仲間入り*3
そうして奉仕作業の当日。アイザックは休日を返上して、奉仕作業に連れていかれることになった。
無論、アイザックには休日の予定など無い。この刑務所に居る者に休日の予定などほぼ無いだろうが、それにしても、ただ寝て過ごしていられたはずの時間を無為な労働に割かなければならないというのは、十分すぎる程に煩わしかった。
ついでに言うならば……奉仕作業の場所へと向かう馬車の中に乗り合わせた、他の連中が気にくわない。
「アイザック。お前も食うか?」
「んだよこれ」
「野薔薇の実の砂糖漬けだ。ほら」
今も、笑いながら例のエルフが小さな紙包みを放って寄越してくる。……何故か、今、馬車の中では囚人達が、紙包みの中のものを口にしながら『遠足にはおやつが付き物だ』『甘酸っぱいおやつはたまらんなあ』などと笑い合っているのである。
「お茶もあるぞ」
「酒じゃねえのかよ」
「あー、お前、酒の方が好きか?だったら作ってみるか。うーん、でも、瓶が足りないんだよなあ……」
最早、アイザックが何を言っても無駄である。この囚人達のにこにこ笑顔を崩すことはできそうにない。アイザックは諦めて、受け取ってしまった瓶の中の茶を飲み、そして、紙包みを開いて中のものを確認する。
中に入っていたのは、赤い実だった。砂糖漬けと聞いていたがその通りの代物らしく、少々べたついている。
貰ってしまったものは仕方がないのでそれを一つつまんで口に入れる。すると、きゅ、と強い酸味が口の中に広がって、ほわり、と甘みが追いかけてきた。
野薔薇の実なんて、初めて食べた。まさかここまで酸味があるとは思っていなかったアイザックは、少々面食らって、慌てて茶を飲んだ。
「口に合わなかったか?」
エルヴィスが心配そうにしていたが、『酸っぱくてびっくりした』などと言ってはガキ臭いと舐められる。アイザックは特に返事をせず、残りの野薔薇の実も口に放り込んだ。こういうものだと分かった上で口にしてみれば、それなりに美味い代物だった。
「それで、アイザック。お前、さっき酒が飲みたいって言ってたよな?」
野薔薇の実を食べ終えて、小腹が満たされた頃。エルヴィスはふと、そう、アイザックに声を掛けてきた。
「別に言ってねえよ、んなこと」
……だが、アイザックとしては、さして期待している訳でもない。あくまでも、茶よりは酒の方が好きだし、そう言えばこのエルフが多少困るかと思った、というだけなのだ。
「ま、いいや。茶よりは酒の方が好きなんだろうし……なら折角だ。ちょっと手伝ってくれ」
「なんで俺がそんなこと」
「今日の奉仕作業中、ガラスの瓶があったら、拾ってきてくれ。蓋があったら猶更いい。汚れは問わないが、割れてたら駄目だ。あ、看守には見つかるなよ?」
アイザックのことなどお構いなしに続くエルヴィスの言葉に、アイザックは絶句した。
どうやらこのエルフ、看守に見つかったらヤバいことをやるつもりらしい。
……アイザックはこの1週間、エルヴィスをそっと観察して、そして、『あいつは模範囚だ』と把握している。看守からの覚えはよく、こうした奉仕作業にも自ら進んで立候補するような、実に模範的な囚人なのだ。
だが、その模範囚が『看守には見つかるなよ』とは!
