王国歴200年:ブラックストーン城
エルヴィスは人間の国を旅して回ったり、エルフの里へ帰ったりしながら、のんびりと過ごしていた。
ある種、エルヴィスは200年近くを経てようやく、エルフらしい時間の使い方で生活をするようになったのである。
ブラックストーン城で起きて、城をのんびりと歩き周り、窓を開けて、掃除を手伝ってくれそうな鳥に呼び掛けて、彼らを招き入れたら彼らの羽毛でふくふくぱたぱたと城の埃を払い飛ばしてもらい、そしてエルヴィスは最後に、鳥達をまとめて風呂に入れてやって……。
或いは、中庭の花の世話をした。エルヴィスが城を1年以上空ける時には、植物達に『俺が居ない間はのびのび育ってていいからな』と伝えていたので、彼らは本当にのびのびと遠慮なく育っていた。
中庭の植物を少し貰って食べたり、彼らの生命力を分けてもらったりして、エルヴィスは日々を過ごした。植物達と同じように、水を飲み、太陽の光を浴びてのんびりと一日を終えることもあった。
時折、気が向いたら笛を吹いた。かつてブラックストーンの一族が教えてくれた料理を作ってみることもあった。渡り鳥がやってきたら一緒に風呂に入ってみたし、そのふわふわとしてまろやかな触り心地の胸毛に顔をうずめて眠ることもあった。……鳥にはちょっぴり迷惑そうな顔をされた。
エルヴィスの暮らしは、至極静かだった。もうエルヴィスは、この城に1人ぼっちだ。
人間達が大勢暮らしていたころのブラックストーン城とは、何もかもが違う。
……だが、それでも、エルヴィスはここに居ることにしている。
誰も居ない城ではあるが、そこかしこに、彼らの気配が残っていたからだ。
壁の石材の傷。調度品の1つ1つ。机や椅子、浴槽やランプや、その他諸々……この城のあらゆるものに、あらゆる思い出が残っている。かつてここに居た人々のことを思い起こさせてくれるものが、ここにある。
エルヴィスはそれが楽しかった。彼らのことを思い出して、懐かしく思って、くすくす笑って、そして、少し寂しくなる。
そんな繰り返しで、エルヴィスは静かに、穏やかに、誰にも迷惑をかけることなく、暮らしていたのである。
……そして。
王国歴200年になった、ある日。
「……えっ?」
エルヴィスが3年ぶりに『帰って』きたブラックストーン城には、人間が沢山居た。
そして、ブラックストーン城は、その姿を変えていた。
正門には重い鉄扉が取り付けられ、その奥には、鉄格子のようなものが見える。
結界は既に破られており、結界の要としていた野薔薇は既にそこに無かった。
がちゃん、ごとごと、とあちこちで重い音が響き、今も何かが起きているらしいことが、分かる。
「これは……」
エルヴィスは茫然とする。何故、このようなことが起きているのか、分からない。
ここはブラックストーン城だ。ブラックストーンの一族が住み、そして、エルヴィスが永住を許された場所であって……200年分に近い思い出が眠る場所である。
茫然としたまま、エルヴィスは一歩、門へと足を踏み出す。すると。
「あっ、あっ、お兄さん!駄目ですよ!危ないですから、立ち入らないで!」
慌てた声が後ろから追いかけてきて、エルヴィスの肩が掴まれた。
はっとして振り返れば、いかにも作業中であったのであろう人間の青年が、困った顔でエルヴィスを見ていた。
「これは……なんで、ブラックストーン城に、何かしてるんだ?」
「え?ああ、ここ、刑務所にするんですよ。それで工事中です」
エルヴィスが問えば、青年はそう、答えた。自分の仕事に誇りを持っているのだろう、と思われた。後ろ暗いところなど何もない、という彼の態度に、エルヴィスはますます、困惑せざるを得ない。
「刑務所……?なんで、そんなもの……」
