王国歴217年:ガイ・ダイアン
エルヴィスは、元気になった。随分と、元気になった。
人間もそう悪くないんだった、と思い出せたから、エルヴィスは楽しい。
よくよく見てみれば、周りは人間だらけだ。荒くれた者も、話がまるで通じない者も多かったが、それはそれ、である。
むしろ、刑務所は、人間の様々な面を間近に見ることができる場として最高であった。
……そして何より、ガイがいる。
ヒースをプレゼントされてからというものの、エルヴィスはガイの後ろをカルガモのようにくっついて歩き、一緒に作業に従事し、食事を摂るようになった。
不思議なもので、必要以上の会話ができる人間が傍にいるだけで、刑務所暮らしはぐっと楽しくなる。歩いているだけで楽しくなるし、単調でつまらない作業も競い合って行えば面白いものになる。そして味気ない食事も、共に食べる者がいるなら、そう悪くない。
初めこそ、ガイは戸惑っていた。『どうしてこのエルフはこんなに懐いたんだ』と言わんばかりの様子であったが、あまりにエルヴィスが懐っこかったからか、はたまた、ガイ自身も少々寂しかったからなのか、次第にエルヴィスを受け入れ、楽しくやるようになっていった。
さて。
そうしてエルヴィスは無事、ガイから貰ったヒースの花を、庭に根付かせることに成功していた。
ヒースはとても強い植物だ。荒れ地同然のこの庭でも、元気に育ってくれるだろう。また、雑草に近しい花だからこそ、看守達に見つかって刈られてしまう恐れもあまり無い。そういう意味でもヒースは、とても丁度いい花だった。
「なあ、ガイ。この花、どこから持ってきたんだ?」
そうなってくると、エルヴィスは花の出所が気になってくる。もし万一、ここのヒースが全て駄目になってしまうようなことがあったら、その時にまた新しいヒースを連れてこられた方がいい。また、エルヴィスにも出向ける場所に植物が沢山生えているのなら、そこへ行って生命力を分けてもらうという手がある。
エルヴィスが尋ねると、ガイは『知らなかったのか』というような顔をしつつ、答えてくれた。
「奉仕作業で外に出た時に拾ってきた」
「ほーしさぎょう?」
エルヴィスが首を傾げると、ガイは『本当に知らないのか……』というような呆れ顔をしつつ、仕方なし、といった具合に教えてくれた。なんだかんだ、この人間は厳つい割に優しく、面倒見がいいのである。
「奉仕作業ってのは、月に一度くらい、刑務所の外で社会奉仕活動をするやつのことだ。町のゴミ拾いだの、草むしりだの、街路樹の剪定作業だの……」
そして、説明を聞くにつれ、エルヴィスの表情は輝かんばかりになっていく。
「街路樹の、剪定……!」
「な、なんだよ。そんなに喜ぶことか?それ……」
エルヴィスは何度も頷きながら、『これはしめたぞ!』と内心で大いに喜んだ。
街路樹の剪定、ということは、何本もの木に触れる機会があるだろう。となれば、そこから生命力を分けてもらうことができる。ヒースが大きく育つまで、どんぐりの生命力だけで生き延びようとしていたが、もしかすると、そんなことをせずとも生きられるかもしれない。
「なあ、それ、次はいつだ?街路樹か?街路樹の剪定か?」
「は?いや、どうだろうな。今週末にでも、報告があるだろうが……」
「そっか!俺、絶対に奉仕作業、やる!ガイ、お前は!?」
「まあ、俺は何時も応募してるが」
ガイの言葉を聞いて、エルヴィスはまた嬉しくなる。そんなエルヴィスを見て、ガイは『意味が分からん』というような顔をしていたが、それすら気にならないほどにエルヴィスは上機嫌であった。
そうしてエルヴィスは奉仕作業に参加することになった。
尤も、奉仕作業の内容は、樹木の剪定ではなかったが。
「ゴミ拾いかぁ……」
