煙に巻く*6
それから看守数名は、エルヴィスとグレンの案内で花壇を見て、そこに茂るイラクサを確認すると、『ああ、これは大麻ではないな』と結論づけて去っていった。『全く、時間を無駄に使わせやがって』と愚痴る看守も居たことから、通報した者はこの後、少々大変な目に遭うかもしれない、とグレンは思った。
「さーて、第一関門は突破だ。問題は、この後だな」
エルヴィスもグレンも、気を引き締める。看守の信頼を得ておいた為にこの場は突破できたが、この後には更なる厄介ごとが待っているはずである。
「大麻とイラクサの区別がつかない自分達を恨んでくれればいいが……連中はきっと、逆恨みしてくるだろうな」
彼らの目的はどうやら、エルヴィスに罪を着せることであったらしい。となると、ここから先、強硬手段に出る可能性は十分に高い。
「ま、そこは俺達の煙草戦略が上手くいってるって信じよう」
「そうだね。最近はすっかり、食堂の壁に張り付く奴らが増えたことだし、彼ら同士での会話も増えたし……」
……この夏の間に講じた対策が、どこまで通用するか。
それを確かめる時が来た。
案の定、一部の囚人達と一部の看守達のあたりが強くなった。
そう。少々予想外であったことに、一部の看守も、一枚噛んでいるらしい。ということは、大麻栽培の恩恵を得るはずだったのは看守なのかもしれない。
相手の目的はどうでもいいが、それによってグレンとエルヴィスが少々嫌な目に遭うというのは、腹が立つ。囚人だけでなく看守も加わっているとなると、中々に厄介だった。
あからさまに食事の量を減らされたり、作業の出来に文句をつけられたり、乱暴に小突かれたり。そういったことが起こるものだから、2人は少々、嫌気が差してきた。
……だが、大麻栽培の一派が狙っていた通りの効果は出なかったと言える。
何せ、2人が食事の量を減らされたとなれば、周りの囚人達が『災難だな』と苦笑しながらパンの一欠片やスープの一匙を皆で少しずつ分け与えてくれたし、2人が看守から暴力を受けそうになっていれば、やはり味方の囚人達がそれとなくやってきて、2人を庇ってくれた。
そしてそもそも、2人の作業には元より文句の付け所など碌に無いのだ。下手に文句をつけた看守は、他の囚人達から『あの作業の出来でも駄目ってことは、俺達全員駄目ですか?今日の作業分は全て破棄した方が?』と問われて、なんとも居心地悪そうに文句を撤回していた。
……そう。味方が増えたことによって、2人は最悪の状況にならずに済んでいた。元々は敵であった囚人もいくらかは2人が作る代用煙草の虜になっており、『実はお前らをボコしておけって言われたんだけどな?ま、これで勘弁しといてやるよ』と、一発、ぺち、と撫でるような平手打ちを食らわせただけで去って行ったりもしている。
極めて計画通り、順調だった。
囚人達は、面と向かって看守に歯向かうようなことはできない。だからこそ、看守からの攻撃に対しては、それとない手助けしかできないわけだが……囚人に対しては、臆する必要が無い。
特に、本来からグレンとエルヴィスが仲良くやれるような、大人しく理知的な囚人達ではなく……煙草につられて寝返った奴らのような、荒くれた連中は。
「おい。この2人が居なくなったら、俺達の煙草はどこで調達すりゃあいい?」
「余計なことしてんじゃねえよ。引っ込んでな」
「身の程を弁えるってのも大事だぜ」
……今、エルヴィスとグレンとを物陰へ引きずり込んで袋叩きにしようとしていた囚人達は、煙草によって寝返った他の囚人達に囲まれて、逆に袋叩きにされている。
グレンは元々暴力沙汰とは縁のない生活をしていた人間であり、エルヴィスはエルフ故の気の長さからか、やはり暴力沙汰とはご無沙汰であるらしい。
まあ、つまり、少々2人には刺激的な光景が繰り広げられていた。
「あの、その辺にしておいてやってくれないかな。流石にそろそろ、まずいと思う」
遂に、グレンが止めに入ることにする。荒くれた囚人達は『折角暴れるいい機会なのに』とでも言いたげな、不服気な顔をしていたが、仕方がない。結局、エルヴィスとグレンから代用煙草を受け取ると、嬉しそうにそのまま去っていった。
……そうして、返り討ちにされた大麻栽培の一派とグレンとエルヴィスだけがその場に取り残されることとなり……グレンとエルヴィスは顔を見合わせて、ため息を吐いた。
「医務室に連れてくか」
