王国歴216年:ガイ・ダイアン
こうしてエルヴィスは、晴れてブラックストーン刑務所の囚人となった。
初めこそ、すったもんだ、色々とあった。『侵入してきた奴をそのまま囚人にするのはどうなのだ』と国王からは抗議があった他、エルヴィスが元々居た刑務所でも『元々はうちの囚人だ。こちらで引き取る』と声が上がった。
だが、それでもエルヴィスがブラックストーンの囚人で居られたのは……ひとえに、エルヴィスがいい子だったからである。
脱獄を繰り返していたエルヴィスも、流石に学んだ。『模範囚はそうはいじめられない』と。
模範囚が他の囚人からのやっかみを買ってしまうことはままあるようだったが、それでも、真面目にやっている者はそれなりの立場を手に入れているように見えた。特に、看守からの信頼を得てしまえば、案外、刑務所というものは融通が利く場所なのである。
何と言っても、看守もまた、人間なのだ。話してみれば案外、分かり合える部分も、譲歩し合える部分もあるのだ。
……ということで、エルヴィスは非常に模範的な囚人として、ブラックストーン刑務所で過ごしていたのだ。
ブラックストーンの看守らは、初めこそエルヴィスを大いに警戒した。『あちこちで脱獄を繰り返している極悪犯罪エルフ』という噂はブラックストーンにも伝わっていたのである。
だが、エルヴィスの処遇が決まるまでは、というつもりで収監してみれば、エルヴィスは非常に『いい子』だったのだ。
作業には率先して従事し、囚人同士の小競り合いが起こりそうなら間に入って仲裁し、そして、看守が資材の下敷きになって大怪我をした時にはすぐさまポーションを煮込んで、看守を助けた。
看守達が噂に聞いていたような、『魔法を使って刑務所を破壊し始める』だの、『するりと脱獄する』だの、『作業には全く参加せず、ずっと牢屋の隅でむくれているがエルフなのでどうしようもない』というようなことは一切無かったので、看守達は次第に、エルヴィスをブラックストーンに置いておきたがるようになっていった。
……ポーションの件は国王の不興を買いそうだということで所外秘とされたが、それ以外の事実については、国王や他の刑務所へ報告された。
そしてブラックストーンの所長は、こう、国王へ嘆願したのである。
『エルヴィス・フローレイは、どうやらブラックストーン刑務所に居られるなら大人しくしているようである。かのエルフを大人しくさせておき、脱獄の前例をこれ以上増やさないためにも、どうか、このままかのエルフをブラックストーンへ置いておくことの許可をいただきたい』と。
……人が変わったように模範囚になってしまった、というエルヴィスを、国王は大いに警戒していた。
だが、視察に来てみて、本当にエルヴィスが大人しく、しおらしく、作業に従事したり看守を手伝ったりしているのを見て、『これは本当にあのエルフか?』と驚き……そして、悟ったらしい。
『やはりこのエルフは、ここに置いておかなければならないのだろう』と。
……ということで、無事、エルヴィスはブラックストーン刑務所に置いておかれることになった。
エルヴィスは『リリエの言った通りだった!』と喜びながら、今日も元気に囚人として生活する。
……久しぶりに訪れたブラックストーン城は、かつての様子からは大分変わってしまったが、まだ、面影は十分すぎるほどに残っている。
石材の色合いは色褪せずそのままであったし、高い天井に音が響く様子も、あの時と同じだ。柱についている傷は確か、幼い日のヴィクターとアイクがはしゃいだ結果付いたものだったし、その隣の傷は、小さなポーレッタがよじよじと柱によじ登った時に付いたものだ。
それに、朽ちて古びたとはいえ、それもまた、悪くないものだ。古びた城壁には蔓草が元気に這っているし、石畳の隙間で小さな花をつけているものもある。
人間がすぐ死んで代替わりしていってしまうのと同じように、人間の国もまた、すぐ変化していってしまう。
だが、変化の全てを憎む必要は無い。これはこれで、悪くない。
悲しいことも悔しいことも多いが、それでも、悪いことばかりではないのだ。
「……ただいま」
改めてそう呟いて、エルヴィスは虚空を見つめて微笑む。
この城には思い出が詰まっている。
そしてこれからもきっと、思い出が詰まっていくことだろう。
エルヴィスがブラックストーン刑務所で過ごすようになって、一か月。
