アイリスの咲く庭*4
それから、3年。
グレンとアイリスは、今日もエルフの森に歓迎されていた。
「おおー、グレン!アイリス!よく来た、よく来た!」
「今日も外の話、聞かせてくれよ!少しは時間があるんだろ?」
「お茶!お茶飲んでって!美味しい茶葉、できたの!」
エルフ達に囲まれて、にこにこと嬉しそうな笑顔を向けられて、グレンとアイリスはつられて笑い出す。……エルフ達は、今やすっかり、グレンとアイリスを受け入れてくれている。
この森に初めて入った時には、矢を番えた弓を向けられた。
エルフが人間を警戒するというのは本当であった。あの時の敵意に満ちたエルフ達の目を、グレンは生涯忘れないだろう。
だが、グレンがエルヴィスの紹介状を掲げていたため、矢は放たれることなく、エルフたちの矢筒へと戻った。そして『エルフの文字だ』『エルフの文字だなあ』と不思議そうに寄ってきたエルフ達によってエルヴィスの紹介状が読まれ……そして、それを読んだエルフ達は『なんだ、エルヴィスの友達かあ。なら歓迎しなきゃ』と、グレンとアイリスをエルフの里へと連れて行ったのである。
エルフの里は、不思議な場所であった。
森の植物、風や水、そういったものと共生しているエルフ達は、石のようなキノコでできた椅子や机に、ガラス細工のような百合の花を飾っていたり、ローズマリーで編んだリースにほわりと光る菫の花を飾っていたり、はたまた、輝く水が入ったランタンで道を照らしたり、見たことのない果物を鍋で煮ていたり……とにかく、人間とは異なる生活をしていた。
グレンは初めてエルフの里を見た時、『まるで魔法の世界だ』と思い、それから『いや、魔法の世界なんだった……』と思い直した。
そう。エルフ達の里は、植物の里であり、魔法の里でもあるのだ。
それからグレンとアイリスは、エルフ達に歓迎された。
『エルヴィス、元気?』『あいつ、人間の里に行っちゃったからなあ。もう200年以上会ってないよ』と話しかけてくるエルフ達に刑務所の中での話をして、それから、グレンは早速、『花屋を開きたい』という旨をエルフ達に相談した。
……グレンには、夢ができていた。
エルフの里の植物を扱うのは、あくまでも手段でしかない。
そうすることでエルフ達との交流を図りたい。また、珍しい植物を扱うことで金銭を得て、その金銭を使って店を維持しながら、ブラックストーン刑務所に奉仕作業の提供を行ったり、花の種や苗を寄付したりすることで、刑務所の中のエルヴィスの慰めになれれば、と思ったのだ。
グレンの言葉に、エルフ達は賛同してくれた。その日の内に、エルフの森に自生する珍しい植物をいくつも分けてくれ、それを人間達に売ることも『エルフの助けになるなら。森を荒すんでもなければ、森はそもそも誰のものでもないし、俺達は気にしない』と喜んで許可してくれた。
エルフは人間嫌い、という話は一体何だったのか、という歓迎ぶりであったが、後にグレンは、エルフの森へ侵入しようとして射殺された人間の死体なども発見することになり……まあ、概ね、前評判通りだったな、と知ることになる。
それでもエルフ達は、一度懐に入れた者に対しては親切であった。とあるエルフ曰く、『人間達と交じりすぎるとエルフは迫害されたり搾取されたり、碌なことが無い。だが、エルフの里って基本的には退屈だからな。善良な、ごく一部の人間との交流なら、むしろ望んでいるのさ』とのことである。
一方、アイリスの方も順調にことが進んだ。
アイリスは初めてエルフの里を訪問した日の内に、営業を始めた。『人間と裁判になって困っているエルフは居ない?』と。
……すると、丁度1人、人間に訴えられて困っていたエルフが居たのである。エルフ自身は何もしておらず、不当な慰謝料を吹っかけられて困っていたのだが、エルフは人間達の事情もよく分からず、そして何より、人間達の法律もよく分からず、エルフを弁護してくれる弁護士も居ない。よって、このまま裁判に欠席して相手の不当な要求がそのまま通る予定、というところであった。