「……樹木の剪定が好きなのか?」
「うん……まあ、木の手入れをしてやるの、嫌いじゃないぜ。あいつら、手入れしてやると喜ぶし……」
エルヴィスの言葉はガイには意味が分からなかったようだが、『まあこいつはエルフだしな』といつものように納得してもらえた。人間はつくづく、考え方が柔軟だ。ありがたい。
「ところでガイはどうして奉仕作業に応募してるんだ?」
「他にやることが無いからな」
「成程なあー」
あっさり、そしてバッサリとした答えに、エルヴィスは頷く。確かに、刑務所の中ではやることが無い。多少、中庭でボールを投げ合って遊ぶ囚人が居る程度だろうか。彼らにしても、ボールを投げ合うのにも飽きていることだろう。他にやることが無いからボールを投げているだけで。
そして、奉仕作業は……刑務所の外に出られる数少ない機会だ。
エルヴィスも数か月ぶりに刑務所の外に出た訳だが、どことなく空気が新鮮に感じられて気分がよかった。刑務所の外に出たからといって自由になるわけでもないのだが、それでも、気分転換にはなる。娯楽が何もない刑務所暮らしなら、尚更だ。
「それに、模範囚で居れば、ムショをさっさと出られるかもしれないからな」
そして更に、ガイはそう、言った。
「そろそろ今の国王もくたばるだろうが、それで次の国王が出てくりゃ、恩赦がある。それに引っかかれば刑期を終える前に出られるかもしれねえ」
ガイの言葉を聞いて、エルヴィスは時が止まったような気がした。
「……そっか」
どこか遠かった実感が、今、すとん、と落ちてきた。
「人間って、ここを出てっちまうんだなあ」
やはり人間とエルフの関係は、こうであるらしい。置いていくものと、置いていかれるもの。刑務所の中でも、そういう風にできているのだ。
エルヴィスがしゅんとしていると、ガイもエルヴィスの考えに思い至ったらしい。少々気まずげな顔をして、首の後ろを掻く。
「……悪いが俺は終身刑じゃないからな」
「うん……そうだよなあ」
エルヴィスはガイを見上げて、『ああ、気にさせちまってるなあ』と申し訳なく思う。今まで付き合ってきた人間達もエルヴィスが『置いていかれる』ことを、よく気にしてくれていた。エルヴィスはそれがありがたく、また、申し訳なくもあった。
「でも、死に別れるよりは気が楽でいいなあ」
だからエルヴィスは、前向きに考えることにする。前向きに、明るく、元気に。目の前の優しい人間を心配させないように。
「仲良くなった奴らが外に出て、そこで楽しく生きててくれるっていうんなら……うん、悪くない」
考え直してみれば、確かにそう悪くない条件だろう。
今までエルヴィスは何人もの人間と死に別れてきたが、刑務所ではおそらく、それがほぼ無い。
人間の刑期は長くても数十年だ。エルヴィスはその時もきっと終身刑のままだろうし、この刑務所に居続ける。だから、人間を見送ることはあっても、そこまで悲しむ必要は無い。
刑務所を出ることは、人間にとっては良いことなのだから。だから、エルヴィスは人間との別れを悲しむのではなく、喜んでやることができる。『行ってこい』と言ってやることができるのだ。そして人間もまた、笑ってここを出ていってくれるはず。
「……もしかしたら刑務所って、エルフにとって最高の場所かもしれねえ」
エルヴィスはそう思い至って、表情を緩ませる。
やっぱりここは、ブラックストーン城だ。エルフが人間と上手くやっていくためにあるような、そんな場所なのだ。
「は?刑務所が?本気か?……それともエルフってのは全員お前みたいに頭がおかしいのか?」
「まあ、うーん……うん。多分。多分そう。エルフなら大体全員、俺に賛同してくれると思う」
只々妙なものを見る目で見てくるガイに笑い返しながら、エルヴィスは元気に、ゴミ拾いを始めることにした。