「そうだね。彼ら、骨がいっている気がするな……」
「大したもんだ。人間ってのは、殴る蹴るだけでも同じ人間の骨を折ることができるってことなんだから……」
彼らから聞きたいことは山ほどある。だが、今のところは彼らを医務室へ連れて行ってやるのが先決だろう。グレンもエルヴィスも、我が身が最も大切だが、それはそれとして、他者が苦しんでいるのを見て楽しむ趣味は無い。
そして何より……売れる恩は、売れる時に売れるだけ、売っておきたい。
そうして、大麻栽培の一派は無事、医務室へ収容されることとなった。
こんな刑務所の医務室であるので、彼らの怪我を見ても医者は『ああ、またか』というような顔をするばかりである。この程度の喧嘩と喧嘩による怪我の類には慣れっこ、ということだろう。
「これからちょくちょく見舞いに来るよ。それで、喋ることがあるなら早めに喋ってくれると助かるね」
「ついでに何か欲しいものがあったら工面できるように努力するよ。まあ、約束はできないけれど」
エルヴィスとグレンはそれぞれに、怪我人達へそう告げる。彼らはもうすっかり敗北を悟ったらしく、エルヴィスとグレンを前にしても大人しかった。……暴れるだけの体力も無かったのだろうが。
「一応、今日中にこれだけは聞かせてくれ。……何のために、大麻を栽培しようとした?」
その中でも主犯格と思しき囚人のベッドサイドに椅子を持ってきて、2人は座る。答えない限り退室しないぞ、という構えの2人を見て、囚人は痛みに呻きながらも話すことに決めたらしい。
「売れば金になるしな……看守を通して売ればいい。警察の目は、ムショにまでは届かない。ここは大麻の栽培に好条件だろ?」
「あー、看守も絡んでるのか。だと思ったぜ……。えーと、どいつが味方だったんだ?」
げんなりとエルヴィスがそう言えば、『寝返るなら全力で寝返らないと危ない』と思ったらしい囚人は、次々に看守の名前を挙げてくれた。
グレンはそれをメモしながら、この看守達をどうにかする方法を少々考え始める。まあ、難しいかもしれないが……真っ当な看守なら、大麻栽培に加担しようとする看守を取り締まりたいと思う者も居るだろう。看守のことは看守に任せるのが一番良いように思われる。
「成程なあ……そいつら全員、大麻が大好き、と」
「別に大麻じゃなくてよかったんだよ。大麻が上手くいったら、次はケシをやるか、って話してた。それで……」
呆れかえった調子のエルヴィスを、ちら、と湿っぽい目で見てから、囚人はため息交じりに吐き出す。
「……あとは、エルフを捕まえる方法を、探してたんだよ」
遂に来たか、と、グレンは身構える。エルヴィス本人はまるで気にした様子も無く飄々としているが。
「俺達の味方の看守が、エルフに懲罰を与える名目さえ得られればいい。そうすれば、欲しいモンが手に入るだろう、って……」
「欲しいモン、か。なんだ?エルフの血か?悪いがエルフの血を飲んでも不老不死にはなれないぞ?」
エルヴィスの言葉を聞きながら、グレンは、『もしかしたら、そういう理由で狙われることが今までにもあったのかもしれない』と思う。達観したエルフの表情からは、仔細なことは何も読み取れないが。
「しらばっくれるな。用があるのは涙だよ」
そして囚人はそう言って笑った。
「エルフの涙は宝石になるんだろ?」
……そうなのか、という気持ちで、グレンはエルヴィスを見た。
すると。
「いや、ならないが……?」
エルヴィスは只々困惑しながら、頭の上に疑問符を浮かべるような表情で、首を傾げていたのだった。
「は?お前、どこからそんな妙な噂を聞いたんだ?それが真実だったら、俺が欠伸をかみ殺す度に宝石が生産されてることになるぜ?あと、料理当番で玉ねぎを刻んでる時とか……」
「……そういえば、エルヴィス。君、祝祭の日の食事作りで玉ねぎのソースを作っていたが、あの時、涙と鼻水がすごいことになっていたね」
「あー、なってたなってた。……で?俺特製の玉ねぎソースには宝石が混入してたか?してないだろ?万一混入してたとしたら、そりゃほぼほぼ単なる塩水だけだぞ」
エルヴィスとグレンの会話を聞いて、囚人は『そんなバカな』と言いたげな顔をしていたが、呆れかえったエルヴィスと苦笑するグレンとを数分間に渡って見ていたら、自分達がデマを掴まされたらしい、と判断することができたらしい。