エルヴィスはすっかり刑務所での暮らしに慣れたし、看守達も終身刑のエルフ、という奇妙な生き物に慣れてきた。
当初は、エルヴィスに対して看守達は戦々恐々としていた。いつ魔法を使って暴れだすか分からないエルヴィスは、刑務所一番の要注意人物であったのだ。
だが、エルヴィスが模範囚として黙々と活動しているのを見て、次第に看守達の態度は柔らかくなっていき、今や、エルヴィスは然程警戒されなくなっていた。
囚人達についても、そうだ。
囚人達はエルヴィスのことを知らない者が大半だったが、それでも『自分から刑務所に入ってきて、自分から捕まった頭のおかしいヤバい奴』としてエルヴィスの名は知れ渡っていたのである。
……が、こちらもまた、エルヴィスが大人しくしているのを見ている内に、慣れたらしい。
エルフというものを初めて見た人間ばかりだったが、『エルフとはこういう生き物か』と納得してくれたようで、必要以上にエルヴィスを警戒することはなくなった。
仲良くする、という風ではない。それはそうだ。ここは刑務所なのだから。人間と楽しくやる場所では、ない。
それは分かった上でここに居るので、エルヴィスは特に、そこは不満に思わない。
……だが。
「これだけは不満だなあ」
エルヴィスは、中庭を見てため息を吐いた。
……かつて、ブラックストーン城にあった中庭の華やかさは、今はもう、どこにも無い。
中庭には植物がほとんど無い。刑務所というものは基本的にそうであるらしい。植物を生やしておく余裕が無いのだろう。
かつて、ブラックストーン城にはそれはそれは素晴らしい花壇があった。王城でそうであるように、人間が手を入れて美しく作り上げたような庭ではなく、植物が伸びたいように伸びさせてやり、それを時々整えてやる程度にした、少々風変りな花壇であった。
……何故そのような風変りな花壇になってしまったかといえば、エルヴィスがそういうふうに植物を頑張らせてしまったからである。エルフの里から出てきてすぐのエルヴィスは、人間がどのように庭を整えるかをよく知らないまま、エルフの森でそうあるような庭を作り上げてしまったのだ。
だが、グレン他、ブラックストーンの人間達には『これはこれで風変りで野趣があってよろしい』と好評であったし、ブラックストーンの風変りな『エルフの庭』は、城を訪れた客からも称賛されていた。
まあ、ともかく、今はその面影は無い。
刑務所の庭としてはふさわしくない、とされたのか、花壇は全て消え失せてしまっていた。そこにかつてあった植物を思って、エルヴィスは少々、憂鬱な気分になる。
「何も、根こそぎ消しちまうこと、無いのになあ」
心無い人間達の手で消えてしまった植物を哀れに思いながら、『どうか土と一緒にどこかに捨てられて、そこで上手く根付いていてくれますように』と祈る。
「これじゃあ、俺も困るっていうのに……」
……そして植物が哀れであるというだけでなく、庭に植物が無いことは、エルヴィスにとっても死活問題なのである。
何故ならば、エルフとは、植物から生命力を分けてもらって生きるものだからだ。
「まあ、何もないよりは、マシかあ」
だが、希望はある。
エルヴィスはそっと、『それ』に触れ、『それ』を見上げる。
……それは、大きな大きな、クヌギの木である。
かつて、グレンが植えてくれた木が、大きくなって、エルヴィスを待っていてくれたのだ。
グレンは、エルヴィスが生命力をもらうため、何らかの植物を必要としている、と知ってすぐ、木を植えてくれた。
樹木であるならば、人間よりも長生きして、エルヴィスの傍にあってくれるだろう、と考えてくれたのだ。そしてその時に『植えるなら人間が楽しいように実が生る木かなあ』などと話していた訳だが……結局、グレンが植えたのは、クヌギであった。
つまり、どんぐりである。どんぐりが実る木である。人間が楽しいかといえば……まあ、楽しんでたか、とエルヴィスは思い出す。
庭のクヌギの大きなどんぐりは、ブラックストーンの子供達が拾い集めて遊ぶのによく使われていた。
ヴィクターとアイクはどんぐりを投げ合って遊んだり、器用にどんぐりの独楽を作って回したりしていた。また、かつて、ポーレッタが集めた『特につやつやで可愛いどんぐり』は、生涯ラフェールの執務室の引き出しに大切にしまわれており、ラフェールが死んだ時、一緒に棺に入れられたものである。
「まさかどんぐりに助けられる日が来るとは!」