……その裏で、ちら、とだけ、『でもやっぱり寂しいかもなあ』とは、思ったが。
それからも、エルヴィスはガイの後ろをついて歩き、奉仕作業には毎回一緒に参加して、そして他の囚人達ともそれなりに上手くやりつつ、楽しく暮らしていた。
エルヴィスは、奉仕作業の中では樹木の剪定が一番好きだったが、次に好きなのはゴミ拾いだった。ゴミを拾うついでに植物に触れて生命力を分けてもらうのが容易なのである。それに加えて、『ゴミ』をこっそり持ち帰ることもできて、非常に便利なのである。
ゴミ拾いのついでにこっそりと持ち帰った煙草の吸殻から火のエレメントを抽出したり、河原の石から水のエレメントを抽出したりして、こっそり魔法を使うのに役立てていた。
そうして何の魔法を使っていたかと言えば、概ね、鳥を呼ぶのに使っていた。
鳥がふわふわむくむくと沢山やってくればそれだけでなんとなく楽しいし、彼らが植物の種を持ってきてくれることもある。そして何より、エルフの里に手紙を出すなら、鳥に頼むのが一番手っ取り早い。
洗濯物を干すための屋上に出て、そこで鳥を呼ぶ。晴れ渡って青い空に白い鳥が何羽も飛んできて、屋上には鳥の形に影が落ちる。この光景を見るのが、エルヴィスは中々気に入っている。
エルヴィスが囚人を楽しくやっていることは、手紙を通してエルフの里に伝えることにしていた。返信はあまり無かったが、時折鳥が持ってくる返信には、『やっぱりあんた変なんじゃないの?まあ、楽しそうで何よりだけど。100年ぐらいしたら帰ってきたら?』というような内容があった。
エルヴィスはそれに『まあ、この国が終わるまではここに居るよ』と返事を出して、また、鳥と戯れる。
いつだったか、ブラックストーン城だったここで、同じように鳥と戯れたこともあった。あの時一緒に居たのは、グレンだったか、レヴィだったか。
「懐かしいなあ」
こうして鳥に囲まれながら、エルヴィスはブラックストーン城の思い出に浸り、ブラックストーン刑務所の日々を過ごすのだった。
それからまた、1年ほど。
エルヴィスもすっかり刑務所暮らしに慣れて、模範囚らしい日々を過ごしていた。
そしてちょうどこの頃、大きな出来事があったのである。
「エルヴィス!エルヴィス!」
「お、どうしたんだ、ガイ」
どたどたと大きな体躯で駆けてきたガイを見て首を傾げつつ、エルヴィスは大凡の所を察していた。鳥や風が噂するのを、既に聞いていたからだ。
「国王が死んだ!それで、王子が即位するらしい!……だから、恩赦があるって話だ!」
ガイが話すのを聞いて、エルヴィスは『いよいよかあ』と、思った。
その日の内に、エルヴィスはそこらの看守の集団を捕まえた。この看守達は、エルヴィスが多少仲良くなった看守達である。美味い薬草酒の作り方を教えてやったところ、それを大変気に入ったらしく、それ以来、エルヴィスの持っているレシピを聞き出そうと頑張っている可愛い看守達だ。
「ガイを外に出してやってくれよ。あいつ、外に出たがってる」
そんな看守達にそう声をかけると、看守達は『何で知ってるんだ』というような顔をして黙りこくった。一応、まだ所外秘、ということなのだろう。
「あのクソ王が死んだから恩赦があるんだろ?俺は知ってるんだぜ」
だがエルヴィスは退かない。更に詰め寄る。すると、看守も観念したらしい。
「いや、新王陛下が即位なされたから恩赦があるのであって、間違っても前王様がお亡くなりになったから恩赦があるわけではないが……」
エルヴィスは『そうなの?』と他の看守に疑いの目を向けてみるが、他の看守も『そうだよ』というように頷くばかりである。……その割に、人間達も『まあ、あの王だったからな……』というような顔をしているので、まあ、あながちエルヴィスの言うことも間違ってはいないはずである。
