王国歴201年
エルヴィスが投獄されて、数か月。
冬が来て、年が明けた。その間、エルヴィスはただずっと、王城の牢に入れられたまま、放っておかれている。
……国王も側近達も、エルフであるエルヴィスをどう扱ったものか、決めあぐねているらしかった。
大方、エルヴィスの身柄を盾に、エルフ達に理不尽な要求でも突き付けようとしているのだろう。ああいう手合いは、自分から約束を反故にした割に、何かの約束を取り付けようとする。全くもって、碌でもない。
さて、そしてエルヴィスはというと……流石に、数か月も留置されていれば、頭が冷えた。
特に、この牢は石造りで、冷える。真冬の、それも夜ともなれば、どう足掻いても諸々冷えるというものである。
……それと同時に、激情に駆られた心は疲れて動きが鈍くなって、エルヴィスを只々、漠然とした絶望ばかりが覆っていく。
何故、こんなことになったのだろう。
大方、今の国王が思い上がった行動に走ったのだろう、と思われた。エルヴィスのブラックストーン永住が『グレンとエルヴィスの約束』であると同時に、『人間とエルフとの約束』だということにも思い当たらない愚かな王が、そんな約束は反故にしてしまえ、と行動した結果があれであったと思われる。
少なくとも、エルヴィスが中で生活していた様子は、残っていたはずだ。ここ直近3年の間は城を空けていたが、洗濯して乾かして綺麗に畳んで箪笥にしまっておいた衣類も、保存食として備蓄しておいた瓶詰や干し肉や押し麦の類も、全て、残っていたはずなのだから。
そして何より、この城には結界が張ってあった。盗人の類が立ち入らないように、と、強固に編んだ野薔薇の結界を用意していったのだが……どうやら、それをも貫き通すほどの勢い、あるいは回数の侵入を試みて、結界を破ってしまったらしい。
結界は自然に破れるようなものではなかった。そこに結界があると分かった上で試行錯誤して、無理矢理破るようなものだった。大きな事故にはならないように、と遠慮した威力の結界にしていたが……それも間違いだったという訳だ。
あの城は、エルヴィスが守ってやらなければいけなかったのに。
ずっと、エルヴィスがいるはずだった場所であって、人間とエルフが上手くやっていくための、足がかりになる場所だったはずなのに。
……エルヴィスは人間の国で暮らす内に、夢見ていたのだ。
エルフが人間と関わることは時に酷く辛く悲しいが……それと同時に、楽しく、新鮮で、喜ばしいものでもあった。だから、人間とエルフが、もっと交流できたらいいと、そう、思ったのだ。
そう、夢見ていた。
……いつか、エルフが人間と上手くやっていける日が来るように。夢見ていたのだ。
だが、今やエルヴィスの望みは潰えた。他ならぬ人間の手によって、破壊し尽くされてしまった。
人間とエルフの交流どころか、ブラックストーン城すら失ってしまった。未だ、エルヴィスはグレンにもらった永住許可証を持っているというのに。
グレンと、約束したのに。
「……よし」
だから、エルヴィスは、決意した。
それは仄暗くどろりとした復讐心であると同時に、もっと純粋で真っ直ぐな、ある種の希望でもあった。
「そうだよな。俺はグレンと約束したんだ」
自棄のようでもあったが、零した言葉は、エルヴィスの胸に小さな火を灯す。
