合法ポーション*1
「よし。じゃ、早速だがこっちだ」
エルヴィスに引っ張って行かれた先は、洗濯室だ。アイザックも既に当番をやったことがあるが、この刑務所では持ち回りで囚人達が洗濯を行っている。洗濯用の魔導機関はどう見ても相当な旧式の物だが、ひとまず動くのでこのまま使っているらしい。
「洗濯でもすんのかよ」
「しないしない。用があるのはこっちなんだ」
アイザックが首を傾げていると、エルヴィスはにやりと笑って尚もアイザックを引っ張っていく。洗濯槽の間を抜けて、錆びついた扉を開けると……そこにはどう見ても管理用の、魔導機関の制御盤があるような小さな部屋があった。
そしてその部屋には、小さな机と沢山の瓶、干した植物らしいものや蝋燭や鍋や……とにかく様々な道具が置いてあったのである。
「俺の部屋だ」
「いやお前の部屋じゃねえだろ、どう見ても」
「まあ、俺の部屋ってことにしてる部屋、だな。正確には」
けろっとした顔でそう言うエルヴィスに呆れ半分、感心半分でアイザックは部屋の中を見回す。
何かの配管が壁や天井を這い回り、制御盤がいくつか剥き出しで置いてあることもあって狭い部屋だが、それ故に物陰も多く……配管の隙間にも、色々と物が収納されているらしいことが分かった。エルヴィスが如何に好き勝手しているかがよく分かる光景である。
「案外、ムショの中でも堂々と自分の部屋を持てるもんだ。多くの囚人がそれをやらずにここを出ていくが……」
「そうだろうな」
アイザックも、わざわざこんなことをやる気は無い。当然だが。
「でも、こういう部屋があると、色々と悪さするのに都合がいい」
エルヴィスはにこにこと上機嫌で部屋の一角……蝋燭を入れておけるようにしてあるらしい小さなかまどと、その上に乗った小さな鍋、そして沢山の瓶のある方へと向かっていく。
「こういう所でなら、ポーションも作れるっていうもんだ」
「瓶が集まったし、集めた瓶を煮沸消毒する機会も得られたからな。これでやっと、ポーションが作れる」
言われてよくよく見ると、確かに、並ぶ瓶の中には、アイザックにも見覚えのあるものがいくつか混ざっている。ゴミ拾いの時に拾ってきたガラス瓶だ。
「酒を造るのに要るんじゃなかったのかよ」
「酒も造るさ。だが、お前の傷、完治してないだろ?ならそっちが優先だ」
エルヴィスはそう言うと、早速、そこらの蛇口を捻って、小鍋に湯を注ぐ。そして、色々な素材を磨り潰したり焙ったりしては、鍋に放り込んで、それを煮込んでいくのだ。
『杏の葉と、葦の茎……あと、ヒース』などとエルヴィスはぶつぶつ言っているが、アイザックからしてみると、鍋に放り込まれていく材料は、草と、草と、草だ。区別などつかない。
「うーん、やっぱり、生のローズマリーが手に入る環境ってのは悪くないなあ」
今も、石を削って作ったらしい乳鉢で、ごりごりと草を磨り潰しながら、エルヴィスは楽しそうにしているが……アイザックからしてみると、一体何をしているところなのか、まるで分からない。
「……なんで俺を連れてきたんだよ」
「手伝ってもらおうと思ってな。ほら、これ、磨り潰しておいてくれ」
かと思えば、今度はその乳鉢をアイザックに渡してくるのだ。アイザックは仕方なく、乳鉢の中の草を潰し始める。すると、ふわり、と良い香りが漂った。草特有の青臭さもあるものの、それを掻き消すように広がる爽やかな香りは、中々悪くない。
「よーし、じゃ、こっちはメノウを入れて煮て……」
「石も入れるのかよ」
「ああ。大丈夫大丈夫。メノウ自体はポーションに入らないから。えーと、チキンの骨でブイヨン取るようなもんだ」
エルフの言うことだからか、さっぱり意味が分からない。だが、それはそれとして、悲しいかな、アイザックの手は力強く動き、乳鉢の中の草はすっかり磨り潰されてペースト状になっていた。
「できたか。よしよし、いいかんじだ。じゃあ、アイザックが潰してくれたローズマリーも入れて、と……」
どうやらローズマリーというらしい草のペーストも鍋に放り込まれ、くつくつと煮込まれていく。そこへ更に、貝殻だのリンゴの皮だの、色々な材料が放り込まれていき……そして。
「なんで光ってるんだ、これ」
何故か、鍋の中が光った。アイザックからしてみればまるで理解できない現象である。
「え?光のエレメントを抜いてるからだなあ。あー、まあ、ちょっと魔法を使ってるんだ」
「魔法……」
