冷たいシャワー*2
それから数日。グレンは真面目に作業をこなし、看守に楯突くことも無く、実に模範的な囚人として生活していた。
元が郵便局の内勤だったグレンは、元来真面目に働く性分だった。理不尽に投獄された身であっても、与えられた仕事を怠けるようなことはしなかった。……無論、それはグレンの性分によるものだけでなく、グレンが半ば意識して行動した結果でもある。
仕事を怠けて嘆いていたら、ぐずぐずと駄目になっていくような気がした。魂が腐っていくような、そんな気がしたのだ。
真っ当であることを忘れてはならないと思った。この刑務所に居ることを受け入れてはいけないとも。
そして、かつての日常を忘れないこと……すなわち、真面目に、模範的に過ごすことで、グレンは己を保つことにしたのだ。
そうしてグレンは、積極的に他の囚人達と関わるでもなく、休憩時間にはただ中庭の隅の雑草を眺めて過ごした。時間通りに動き、怠けることなく、それでいてどこか空虚に作業に従事した。作業が終われば味気ない食事を無機的に喉へ流し込み、そして3日に一度、冷たいシャワーを浴び、震えながらベッドで縮こまって眠った。
そんなグレンに話しかけてくる囚人も居たが、積極的に彼らと関わる気が無いグレンは、彼らとつるむこともせず、ただ毎日を過ごしていた。
グレンはその日の休憩時間も変わりなく、中庭の片隅で雑草を眺めていた。中庭の端は刑務所の裏側、水道関係のパイプが走る壁があり、その壁と倉庫の間にある狭い土地は見事に雑草が生い茂っているのだ。秋とは思えない寒さの中でも、元気に花をつけている。
ピンクがかった紫の小さな花をたくさんつけているのは、ヒースだ。薬の材料にしたり錬金術の素材にしたりもする花らしいが、グレンにとってのヒースとは専ら、自分の家の小さな庭に植えていた園芸種のことである。
小さな花は、遠目に見ればぼんやりと灰色か紫かに霞んで見えるばかりだが、こうして近くで眺めれば中々愛らしい。園芸種でもない、野生の花でも、こうして愛でていれば多少、心が潤うような気がした。
「よう、グレン・トレヴァー。……だったよな?」
そんなグレンの隣に、エルフがやってくる。
「ああ……エルヴィス・フローレイ、だったね?」
「その通りだ」
エルヴィスは笑うと、特に断りもせずにグレンの隣にやってくる。
「ああ、ヒースが咲いているのを眺めてたのか。悪くない趣味だな」
更に、他の囚人達はきっと雑草としてしか見ていないであろう花の名前を呼び、エルヴィスはそっと、指先でヒースの花をつついた。
すると不思議なことが起こる。
ヒースの花は、ぽう、と小さな光を発したのだ。そしてその光は、エルヴィスの指先へと吸い込まれていく。
「……今のは?」
聞いてはいけないことかもしれない、と思いつつもグレンが尋ねると、エルヴィスは笑って答えた。
「植物の力を分けてもらっていたんだ。エルフは本来、こんな石と鉄でできたムショじゃなくて、植物の茂る森に生きるもんだからな」
グレンは、ああ、成程な、と思う。『エルフ』というものについて、大した知識は持っていなくとも、非常に長命であることや人間には無い『魔法』なる力を持っていること、そして彼らが森の民であり、植物の友として生きていることくらいは知っていた。
「こうしないと、生きられない」
「……それは大変だな」
目を伏せてヒースの花をつつくエルヴィスを見て、素直にそう零す。するとエルヴィスはきょとん、とした後、へらりと笑うのだ。
「まあ、時々こうして草花や木から力を分けてもらえば、千年くらい生きられるっていうことだけれどな」
エルヴィスはまた別のヒースをつついては光を灯し、その光を指先から吸う。その不思議な光景を眺めて、エルフという非常に珍しい生き物を間近に見て、グレンは束の間、ここが刑務所であることを忘れた。
「よし。これでまたしばらくは大丈夫だ。もうそろそろすると、ムショの外で街路樹の剪定作業があるだろうし、その時に木からまた分けてもらえるだろうし……」
そうしてしばらくヒースをつついていたエルヴィスは、満足げに頷く。それから、ふと、グレンを見て、そして、『何を言えばいいかな』とでもいうような顔で悩み始める。
「あー……調子はどうだい」
そしてそんなことを言うものだから、グレンとしては気が抜ける。200年以上生きているエルフとはいっても、会話に困ることはあるらしい。
「調子、というと……まあ、あまり良くはないね」
グレンはそんなエルヴィスに戸惑いつつ、会話を続けてしまう。
「何せ、寒くて」
空を見上げて、溜息を零す。
今も、寒い。このブラックストーン刑務所は、元々気温の低い地域に位置しており、そしてその上、隙間風だらけの石造りの建物に独房、そして極めつけは冷たいシャワーだ。
「刑期を終える前に肺炎か何かで死ぬかもしれない」
こんなことを話してどうするんだ、と思いもしたが、グレンはそう愚痴を零した。この刑務所に慣れ親しむ気は無い。当然、このエルフについてもそうだ。だが、不思議と、このエルフ相手だと話す気になってしまう。
「ああ、あれか。あれな。うん、そうか……堪えるよな」
エルヴィスも同じシャワーを浴びているだろうに、どこか他人事のようにそう呟いて、そして、よし、と頷いた。
「そろそろアレの修理をしたいと思ってたんだ」
エルヴィスの言葉に、グレンは驚いた。
「君、シャワーの修理もしているのか」
「そうだな。ああ、勿論、看守には内緒だが」
そして続いた言葉に、またも驚いた。
……エルヴィスは、模範的な囚人である。それは、この数日間を過ごすだけでも分かった。
ここの看守達は囚人達に暴力を振るうことを躊躇わないが、エルヴィスに対しては、随分と真っ当に振る舞っていたのだ。
それは、エルヴィスが入所してからの31年間で築き上げてきた信頼があるからなのだろうし、実際、エルヴィスは真面目に働いているように見えた。
……だが、それが、『看守には内緒』とくるとは!
