仲間入り*2
作業を続けて、シャワーを浴びて、大して美味くもない食事を摂って、それから独房に戻されて就寝する。
その日はアイザックにとって、初めて自分の独房で眠った日になった。何せアイザックは初日から懲罰房に入れられるという記録的な快挙を成し遂げていたので。
独房の中はひやりとしていて、初夏だというのに少し肌寒い。これはこれで心地いいな、と、アイザックは思った。
少し寒いくらいがいい。暖かさの中に居るより、少し寒い場所で毛布に包まっている方が落ち着く。昔からずっとそうだ。
……そうして毛布に包まって大きな体を丸めていると、休憩時間のことが思い出された。
アイリスというらしい花のこと。それを大切にしているらしい、エルヴィスというよく分からない男。よく分からない話。明日の約束。
……そこまで思い出して、アイザックは考えを打ち切った。ひとまず、二度とあの庭には近づかないようにしよう、と思いながら。
が、アイザックの決意は無駄なものとなった。
「あっ、アイザック!そっちじゃないぞ、こっちだ」
休憩時間に入るや否や、ひょっこり現れたエルヴィスがアイザックの腕を掴んでいたのである。アイザックがエルヴィスに気づいた時にはもう、遅かった。
「誰が行くか」
「そう言ってくれるな。お前にしかできない仕事なんだ。なあ、頼むよ」
抵抗を試みたが、エルヴィスに懇願されて、じっと見つめられて、どうにも居心地の悪いものに包まれる。
「それにお前、暇だろ。なら暇潰しにこっち来いよ。仕事が終わったらほっといてやるから」
……それに加えて、暇であることは事実であった。
そういうわけで、仕方なく、アイザックはエルヴィスに連れられて、また庭へと向かうことになってしまったのである。
庭は相変わらず、美しく花が咲き誇っていた。だが、昨日の今日なので、アイザックはここを荒らしてやる気になれない。ただげんなりと、美しい庭を眺めるばかりだ。
また、今日はアイザックとエルヴィスの他に数名の囚人が居た。彼らも庭の手入れをしているのだろう。
「よし、アイザック!早速だが頼む。上の方に、パイプがあるだろ?あれのバルブ、開けてくれないか?踏み台があっても俺達だと届かないんだが、お前なら届く気がする」
そしてエルヴィスはアイザックを引っ張っていって、庭の横の壁の一角を示した。壁の上の方には、バルブ付きのパイプが走っている。あれのことか、とアイザックはすぐ理解した。
……働いてやるのは癪だったが、これ以上付きまとわれるのも面倒だ。アイザックはため息を吐きつつ、踏み台に上がって、長い腕を伸ばして、上方のバルブを開けてやった。
すると途端に、歓声が上がる。見れば、エルヴィスと、他の囚人達がアイザックを見上げて満面の笑みを浮かべていた。
「ありがとう、アイザック!やっぱり思ってた通りだ!お前なら届くって思ってた!俺達だと、背伸びしてなんとか届きはするんだが、硬いバルブを回すところまでいかなくてなあ」
エルヴィスは早速、踏み台から降りたアイザックへ駆け寄ってきて、にこにこと嬉しそうに笑ってそう言うのだ。
「やっぱりお前、でかいなあ。それだけ身長が高いと重宝がられるだろ」
アイザックは、戸惑った。このように扱われるのは、なんとも、妙な気分だった。
アイザックは長身で、体つきもがっしりとしている。持って生まれたこの性質は、特段努力して手に入れたものでもなく、ただ、気づけば持っていたもので……そして、アイザックにとっては、長所ではなく短所だった。
「いや、別に……でかいのなんて、邪魔なだけだろ」
凄まじい成長痛に悩まされたことは今も覚えているし、めきめきと大きくなったアイザックは母親にも鬱陶しがられた。周囲からは恐れ混じりの目を向けられるようになったし、工場では細やかな作業に不向きな、邪魔な奴として知られていたくらいだ。
「そういうこともあるのか……まあ、ここでは役に立つだけだ。これからもよろしく頼むぜ」
だが、エルヴィスはまるで気にした様子が無い。けろりとした様子でそう言って、いつの間にか握っていたアイザックの手をふりふりとやっているのである。
「だから、誰が……」
「ほら、報酬だ」
アイザックはすぐさま噛み付いてやる勢いで凄んだが、目の前に出されたものを見て、黙る。
「煙草。代用品だけどな。それから、こっちだ」
紙巻き煙草らしいものを手渡されて戸惑っていると、エルヴィスはアイザックを引っ張って、庭の奥の方へと進んでいく。……そして。
「一人で居るのが好きなんだろ?ならこれ以上は構わないさ。この奥には誰も入ってこない。どうぞ、ごゆっくり」
そこには、蔓が絡んでできた天然の小部屋のような場所があった。丁度、そこには白い花が咲いている。蔓には棘があったが、小部屋の中には椅子や机代わりの木箱が置いてある。棘を気にせず過ごせるというわけだ。
「これからも仕事があったら頼むよ。それから、お前に困ったことがあったり、何か欲しいものがあったりしたら声を掛けてくれ」
「なんだってそんなこと、しなきゃならねえんだ、めんどくせえ」
如何にも気のいい様子のエルヴィスがなんとなく気にくわなくてそう突っかかってやれば、エルヴィスは首を傾げつつ、答える。
「そりゃ、年長者が年下の新入りを気に掛けるのは当然のことだしな。一応、俺はここの囚人のまとめ役みたいになっちまってるし……お前、齢は幾つだ?」