そして今、エルヴィスを救うのも、このどんぐりなのであった。
エルヴィスは、クヌギの木自体からも少々生命力を分けてもらうことにしたが、あまりにも1本の木からばかり生命力を貰っていると、クヌギがかわいそうである。
そこで、クヌギが落としたどんぐりを集めておくことで、それから生命力を分けてもらうことにした。
幸い、クヌギの木が植えられている場所は庭の隅で、あまり人が立ち入らないようであった。昨年に実って落ちてからずっとそこにあったのであろうどんぐりが落ちていたため、エルヴィスはそれらを拾い集めて、牢屋に持ち帰ることに成功したのである。
……実は、このエルヴィスの行動に、看守達は気づいていないわけではなかった。
だが、『エルフってどんぐりを集める生き物なのか……』『リスみてえなもんか……』と勝手に納得し、『まあ、エルヴィス・フローレイは模範囚だから』と黙認していたのである。エルヴィスがそれに気づいたのは、随分後になってからだったが。
そうしてエルヴィスは、どんぐりで食い繋いでいる間にも、なんとか、庭に雑草を生やそうと頑張っていた。
鳥達に頼んで雑草の種を蒔いてもらえば、それなりに雑草の芽吹きが期待できた。雑草が繁茂していけば、それらから生命力を分けてもらって日々を暮らすことができるだろう。……真冬にはやはりどんぐりのお世話になるとしても。
その日もエルヴィスは、庭に居た。庭で、少しずつ生えてきた柔い雑草の芽を、大事に撫でてやりながら『頑張って育ってくれよ』と声をかけていたのだ。
……すると。
「おい、エルフ」
唐突に、声を掛けられる。エルヴィスは少々驚きつつ振り返り……そこにあった少々不思議な光景に、首を傾げることになった。
「ん?」
……そこには、囚人が1人居た。
囚人は大柄で、厳つい。そして……。
「……ほらよ」
差し出してくるその手には、素朴な花が、握られていた。
……ぽよ、と揺れる花は可憐だが、それを差し出す男は、やはり厳つい。
ガタイのいい大男の指につままれた花の茎は、随分とか細く見えて、どうにも不釣り合いであった。
ぽかん、とするエルヴィスに、その囚人は顔をしかめつつ、言い訳のように続ける。
「エルフってのは、花が無きゃ生きていけねえんだろ?」
「……へ?」
「ほら」
そして尚も差し出される花を受け取って、エルヴィスはまじまじと、その花を見つめる。
……その花は、ヒースだった。荒れ地にも咲く、強く美しく、素朴な花だ。
「あ、うん、ありがとう……うん、ええと」
エルヴィスが受け取った途端、花が喜ぶのが分かった。『エルフだ!』と元気になる花を見て、エルヴィスは『すぐ挿し芽にして、土に植えてやるからな』と微笑みかける。
……が、今は、それどころではない。エルヴィスの目の前には、エルヴィスをじっと見降ろしている大男が居る。
「……要らねえんだったか?」
「いや、別に、花じゃなくても、木とかでもいいんだ。ただ、ちょっと……周りに植物があった方が元気、ってだけで……」
エルヴィスは困惑しながら、大男を見上げた。
……久しぶりに、こういう風に人間と話す。こんなかんじだったっけな、とエルヴィスは困惑しながら、遠くへ行ってしまった記憶を手繰り寄せて手繰り寄せて、人間と会話する時の調子を取り戻そうとする。
「えーと……」
さて、人間と話す時は、どうするのだったか。
それから……人間と、仲良くなりたい、と思う時には、どうするのだったか。
「俺、エルヴィス。エルヴィス・フローレイ。終身刑のエルフだ」
エルヴィスは思い出しながら、少々たどたどしく、そう挨拶して、花を握っていない方の手を差し出す。
「花、ありがとう。早速庭に植えてみる。……で、あんたの名前は?」
人間は、戸惑っているように見えた。だが、やがて、エルヴィスが差し出した手を、おずおず、と握る。
「……ガイ・ダイアン」
「ガイか!分かった!よろしくな!」
エルヴィスは思わず笑顔になって、握られた手を、ふりふり、とやる。……やってから、目の前の大男、ガイの困惑ぶりを見て、心配になった。
「ええと……よろしく、してくれると、嬉しいんだけど」
どうかな、大丈夫かな、そもそもこういうのでよかったんだっけ、とエルヴィスはただ不安になりながら、ガイの返事を待って……そして。
「……ああ、まあ。こちら、こそ……?」
戸惑いながらもガイがそう言ってくれたのを聞いて、ますます、エルヴィスは顔を輝かせた。
やっぱり、人間って、いい!