新暦5年:エルヴィス・フローレイ
そうして、国の端っこ、ブラックストーン刑務所および『ブラックストーン交流所』では、今日も楽しく人間とエルフが暮らしている。
エルヴィスは目を覚ますと、囚人達と一緒に起こされ、点呼される。
……相変わらず、エルヴィスは独房で寝起きしていた。何せ、独房は狭くて落ち着くのである。そして特に夏場には、ひんやりとして居心地がいいのである。
元国王やその他の囚人達は、はじめこそ、囚人でもないのに独房に入っているエルヴィスを奇異の目で見ていたが、今やすっかり慣れて諦めている。この刑務所は、『刑務所、エルフ付き』なのだ。仕方がない。
囚人達と共に元気に起きてきたエルヴィスは、その後、囚人達と別れて看守達と一緒に朝食を摂る。……看守達の朝食は、新たに建設された宿舎で提供されている。そこにクラークとオリヴィアにアレックスも住んでいるものだから、エルヴィスは毎朝、ここで朝食を摂ることにしているのだ。
そこで、人間達と会話しながら『最近の国の様子はどうだ』だの、『エルフは人間の国のこういうところに興味を持ってるらしい』だの、『ところでドジな鳥がまた木に引っ掛かってたわよ』だの、『その鳥を助けようとしたタンバリンマスターも木に引っ掛かっていた』だの、情報共有しながら笑い合う。
人間との会話は、エルヴィスにとって楽しいものだった。何気ない日常の、その一瞬一瞬が面白く、興味深く、そして愛おしい。
そうして人間達の一日が始まっていく横で、エルヴィスは『交流所』へと向かう。
『交流所』は、刑務所に隣接した、それでいて囚人が入り込めないようになっている棟にある。ブラックストーン城の裏門と裏庭から入れるようになっている建物だ。既に近隣住民に開放されている、例の図書館と同様の仕組みである。
……今、『交流所』となっている場所は、ブラックストーン城において、居住区として使ったり、身内だけの小さなパーティに使ったりしていた場所である。1階の小ホールが丁度いい広さなので、エルヴィスはそこを、『交流所』とすることにしたのだ。
エルヴィスはまず、日除けのための天幕を張る。エルフ達が織り上げた布で作った天幕は、1000年は難しくとも、100年は持ってくれる丈夫なものだ。森の植物で染め上げた模様は穏やかな色合いで、これが日に透ける様子を中々気に入っている。
小ホールの入り口を開け放ち、天幕の庭と地続きにする。天幕の調子を見て、きちんと屋根の機能を果たしていることを確認する。夏になって、日差しが強くなった。だからこうした天幕を用意しておいてやると、人間もエルフも喜ぶのだ。
天幕の準備ができたら、机や椅子を出しておいてやる。そして、このころになるとちらほらと、人間やエルフが集まり始めるのである。
エルフと人間の目的は、それぞれが持ち寄った品物の売買だ。人間は、エルフが持ってきた珍しい植物やポーションの類、木工細工や珍しい布などを欲しがっているし、エルフは人間達の作った楽器や絵画、簡単な魔導機関や書物といったものを欲しがっている。そして、それらのやり取りをしながら交流することもまた、彼らは望んでいるのだ。
庭では早速、人間とエルフが仲良く話し始めている。『今日も早いですね』『楽しみすぎてうっかり1週間前に到着しちまって大変だったんだ。ここで待とうと思ったらエルヴィスにだめだって言われるし……』『そりゃ、人間の感覚も知ってもらわないと。ねえ、エルヴィスさん?』といった具合に、エルヴィスも巻き込まれることが多い。
そんな話をしながら、エルヴィスは茶の準備をする。最近は暑いので、冷たく冷やした茶を供する。
エルフの森で摘んだ茶葉やハーブで薫り高い茶を熱く淹れて、それを、魔導機関で凍らせておいた果物の角切りに向かって注ぎ込む。適宜、ブラックストーンの庭の蜂から貰った蜂蜜で甘みを足してやれば、果物の香りと甘みが美味しい、夏にぴったりの飲み物が出来上がるのだ。
それから、つまめるものも用意しておく。これは、人間の国で栽培された麦で小さなパンを焼いておいたり、エルフの森から持ち込まれた木の実を炒っておいたりするのが主だが、大抵の場合、そこに人間やエルフが別途別の食べ物を持ち込んできて、立食パーティのようになってしまうのが常である。
「エルヴィスー!今日もケーキ焼いてきたわよー!」
「おお、リリエ!よく来たな!こっち持ってきてくれ!」
今回もリリエがやってきて、ケーキの包みをエルヴィスに渡してくる。エルヴィスはそれを切り分けて、人間もエルフも気軽に取って食べられるように用意しておくのだ。
……そうしてエルヴィスが準備している横で、人間やエルフ達もそれぞれに品物を準備し始める。