そう。丁度この頃から、『エルフは訴えられても抵抗してこない』と一部の人間達に知れ渡っていて、それによって『エルフに不当な要求を突きつける裁判を起こせば、エルフは無抵抗に金を払う』という詐欺紛いの金儲けが横行していたのである。
これにアイリスは怒り狂い、『信じられない!なんでボサッとしてるの!私が弁護するから裁判所行くわよ!』とエルフを引っ張っていった。
……結局数か月後、そのエルフはアイリスのパワーに引きずられるようにしてなし崩しに出廷し、アイリスのパワーによって勝った。
これにエルフ達は大いに驚き、そしてアイリスが『トレヴァー弁護士事務所ではエルフの弁護も受け付けるから利用して!』と胸を張れば、エルフ達はこれを大いに喜び……。
そしてアイリスはすっかり、エルフに頼られるようになってしまった。そう。アイリスは強い。エルフに対しても、強い。グレンは自分の妻の衰えることのないパワーに内心舌を巻く思いである。
半年ほどでグレンの花屋が開店し、アイリスも例のエルフの弁護を終えて、弁護士としての仕事を本格的に始めた。
アイリスの方は、エルフに関する裁判が専門、と掲げていたので然程仕事は多くなかったが、専門外でも仕事を引き受けてはこなしていた。
そしてグレンの方は……すぐ、店が繁盛するようになった。
何せ、エルフの森の植物だ。盗人がエルフの森に踏み入って、命と引き換えに一株二株盗み出してくるくらいでしか流通していなかった植物を、平気な顔をして売っている花屋があるのだから、王都にまでその噂は届き、遠路はるばるやってきては植物を買っていく者も現れた。
……そうして店が繁盛し始めてすぐ、グレンはブラックストーン刑務所へ、荷馬車を運転して向かっていった。
エルフの森の植物の種や苗をいくらか。そして、質のいい腐葉土や肥料も。……それらを刑務所へ、寄付するためだ。
刑務所の守衛は、グレンの再訪に驚いていた。だが、グレンが事情を話して、寄付の旨を伝えると、すぐに取り次いでくれ、そして、グレンは無事、エルヴィスに渡したいものを刑務所の中へ潜り込ませることに成功したのである。
グレンは腐葉土の袋の中に、腐葉土と一緒に手紙を一通、紛れ込ませていた。腐葉土の袋を開けるのは間違いなくエルヴィスだろうから、きっと彼に届くだろうと思われた。
そして狙い通り、グレンの手紙はエルヴィスへ届いたらしい。『寄付してもらったことに対してのお礼の手紙』という体で、『囚人の代表』からの手紙が届いたのである。
そこには人間の言葉で、当たり障りのないことが書いてあった。そして、罫線に見せかけるようにして並んだエルフの文字で、エルヴィスの近況やグレンを案じる言葉が並んでいたのである。
『届いた植物を見て、エルフの里のものだと分かった。上手くやったみたいだな』と嬉しそうな文が並び、『アイリスとは上手くいっているんだろうな?』と揶揄うような文が並び……それから、刑務所の近況が並ぶ。良く知る囚人達の様子や、看守の様子。そして庭の様子だ。
どうやら、グレンとエルヴィスが作り上げた花壇は、すっかり様々な花でいっぱいになっているらしい。『最近ではすっかり、中庭でアイリスが咲くようになったよ』とも報告があった。
アイリスの球根は、グレンが出所して最初に寄付したものだった。どうやら、それが今、あの刑務所の中庭で芽吹いて、花を咲かせているらしい。
きっと美しいだろうな、と、グレンは思う。エルヴィスのことだ、どんな花でも美しく咲かせるだろうし、きっと……きっと、グレンが一番好きな花を、大切にしてくれているだろう。
刑務所の中でも、2人で作り上げた花壇は、明るくて、穏やかで、幸福な場所だった。刑務所に居たこと自体は不幸なことだったが、グレンにとって、あの刑務所の中で花壇を作り上げたことも、エルヴィスという友人を得たことも、幸福な出来事の一部だった。
あの花壇がアイリスに彩られている様子を想像して、グレンは静かに笑う。きっと、エルヴィスも笑っているに違いないから。
エルヴィスからの手紙の中には、エルフの里へ届けてほしいのであろう文章も紛れていたため、グレンはそれをエルフ達へ持って行ってやった。