「治安維持のため、だってさ。貴族連中が住む町をキレイにしておきたいから、ここに『汚物』を入れておきてえんだろう。……ったく、どうしてこう、お上はやることがいつもこうなんだかね」
そこへ、もう少々年かさな作業員がやってきて答えていった。彼の、少々枯れて皮肉気な声を聞いて……エルヴィスは、頭が真っ白になっていくような気がしていた。
「あ、ちょっと!お兄さん!中は関係者以外立ち入り禁止ですよ!」
「俺は関係者だ!」
エルヴィスは城の中へ駈け込んだ。人間達が追いかけてくる気配はあったが、エルフの脚に追いつけるわけがない。振り返ることもせず、エルヴィスは城の中を駆けていく。
玄関ホールは、酷い有様だった。
優美な曲線を描く階段も、天井を飾るシャンデリアも取り外され、天井は壊され、寒々とした吹き抜けにされている。壁には独房らしい鉄格子がいくつも並んでおり、既にここが『刑務所』になっていることを主張しているかのようだった。
その先、食堂は区切られて2つにされており、更にその先、エルヴィスも入浴に使っていた浴場からは浴槽が撤去されて、魔導機関のシャワーが何列も並んでいた。排水の為か、タイル敷きの床には無遠慮な穴が開けられており、それがエルヴィスに取り返しのつかない現実を知らせてくる。
エルヴィスは走った。走って、城中を確認した。
だが、無い。
ユースタスが読んでいた本も、カリストが座っていた椅子も、ポーレッタが登っていた木も、ラフェールが使っていた机も、ヴィクターの魔導機関も、レヴィの誕生日に買った柱時計も、エリンの身長を刻んだ柱も、グレンが佇んでいた中庭の花壇も。
全て、消えている。
エルヴィスが立ち尽くしていると、ようやく追いついた人間達が、一周してきたエルヴィスの元へどたどたとやってきた。
「ちょ、ちょっと!だから立ち入り禁止だって……」
「ここは俺の城だ」
……そして、エルヴィスがそう言って彼らを茫然と見つめると、人間達は、明らかに怯んだ。感情の読めない空虚な瞳に、人間達は何か、自分達とは違う……異質なものを、感じ取ったらしい。
「俺の城を、誰に断って、こうしている?」
更にエルヴィスがそう言うのを聞いて、人間達は困惑し……同時に、どこか、微かに恐怖してもいた。
「立て看板もあったはずだ。何故立ち入った?」
「いや、そんなものは、ありませんでした、けれど、ねえ……」
人間達は、『そうだよね』『そうだった』と確認し合って頷き合う。だが、それを眺めるエルヴィスには、未だ表情が戻ってこないままだ。
「俺とブラックストーン城のことは、国王にも連絡済みだったはずだ。国からの通達は?」
「とは言われても……その国王陛下が手掛ける公共事業の一環として、ブラックストーン城の再利用計画が持ち上がったところなので……」
人間達が竦み上がりながらそう言うのを聞いて、エルヴィスはいよいよ、強い衝動に駆られる。
「……そうか。国王か」
人間達は、『これで納得してくれただろうか』とでもいうかのようにエルヴィスの様子を窺っていた。
……だが、人間達はエルヴィスを見て、自分達は言うべきではないことを言ったのかもしれない、と、思う。
去っていったエルヴィスが向かった先を案じながら、人間の作業員達は作業に戻る気分にもなれず、ただ、ぼんやりと立ち尽くし、顔を見合わせているのだった。
エルヴィスが向かった先は、人間の国の王城だ。
夜通し馬を駆けさせて、かつて訪れたことのある王城を、また目指す。
王城のそばまで到着したら、馬には守りの魔法をかけてやって、自由にしてやった。ブラックストーンの馬だが、エルフの森に帰るように教えてやったので、きっと大丈夫だろう。
……さて。