エルフという生き物が、まるで理解できない術を行使する、ということは、アイザックも知っていた。だが、それを目の当たりにするのは初めてである。
「このかまども、魔法を使ってるんだぜ。だから蝋燭一本でも安定して火力を得られてる。ああ、それから、そっちの制御盤の中身。あれも今はほとんど俺の魔法で維持してる状態だな。シャワーからお湯が出るのもエルフの魔法ってことだ。その代金として、この部屋で自由に水とお湯を使わせてもらってる」
言われて思い返してみると、確かに、最初に鍋に入れていたのは水ではなくお湯だったように思われる。自然に蛇口を捻って自然に出していたからそういうものかと思ったが、当然、そんなわけは無いのである。どうやらこのエルフは、魔法を使って相当に好き放題やっているらしい。
「よし。じゃ、最後に水を足して、と……」
エルヴィスはかまどの火を消すと、湯気を上げる鍋の中へ、水をそっと注いでいく。その表情は真剣そのもので、恐らくこれが大切な工程なのだろうということを伺わせるものだった。
そして、アイザックがぼんやり眺める先で、鍋に変化が起こる。なんと、今まで濁った緑色をしていた液体が、急激に澄み渡り始めたのだ。
「よし、できた!後は急いでこれを瓶詰めにしないとな」
エルヴィスは『急げ急げ』と楽し気にしながら、手際よく瓶の蓋を開けて並べていって、その中へ鍋の中の液体を入れていく。
ガラスの瓶に入ってしまうと、いよいよ、液体は緑色に透き通って妙に美しく見える。干した草だの磨り潰した草だのを煮込んで作ったとは思えない代物だ。
「で、これがお前の分だな!」
……そして最後に、エルヴィスはそう言いつつ、縁の欠けたカップに鍋の液体を注いで、アイザックへと手渡してきたのであった。
「アイザック。約束の品だ。ほら」
アイザックは、改めてカップの中の液体を見つめる。中に入っているのは、妙に透き通って綺麗な緑色をした液体である。瓶詰にして並べておけば美しく見える液体だが、カップに入って供されると、『これは食べ物ではない』という警鐘が頭の中で鳴り始める。
「……これ、なんだよ」
「だからポーションだって。あー、傷が治るやつだ。飲め」
何やらじわじわと嫌な予感がする。アイザックは、そろり、とエルヴィスの様子を窺って……それから、またカップに視線を戻す。
「さ、飲んどけ。痛みが大分マシになるはずだから。まあ、ちょっとばかり苦いかもしれねえが」
にこにこ笑うエルヴィスを前に、アイザックは、顔を顰めた。
……何せこの液体。苦いらしいので。
そして、アイザックはポーションなるものを、飲んだ。
苦かった。アイザックが今までに口にしたあらゆるものの中でも群を抜いて、苦かった。
「悪かったな、アイザック。まさかこんなに苦いの駄目だとは思わなくて……次にお前向けに作る時は、砂糖とか蜂蜜とかリンゴの果汁とか入れて、甘めに作ってやるから……」
「うるせえ、必要ねえ」
カップを突き返して、アイザックはげんなりする。とにかく、苦かった。もう二度と飲みたくない味であった。だが……効果は確かにあったのだ。
「えーと、それで、傷の具合はどうだ?」
心配そうなエルヴィスの視線を鬱陶しく感じつつも、アイザックは確かに、頭や胸の怪我に起きた変化を感じていた。
痛みが無い。重く熱を持ったようだったそこが、まるで痛まないのである。
試しに傷だった個所をぐいぐいと押してみるのだが、それでも痛みは無い。傷が開くような感覚もない。どうやら本当に、傷は消えてしまったらしかった。
「……治ってやがる」
「よし。なら成功だな。いや、よかったよかった。まだまだ俺の腕は鈍ってないってことだ」
エルヴィスは何ということも無くにこにこしているが、アイザックからしてみるとこれは中々に大変なことである。
傷が瞬時に癒えるなど、聞いたことも無い。エルフの作るポーションとは、かくも不思議なものなのか。
「これ……こんなの、聞いたことねえ。何だよ、この薬は」
「そう言われてもな。エルフの里では割と一般的な奴だぞ。大抵はどの家でも、軟膏の形にして傷薬として常備しておくもんだし、必要があれば今みたいに水薬の形で作るもんだ」
どうやら、エルフからしてみるとこのような薬も一般的なもの、ということらしい。つくづく、エルフと人間との間には大分大きな溝がある。アイザックはそれをひしひしと感じる。
「……ま、人間には少し、刺激が強すぎるらしくてな。『瞬時に怪我が治るなんて不気味だ』って評判なんだろ?」
「知らねえよ。聞いたことねえっつってんだろ」
