかった。
アイザックは、グレン・トレヴァーのような『真っ当な人間』からしてみれば、社会から逸脱した落ちこぼれだ。なのに、どうも、グレン・トレヴァーはアイザックを見て、嬉しそうにしているのである。
わざわざ刑務所の囚人達に作業を依頼する時点で相当おかしい。どうせ、成功している者特有の『持たざる者への施し』なのだろうが、それにしても、意味が分からない。
「いや、それにしても君、身長が高いね。君ほど樹木の手入れに適した人も居ないだろう。エルヴィスは君のこと、気に入ってるんじゃないかな」
更に意味の分からないことに、グレン・トレヴァーはそんなことを言う。これにはアイザックも、ぎょっとさせられた。
「エルヴィス、って」
「君のところのエルフさ。終身刑の」
知っている。よく知っているが……目の前の男が、エルヴィスを知っている理由が分からない。
アイザックが只々困惑していると、グレン・トレヴァーは少し笑って、こう、言ったのだ。
「私も彼にはブラックストーンで世話になったから。君もそうかな、と思ったんだけれど。どうかな」