「当然だろ。俺達が冷たいシャワーを浴びていようが、温かいシャワーを浴びていようが、あいつらには関係が無いんだ。だが、シャワーの修理費用がかさんだらあいつらに関係がある話になるんだからな」
エルヴィスはグレンの顔を見て、そう補足した。グレンはその説明に大いに納得したが、それにしても、驚きの衝撃が強い。
「それで……シャワーを直せるのか。多分あれは魔導機関の故障だと思うが」
「当然。俺を誰だと思ってる?人間が魔導機関を開発するずーっと昔から魔法を使い続けてるエルフだぞ?」
エルヴィスは胸を張ってにやりと笑う。到底模範囚らしからぬ表情を見て、グレンは名状しがたいソワソワとした疼きのような、そんなものを感じていた。
……恐らく、期待、または、希望、というものだったのだろう。
それから休憩時間が終わって、作業に戻った2人は、並んで席に着き、作業しながらそっと私語に勤しむ。
今日の分は瓶の栓にするためのコルクを切り抜く作業だったが、お互い、手元だけを見ながら話していれば、案外看守達には気づかれない。
「洗濯当番だった時、ボイラー室の魔導機関をちらっと見たんだ。水のエレメントの調整ができなくなってて、その分、火のエレメントが不足してたんだよ。それがシャワーの故障の原因だ」
エルヴィスが話す内容を聞きながら、グレンは面白いような気分でいた。まさか、刑務所の中で魔導機関の勉強をすることになるとは思わなかった。
……魔導機関とは、エルフ達が使う『魔法』を人間も扱えるようにしたものである。規則に従って回路を刻み、動力となる『魔力』なるものを流してやれば、『魔法』に似た効果を得ることができるのだ。
人間達の生活に取り入れられるようになって200年余りが経つが、これが人間達の間で開発された時には大変な騒ぎだったらしい。
何せ、人間が手で紡いでいた糸は風の魔法を宿した魔導機関によって効率的に生産されるようになり、人間が苦労して炉を作って行っていた製鉄も火の魔法を宿した魔導機関によって驚くほど効率的になったのだ。200年余り前のそれは、『魔導革命』と呼ばれ、人類の転換期として記録されている。
「まあ、要は、材料が足りないんだよ。だからまだ、シャワーを直せてない」
小さな声でそう呟きながら、エルヴィスは顔を顰めた。
魔導機関の材料となるものが何かは、グレンもある程度知っている。
魔力を通しやすい素材のもの……そうした加工を施した金属線や絹の糸、模様を刻み込んだ金属板や粘土板が魔導機関を構成しているのだという。そして、それらに魔力を流すための魔石も必要だ。
当然だが、そんなものを刑務所の中で手に入れられるわけはない。
「グレン。お前は次の屋外奉仕作業の時、立候補しろ。街路樹の剪定作業がそろそろあるはずだから」
……だが、エルヴィスはそんなことを言う。グレンが不思議に思っていると、エルヴィスは更に不思議なことを言った。
「それで、外に出たらイラクサを探してくれ。あと、ローズマリーだ。どっちも一枝分でいい」
「……魔導機関の部品が足りないんじゃなかったのか?」
確認のために尋ねると、エルヴィスは肩を竦めて笑った。
「おいおい、俺はエルフだぞ?魔法を使う奴が魔導機関を直すのに魔導機関を使う必要は無い。エルフにはエルフのやり方があるんだ」
そしてエルヴィスが笑顔を浮かべた時、看守がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。
……するとエルヴィスはまるで動じることなく、『刃の向きに気を付けて切ると上手くいく。コルクを切る時は木材を切るような気持ちでいた方がいい』などと言い、まるで今までグレンに対して作業の助言をしていたかのように振る舞った。
看守は感心したようにエルヴィスとグレンを見て頷き、そして、何事も無く通り過ぎていく。
……看守が通り過ぎてしまった後で、エルヴィスはにやりと笑ってみせた。
グレンも、そっと、おずおずと……笑い返す。
刑務所に馴染んではいけない、という思いと同時に、刑務所にも案外面白いことがあるかもしれない、という気分で。