「まあ、どっちでもいいんだけれどな。でも、恩赦があるってことは、ガイも外に出られるかもしれないってことだろ?」
王の死を喜ぶか否かはさて置き、エルヴィスは看守達にそう尋ねてみる。
……ガイは、刑務所を出たがっている。彼が出ていってしまうと、エルヴィスは寂しい。だが、それでも、人間が望まない場所に縛り付けられて、短い生を望まない形で消費していってしまうのはあまりに哀れだとは、思うのだ。
だからエルヴィスは、ガイを外に出してやりたい。自由に、どこかへ羽ばたいていってほしい、と思う。
「いや……うーん、何と言ったらいいかな」
……だが、看守達の返事は、あまり色良くない。
「もう、恩赦で釈放になる囚人は決まっているからな。ガイ・ダイアンはまだだ」
「そんなあ」
あんまりだ、とエルヴィスは嘆く。看守達も困った顔はしているが、恩赦で釈放してよい人数には限りがあるのだろう。そのくらいの都合はエルヴィスにも分かる。
……ならば、その人数の限りの方を、どうにかしてやるだけだ。
「……じゃあ、俺の魔法、封じていいからさ。それでどうだ?」
「な、何?」
「他のエルフに聞いてくれよ。俺から手紙を出してもいいけどさ。そうしたら、魔封じの腕輪が手に入るはずだから。それが掛かってたら、俺は魔法を使えない。そうなればエルフをブラックストーンで確保した功績を主張して、もう1人分、恩赦の枠、増やせるんじゃないか?」
看守達は戸惑いながらも、『そんな無茶な』という顔をしている。だが、エルヴィスはどうにも諦めが悪い。
「なあ、頼むよ。ガイを外に出してやってくれよ」
……そうして終いには、エルヴィスがあまりにも頼んでくるからか、それとも、『エルフを半永久的にブラックストーンに繋いでおける保証』に惹かれるものがあったのか……看守達は顔を見合わせて、何かを考え始めてくれた。
そうして、ガイ・ダイアンは釈放となった。喜ぶガイを見送って、エルヴィスは『人間もエルフも、生きるべき場所で生きるべきだもんな』と思う。
……寂しくはある。だが、人間とエルフは、元々こういう関係だ、とも思っている。
笑って別れられるのだから、幸せだよなあ、とも。
「エルヴィス・フローレイ。来い」
「うん。今行きますよ」
ガイを見送った後で、エルヴィスは看守達に連れられていく。エルフ製の、魔封じの枷が手に入ったのだろう。
まあ、エルヴィスはここから出る気が無い。魔法が使えなくても、多少の不便だけで済むだろう。人間らしく、魔法抜きで暮らしてみるのも悪くはない。
「あっ」
「な、なんだ?何かあったのか?」
「い、いや、なんでもないですよ、なんでもない。うん」
……尤も、エルヴィスの覚悟の割に、用意されていた魔封じの枷は、1年ほどで効果が切れる種類のものだったのだが。
エルヴィスは神妙な顔をして枷を左手首に掛けられつつ、『まあ、バレなければいいか!』と気にしないことにした。
エルヴィスはそれからも、楽しく、時に寂しく、刑務所の中で暮らしていた。
人間達とも交流した。……だが、あまり、深い付き合いにならないように。別れる時、あまり寂しくならないように。だって、刑務所の中の人間は、あまりに早く出所していくので。
……だが、そうばかりも、居られなかった。
30年後。王国歴247年。
「ま、そういうことなら、ようこそ、新入り。俺はエルヴィス・フローレイ。よろしく」
エルヴィスが差し出した手を握り返して、その人間は、言った。
「グレン・トレヴァーだ」
「グレン?」
懐かしい名前を聞いて、エルヴィスはつい、再び人間に興味を持ってしまったのである。
次回更新日は7月21日(金)を予定しています。