「お前、なんかつまらなさそうにしてるしな。折角だし、ここでちょっとくらい、楽しいことしようぜ」
にやり、と笑うエルヴィスと他の模範的な囚人達を見て……ほんの少し、アイザックの心が揺れる。もしかしたら、何か少しくらい、いいことがあるかもしれない、と。
まあ、つまり……アイザックは代わり映えの無い刑務所での生活に少々飽きて、そして何より、疲れていたのだ。
奉仕作業は、近場の町でのごみ拾いだった。
くだらない仕事だ。アイザックには、まるでやる気がない。だが、一応、義理は果たさなければならない。アイザックの目は、ガラス瓶を探して彷徨った。
こうした作業は、それなりに得意だ。工場で来る日も来る日も検品作業に明け暮れていたし、アイザックはそれなりに目が良い。そして何より、工場の中や外を掃除していた経験も手伝って、『人がどういうところに瓶を放置したがるか』といったことを熟知している。
そうしてアイザックはいくらか、ガラス瓶を手に入れた。汚れた瓶をそのままポケットに入れてやる気にはなれなかったが、丁度、野薔薇の実の砂糖漬けを包んでいた紙が懐にあったので、それで瓶を包んで、作業着のポケットにつっこんだ。
アイザックはそれなりに上手くやった。やる気のないゴミ拾いを続けては、時折気まぐれにガラス瓶を探して、適当にそれらを回収した。
多少、看守の目が鬱陶しかったが、元々他の囚人を蹴り飛ばして入所初日から懲罰房送りになったアイザックを監視するのは当然のことなので、それは諦めた。むしろ、監視されている分、堂々とやる気のない姿を見せてやることができて、多少せいせいした。
そうして昼食休憩になると、アイザックはエルヴィスに招かれて、隣り合った場所で昼食を摂ることになった。
「いや、やっぱりお前、すごいな」
エルヴィスは何故か、アイザックに対して非常に上機嫌な態度だった。
「お前が居ると看守の目がことごとくお前に向くんだ。おかげでこっちは大分やりやすい。だから、お前は瓶を拾えなくても気にするなよ。お前が看守の目を引き付けてくれてる分、こっちが拾っておくから」
「もう拾った。やる」
ずっと瓶を持っているのも面倒だ。アイザックはポケットに入れていた瓶をさっと取り出して、遠慮なくエルヴィスのポケットへ突っ込んだ。エルヴィスはびっくりした顔でぽかんとしていたが、やがてにやりと笑うと、なんとも嬉しそうに言った。
「お前、やっぱり見込みがあるなあ!」
もう義理は果たしただろう。昼食休憩後から、アイザックは堂々と怠けることにした。
看守達はそんなアイザックを注意しに、度々やってきた。その度にアイザックは文句を言われないギリギリの働きをして見せてのらりくらりとやり過ごす。こういったやり方は工場で随分と学んだ。アイザックの得意分野だ。
それから時々、ふらりと道行く住民達の方へ進んでやったりもした。すると看守達は慌ててアイザックを警戒したし、アイザックが道端に放置されている空き缶を拾い上げに動いただけだと分かると安堵しながら戻っていく。
アイザックはこんなこともしてやりながら、看守達をはらはらさせ続け、そして、注意を引き付け続けたのである。
帰りの馬車の中で、アイザックは褒め称えられていた。
「いやー!お前、本当にすごいな!お前が居ると捗る!本当に捗るっ!……見ろよエルヴィス!これだけ瓶だのネジだの拾ってきたってのに、看守達、気づいた素振りがねえ!全部、アイザックに付きっ切りだったせいだな!」
「俺もだ!いやあ、助かるよ、アイザック!お前って奴は最高だなあ、おい!最後の着替えの時も、お前1人に看守が付きっ切りだったもんなあ!」
……囚人達は皆、こんな調子であった。アイザックとしては、只々、戸惑うしかない。
自分の行いがこんなにも喜ばれたのは、生まれて初めてのことである。事情が事情だけに、手放しに喜べない気もするが。
「ありがとうな。もしよかったらまた次回も参加してくれよ。お前が居てくれると助かる」
だが、エルヴィスにそう言われて、笑いかけられて……悪い気分ではなかった、ように思う。
アイザック自身、自分がどういう気分なのか、よく分からない。はっきりとしない、ふわふわとした気分のまま、アイザックは適当に相槌を打ちつつ、馬車に揺られてブラックストーン刑務所へと戻るのだった。
それから数日後。
「アイザック!ちょっとこっち来てみろよ!」
休憩時間、アイザックはエルヴィスに引っ張って行かれた。アイザックは最早抵抗するのも面倒で、ただ引っ張って行かれるがまま、庭へと向かう。