エルヴィスは王城を睨むと、すぐ、己の脚で王城目掛けて地を蹴った。
「止まれ!止まれ!おい、そこの……」
「うるせえ!邪魔だ!」
門番を蹴り飛ばして、エルヴィスはさっさと門へ登ってしまう。門の上までよじ登ると、そこには弓を手に慌てている兵士が居たので、彼を蹴り飛ばし、弓と矢を奪った。
門の上からそのまま塀を伝って歩いていき、そして、城の外壁に飛びつく。石材数段分を登攀すれば、すぐ、テラスの手すりに手が届くようになった。
「侵入者だ!総員、警戒せよ!」
「門番がやられたぞ!持ち場へ急げ!」
人間の兵士達は慌ただしく動いていたが、それら全てが遅い。兵士達が追い付いてくるより先に、エルヴィスはテラスへとよじ登り……そして、テラスに面した大窓を割って、中へと侵入を果たしていた。
「な、何事だ!」
王が玉座の上に縮み上がる。近衛の兵士達が槍を構え、エルヴィスを警戒する。
だが同時に、エルヴィスもまた、弓に矢を番えて、真っ直ぐに王を狙っていた。
「俺はブラックストーン城のエルフだ。……約束を反故にした報いを、お前に与えに来た」
玉座の間がざわめく。『エルフ?あれが噂の……?』とざわめく声も。『約束を反故に、とは、一体何の話だ?』とざわめく声も、あらゆる声や言葉が混ざって、エルヴィスの元まで届く。
それと同時に、それらのざわめきは国王にも届いた。王はそれらのざわめきに急き立てられるように、声を張り上げた。
「ぶ、無礼な!何を言う!貴様は何者だ!」
「無礼なのはお前だ」
エルヴィスは弓に乗せた矢はそのままに、張り詰めた弦をより一層きりきりと張り詰めさせて、国王を睨む。
「俺のブラックストーン城を返せ。そういう約束だっただろう」
「……ブラックストーン城?」
「とぼけるな。お前の命令で刑務所に作り替えてるあそこだよ」
エルヴィスが詰め寄ると、国王は何とも嫌そうに、『ああ、あそこのことか』とでも言わんばかりの顔をする。それがまた、エルヴィスには只々腹立たしい。
「あそこはブラックストーンの一族のものだった。それは当時の国王に認められたはずだ。それで、その後、ブラックストーンの一族が途絶えたところで、ブラックストーン城はエルヴィス・フローレイに譲渡された。これも当時の……先代の国王との約束で決まったことだ」
「余はそんな話は知らぬ。そしてもし、貴様が約束とやらを交わしたとして、先代との約束であろう?」
ふん、と鼻で笑う国王を見て、エルヴィスは大凡の事態を察した。
……要は、この国王は、先代と折り合いが悪かったのだろう、と。ついでに、それをこのような形で表現してしまう程度に幼稚な生き物であるらしい、とも。
「古い約束とやらに縛られたままでは国は動かせぬ。貴様も一国民であるなら、弁えよ」
国王は、『これで話は終わりだ』と言わんばかりに、鷹揚に手を振った。
……その瞬間。
ずばり、と空気を裂くように飛んだ矢が、ぞんざいな態度の国王の、振られた手の甲を貫いていた。
「どうして……どうしてお前らは、作ったもんを、そんなに簡単に壊せるんだ?」
国王の絶叫。絨毯の上に滴り落ちる血。それらを見ながらにして、動揺のあまり動けない兵士達。
それら全てを睥睨して、エルヴィスは次の矢を弓に番えた。
「城も、そこにあったものも、約束も……何でもかんでも壊しやがって!1000年なんて言わねえが、せめて……せめて100年くらいは……50年でもいいから、守ってくれよ!」
更にもう一本放たれた矢は、国王の頭すれすれ、玉座の背もたれに突き刺さり、びぃん、と強く鳴り響いた。
「……そうじゃなきゃ、人間とエルフが上手くやってくことなんて、できないじゃねえか」
静まり返った玉座の間に、エルヴィスの呟きだけが、小さく残った。