「18」
口を開きたくない気分だったが、答えない方が面倒になるだろうと思ってそう答える。すると……。
「18!? お前、20にもなってないのか!」
エルヴィスは大層驚いて、ひゃー、などと言いながらまじまじとアイザックを見つめる。
「お前……お前、20にもなってないって、そんな、まだまだ子供じゃないか……な、なんでお前みたいな奴が、こんなところに……」
馬鹿にしてるのか、とアイザックは気色ばんだが、目の前のエルヴィスの顔を見てしまったら、毒づく気が失せた。
……エルヴィスはただ、森のような色合いの目を見開いて、愕然としていたのである。全く馬鹿にした様子が無い。只々驚き、そして、悲しんでいるように見えたのだ。憐憫でもなく、ただ純粋な悲しみを向けられて、アイザックは多少、怯んだ。
「お前、苦労してるんだなあ……」
「……18過ぎたらもう、少年院じゃねえ。それだけだ。苦労も何もねえだろ」
少々居心地の悪い気分を味わいながらアイザックがエルヴィスから目を逸らせば、エルヴィスはしばらく何か言いたげにしていたが、やがて、頭をゆるゆると横に振って、言うはずだった言葉を諦めた。
「ま、まあ、いいや。うん、何かあったらいつでも俺を頼ってくれ。俺は今年で311歳だ。お前よりずっとずっと先輩だ。ムショ歴も50年を超えた。多少は色々、できるから……」
「……は?」
ふざけてんのか、と思った。だが……エルヴィスは、きょとん、としている。冗談を言っている顔ではない。
……かと思えば、エルヴィスは何かに気づいたように、言ったのだ。
「……え?アイザック?お前、もしかして、俺がエルフだって知らなかったのか?」
「は?エルフ?」
そういうことなら、とばかり、エルヴィスの指が動いて、そっと、耳元の髪を掻き上げる。すると……その下から長い耳が、ひょこ、と現れたのである。
「終身刑のエルフとは俺のことだ。噂くらいは聞いてただろ?」
いや、聞いていない。そんなことは。まるで。
それはそうだ。アイザックは他の囚人達とのかかわりをできるだけ絶ってきた。煩わしいことに巻き込まれるのは御免だったので。
だが……それはそれとして、目の前に急に現れた情報を、アイザックは、持て余す。
エルフとは。エルフって、なんだ。なんで、そんな生き物が、こんなところに居るんだ。終身刑って、何をしたんだ。
……様々な疑問がアイザックの頭の中で渦巻いたが、アイザックは早々に考えることを諦めた。
「ってことで、これからよろしくな、アイザック」
「誰がよろしくするか」
何も考える必要は無い。今後も、関わらなければ済む話だ。アイザックがそう言うと、『そりゃ残念だが仕事は頼むぞ』と言い置いて、エルヴィスは去っていった。
……取り残されてしまったアイザックは、仕方なく、その場で残りの時間を潰すことにした。
白い素朴な花の咲く天然の天井は、案外、悪くない。木箱の上に腰掛けて、アイザックはその場でしばらく、休むことになってしまった。
……だが、手慰みに火を付けて吸ってみた代用煙草は、悪くない代物だった。
さて。
アイザックはそれから、有言実行を貫いた。
エルヴィスは勿論、他の囚人達とも極力関わらないようにした。時に、それによって不利益を被ることがあっても、それでも頑なに、そうした。
作業は変わらず、特に面白いことが無かった。ちまちまと細かな作業ばかりさせられて、それらは然程上手くいかなかったし、目や肩が痛くなって嫌になった。
食事は1日だけ、妙に美味い日があった。チキンを焼いたものによく分からないが甘味があって美味いソースが掛けられていた。それから、何かのハーブと一緒に焼いたらしいジャガイモが付け合わせてあった。刑務所の中で出るには少々洒落たそれらは、他の日の食事と比べて驚くほど真っ当で美味かったので、アイザックの心は少々、それによって安らいだ。
それから、シャワー。シャワーは悪くなかった。一日、不本意な労働に励んだ後、温かなシャワーを浴びると心地よかった。諸々を気にせずたっぷりと温かな湯を使えるというのは、この刑務所に入って唯一のよかった出来事かもしれない。
……そうして一週間が過ぎようという頃。
その日は初めての休日の前日だった。そして、少々、いつもと様子が違う。
「明日の奉仕作業に参加してもらう者を抽選する。呼ばれた者は前に出るように!」
看守がそう言って、紙を入れた箱の中に手を突っ込んでは、その中の紙を引き出して、読み上げていく。
……どうやら、奉仕作業なるものが休日にあって、それに応募する者の数が足りなかったから、こうしてくじ引きをして……運の悪かった者を強制的に参加させる、ということらしい。
アイザックはぼんやりとその抽選会を見守って……。
「アイザック・ブラッドリー」
名前を呼ばれて、アイザックは絶望した。
何が悲しくて、奉仕作業なんかに出なければいけないのか。
更に……看守に『聞こえないのか!アイザック・ブラッドリー!』ともう一度呼ばれて嫌々前に出れば、そこには知った顔があったのである。
「おっ、アイザック。お前もか。よろしくな!」
その奉仕作業では、エルヴィスをはじめとした数人の囚人達が、一緒らしい。
改めてもう一度、アイザックは絶望した。