エルフはそれに大層喜び、より一層、グレンとアイリスを歓迎してくれるようになった。
そう。2人が本格的にエルフの歓迎を受けるようになったのは、グレンがエルヴィスへ植物を運び、その帰りにエルヴィスからの手紙を受け取ってエルフの里へ運ぶようになってからだったし、アイリスがエルフの弁護をして無罪を勝ち取ってからだった。
仲間を救う者に対して、エルフは敬意を払う。
グレンとアイリスは、エルフ達にいっそうの敬意と親しみを込めた歓迎を受けるようになり、エルフとの交流を深めていった。
それからも、グレンの寄付は続いた。
何回にも分けて、季節ごとの花の種や苗を寄付した。1年それを続けた後は、『囚人の希望があればそれに沿う花や道具を寄付したい』と申し出て、エルヴィスの希望通りに植物を提供できるようになった。
エルヴィスの要求の中には、時折『これは魔法の材料になる植物ではないだろうか』と思われるものも混じっていたので、恐らく、エルヴィスは今日も楽しくやっているのだろう。
グレンはエルヴィスとの微かなやりとりを経て、ますます力が沸きだすような心地になった。より一層頑張ってやろう、という気分になった。そしてその気持ちのままに働いて……出所から3年で、ブラックストーン刑務所に奉仕作業を提供できるまでになったのである。
そうして今日に至る。グレンは明日の奉仕作業に向けて、最後の仕入れを行っていた。
「で、今日の仕入れの分。硝子百合の球根と、こっちの蜜ブドウの苗はオマケしとくよ!」
「ありがとう。助かるよ」
グレンが礼を言って代金を支払うと、エルフは代金を確認して懐へしまい、そして、にこにことグレンへ尋ねてくる。
「なあ、エルヴィスに会えるんだろ?」
「多分ね。彼が奉仕作業への申し込みを、忘れていなければ」
今回、ブラックストーン刑務所へ提供した奉仕作業は、『鉢植えや腐葉土の袋を運ぶ作業。その他、人数に応じて山林の手入れも有り。売り物になる植物を扱う。人数はそれほど必要ないので、やる気のある囚人を求む』としてある。エルヴィスならきっと気づいてくれることだろう。
「何か伝えたいことがあれば、伝えるけれど」
「そうだなあ……ま、元気でやれよ、とだけ言ってくれればいいさ。俺達のことはいいから、グレンが話したいことを話してくればいいよ」
エルフ達は、グレンがエルヴィスに会うのを楽しみにしていると、知っている。それで、『よかったなあ』と我が事のように喜んでくれるのだ。
グレンはそれが嬉しい。そして、明日を考えればもっと嬉しい。
……つくづく、幸せだった。こんなに幸せでいいのかな、と思ってしまう程に。
そうして、翌日。グレンは囚人達の馬車数台を迎え入れた。
「ようこそ。今日は奉仕作業に応募してくれてありがとう。丁度昨日仕入れてきた木の苗や大きな鉢があるから、それらを運ぶ仕事を任せたい。それが終わったら、山林の手入れだ。……この人数だと、すぐに終わりそうだけれど」
やってくる囚人達の内の何人かは、知らない顔だ。この3年で新たにムショ入りした新入りなのだろう。
だが、その他の、とんでもなく多くの囚人達は、見知った顔だ。
……そう。ここには、とんでもない数の囚人達が、居た。
「本日はどうも、お世話になります」
にやにやとしながら挨拶してきた『囚人代表』と同じように、多くの囚人達がにやにやと笑いながらグレンを嬉しそうに見ている。
……どうやら彼らは皆、グレンに会うために奉仕作業へ応募してきたらしい。普段、こういった奉仕作業へ応募しなかった面子まで揃っているのを見て、グレンも思わず、笑ってしまう。
「ああ……よろしく!」
グレンは、『囚人代表』……嬉しそうにしているエルヴィスと、固く握手を交わして笑い合った。
……そうして、ブラックストーン刑務所史上、最も楽しく笑い声に満ちた奉仕作業が、始まったのである。
ついでに、エルフと人間の奇妙ながら強い友情は、まだまだ続く。
きっと、人間が死ぬまで、ずっと。
……或いは、人間が死んでも、ずっと。
一章終了です。次回更新は3月15日(水)を予定しています。