煙に巻く*4
その日の、夕食。
「納得いかねえー」
エルヴィスは何時にも増して元気のない様子であった。何せ、不可解なことが起きたのだ。
「結界が作用しなかった、ということは、あいつは植物にも森にもエルフにも、そして私にも、悪意が無いってこと、か」
「だな。そういうことになる。まるで納得がいかねえ」
そう。例の囚人に対して、結界が作用しなかったのだ。花壇を荒そうとしたり、エルヴィスに危害を加えようとしたり、そういった意図を持った者が踏み込めば、たちまち嫌な位置にイラクサの呪いを受けることになるはずだったのに、それが発動しなかった。
これについて、グレンはますます考えさせられる。
一体何が起きているのか。相手の狙いは一体何なのか。……そういったことをとにかく考えてみるのだが、まるきり、答えが出ない。
「俺は楽しみにしていたんだがなあ。うーん……」
「まあ、そう言わずに」
先日の煙草のやりとりの件といい、今回の花壇へ近づく囚人といい、不可解なことばかりだ。
全てのことに整然とした理由があるとも思えないが、それにしても、引っかかる。何か、見落としていることがあるのではないか、とグレンは考え……相手の立場に立って、この事を考えてみる。
まず、ドブ浚いの日、刑務所の外の協力者がこの刑務所の囚人に、わざわざ煙草を与えた理由は何だろうか。
……何か、囚人の内の誰かに恩があったとも考えられる。だが、それよりはもっと合理的な理由があるだろうと思うのだ。
何せ、そもそも、この刑務所では外部とのやりとりができないのだ。手紙の類が届くでもない刑務所の中へは、『煙草をやるからドブ浚いの日に奉仕作業に参加しろ』と連絡することすら難しい。
ならば、そもそも、ここの囚人達はどのようにして、ドブ浚いに応募すべきだと考えたのか。
……唯一の手掛かりがあるとすれば、ドブ浚いを依頼してきた団体の名前だ。それが知り合いの名前だったから、囚人の内の誰かがそれに応募した。囚人がここへ投獄される前に、『この名前で奉仕作業の依頼があったら応募するように』と話が付いていたなら、納得がいく。
そして……その上で、『何故』煙草を囚人達に振舞ったのか。
気まぐれ、というには、あまりにも計画的だ。囚人達をこれほどまでに奉仕作業へ応募させた上、看守への賄賂までもが支払われていたのだ。これは明確な計画の下で行われている作戦である。
煙草を囚人に与えることで得られる利益とは、何か。
或いは、煙草を与えてやってもいいと思えるくらい、他に利益を得る手段があったのか。
……刑務所の囚人達は、どのようにして刑務所の外の人間に対価を支払うか。
そして、『何故、それは刑務所の人間でなければならないか』。
「なあ、グレン。この煙草の葉、育てられないかな。ほら、煙草って結構綺麗な花が咲くだろ?」
「エルヴィス。ちょっと、いいかな」
グレンは、既に別のことを考え始めていたらしいエルヴィスへ声を掛ける。あくまで、さりげなく。そして、大いに、緊張しながら。
「花壇を調べよう。何かを盗まれたかどうかじゃなくて……『何かが加えられている』可能性を、当たるべきだ。……手遅れになる前に」
翌日。休憩時間になってすぐ、グレンとエルヴィスは花壇へ駆けつけた。
「土の、最近埋め戻したような跡があればそこを探してほしい」
「ナイフか何かが埋まってるって?」
「可能性が高い。……というか、それくらいしかもう、思いつかないんだよ」
グレンが考えたのは、いくつかの可能性だ。
まず、『何故、外部の人間が刑務所の人間と取引をする必要があるのか』という問いについては、2つの答えを出すことができる。
1つは、刑務所の特徴を生かしたい、という理由だ。
刑務所は、外部と完全に隔絶された環境だ。看守が幅を利かせているが、逆に言えば、裁判官も警察官も、この刑務所の中へは踏み込んでこない。弁護士すら、碌に来ないのだから当然と言えば当然かもしれないが。
であるからして……何かを隠しておきたい場合には、非常に有効な場所である。正に『ランプの下は最も暗い』といったところだろうか。
さて、この場合、花壇にどのような用事があるかといえば……何か、隠しておくべきものが隠されているのではないか、と考えられる。