「ま、そういう訳で、俺を攫って痛めつけて泣かせたって何にもなりゃしないからな。今後、無駄なことはやめてくれよ。じゃなきゃ、次は骨じゃ済まないことになるぜ」
やれやれ、とばかりにエルヴィスはそう言って、席を立つ。グレンも立ち上がってそれぞれの椅子をそそくさと片付ける間、囚人は只々途方に暮れたような顔をしていたが、最早、2人の知ったことではないのである。
「じゃ、お邪魔しました」
「私達は作業に戻るので、何かあったら呼んでくださいね、先生」
最後まで模範囚らしい態度で医務室を後にした2人を呼び止める者は、誰も居なかった。
……そうして、ブラックストーン刑務所の内部で起きた、少しばかり刺激的な事件は幕を閉じた。
結末は実に単純だ。何人かの囚人がしゅんとしてすっかり大人しくなり、そして、何人かの看守が姿を消した。
エルヴィスとグレン、2人の囚人のタレコミがどの程度の効果を発揮するのか、正直なところグレンにはまるで判断が付かなかった。だが……どうやら、ここの看守達は、グレンが思っていたよりは善良であったらしい。或いは、グレンが思っていたよりも更に、『味方を売ってでも得点稼ぎをしたい』と考える野心家が多かったか。……概ね後者だろうな、と、グレンは考えているが。
何はともあれ、大麻栽培に纏わる事件は終わった。特別に厄介な看守も数人減って、囚人達はすっかりグレンとエルヴィスに好意的になり、好意的ではない囚人達は肩身の狭い思いをしていて……とにかく、グレンとエルヴィスにとっては非常に過ごしやすい日々が、始まったのである。
「唯一の誤算は、コレだよなあ」
「まあ……コレの生産は止められなさそうだね」
2人は結局、代用煙草を未だに生産している。それもそのはず、一度買収した囚人達は、今更煙草無しの生活に戻ってくれなかったからだ。
……それに、案外、こうして他の囚人達とやりとりをするというのは、楽しかったのである。煙草につられる囚人達はほとんど碌な人間達ではなく、深く付き合うべきではない人間達であったが……それはそれとして、表面上のやりとりとギブアンドテイクの関係を保つなら、そう悪くない相手だったのである。
そして、煙草で釣るまでもなく釣られてくれた、理知的で大人しい囚人達は、グレンとエルヴィスの良き友人となった。
そうなると、すっかり過ごしやすくなった。共に花壇を眺めて『いい花だね』と微笑む囚人達も現れ始めた。
……何だかんだ、味方が多いというのは、良いことなのである。
そうして、平和に季節は流れていき……秋。そろそろ寒さが忍び寄る季節であり、グレンがこの刑務所へ投獄されてから、1年となる。
その日も2人は屋上へ向かった。遮るものもなく吹き抜けていく風は強く、寒さはずっと厳しく感じられる。だが、2人ともこの場所を気に入っていた。そして何より、ここには可愛い鳥が来る。
「そろそろこいつらともお別れか」
……だが、いつもの白い鳥達は、そろそろ、ここを旅立つことになる。
「もうすぐ冬だもんな」
彼らは渡り鳥だ。これから冬にかけて、南の方へと飛んでいき、暖かなそこで冬を越す。彼らに再び会えるのは、次の春先、ということになるだろう。
「可愛い奴らだなあ」
鳥達は、すっかりグレンにも慣れた。懐っこくすりすりとやってくる鳥を見ていると、なんとも心が安らぐ。手慰みに羽毛を撫でてやれば、嬉しそうにぴいぴい鳴くのだが、それがまた可愛らしい。
「……あれ?」
そんな中、ふと、グレンは不思議な鳥を見つけた。
というのも、その鳥はどうも、脚が太いように見えたのだ。
「ちょっと見せてくれ」
その鳥に断りを入れてからそっと手を近づけ、そっと持ち上げる。……持ち上げるともなれば流石に警戒されるだろうとも思ったのだが、なんと、なんとも警戒心の無いその鳥は、なされるがまま、すっ、と持ち上げられてしまった。
こいつは自然の中で生きていけるのだろうか、と、その鳥のあまりの警戒心の無さにグレンは少々、思い当たるものがある。
記憶の隅に引っかかっている、この警戒心の無さは……。
グレンは確かめるのが怖いような気持ちで、鳥の脚を確認する。
……果たして、鳥の脚には、紙が縛り付けてあった。
「これは……」
鳥の脚からそれを外して、そっと、広げる。
『別れ話なら直接会って聞くわ。あと4年くらい待って。あと私の幸運を祈っていて。あなたを愛するアイリスより』
懐かしい筆跡で、書きなぐるようにそう、書いてあった。