王国歴216年:ブラックストーン刑務所
「……で、あんた、脱獄してきたってわけ?」
「ああ、うん。で、そのついでに里帰りしに来た」
エルヴィスの前で、リリエが何とも言えない顔をしている。それを眺めつつ、エルヴィスは『まあ、色々あったもんなあ』と、ここ10年余りを振り返るのだった。
まず、エルヴィスはクローバレー刑務所に収監された。
エルヴィスとしては、非常に不本意であった。エルヴィスはブラックストーンに居たかっただけなのに、クローバレー刑務所に入れられてしまったのだから。
これについて、エルヴィスは大いに抗議した。だが、『それはできない』の一点張りで、国王も周りの兵士達も、まるで取りつく島が無かった。
仕方なく、エルヴィスはクローバレー刑務所へと送り込まれた、のだが……。
刑務所の中は、刑務所というだけあって、暗澹としていた。
感情が擦り切れたような人間が淡々と作業に従事していたり、元気の良すぎる囚人同士で喧嘩があったり。少なくとも、穏やかな場所ではなかった。到底、彼らと上手くやっていく余地など無かった。
交流とは、互いに余裕のある者同士でしか成り立たないものなのだろう。周囲の人間達の様子を見て、エルヴィスは『とんでもねえところに来ちゃったなあ』と心配になったものだ。
……エルヴィスの知る人間というものは、もっと好奇心と希望に満ちていて、活力に溢れていて、そして、楽しいことや理想を追いかけていけるような人間達だったのだ。だが、クローバレー刑務所の人間達は、そうではない。
クローバレーでは、疲れ切った顔をした囚人が1人、作業中に座り込んでは看守に怒鳴られている。
……本当に、とんでもない所に来てしまったのかもしれない、とエルヴィスは心配になった。
同時に、ブラックストーンもこうなってしまうのか、と、酷く不安になった。
あの素晴らしい場所を、こんな風にはしたくない。そしてそもそも、エルヴィスはやはり、クローバレー刑務所ではなく、ブラックストーン城へ帰らなくては。
……ということで、エルヴィスは入所から1年で、クローバレー刑務所を脱獄した。
エルヴィスが脱獄した理由は、至極簡単。『ブラックストーン刑務所に入るため』である。
刑務所に入るために刑務所を脱獄するのだから、奇妙この上無い行動である。少なくとも、人間達には『まるで意味が分からん』というような反応をされたし、エルヴィス自身も、『結構変なことしてるなあ』と思う。
……まあ、そんなエルヴィスは、脱獄してすぐ、再び捕まった。そしてその時、『クローバレーじゃなくて、ブラックストーンに入所したい!』と強硬に主張したのだが……2年に渡る審議の後、エルヴィスが入れられたのは、グラスシップ刑務所であった。
……なので、その1年後、エルヴィスはまた、脱獄した。
エルフ2回目の脱獄に、国王はさぞ胃を痛めたことだろう。その頃には国には『国王がエルフの不興を買ったらしい』『だから最近、ポーションが流れてこないのだ』と、概ね正しい事実が噂として囁かれるようになっており、それがますます、国王を悩ませた。
何せ、エルフのポーションは、人間達が強く求めるものの1つである。たちどころに傷や病を治すことのできる魔法の薬は、貴族や大商人らに愛好されており、彼らの命を健康に長らえさせることを大いに助けていたのだ。
……さて。そんな中で、エルヴィスは3回目の逮捕となった。『そろそろ脱獄するのはやめてくれないか』と頼まれたが、『ブラックストーンに入れてくれたら考えてやる!』と返答した。
そして……エルヴィスは、今度こそブラックストーンに入れるだろう、とウキウキしながら留置されていたのだが……結局、次なる刑務所は、またブラックストーンではない刑務所だったのである。
……そこでエルヴィスは、『模範囚は望みを叶えてもらえることがある』と聞いて、数年、大人しくしていた。
が、エルヴィスをブラックストーンに移す話は一向に出てこなかったので……ついでに、国王から直々に『エルフをそこから絶対に出さないように!』と命が下っていることを監守がこっそり教えてくれたため、またしても、エルヴィスは脱獄してきたのである。
「人間の国では脱獄するのが普通なの?」
「いやー、俺が知る限りでは、3つの刑務所それぞれで脱獄した奴、俺以外に居なかったからなあ、分からねえ」
訝し気なリリエに説明して聞かせつつ、エルヴィスは『もっと人間達も脱獄したらいいのになあ』と思う。
それぞれの刑務所には、どうやら無実の罪で投獄されていたらしい者も居た。彼らについては本当に、ただ脱獄して、外で暮らせばよいのに、と思う。
……だが、人間とは集団の中で生きていくものだ。一度集団から排斥されてしまった囚人達は、脱獄などしたら、余計に集団の中に帰っていけなくなってしまうのだろう。集団の中に居られないと、人間は生きていけないのだということもまた、エルヴィスは知っているのだ。