テントを張って品物を並べたり。魔導機関車をそのまま屋台めいた店舗にしたり。人間もエルフも様々な方法で、自分達が持ってきた品物を広げて店の形をとり始める。
エルヴィスは彼らの間を見て回って、困っている者がいないか確認する。困っていなくても声をかけて、できるだけ会話するよう心掛けているが。
……と、そうする内に、開場時間がやってくる。
すると、客である人間やエルフ達がわらわらとやってきて、この小さな市場を楽しんでいくのだ。
人間もエルフも入り交じり、会話したり、飲食を共にしたりしながら品物を見ていく。それぞれの品物には、それぞれの文化が強く根付いているのだ。
人間が持ってきた玻璃細工のグラス。エルフが持ってきた寄木細工の小箱。風変わりな木の実や、新しい菓子類。色とりどりの布に茶葉に香草、ポーションに花に、魔導機関の小さなランプに……。
あらゆるものが所狭しと並べられたこの市場を、エルヴィスはいつも楽しみにしている。
ここに集まる者達は皆、善良だ。
人間もエルフも、互いに互いと交流することを楽しみにしている。中には利益だけを求めてやってくる人間も居るわけだが……そうした者達も、エルフは貴重な収益源なので、エルフを丁重に扱う。そうしなければこの市場に居られないと分かっているのだ。
エルヴィスは、きちんと礼節に則ってくれている者には、利益が目的でも交流が目的でも特に気にせず、門戸を開くことにしている。人間もエルフも、様々だ。様々な者が集まっているからこそ、この場には価値があると思っている。
「わあ、今日もやってるわね」
「オリヴィア。休憩か?」
「ええ。ずっと籠もりっきりっていうのも体に悪いし、クラークも丁度休憩時間みたいだし」
「適度な運動は必要だと医師からも言われているからな。ここは散歩には丁度いい」
そこへ、オリヴィアとクラークが連れ立ってやってくる。寄り添う2人を見て、エルヴィスは満面の笑みを浮かべる。
……オリヴィアのお腹の中には、新しい人間が入っているらしい。早く生まれてこねえかなあ、とエルヴィスはその日を楽しみにしている。楽しみにしすぎて『そんなすぐ出てくるわけないでしょ!』とオリヴィアに怒られたのはつい先日のことだが。
「ま、散歩がてら、飲み食いしていくか?果物のお茶、用意してあるんだ。これ、オリヴィアが好きだって前言ってたやつ。それにリリエのケーキもあるぞ」
「最高!ありがとう、頂くわ」
早速、オリヴィアに椅子を用意して、茶とケーキを出す。つまむなら木の実もあるぞ、と出してみると、それはクラークがつまみ始めた。……エルヴィスはこの『鈴の実』と呼ばれている木の実が好きなのだが、クラークもどうやら、これが好きらしい。エルヴィスはそれを少々嬉しく、面白く思っている。
「やっぱりリリエのケーキ、美味しいわねえ」
「世界で2番目に美味しい、のだったか?」
「ええ。ママが焼いたやつが世界一だから」
夫婦が笑い合うのを見て、エルヴィスも思わずにっこりする。やはり、人間達は、いい。見ていて温かい気分になれる。特に、それが大切な友人達なら猶更いい。
……つい数年前まで表情が硬かったクラークが、柔和に笑っているのを見ると、エルヴィスはまた、『人間っていいなあ』と思う。すぐに変容していって、強く輝いて……そしてきっと、すぐに死んでいってしまう。だが、すぐ死んでしまう相手だからといって関わらないのはあまりに勿体ない。人間とは、そういう存在なのだ。
「ところで、今回は何か面白い品物、出てる?エルヴィスのおすすめは?」
「あー、なんか、新しい菓子が出てたぞ。ふかふかの中にクリーム詰まってるんだとさ」
「ふかふかにクリーム……?なんだそれは」
「気になるなら買って来いよ。入口の方だから」
市場の商品については、エルヴィスも一通り見て回っている。確か、人間が出している屋台で、よく分からないふわふわした見た目のパンかケーキかよく分からないものの中にクリームを詰めた菓子が出ていたはずだ。エルヴィスもあれは気になるので買ってみようと思っている。
「あと、変なポーション出てたぞ。猫の耳が生える奴の最新版。なんと、ウサギの耳が生える!」
「エルフって変なポーション作るの好きよね」
「えっ!?こういうの好きなのは人間だろ!?」
「……人間側は恐らく、『エルフは妙なものを作るのだな』と思って買っているが」
ついでにエルフ側の商品も紹介してみたところ、衝撃の事実を知ってしまった。エルフは『人間ってこういうの好きだよね』と言いつつ、猫だのウサギだのの耳が生えるポーションを作っているのだが、まさか、人間側は『エルフってこういうの好きだよね』と思っていたとは!
