合法ポーション*2
翌日から、エルヴィスは看守相手に交渉を始めた。
狙っているのは、『ポーション作成の許可』と、『作成したポーションの使用許可』だ。
「病院で、アイザックの傷にエルフ製のポーションが使われたんです。そこで聞いたんですが、ポーションは使いたがらない人間が多い上、そもそも作れるエルフがほとんど居ないため、あまり流通していないそうですね」
エルヴィスは、サラサラと嘘を吐く。アイザックがポーションを使ったのは昨日の休憩時間にエルヴィスが煮込んだものを飲んだのが最初だったし、エルヴィスは病院で聞くまでもなくポーションの現状を知っていたのだが、そんなことはまるで出さずに、看守相手に堂々と喋るのだ。アイザックはもう、感心を通り越して呆れるしかない。
「何が言いたい、エルヴィス・フローレイ。まさか、だからポーションを普及させろ、などと言うつもりか?」
一方、看守はエルヴィスが急に話を持ち掛けて来たこともあり、不審がって警戒していた。アイザックはそうでもなかったが、『真っ当な』人間であればエルフのポーションなどという得体の知れないものには忌避感があるらしいので、余計にかもしれない。
「いやいや。そうではなくて、ですね……ポーションってのは、鍋と火と水、それに後は、丁度庭の花壇で育ってるような植物があれば作れるんですよ」
看守達を相手に、エルヴィスはまるで怯まない。ただ、堂々と喋るので、なんともそれらしく見える。ついでにアイザックは、『なんで俺はこいつの隣に立たされてるんだ?』と疑問を覚えたが、それに答える者が居ないのは分かり切っているので尋ねることなど端から諦めている。
「つまり、安く上がりますよ。刑務所の中に、包帯だの傷薬だのを揃えておかなくてよくなりますから、その分経費が浮くんじゃないですか?ほら、囚人相手なら、得体の知れないポーションを使ったって誰も文句は言いませんよ」
「ほう……?」
「それに加えて、囚人同士が喧嘩して大怪我になった時も、表沙汰にしなくてよくなります。ポーションを使っていいなら、面倒な病院送りも、書類の手続きも、護送の手間も、全部消える!」
エルヴィスの言葉に、看守達は次第に引き寄せられていく。エルヴィスの話術が巧みだからか、はたまた長い囚人生活によって看守達の嗜好を把握し尽くしたからか……はたまた、ここの看守が馬鹿なのか。アイザックには分からないが、同時にアイザックにはどうでもいいので何も考えないことにした。
「俺にポーションを作らせてみませんか?そうすれば、諸々の面倒が解消されるんじゃないかと」
そうして遂に、看守達は考え始める。エルヴィスの言葉を受け入れ、エルヴィスの言う通り、エルヴィスにポーションを作らせるかどうかを検討し始めたのである。
「……それで、お前の目的は?」
看守の一人、それなりに役職が上の方にあるのであろう男が、じろり、と視線を向けながらそう尋ねてきたのに対して、エルヴィスはにこにこ笑う。
「アイザックが次に怪我した時に、すぐ治したいので」
「俺かよ」
もうちょっとマシな言い訳を考えろ、と隣のエルフを小突くも、エルヴィスはまるで素知らぬ顔をしている。
「エルフは恩を忘れない。千年の命のその全てで恩義に尽くす。そういう生き物なのでね」
ついでに、さらりとそんなことを言うものだから、アイザックはどんな顔をしてここに立っていればいいのか分からなくなる。ある種、針の筵である。看守達がアイザックをちらちらと見て『ほう』などと言っているのが、余計にアイザックをいたたまれない心地にさせる。
「ついでに、そろそろ作らないと忘れそうなんですよ。かれこれ50年、そういうのから離れちまってるもんだから……このままだと自分がエルフだってことすら忘れそうで」
「全く……仕方ないな」
看守はため息を吐いて、ようやく、面倒そうに手を振って、エルヴィスとアイザックを追い払うような仕草をして見せた。