そうだ。約束したのだ。ずっとブラックストーン城とブラックストーンの地を見守り続けると。エルヴィスはグレンと、約束したのだ。
約束をたったの20年程度で反故にする国王が居たとしても、エルヴィスとグレンの約束が消えたわけではない。
エルヴィス・フローレイはエルフだ。1000年を生きるエルフだ。
エルフは、受けた恩も、与えた愛も、過ぎ去った日々も、全部全部、忘れない。
朽ち、壊れ、捨てられてしまっても。人間が忘れてしまったとしても。……それでも、エルフは忘れないのだ。
だからエルヴィスは決めた。
『なんとしても、あの城に居座り続ける』と。
己の人生を全て費やす覚悟で、そう、決めたのだ。
……決めてしまったら、幾分、すっきりした気持ちになった。ずっと空を覆っていた雲が、一筋切れ目を見せたような、そんな気分だ。
「……エルフって、こういうもんなのかもなあ」
どこか諦めにも似た気分で、エルヴィスは1人、笑う。
鉄格子の嵌った窓から差し込む月の光と染み入ってくる寒さとが、何となく心地よい夜だった。
「となったら……あー、リリエ宛でいいかあ」
エルヴィスは幾分落ち着いた微笑みを浮かべて、手紙を書く。
手紙を書く紙は、ここへ運ばれてくる食事のパンを包んでいた紙を使う。インクは無かったが、やはり食事として運ばれてきた水と、牢の隅に溜まっていた細かな埃とを混ぜ合わせてエレメントを調整してやって、インクの代用とする。ペンは、時折窓辺にやってきては鉄格子越しにむぎゅむぎゅと潜り込んで来ようとする渡り鳥達が置いていった羽を使わせてもらうことにした。
さて、なんとかあり合わせで筆記具が出来上がったので、エルヴィスは早速、文章をしたためていった。
『国王に矢を向けたので捕まりました。今の人間の国は碌でもない所なので、向こう50年は交流しない方がいいと思います。ポーションを流通させる時は、くれぐれも気を付けて。』
ここまで書き記したエルヴィスは、もう少し文章を考えて……そして、ふと笑みを浮かべると、続きを書き連ねた。
『ブラックストーン城が刑務所に作り替えられていて腹が立ちました。なのでそこに入ってやろうと思います。しばらく、多分、100年か200年かもうちょっとか、そのくらい会えないと思うけれど、元気で。』
……そして、翌日。
「おらーっ!俺をこんなところに閉じ込めておいて大人しくしてると思うんじゃねえぞーっ!」
「う、うわーっ!昨日まで大人しかったのに!」
「急にどうしたんだ、あのエルフ!」
……エルヴィスは暴れていた。
エルフの暴れ方は、とんでもない。何せ、魔法を使う。
床は焦げ、天井が凍り、猛烈な突風が番兵達を襲う。これが人間達には、酷く恐ろしいらしい。それはそうである。人間にとってエルフの魔法は、あまりにも未知の存在なのだから。
「と、止まれ!止めろ!これを止めろ、エルヴィス・フロー……うわっ!おい!止めろと言っているだろうが!」
兵士達に雹をぽこぽことぶつけてやりながら、エルヴィスはけらけら笑う。
「俺に大人しくしてほしかったらなあー!俺を!さっさと!刑務所に入れろーっ!」
そして存分に、主張してやるのである。
そう。エルヴィスの望みはただ1つ!刑務所にされようが何だろうがお構いなしに、ブラックストーン城に永住してやることなのである!