「存在すら知らなかったのかよ。一応、多少は流通してるって聞いてるけどなあ」
アイザックはポーションなどというものは知らない。エルヴィスの言う通り『瞬時に怪我が治るなんて不気味だ』とも思うし、『こんなもんが流通しているとしたら、最高級薬として上流階級向けに売られるだけだろうな』とも思う。
少なくとも、このブラックストーン刑務所でエルヴィスに出会うようなことがあったからこそ、今、アイザックはポーションの存在と薬効を知った。そうでなければ……今まで通りの生活をしていたならば、ポーションの存在すら知らずに過ごし、そのまま死んでいたはずである。
それがムショ入りをきっかけに、自分の体でエルフの薬の薬効を知ることになったのだから、不思議なものである。
「あーあ。これ、もっと人間の間で流通すれば、これを売るってこともできそうなんだけどなあ……どうも、人間は魔法に対して忌避感が強くてなあ、エルフが立ち入る隙間が無い」
エルヴィスが残念そうにため息を吐くのを見て、アイザックは不思議に思う。
「売る予定でもあんのかよ」
ポーションを売る話をしているようだが、この刑務所の中では無理な話である。
「ああ、まあ、そうだなあ、主に、俺以外が、な?ほら、俺は終身刑だから、一生このムショから出ない予定だし」
案の定、エルヴィスはそう言って、それからふと、眉根を寄せた。
「……いや、俺が死ぬより先にこのムショとこの国が滅びそうだが」
「あー……」
アイザックがいくら高等学校へ進学しなかったからといっても、多少、国の歴史のことは知っている。確か、帝国は300年程度で滅びて今の王国になっているはずだ。エルフが1000年生きるのだとしたら、確かに、先に国の方が滅んでいるだろう。
「だが、俺以外の奴がポーションを売れたらいいな、とは思ってるんだ。多分、金になるだろ?人間の薬より効き目は良いだろうし、それに、材料も森に生えてる植物だけで済むし。利回りはいいはずだ」
「そうかよ」
アイザック自身は、金儲けにはさほど興味が無い。人並みにはあるのだろうが、それ以上は望んでいない。そして、エルヴィスもまた、大して欲のなさそうな顔をしている。そんな奴が金儲けの話とは、とアイザックが首を傾げていると……。
「いつか、エルフが人間の国でも生きていけるようになるといいんだがなあ」
そう、エルヴィスは零した。
「エルフは……まあ、エルフが人間嫌いだってのは、確かにあるよな。でも、それ以上に人間はエルフのことが嫌いだろ」
アイザックが咄嗟にどう答えるべきか考えあぐねている間に、特に気にする様子もなくエルヴィスは続けた。
「分からないモンは嫌いなんだって、聞いた。ポーションにしても、人間でちゃんと人体実験して、効果が検証されないと普通の市場には流せないんだそうだ。勿論、エルフにはそんな人脈は無いから、結局、エルフはポーションを売ることはできないし、そうなるといよいよ、人間の国で稼ぐ手段が限られてくる。となると、やっぱりエルフと人間の交流は断絶したままだ」
エルヴィスはアイザックの相槌など必要としていないのだろう。ただ独り言のように呟いて、考えをまとめ、確認しているだけなのかもしれない。
「……それでいいんじゃねえの?」
だが、難しい話が好きではないアイザックは、そう、返事をしてみることにする。するとエルヴィスは、きょとん、として、それから何やら嬉しそうに笑うのだ。
「まあな。悪くはない。けど、危険ではある。人間と交流が無いってことは、人間に滅ぼされる可能性を捨てきれないってことだ。だから一番いいのは、人間と共存関係になっておくことなんだがなあ」
エルヴィスが嬉しそうな一方、アイザックの眉間の皺は余計に深くなる。
難しい話はアイザックにはよく分からない。じっくり考えてみれば分かるのだろうが、じっくり考えるのは疲れる。面倒くさい。
「ま、あと十年くらいすれば、案外、ポーションの人体実験に協力してくれる人間が集まりそうではあるんだ。ムショの外で動いてくれてる奴が居てね。だから……」
「十年も待たなくても、薬ならここの誰かに使えばいいんじゃねえのか」
面倒ついでに、さっさと話を打ち切るべく、アイザックは言ってしまうことにする。
「このムショの野郎共なんざ、人体実験には最適だろ」
「……盲点だった」
「……お前、変なところでバカなんじゃねえの」
どう考えてもアイザックの方が賢さは劣るのだろうが、今は精々そう言って笑ってやることにする。