「古い厨房を使え。ただし、休憩時間にのみ、使用を許可する」
「古い厨房って、マジで古いんだな」
「そうか?そこまで古くないだろ?」
そうして向かった先、『古い厨房』で、2人はそれぞれに異なる感想を抱いた。
……厨房は、埃を被って、蜘蛛の巣が張って、酷い有様だった。人が横並びにようやく2人入れる程度の幅しかない、ごく狭い部屋には、随分と旧式の魔導機関が並んでいる。アイザックからしてみれば、教科書に載っていた『古い道具』の図を思い出させる代物である。
「……あ、成程な。確かに古いのか。そうか、これ、50年くらい前のやつだもんな……」
「今時、水を汲んで入れておかないと動かない蛇口なんざ見かけねえだろ」
「ああ、うん……そうだった。このムショの中でも大抵はもう、20年以上前に造り替わった奴だったな……」
どうやら、エルヴィスからしてみると『たった50年前のもの』ということらしい。このあたりに人間とエルフの感覚の隔たりがあるのだな、とアイザックは学んだ。学んだとしても、それを生かす機会は恐らく無い上、生かす気も特に無いが。
「さて、ひとまずここを使えるようにしなきゃな。掃除するか……」
「勝手にやれよ」
「いや、お前も手伝ってくれるだろ?」
エルヴィスは厚かましくも、アイザックの手にハタキを持たせてくる。アイザックはこれに大きくため息を吐き、渋々、天井近くから順にハタキをかけ始めた。
「やっぱりお前の身長って、こういう時にも役に立つし……役に立ってばっかりだなあ、お前」
「ああそうかよ」
蜘蛛の巣や埃が落ちていけば、次第に部屋の中が綺麗になっていく。エルヴィスは手の届く範囲の道具を拭き始め、そうしていく内に古い厨房は綺麗になっていく。
目に見えて成果が出るのは、悪くない気分である。ついでに、それを『おお、綺麗になったな!ありがとう、アイザック!』と喜ぶエルフが居るので、尚更。
掃除が終わったところで休憩時間が終わってしまったので、ポーションづくりは翌日へ持ち越された。
「さて、鍋はこれを使うか……あ、駄目だ。この琺瑯、罅入ってやがる」
「別にいいだろ、漏れるわけじゃあるまいし」
「いや、琺瑯の鍋はな、罅が入ってたら使っちゃいけないんだ。金属の地に水が触れる状態になってると、金属が溶けだしてきて体に悪いし、ポーションだと余計に悪い。地のエレメントが微妙に足されてできるものの性質が変わっちまう」
アイザックは特に気にせず罅の入った琺瑯を使う性質なので、『神経質だな』と思った。だが、下手なポーションができて、それをもしかしたら自分が使うかもしれない、と考えれば、別の鍋を使うことには賛成せざるを得ない。
「他に鍋は……あ、よし。鉄の鍋があった。鉄の鍋は安定してエレメントに変化を起こすから、ま、調整がしやすいんだよな」
エルヴィスの話すことはサッパリ分からないが、恐らく魔法の話をしているのだろうな、と思いつつ、アイザックはエルヴィスが鍋を火にかけるところを眺める。
「水もひとまずこれでよし。じゃ、早速だがいくつかポーション、煮込んでみるか。アイザック。また磨り潰すの、頼むぜ」
眺めていたら仕事が回ってきたのに辟易しつつも、渡されてしまったすり鉢とすりこ木を手に、その中に入れられた草を潰していくことにする。
すり鉢もすりこ木も50年以上前の代物に見えたが、使うのには十分だった。アイザックはさっさと草を磨り潰し終え、続いて、同じく厨房から発見された小さな石臼を使って、今度は干した草を粉に挽いていく。
力仕事ばかりがアイザックに回されたが、アイザックはそれらを特に苦とせずにこなしていった。細かな作業……エルヴィスがやっているような、薔薇の花弁を丁寧に一枚ずつ取っていくだとか、茎の繊維を剥いでいくだとか、そういう作業をするくらいなら、力仕事をしている方が数百倍マシなのである。