例えば、『盗み出して今後数年は行方をくらませておきたい宝石』であるとか、『まだ発見されていない、殺人事件の凶器』であるとか。まあ、隠しておきたいものはいくらでもあるだろう。
そしてもう1つの可能性は、刑務所の中自体に用事がある場合。
……そう。特定の囚人に対して何かをしたい場合だ。
例えば、復讐である、とか。
はたまた……ほとんど実物を見ることなど叶わない『エルフ』という希少な生き物を、どうこうしたい場合であるとか。
この場合は、『誰に』用があるのかが重要だが……もし、エルヴィスがその対象であるならば、花壇を荒らすことが考えられる。
そして……1つ、グレンは嫌な可能性を思い出してしまったのだ。
『煙草を育てられないだろうか』とエルヴィスは言っていた。勿論、紙巻き煙草の中の葉から煙草を育てることはできないだろうが……『煙草の種』が密かに持ち込まれてはいないだろうか。
そう。安物の紙巻き煙草は、完全なカモフラージュだ。看守には、『紙巻き煙草を持ち込みたい』と賄賂を渡したのだろう。紙巻き煙草数箱程度になら、賄賂で口を噤んでもいいと考える不真面目な看守には心当たりが沢山ある。
……だが当然、煙草の栽培などしていたら、懲罰ものである。『終身刑のエルフ』が如何に処刑されないとはいえ、折檻される程度のことは十分に考えられるし、それを利用した何らかの取引があってもおかしくはない。
それに……『煙草ならまだマシだ』と、グレンは考えていた。
「ん?こんなの、植えたっけな」
エルヴィスは首を傾げつつ、土の上にぴょこんと芽生えた見知らぬ植物を見つめる。
「こいつは……ん?」
エルヴィスはその草の芽に顔を近づけて、観察して……そして、そろっ、と、グレンへ視線を向けた。
「……大麻、だなあ」
……ああ、やっぱり!
グレンは天を仰ぎ、嫌な予感が的中したことを知ったのだった。
「……整理させてくれ。つまり、これは、何だ?」
「大麻だ。ここから考えられるのは2つ。1つは、君と私に大麻栽培の罪を擦り付けようとしている誰かが居る。まあ、その場合はほぼ間違いなく君だな。刑務所の外にまで存在が知れるのなんて、『エルフ』ぐらいしかない」
「あー……なんてこった」
刑務所の外に協力者がいることを考えると、まず間違いなく、狙いはグレンではなくエルヴィスだ。『エルフ』を陥れることで、何らかの作用を狙っている。反エルフ運動を進めたいのか、はたまた、エルフの身柄が欲しいとか、そういったことか……。
「驚くのはまだ早いぞ、エルヴィス。もう1つの可能性は、単純に、ここで大麻栽培をしたい、っていう可能性だ。看守達だって、まさか刑務所の中で大麻が栽培されるなんて思わないだろうからね。絶好の隠れ家になり得るし……大麻を利用して、囚人が他の囚人と取引をするのにも使えるかもしれない」
「囚人間の抗争があるなら、そういうのもあり得るか」
当然だが、ここに入っている囚人達の多くはろくでなしの、正真正銘の犯罪者である。抗争を繰り広げる集団が2つあって、その2つの集団それぞれから囚人がこの刑務所に投獄されているとしたら……ここでも抗争が起きることは、十分にあり得る。
「いずれにせよ、私達は巻き込まれているね。間違いなく」
「最悪だ!俺はただ植物を育てて穏やかに暮らしたいだけなのに!」
「私も同じ気分だよ」
しばし、2人は途方に暮れた。エルヴィスもグレンも、頭を抱えたい気分である。
だが……グレンはすぐ、立ち直った。
「これから嵐が来ると分かっている以上、私達は何もしないで居る訳にはいかないね」
そしてグレンは、ずっと考えていたことをいよいよ、頭の外に出すことになる。
「私に1つ、考えがあるんだ」
「これから私達は、正しいことだけして生き残ることはできないだろう。所詮、そんなものだ。正しいことをしていたって、冤罪で刑務所にぶち込まれる」
グレンの言葉にエルヴィスは顔を上げて、頷いた。
正しさには結果が伴わない。そんなことはグレンの投獄から十分分かることであり……ならば、正しくない行いをしてでも、自らと花壇を守らねばならない。
「ということで、エルヴィス。花壇の対処と同時に……味方を増やすぞ」