……するとそこには、この間まで居なかったものが居た。
「蜂を使役してみた」
エルヴィスが満足気に頷いている横では、蜂がぶんぶんと飛び回っては花の蜜を集めていた。どうやら、花の横に置かれた木箱の中に、蜂の巣もできているらしい。この間まで蜂などいなかったというのに、いつの間にやってきて、何時の間に巣作りまでしたのだろうか。
「蜂を使役してみた」
……だが、『何故』など、考えるだけ無駄だろう。
何せ、エルヴィスはエルフだ。アイザックの知らない技術を持っているのだろう。それで、『蜂を使役した』というのならそうなのだろう、としか言いようがない。
「これで蜂蜜が採れる。蜜蝋も手に入るから、灯りが安定して手に入るぞ」
「何にすんだよ、そんなもん」
うきうきした様子のエルヴィスに呆れながらアイザックがそう聞いてみると、エルヴィスはアイザックの呆れ顔など気にならない、というようなうきうき具合で答えてくる。
「ん?蜂蜜が手に入ったら、蜂蜜酒……ミードにしようと思ってな。ほら、お前、茶より酒の方が好きだって言ってただろ?」
当然、というように返ってきた言葉に、アイザックは唖然とする。
アイザックはアイザックのために何かをしようとする者を見て、咄嗟に思考が追い付かなかったのである。
まさか、自分が嫌味を言いたくて発しただけの、ただの言葉の切れ端を大事に持って帰ってきて……本当に酒造りを始めてしまうなんて、思わなかった。まさか、アイザックなどのために、そんなことをするなんて。
「……できるのかよ、そんなもん」
「ああ。案外簡単だ。ミードなら、生の蜂蜜と水と、それを入れておく瓶と置いておく場所さえあれば作れる」
エルヴィスはまるで何ということも無いように話す。ただ、その目は希望に満ちていて、アイザックからしてみれば非常に異質なものにも見えた。
「出来上がったら真っ先にお前にやるよ。この間の瓶拾いが捗った礼ってことで。ほら、労働にはそれ相応の対価があるべきだろ?」
結局、エルヴィスのそんな言葉に、アイザックは曖昧に返事をすることしかできない。
「……どうかしたか?調子が悪いなら薬、出すぞ」
「いや……」
アイザックの様子がおかしいと思ったらしく、エルヴィスがじっとアイザックの顔を覗き込んでくる。
それがまた妙に気まずくて、アイザックは目を逸らしながら……だが、どうにも芽生えて仕方のない疑問を、口にする。
「なんで、俺に構うんだよ」
もっと別な言い方をした方が良かったか、と、言った直後に後悔した。もっとつっけんどんで、もっと棘のある言い方をすべきだったな、と。
「そりゃ……うーん、なんでだろうなあ」
エルヴィスは少し首を傾げると、唸りつつ空を見上げて、また首を傾げる。
「そうだなあ。強いて言うなら、仲良くやれそうな気がしたんだよ。ほら、お前は花を踏むことは無かったし、花を綺麗だと思える奴だし……そもそも、最初に花壇に近づいた時だって、悪意があったわけじゃなさそうだしな」
違う、と言いたかった。
花を綺麗だと思うのは、自分が惨めだと知っているからだ。世界中のあらゆるものは皆、アイザックより余程美しく価値のあるものなのだと、そう、知っているから。
だから傷つけてやりたいし、全てぶち壊してやりたいし……それが正しくないことを、理解している。
そんなアイザックは、このエルフが自分にやたらと構うことに納得がいかない。自分に構う価値など無いことは、アイザックが良く知っている。
「18歳でここに居るってことは相当に色々あったんだろうが、お前は、それでも花を踏まない奴だ。それどころかそもそも……花の存在に気づくくらい、良い奴なんだ。俺はもう50年以上このムショに居るが、花が咲いていても気づかない奴っていうのは、お前が思っている以上に多いんだぜ」
だが、それでも、エルヴィスはそう言うのだ。アイザックにはまるで理解できない理由で、アイザックにやたらと構う。
「ま、そういう訳で明日もよろしく頼む。明日は丁度、ローズマリーを挿し木で増やす予定なんだ。人手があると助かる」
笑いかけられて、アイザックは只々、居心地が悪い。理解できないエルフを相手に、只々、どうしていいのか分からない。
こんなこと、初めてだった。分からない。アイザックはもう、どうしていいかもわからず、エルヴィスの意図も分からず、自分の心も分からないまま、只々、混乱した。
……だが結局、アイザックは翌日、エルヴィスに引きずられてローズマリーの枝を植える作業を手伝わされたのであった。