「えっ……何!?何て言ったんだ!?」
「へ、変なこと言ってるぞ、あのエルフ!」
「何だ!?エルフにとって、刑務所って娯楽施設か何かなのか!?あのエルフ、何か間違って人間の文化を学んだんじゃないか!?」
……番兵達は大いに混乱していたが、やがて、混乱のままに、どこかへ報告に行ってしまった。エルヴィスは満面の笑みでそれを見送って、さて、これでダメなら次はどうしてやるかな、と計画を立てるのであった。
……そうして。
「では……おほん。エルヴィス・フローレイよ……な、なんだその目は」
エルヴィスは国王の前に引き立てられてやってきた。膝をつかされ、両側から首に槍を突き付けられている状況なのだが、エルヴィスの目はきらきらと期待に輝いている。
エルヴィスが期待に満ちてうきうきそわそわ待っている様子は、人間達には何故か恐ろしいらしい。エルヴィスに槍を突き付けている兵士達も、おっかなびっくりのへっぴり腰である上、エルヴィスに刑罰の申し渡しをしようとしているのであろう国王もまた、大いに恐れ慄いていた。
「あ、改めて、エルヴィス・フローレイよ。汝は国王に矢を放ち、更に傷を負わせた。これはこの国を揺るがしかねない、極めて重大な罪である」
「うん!」
元気に頷くエルヴィスを見て、国王は『意味が分からん……』というような顔をする。
「そこで、貴様の処遇だが……」
「刑務所!刑務所!」
待ってました!とばかりに手を叩いて喜ぶエルヴィスを見て、国王はいよいよ、途方に暮れたような顔をする。威厳は最早どこにも無い。もとよりエルヴィスは、この国王に威厳など感じていなかったが。
「……その、死刑にするには」
「あっ、死刑にされそうになったら100人は道連れにしてやるからな」
「あ、ああ、しない。死刑にはしない。……その、死刑にするには、まあ、エルフであるからな……とにかく、死刑にするわけにはいかんのだ」
きゃっきゃとはしゃいでいたエルヴィスが『死刑』の話を持ち出した途端にぎろりと睨んで来るものだから、国王は縮み上がって弁明を始めた。
「うん?エルフも殺せば死ぬけれど……ええと、それは知ってるか?人間ってどれくらいエルフのこと知ってるんだろうなあ……」
「いや、そうではなく……その、今後の、人間とエルフとの交流に、支障をきたしそうであるからな」
エルヴィスは少々心配になったのだが、どうやらそういう理由であるらしい。それならば納得である。よかった。エルフを不老不死とでも思われては困る。
「よって、汝に対する罰は……」
まあ、エルヴィスからしてみると、そんな事情はどうでもいい。リリエにはもう手紙を出した。エルヴィスが国王に腹を立てていることは全てのエルフの知るところとなっているだろうし、そんな中で積極的に交流しようとするエルフは減っていくだろう。
だから国王はエルヴィスを手放したくないはずだ。手放さず、ずっと国にとどめておくために、必ずや、エルヴィスを刑務所に入れたいはずなのだ。
「……これから審議する」
……が、流石に、これにはエルヴィスもびっくりなのであった!
「……え?決まったんじゃ、ねえの?」
「その……通常であれば、国王に刃を向けるなど、即刻死罪なのだぞ?当然、議会には『エルフであろうが関係なく死刑にすべき』と主張する者は多い」
「ええー……刑務所ぉ……」
エルヴィスが文句を表明してやるも、国王達の意志は固いらしい。つまり、『ぎりぎりまで決定を延ばしたい』という固い意志が、彼らにはあるのだ。
「……なので、その、刑務所ではないが、牢にて留置してやるので大人しく」
「あそこは刑務所じゃねえ!俺を早く刑務所に入れろ!刑務所!刑務所!」
「な、何故……?刑務所に何のこだわりが……?」
……かくして、エルヴィスは再び、王城の牢に戻されることになった。エルヴィスはむくれながら、リリエ宛に『まだ刑務所に入れません。国王はケチです。』と手紙を書き綴り、リリエからは『私、人間の国のことはよく分からないけれど、とりあえずあんたが変なことしてるってことだけは分かるわ!』と返事をもらった。
そして、人間達の間では『エルフは刑務所のことを何か勘違いしているらしいぞ』だの、『エルフ語では、刑務所というと楽園のことを指すらしい』だの、様々な噂がまことしやかに囁かれるようになったのであった。
そうして、王国歴202年。
たっぷり1年間の審議を経た国王は、『やっとか』という顔のエルヴィスを前に、ようやく、処遇を申し渡すことになり……。
「……ということで、汝を、クローバレー刑務所にて終身刑とする」
……エルヴィスは大変にがっかりした。
「やだ!ブラックストーンがいい!」
「わがままを言うでない。まだあそこは完成しておらんのだ……」
おろおろする国王も、おろおろする兵士達も。そして何より、がっかりしているエルヴィスも……前途多難であった。