「おいおいマジかよ。すれ違ってるのかよ……」
「まあ、人間もアレ、面白がってるわよ。すれ違いながら噛み合ってるんだからいいんじゃない?」
……まあ、こういったすれ違いも、面白いものだ。何にせよ、人間もエルフも楽しんでいるなら、それでいい。この話も、笑い話になって丁度いいだろう。
「よお、エルヴィス」
「今日も盛況だね」
クラークとオリヴィアが『ふかふかにクリーム』を買いに行ってすぐ、アレックスとエバニがやってきた。
……最近、アレックスは『名ばかり所長だったとしてもこの齢で所長なんざやってられっか!』と、クラークに所長の座を譲り渡して引退したばかりだ。そして半ば自由業のエバニを誘って、こうして市場に遊びに来るのが最近の彼の倣いである。
「今回もラウルスとアイレクスがお世話になってるみたいだね」
「ああ……いや、こっちが世話になってるようなもんだ。ラウルスが出してくれる人間製ポーションはエルフ達の興味の的だし、魔導機関も楽しみにされてるし……アイレクスが人間の立場で新作ポーション出してるのは、人間にもエルフにも面白がられてるしな。あと、アイレクスが出してるローズマリーポテトは美味い」
エバニの兄弟であるラウルスとアイレクスは、それぞれに出店している。また、彼らの子供や孫達も、きゃいきゃいと市場ではしゃいでいる様子が見られた。そこへふわり、と漂うローズマリーとジャガイモの香りは、代々受け継がれてきたローズマリーポテトによるものである。なんとも幸せな香りに、エルヴィスは思わず笑顔になった。
「それにしても……少し前までは考えられなかった光景だね、これは」
エバニは辺りを見回して、感嘆のため息と共にそう呟く。
アイザック・ブラッドリーに連れられて、幼い頃からエルフの森に入っていたエバニとしては、今、この光景が感慨深いのだ。
「よくやってくれたよ、エルヴィス。君や、他のエルフ達のおかげでこの国は立て直したようなものだし、今、こうして再び交流を持てるようになった」
「この市場も、中々おもしれえもんだ。お前以外のエルフをこうして沢山見られるようになるとは、思ってなかったが……いいもんだな。よくやった、エルヴィス」
「いやいや。俺は、人間のおかげだと思ってるよ」
エバニとアレックスにそう言い返して、エルヴィスはのんびりと空を見上げる。ブラックストーン城の尖塔のてっぺんが、青い空によく映える、いい天気だ。
「ブラックストーンの奴らが、ずっと、エルフと共に在ってくれたから……それに、ここがムショになった後も、出所してはエルフと関わってくれる奴らが、居てくれたから」
エルヴィスの夢が叶ったのは、様々な人間が居たからだ。そう、エルヴィスは思っている。
彼らは、様々なものを遺し、繋いでくれた。……エルヴィスの両手でも抱えきれないほどのものを、たくさん、たくさん、与えてくれたのだ。
「だとしたらそれはやはり、君の功績だと思うけれどね。父だって、君がいなかったらきっと、ああはなっていなかっただろうから」
「なら、俺がここにずっと居た意味があるってもんかもな」
エバニの言葉を少々嬉しく思いつつ、エルヴィスは思う。
やっぱり俺、終身刑のエルフをやっててよかったなあ、と。
夜になると、ブラックストーンを小さなランプが彩る。
それは、採光よりは飾りとしての意味合いが大きいような、そんな小さなランプであった。だが、それらは刑務所の食堂や、看守達の食堂、そして交流所の天幕などを仄かに優しく照らしている。
そしてその光を見ていると、何故だか、人間もエルフも、落ち着いた。時には静かな悲しみを思い出し、時には温かな喜びを思い出し……そしてじんわりと、幸福を思い出すのだ。
刑務所の人間達は、穏やかな気持ちで食事を摂り、眠りに就く。そして交流所では、光の下で人間とエルフが共に踊るのだ。
……ここに居る者達は、皆、分かっている。自分達が置いていくものであり、自分達が置いていかれるものだということを。
だからこそ、この一瞬を、今を、共に過ごせることを祝った。この出会い、この交流には意味があるのだと、そう歌った。小さなランプの下で、皆がそれを確かめ合って、笑い合う。
……これらの小さなランプには、エルフの涙が1粒ずつ入っている。だがそれは、エルヴィスとリリエだけが知る秘密である。
「俺が死ぬのは何時になるのかなあ」
エルヴィスはまだ、353歳である。エルフの生は、まだまだ長い。
……願わくば、100年後も、200年後も、エルヴィスが生きている間……そしてエルヴィスが死んだ後も、ずっとずっと、人間とエルフが仲良くやっていますように。
人間の魅力に取りつかれて人間の国に居ることにした『終身刑のエルフ』は、只々、それを願ってやまない。