こんなことは、エルヴィスがエルフであって人間ではないからできることなのだろう。それは少々寂しい気もするが、まあ、ブラックストーンに居られないまま国が終わるまで待っているよりはマシなのである。
「ところで、最近の里はどうだ?」
「どうとも。特に変わりなく、よ。人間の国との交易も止めちゃったし、変化が無いわ。ちょっとつまらないけどね、まあ、平和が一番、なのかも」
リリエから近況を聞いて、エルヴィスは『まあ、だろうなあ』と頷く。
最近、人間の国でもエルフを見なくなった、と聞く。どちらの事情も知っているエルヴィスには、分かり切った『近況』であった。
「まあ、そういう訳で、里の皆が匿ってくれると思うわ。1年2年でも、ゆっくりしていったら?」
「うーん……そうするかなあ。どうも、人間達は俺をブラックストーンに入れたくないらしいし……」
……ひとまず、エルヴィスは数年、エルフの里でのんびりしようかな、と思う。そしてまた元気が出たら、逮捕されに人間の国に戻るのだ。それも悪くないだろう。人間達にも休息は必要なのだから。
ということでそれから数か月、木の上ですやすやと眠り、月明かりの下でのんびり笛を吹き、朝陽と共に弓の腕を磨き、炒った木の実の香ばしさを楽しみ……エルヴィスは実にのんびりと過ごした。
だが、のんびりと過ごせば過ごすほど、どうにも、人間の国が恋しくなってくる。
密度が段違いの日々。常に変わっていく世界。そして、愛すべき人間達。それらの無いエルフの里が、やはり、退屈になってくるのだ。
そして、エルヴィスは18の時のように、うずうずしてくる。
……外へ。人間の国へ。その衝動は、かつてのエルヴィスにあったものだ。
だが、その動機はきっと異なる。エルヴィスはこれから、未知を知りに行くのではなく、既知を慈しみに行くのだ。
だが……そうしたいと願う思いの強さは、きっと、18の頃と変わりがない。むしろ、強くなっているかもしれない。
そうしてエルヴィスは、決意した。
「やっぱり俺、ブラックストーンに帰る」
リリエにそう報告すると、リリエは『まだ半年も経ってないのに』と呆れ顔をしつつも、頷いてくれた。
「あんたのことだからこうなるだろうって思ってたわ。思ってたより随分早かったけれど」
「そうだな。俺もちょっと驚いてる」
エルヴィスは苦笑しつつ、でも、この衝動はどうしようもないもんなあ、と納得する。自分はエルフとしても人間としても変わり者だ。
だが、これでいい。これでいいのだ。エルヴィスは望んで、この自らになったのだ。
エルフでありながら人間を愛し、人間と共に在ろうと望む、変わり者のエルフ。それが、エルヴィス・フローレイなのだ。
「じゃあ、今度こそ侵入するのね?」
「へ?」
……が、リリエの言葉を聞いて、エルヴィスは首を傾げる。侵入、とは一体何のことか、と。
「え?え、あんたまさか、また今度ものほほんと逮捕されるつもりなの?」
「え、うん……え?他に何があるって?」
エルヴィスがますます混乱していると……リリエはほとほと呆れ果てたように、言った。
「脱獄できるくらい緩い刑務所なら、侵入だってできるでしょ?入れてもらうの待ってないで、自分で入っちゃいなさいよ!」
「その手があった!」
「逆に、なんで思いつかないの……?それでもう3回失敗してるんじゃないの……?」
「いや、なんか、刑務所に侵入するって発想にならなくて!」
「終身刑になる発想も、脱獄する発想も出てくるのに?やっぱりあんた変なんじゃないの……?」
呆れを通り越して心配し始めたリリエを横目に、エルヴィスは希望に満ちた目を煌めかせる。
これでようやく、ブラックストーンに帰れる。
……そして、それから数日後。
「点呼!101番!102番!103番……」
エルヴィスは石造りのホールで、人間の囚人達と並んでわくわくしていた。
一方、並んでいる囚人達は、ちらちらと不審気にエルヴィスを見ている。厄介ごとは御免だと思っているのか、誰も何も言わないが。
「……200番!よし、これで……ん?」
そしていよいよ、囚人の数を数えていた看守も気づいた。
「……1人、多い……?」
看守は、人数の誤りに気付き、それからようやく、エルヴィスのきらきらと輝かんばかりの表情にも気づいた。そして、『なんだこいつは』と慄く。それはそうである。わざわざ侵入して囚人と共に並び、そしてわくわくそわそわと笑顔でいる奴など、魔物か妖怪か、その類に思えても仕方ない。
「うん。俺、まだ点呼されてないからな」
エルヴィスはにこにこと看守に話しかける。看守は『ひっ』と小さく声を上げて竦み上がった。本当に魔物か妖怪だと思われているのかもしれない。
「な、何者だ?」
「お前は一体……?」
ぞろぞろと他の看守達もやってきたところで、エルヴィスは堂々と、名乗りを上げる。
「俺はエルヴィス・フローレイ!終身刑のエルフだ!」
……こうして、エルヴィスの声が、久しぶりにブラックストーン城に響いたのだった。