そうしてエルヴィスの作業を手伝っている内に、また、瓶の中に澄んだ緑色の液体が詰められるようになる。
「これ、なんとかして瓶をもうちょっと手に入れられねえと、酒の分が無くなるなあ……」
並ぶガラス瓶は、形も大きさもまちまちである。それぞれが全て、ゴミ拾いなどで拾い集めてきたものなのだろう。
「酒の分が無くなる?話が違うじゃねえか」
「あっ、お前、さてはちょっと酒が楽しみになってきてるんだな?そりゃ嬉しいね」
嬉しそうなエルヴィスの言葉を否定することもできず黙っていると、エルヴィスはにやりと笑って……それから、眉根を寄せた。
「何はともあれ、瓶はもうちょっと欲しいな。酒を造るのにも使いたいし、野薔薇の実を漬けるのにも必要だ。それに、傷薬以外にもポーション、作りたいしな……それにそもそもの、挽いて粉にした材料とか、保存しておくための容器も欲しいし……」
エルヴィスは何やらむにゃむにゃと口の中で言い……そして。
「よし。瓶、作るか!」
顔を上げた時、決意に満ちた目をしていた。
アイザックはまた面倒ごとだな、と察知して、さて、次は何が来るやら、とため息を吐く。……自分が動員されることは間違いないだろう、と諦めつつ。
「この厨房の設備、改造すれば焼き物ができるところまで火力を上げられそうなんだよな。うん。この年代の型なら、いける」
どうやら、この古い厨房の古さが火を噴くことになるらしい。文字通り。
「となれば、ひとまず素焼きの瓶くらいは作れそうだ。釉薬の材料が手に入ったら、それでもっといいのを作ればいいし……うん、そうだな。ガラス瓶は作るのが難しいから、どうしてもガラスじゃなきゃいけない分以外は、焼き物でなんとかしよう。となると、粘土が欲しいな。うん……多分、中庭の一角が丁度いい具合に粘土質だから、あそこを掘削すればいいと思うんだが……」
エルヴィスはちらり、とアイザックを見てくる。どうやら次のアイザックの仕事は粘土掘りらしい。
「面倒くせえ……」
「ありがとう!アイザック、頼りにしてるぜ!」
エルヴィスに肩を叩かれつつ、アイザックはふと、『そういえばエルヴィスに働かされるのが当たり前になってきた』ということに気づきかけたが、気づくのをやめておいた。深く考えてはいけない。深く考えたら、深みに嵌りそうな気がするので。
そうしてその日の作業中、エルヴィスは、他の囚人達とひそやかに言葉を交わす。
「ということでポーションづくりを始めたんだ。瓶が足りないから、今後は当面、瓶づくりだな」
作業中の私語は禁じられているのだが、エルヴィス達、庭づくりによく携わっている囚人達は、多少大目に見られているらしい。
「ポーションができたら、怪我だの風邪だのの心配は要らなくなる。ほら、今でも冬になると肺炎で死ぬ奴、時々居るけど……そういう奴らも助けられるはずだ。それから、植物の成長促進のポーションだって作れるし、火を熾したり、温度を下げたりするポーションも作れれば、できることの幅が一気に広がる!」
エルヴィスが嬉しそうに話すのを、囚人達はにこにこしながら『いいねえ』と聞く。
……だが。
「えっ、それ、違法じゃなかったかい?」
囚人の内の1人、如何にも賢そうな男が、そう、言ったのである。
「……え?違法?そんな法律、あったか……?」
「いや、僕も詳しくはないがね……確か、薬に関する法が十年ほど前に制定された時、ポーションについても定められていたと思うよ」
「え……え?本当に……?」
エルヴィスが尋ね返すと、囚人は何とも言えない顔で、頷いた。
「確か、ポーションを国内で製造することは禁止されていたはずだ」
……エルヴィスが目を見開いて固まるのを見て、アイザックは『こいつ、こういう顔もするんだな……』と気の抜けたことを考えていた。
ついでに、どうやら自分は犯罪の片棒を担がされているらしいぞ、ということに気づきかけたが、やはり気づくのをやめておいた。こんなことには気づかないに限る。